第20話

 「矢島……」

 目の前にいる矢島は別れた時と比べて、顔付きが変わり、穏やかな表情をしている。髪も伸びていたため一瞬誰か分からなかった。

 服装も軍服姿ではなく、半袖のシャツにズボンという恰好だった。手には手提げ袋を持っている。

 「久しぶりだな、瀬野」

 「ああ。でも、どうして急に……」

 「本当はまた手紙を送ろうと思ったんだが、偶然ここに来る用事が出来てな。それで寄ったんだ。いきなり訪ねてすまん」

 「いや……。 ところで、その手に持っている袋は?」

 通成は矢島が手にしている袋に視線を落とした。書物とおぼしきものが何冊も入っており、その厚みのせいで中は膨らんでいる。

 「ああ、鬼の伝承についてまとめた書物ものだ。以前手紙で鬼のことについて書いていたから、今日持って来た」

 矢島は袋に目をやったままそう答える。

 「わざわざ持って来てくれたのか? 重かったろうに」

 「いや、銃に比べたら対した重さじゃない。だが、意外だな。お前がそんな伝承に興味があるとはな」

 「まあ、な」

 通成は一瞬ひやりとしたが、それを隠して曖昧あいまいに頷いた。

 「なんだ、もしかして鬼にでも遭遇したか?」

 道成の思考が止まる。思わず顔を上げて矢島を凝視した。

 両手の人差し指を頭の上で立てて冗談めかして笑っていた矢島も、彼の様子に驚いて、

 「おい、瀬野。どうした?」

 「いや、何でもない」

 反射的に矢島から目を逸らす。

 「まさか、本当に遭遇したのか?」

 「何言ってるんだ。そんなことあるはずないだろう?」

 通成は笑って答えるが、自分の顔が引きつっているのを自覚していた。

 「お前、何かおかしいぞ」

 「いや、そんなことは……」

 通成は顔を伏せると、少しの間黙ってから、やがて決心したように口を開いた。

 「矢島、お前は鬼の伝承を信じているのか?」

 「近所のじいさん達がよく鬼を見た、と話していたから、子供の頃は本当にいるものだと思っていた。だが、俺自身は見たことがないから何とも言えない。どうしたんだ、急に?」

 矢島はますます怪訝な表情を浮かべた。

 「……俺の家に、鬼の少女がいると言ったら信じるか?」

 「鬼の少女?」

 矢島は困惑しながらも考える素振りを見せていたが、何と答えて良いか分からないようであった。

 「もしかして、手紙で鬼の伝承について触れていたのは、それが理由なのか?」

 「……ああ。そうだ」

 顔を伏せたまま苦し気にそう口にする。呂律ろれつが上手く回らない。矢島に自分の声が聞こえているのかも怪しいくらいに。

 「俺は正直信じられない」

 「信じられないのは当然だ。誰だってそうだろうと思う。矢島、わざわざ来て貰って悪いが、今日のところは……」

 「だが、お前が嘘を吐いているとは思えない。嘘を吐く理由がないからな」

 通成は顔を上げた。矢島は通成を真正面から見つめたまま、

 「俺が昔聞いた鬼の話は、作り話にしてはやけに生々しかった。まるで、本当にその目で見たかのように、じいさん達は話すんだ」

 普通ならこの時点で付き合っていられないと、背を向けるのではないか。だが、目の前の矢島はそれをしようとしない。

 正直信じられない、と口にしたのに。

 「矢島、家に上がってもらえないか? もちろん無理にとは言わん」

 「分かった」

  彼の顔には緊張とも恐ろしさとも取れる固い表情が浮かんでいる。その表情は戦地に赴いた時の表情と全く同じだった。

 通成は持っていた書物を矢島へ返すと、彼に背を向けた。

 玄関の引き戸を開ける。

 恐らく凛も通春も、矢島の突然の訪問に気が気でないだろう。彼が帰るのを今か今かと待ちわびているのではないか。

 矢島を家に上げたことを知ったら二人はどんな顔をするか。

 廊下を踏む音がいつもより一層大きく聞こえた。

 

 

  

 


 

 

 

 

 


 

 


  

  



 

 

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