第10話

 凛と暮らし始めて二週間が経過した。相変わらず、食料も衣類も日常品も足りず、その日暮らしの生活が続いている。

 通成は時間を見つけては、母親と弟達を探し回った。公民館、小学校や中学校などの施設から近くの病院まで虱潰しらみつぶしに訪ねたが、一向に見つからなかった。

 凛は彼が留守にしている間、窓を拭いたり洗い物をしたりと家の中で出来ることをして通成の帰りを待った。外に極力出ないのは、鬼であることを周りに知られないためである。洗濯など、外でしなければならない作業は通成が担当した。

 また、凛はほとんど字の読み書きが出来なかったため、通成が書き方と読み方を教えた。

 凛がいつものようにひらがなの筆記の練習をしていると、引き戸が開いた。鉛筆を置くと、居間を出て玄関へと急ぐ。

 「瀬野様、お帰りなさいませ」

 「ああ、ただいま」

 「ご家族の方の安否は……」

 「手掛かりは見つからなかった。だが」

 通成は言葉を一旦切ると、背負っていた袋の中から別の茶色の袋を取り出した。

 「これは?」

 「ヤミ米だ。それから、今日は野菜と芋類も手に入った」

 「そうでしたか。いつもすみません、瀬野様にばかりこんなことをさせてしまい……」

 「なぁ、凛。その呼び方だが」

 通成は顔を伏せたまま、

 「その、知り合ってもう二週間が経つのだし、一緒にこうして暮らしているのだからそろそろ名字ではなく……下の名前で呼んで欲しいのだが」

 頭を掻きながら、ちらりと凛に視線を送る。凛は不思議そうに目をしばたたかせた後、少し考えてから、

 「……通成様」

 凛に自分の名を呼ばれた瞬間、恥ずかしさで顔が赤らんだ。自分の顔がどんどん熱を持っていくのが分かる。

 再び顔を伏せる。

 「通成様、どうされたのですか? お顔がとても赤いですよ」

 凛が心配そうに駆け寄り、通成の顔を覗き込んでくる。

 「いや、大丈夫だ。な、何でもない」

 そうは言っても、凜はまだ心配そうな表情を浮かべている。

 「とにかく俺は大丈夫だ。中へ入るぞ。ほら、早く」

 通成は凛の腕を掴み、居間へ向かった。

 

 その日の晩、夕飯を済ませた二人はいつものように新聞の記事に目を通していた。凛はまだ新聞の記事を読むことが出来ないので、通成が読み上げていく。

 「通成様、人の足音がします。こちらに向かっております」

 凜は不安げに玄関へと続く廊下と自分達のいる居間を隔てている障子を凝視している。

 「こんな時刻にか? 俺には何も聞こえんぞ」

 「ですが、今どなたかいらっしゃったら……」

 そう呟く凛の顔は青ざめている。

 「凛、一応目と頭を隠せ。俺が様子を見て来る」

 通成は立ち上がると、凜に二本の包帯を渡した。

 凜は渡された包帯で素早く目と頭を覆った。

 障子を開け、廊下を進んで行く。確かに足音が聞こえる。女の足音ではない。この音は間違えようもない軍靴ぐんかの音だ。

 通成は引き戸の前で立ち止まり、屈んだ。手には護身用に士官学校で使用した竹刀しないが握られている。

 男の足音が目の前で止まった。

 「誰かいるのか? 何故灯りが点いている?」

 通成は男の声で顔を上げた。

 「通春みちはる? お前、通春か?」

 「兄貴?」

 男の問い掛けには答えず、通成は思い切り引き戸を開けた。

 目の前に立つ男は、間違えようもない自分の弟である。軍服は所々擦り切れ、泥や血で汚れている。招集される前より随分とせていた。

 「帰って来ていたんだな。よく無事で……」

 「通春、生きていて良かった」

 通春の肩に両手を置いた。泣きそうになるのを必死に堪える。まさか、また弟に会えるとは。話したいことは山程あるが、今はそれを全て飲み込んだ。

 「通春、ここに来るまで大変だったろう。中へ入れ」

 通成は弟を中へ入れた。その瞬間、居間で一人不安に駆られているであろう凛の姿が頭に浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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