第27話

 それからは何事もなく日々が過ぎて行った。季節も変わり、夏が過ぎ秋が過ぎ、そして冬を迎えた。相変わらず通成たちの生活は変わらない。

 食料は今だに配給所に貰いに行ったり、闇市へと出向いてヤミ米や野菜等を買いに出なければならない。

 変わったことがあるとすれば、通春の就職先が決まったことだ。自宅から徒歩圏内の写真館で働き始めてから三ヶ月が経った。

 一度、矢島が家を尋ねて来ることがあった。以前話したような鬼の話ではなく、自分の子供の頃の話などを面白おかしく聞かせてくれた。

 そんな中やはり日に日に感じるのは復興が進んできたことだ。一向に進まぬよりは断然いい。だが、それは凛をいつまでもこの家に居候させられないということを意味する。

 以前、そのことについて凛の就寝後に通春と二人で話し合った。自分の考えを彼に伝えた時、通春は驚きつつも納得してくれた。後は、凛が何と答えるかだが、その考えを彼女に伝えるのはもう少し先になるかもしれない。

 

 ある日、寝室の押し入れを整理していた通春がある物を持って居間に入って来た。

 「兄貴、これ見てくれ」

 そう言って彼が卓の上に置いたのは一点のカメラだ。一九三五年(昭和十年)に発売された国内初の35mmフォーカルプレーンカメラ。

 通成もそれを見て、思わず目を丸くした。

 「懐かしいだろう? 親父がよく使っていたなあ」

 「ああ、本当に。しかし、よくこんな昔の物を見つけたな」

 通成は彼からカメラを受け取ると、懐かしそうにそれを見回した。

 少々機体に傷が付いているが、それ以外は特に大きな変化は見られない。

 二人の脳裏にはよくカメラを手にして笑っていた父の顔が浮かんだ。

 「通成様、これは何ですか?」

 凛は通成が持つカメラを不思議そうに凝視している。

 「これはカメラと言って、写真を撮る時に使うんだ」

 「写真、ですか?」

 凛は首を傾げて通成を見た。どうやら凛はカメラも写真も知らないようだ。

 通成が写真について説明しようと口を開いた時、通春が立ち上がった。

 「少し待っててくれ」

 そう言うと卓から離れて、壁際にある棚へ近付いて行く。引き出しを漁りながら、

 「あった。これだ」

 通春は引き出しをしまうとまた二人の元へ戻り、

 「凛さん、これが写真だ」

 茶色い封筒の中から出て来たのは写真の束だった。

 通春はそれらを適当に卓の上に並べていく。

 「懐かしいな」

 並べられた写真の中には、幼い頃の通成たち兄弟が写ったものや家族で縁側に並んで撮られたものなど様々だ。

 「このように人や建物を撮ったものを写真と呼ぶんだ。こうして形にしておけば何年経っても残しておける」

 通春はそう説明すると、再び写真を並べていく。

 凛も並べられたそれらに目を通していると、一枚のある写真が彼女の目に止まった。

 「こちらの女性とお子様は……」

 「ああ、それはお袋と兄貴だよ。兄貴が生まれた時に写真館で撮って貰ったんだ」

 「そうでしたか。あの、こちらは触れても大丈夫なのですか?」

 恐る恐る尋ねる凛に通成は「ああ、もちろん」と頷いてから、その写真を手に取って彼女へ渡した。

 母親は穏やかな笑みを浮かべたまま、赤子の通成を抱いている。

 凛は黙ってそれを眺めていた。写真を見たのが初めてだったので驚きと新鮮な気持ちだ。

 「やはり面影がありますね。通成様、愛らしいです」

 写真に写る通成に凛は自然と目が細くなった。口元にも笑みが浮かぶ。

 そのまま見つめていると、通成が口を開いた。

 「なあ、凛。そんなに見つめんでくれ、恥ずかしいぞ」

 彼の顔はいつの間にか赤く染まっている。

 「いいじゃないか。こうして並べてみると結構あるな。親父、そんなに写真撮ってたか?」

 腕を組んで考えている通春に、

 「撮ったのはほとんど親父とお前だろう? これだって親父が自分で使いたくて買って来たと聞いたぞ。お袋は機械が苦手だったから、自分では撮らんだろうし」

 「通成様が撮られたお写真はないのですか?」

 凛がそう尋ねると、通春は再び卓に並べた写真に視線を向けた。

 「兄貴が撮ったものか。時々撮っていたような気もするが…… あっ、これだ」

 彼は一枚の写真に手を伸ばすと、凛にそれを見せた。

 母親と通春、通寿の三人を撮ったものなのだが、ピントがずれておりぼやけてしまっている。

  通成は凛の持つ写真から目を離すと、卓に上がっている別の写真に視線を落とした。自分が撮ったものは他にも数枚あるが、どれも被写体がぼやけているものばかりだった。

 (俺が撮ったものは、どれもぼやけているな)

 苦笑を浮かべていると、パチリという音が聞こえた。見ると、通春はこちらに背を向けて、寝室の開け放たれている雨戸から見える景色にレンズを向けていた。

 「おっ、まだ撮れるぞ」

 そう呟く通春は嬉しそうだ。

 こちらを振り返ると、レンズを二人に向けた。

 「おい、まさか俺と凛を撮るつもりか?」

 通成はそう言うと、凛に視線を向けた。彼女も驚いた表情で通春が手にするカメラを見つめている。

 「冗談だ。いくら俺でも勝手には撮らんさ。ただ……」

 「ただ?」

 「久しぶりに撮りたいと思ったんだ。昔みたいにさ。もうカメラを持ち歩いていても、怪しまれることもないから」

 「ああ、そうだな」

 その時、凛が立ち上がった。ゆっくり通春の元へ歩いて行く。

 「このカメラというものは、どのように使うのですか?」

 凛は不思議そうに通春が持つカメラを凝視している。

 「何だ、凛さん。カメラに興味があるのか?」

 凛は小さく首を縦に振った。

 「レンズをあちら側に向けてくれ。撮りたいものが決まったら、ここの丸く突き出たものをボタンと呼ぶんだが、それを押すんだ」

 通成は凛と通春の様子を見守っていた。

 凛がカメラに興味を持つのが何よりも意外だったので、驚いた。

 凛は通春の指示を聞きながら、あちこちにカメラを向けている。

 通成はそんな彼女を笑みを浮かべたまま見つめていた。

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