第26話

 通成と凛は老婆と女の子と別れると、緩やかな獣道を登り続けた。

 「凛、疲れてはいないか?」

 通成は前方に視線を向けたまま、凛へ話しかける。

 「私は大丈夫です。通成様は?」

 「俺も大丈夫だ。歩き辛いかもしれないが、もう少し耐えてくれ」

 凛は黙って頷いた。目の周りを包帯で覆っているせいで、目の前のものを判別することは出来ない。そのせいか、通成に握られている手の平の感触がやけに生々しく感じられた。彼の手の平は汗のせいでじっとりと濡れている。

 もう初秋に入る頃なのに、何故こんなにも熱いのだろう。

 そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、通成が凛の名を呼んだ。

 「凛、あったぞ。矢島が話していた墓だ」

 通成の目の前にある墓は、竿石さおいしの頭頂部が丸みを帯びており、かまぼこ型になっている。その形から大分昔に建てられたものであることが分かる。

 凛は自分の胸に言葉では言い表せない何かが込み上げて来るのを感じた。嬉しさと同時に緊張が彼女を包む。

 通成が凛の目の周りを覆っている包帯に触れた。

 「今、俺達以外には周りに誰もいない。包帯を取ってもいいか?」

 凛が「はい」、と答えた瞬間、目の前で包帯が解かれた。真っ暗だった視界に山の緑が現れたと思うと、普通の墓石に比べてだいぶ小さな形の古い墓が視界に入った。

 次に辺りを見回した。矢島が言っていた通り、ここからすぐ近くにあった廃寺はもう既にない。昔は草が生えていたが、今は土がむき出しになっている。

 顔を伏せると、暫くその墓石を見下ろした。

 「明治十年…… 七月」

 通成は墓の前にしゃがみ込んで、墓の側面に掘られた文字を読み上げた。

 そのまま、その墓を凝視する。

 「明治……」

 そう呟く凛に通成は頷いてから、

 「ああ。七十年近くも前に建てられたのに、よくこれだけ綺麗に残っていたな。文字もまだ読むことが出来るし、苔もほとんど生えていない」 

 通成は感心した様にそう呟いてから、墓石のもう一つの側面と裏側にも目を通すが、墓が立てられたと思われる年月日以外の文字は見つからない。

 「先程遭遇したお嬢さんは、鬼さんのお墓だと話していましたが」

 凜がそう口にした時、通成は立ち上がってから振り向いて彼女へ近付いた。

 そのまま凛の腕を軽く掴むと、墓の前に誘導する。

 「凛、ここに眠っているのは鬼ではない。だいぶ時が経ってしまったから、真実とは異なる話が独り歩きをしているだけだ」

 通成は掴んでいた凛の手を墓に触れさせた。墓石の冷たい感触が凛の真っ白な指先に触れる。

 凛は腰を下ろすと、ぎこちなく墓石を指の腹で上から下へなぞった。それから墓を撫でるようなしぐさをしてみせた。

 彼女の手は細かく震えているように見える。

 通成も再びその場で腰を下ろした。

 「やっと会えたな、凛」

 凛に顔を向けると、彼女は顔を伏せていた。

 「……はい」

 その声は涙ぐんでいるように聞こえる。

 彼女は墓石に腕を回すと、頭部を押し付けるように当ててから涙声で、

 「ずっと後悔していたんです。私が人里へ降りて行かなければ、この女性ひとは命を落とすことがなかったのに、と」

 「今も後悔しているか?」

 通成は凛の頭に手を乗せる。

 「私と関わったことで亡くなったのは事実です。けれど、本当は嬉しかったです。人様と同じ様に扱って貰ったことが、何よりも」

 凛は声を上げて泣いた。通成はその様子を見つめたまま彼女の頭を何度も撫でた。

 その後は、持って来ていた手拭いで墓石を丁寧に拭いた。本当は水をかけて花も供えたいところだが、まだ水も花も手に入れるのは厳しい状況だ。

 「すまんな、凛。随分と粗末な墓参りになってしまって」

 「いえ、粗末だなんて、そんな」

 「よし、こんなものか」

 目の前の墓石は訪ねた時と大して変わらないが、少しだけ光沢が出たような気がする。

 「凛、手を合わせたら目を閉じてくれ。毎朝、お袋と通寿の遺影にしている時と同じようにしてくれればいい」

 凛は通成に言われた通り両手を合わせると、目を閉じた。それぞれ故人である女性の冥福を祈った。

 

 帰りは再び頭と目の周りに包帯を巻いて、通成が凛の手を引いて山を下りた。

 桁橋を渡り人里に出た時、聞き慣れた男の声が通成の名を呼んだ。

 「瀬野。やはり来ていたか」

 「矢島?」

 通成が振り返った先には矢島の姿があった。彼は近付いて来ると、山の方へ顔を向けてから、

 「墓参りへ行ったんだろう? 場所はすぐに分かったか?」

 「ああ。割とすぐに見つけることが出来た。獣道を歩いている時、老婆と女の子に会った」

 「老婆と女の子?」

 矢島は首を傾げて聞き返した。

 「女の子の方は、時子と呼ばれていたな。ばあさんの方は六十代半ばくらいか。腰の曲がった……」

 「三件先のばあさんのことか。そういえば、よく山の方へ歩いて行くのを見たな」

 「もう自分達しか墓参りをする人間はいないって話していた。それから」

 通成は一旦口を閉じると、凛へ視線を向けた後、再び口を開いて、

 「そのばあさんが連れていた女の子は山にある墓を鬼さんのお墓だと言っていたんだが」

 通成がそう口にすると、矢島は思い出したように、「ああ」と呟いた後、

 「近所であの墓をそういう風に呼ぶ者もいるんだ。切り殺された鬼の子供の墓だとな。信じているのは子供ぐらいだ。信憑性はない。ところで」

 矢島は通成と凛を交互に見てから、

 「帰りも列車に乗るのは骨が折れるだろう。車でもあれば、乗せていきたいところだが」

 「そんな。お気持ちだけで十分です」

 凛がそう言った後、通成も、

 「墓があることとその場所まで教えて貰ったんだ。十分だ。矢島、ありがとな」

 「気にするな。なあ、せめて駅まで送らせてくれ。それくらい良いだろう?」

 その後は、三人で駅まで向かった

 駅へ着いた時、通成が矢島へ礼を言おうと振り返った時だ。矢島は通成と凛を交互に見ていたので、

 「矢島、俺と凛がどうかしたか?」

 「いや、何だか二人が夫婦の様に思えてな」

 「ふ、夫婦?」

 通成は顔を赤らめてその場で固まった。

 凛も驚いて顔を赤く染めている。

 矢島はそんな二人を見てひとしきり笑った後、

 「俺にはそう見えるぞ。きっとさっき会ったばあさんも俺と同じ様に思っただろうさ」

 そう口にしてから、矢島はまた笑った。

 周りにいた者たちも通成たちに視線を向けている。無論、矢島の声が大きいせいである。

 通成は辺りを見回した後、

 「や、矢島、送ってくれてありがとな。それじゃあなっ」

 「おう、気を付けて帰れよ。娘さんもな」

 「……はい」

 凜の顔はまだ赤らんでいる。

 矢島は軽く手を挙げた。

 通成と凛が駅へ入ると間もなく列車が入って来た。

 帰りは座ることが出来なかったので、終始立ちっぱなしとなった。

 二人は先程の矢島との会話が脳内を駆け巡り、恥ずかしさから互いの顔を見ることが出来なかった。

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