第22話

 凛はゆっくりと立ち上がると、通春がいる卓の方へ移動した。

 通成と矢島もそちらへ向かう。

 三人は徐々に腰を下ろした。

 「初めてお目にかかります。凛と申します」

 凛は静かにそう答えると、頭を下げた。

 「初めまして。驚かせてしまって済まなかった」

 「いえ……」

 「凛、彼は鬼の伝承が残る地域の出身なんだ」

 「鬼の伝承、ですか」

 凛は少しの間考えた後、思い出したように顔を上げ、

 「前に通成様が仰っていた住所の……」

 そう呟く凛の顔に恐怖の色が浮かぶ。

 通成が頷いた後、矢島が続けた。

 「実は俺の家の近くにある墓が立っているんだ」

 「ある墓? というと?」

 通成が尋ねる。

 「今から七十年ほど前になるか。明治の頃に一人の女と鬼の幼女が切り殺されたそうなんだ。その話を聞いた高齢の僧侶が、死んだ二人を哀れんで墓を建てた」

 通成は自身の動揺を必死に隠しながら、矢島の話を聞いていた。凜に視線を向けると、彼女は顔を伏せたまま、落ち着きなく瞬きを繰り返している。膝の上で固く握られた両の拳に更に力を込めるのが視界に入った。

 「あの、矢島様!」

 凜の声はうわずっていて、明らかに動揺しているのが分かる。だが、彼女はそんなことはどうでもいいとでも言うように続けた。

 「お墓は、その、まだその場所にあるのでしょうか?」

 「あっ、ああ。戦禍のせいでところどころ欠けていたり、ヒビが入ったりしているが、墓に掘られた文字もまだ読むことは出来る」

 矢島は突然凛が大きな声を出したものだから、驚いているらしかった。

 その話が載っている書物を探そうとした時、通春が口を開いた。

 「もしかして、これのことか?」

 通春はある頁を開いて、通成たちに突き出した。その頁には、今しいましがた矢島が話した女と鬼の幼女が切り殺された内容の文章と、墓が建てられたことについても合わせて書かれていた。

 「その書物、見せてくれ」

 「ああ」

 通春は頷いてから、手に持っていた書物を兄へ渡した。

 「君は、この近くに住んでいたことがあるのか?」

 矢島が尋ねる。

 凛は顔を伏せたまま少しの間黙っていた。沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。

 「昔、お寺がありました。はっきりとした場所は覚えておりませんが、古びて誰も来ることのないお寺です」

 「廃寺のことか?」

 驚いた表情で今度は通春が尋ねた。

 「はい」

 凛はその後、何も話さなくなった。

 顔を伏せ、固く拳を握り締めている。きっと抜刀隊に襲われた時のことを思い出しているのかもしれない。

 「確かに廃寺があったと書いてあるな」

 矢島は通成から書物を受け取り、再度内容を確認している。

 「あの、申し訳ありませんが、隣の部屋で休んでも構いませんか?」

 見ると、凛の顔色が悪い。青白く、血の気が感じられない。

 「ああ、分かった。すぐに布団を敷くから……」

 立ち上がろうとした兄を、通春が手で制した。

 「俺がやる。兄貴はここにいてくれ」

 通春は立ち上がると、急いで寝室に向かった。

 凛の様子を矢島も心配そうに見つめている。

 「おい、大丈夫か?」

 「はい、大丈夫です。矢島様、申し訳ありません、せっかく来て頂いたのに」

 「いや、俺が勝手に訪ねたんだ。君が謝る必要なんてない」

 その時、寝室の方から通春の声が聞こえた。

 「凛さん、布団を敷いたから休んでくれ」

 「ああ、今連れて行く。凛、立てるか?」

 通成が凛の肩に腕を回す。凛は何とか立ち上がるが、既に足元がふらついている。

 「大丈夫か? 連れていけるか?」

 矢島も立ち上がろうとしたが、通成はここで待っているように頼んだ。

 寝室に入ると、凛を布団に寝かせる。

 薄手の掛布団をかけてやりながら、

 「凛、すまん」

 通成はうめくようにそう口にした。自分に対する憎悪と後悔が膨れ上がるのを感じる。一瞬にして自分を飲み込んでいく。

 「謝らないで下さい。あの、通成様」

 「何だ、凛?」

 「私は廃寺で育てられました。見ず知らずの女の人に育ててもらったんです。新しく縫った着物や食べ物を持って来てもらって」

 通成の脳裏に、あの夢の光景が蘇る。新しい着物を着せてもらって喜ぶ幼い頃の凛の姿が。

 「そうか」

 「はい。ですから、お墓が建てられたと聞いて、驚きました。お坊様に感謝しなければ。あの女の人には安らかに眠って欲しいのです」

 「その女性もきっと君と過ごせて幸せだったはずだ」

 夢の中の女性は凛といる時、確かに笑顔だった。

 「凛さん、ゆっくり休んでくれ」

 「はい、お布団敷いて頂いてありがとうございます」

 「ああ」

 通春は頷いた後、寝室を出た。

 「俺はもう少し矢島と話して来る。何かあったら呼んでくれ」

 「はい」

 通成が立ち上がった時、凛の指が通成の手に触れた。

 彼も凛の手に触れる。手を放してから、彼女の頭を撫でた。

 凛から手を離すと、すぐに立ち上がり居間へ向かう。

 凛は通成の後ろ姿を襖が閉まるまで見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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