第25話
「何だ…聞こえる」
治也は頭を押さえた。
一度瞬きをした時、周囲が無音の状態になった。
何も聞こえない病室で仰向けのまま治也は天井を見た。
突然、治也の背中に何かが突き刺さった。
治也の腹から沢山の細い枝が飛び出した。
治也は「ぐえっ」と声を立てた。枝が天井に突き刺さった。
腹から突き出た枝にはどす黒い血が染みついていた。
その血からどす黒いカマキリが生まれて天井を覆った。
治也は荒い息でカマキリの幼生を見ていた。
カマキリは天井に張りついたまま拳の大きさに成長した。
群れは天井を這って窓をすり抜けて飛んで行った。
「うわあああ!」
治也は目を覚ました。いつもの病室にいた。
「夢だったのか」
恐る恐る天井を見上げた治也は何もいない事を確認してホッとした。
「悪い夢だった。あれ?」
治也は自分の体に違和感をおぼえた。
「体が軽い…」
治也は自分の手のひらを見た。
「な、何だこれは…」
治也の手が血色を失って紫に変わっていた。
足も紫になって服をめくると包帯がほどけて肋骨が浮き上がっていた。
「はあはあ、苦しい…」
急に息苦しさを感じ、治也はベッドのナースコールのボタンを押した。
すぐに看護婦が部屋に入って来た。
「どうしました…ひっ!」
治也を見て看護婦が驚いた。
「苦しい…」
治也は弱い声で言った。
「すぐに先生を呼びます」
看護婦は病室を飛び出した。
「どうなっているんだ…」
治也の意識が途絶えてきた。
「これは…すぐに治療室へ」
「わかりました」
霞む意識の中で医者と看護婦の会話が耳に入った。
望海は二階でテレビを見ていた。
昼間のテレビはいつもの様にワイドショーで巷の事件や芸能ネタをやっていた。
「こんな状態なのに何でテレビでやらないの?」
望海は苛立ちながらノートパソコンの電源を入れた。
ネットには繋がらなかった。
「何にも外に繋がらないのね」
望海はため息をついて部屋を出た。
「ママ、香奈の家に行ってくるね」
居間の和恵に声をかけると、
「駄目よ。警察から家にいるように言われたでしょう」
と叱られた。
「そうだぞ。お父さんも退屈しているが仕方なく家にいるんだ」
達夫からも言われて望海は「はあい」と答えて二階に上がった。
「全く何なのよ」
二階から山の方を眺めているとキーンと金属音が聞こえた。
「あれ、この音…」
望海の首から冷や汗が流れた。
「パパ、ママ!」
望海は大声で叫んで階段を降りた。
両親はキョトンとした表情で走って来た望海を見た。
「パパ、ママ急いで学校に逃げて!」
望海のまくし立てる声に和恵は驚きながら、
「どうしたのよ」
と答えた。
「また来るの、来るのよ!」
望海は和恵の手を引っ張った。
「だから何が来るんだ」
望海は達夫の声に振り向いた。
「化け物よ。でかいカマキリが!」
望海の言葉に達夫は絶句した。
「どうしたんだ。急に化け物だのカマキリだの」
「いいから早く一緒に行こう!」
「いい加減にしなさい」
「いや!怖いの」
望海の素振りの異常さに驚きながら達夫はゆっくり言った。
「いいか。何があったが知らんが化け物なんていないんだ」
望海の息が荒くなった。
「わかったわ。じゃあパパもママも家にいて。大きな音を立てたら襲ってくるから静かにしていていてね」
「ちょっと望海!」
制止する和恵を振り払って望海は走って家を出た。
「怖い、怖いよ。助けて。おじさん…」
望海は呟きながら学校へ走った。
学校ではまだ自衛隊の車やヘリが行き来していた。
「もうひと息だな」
宮川は校舎の前で書類をチェックしていた。
「宮川さんに会わせて!」
校門の方向で女の声がした。
宮川は聞き覚えのある声に顔を上げた。
望海が門の前で隊員と口論していた。
「またあの子か…」
宮川は呆れて校門に向かった。
「ああ、その子は知り合いなんだ。通してやってくれ」
望海は宮川の声を聞くなり駆け寄ってしがみついた。
「おじさん、怖い!」
どう見ても尋常ではない望海の様子に宮川も周囲の隊員達も困惑した。
「えっと…」
戸惑う宮川と視線を合わせないように隊員達は背を向けた。
「こっちに来なさい」
宮川は望海の手を離して歩き出した。
ドサッ…
宮川の横に何かが落ちてきた。
反射的に宮川が見た。鳩が翼を小刻みに震わせていた。
「キャー!」
目の前に落ちて来た鳩に望海は悲鳴を上げた。
宮川は周りを見渡した。
鳩や小鳥が次々と落ちてきた。周囲が慌ただしくなった。
「何だこれは」
異変に驚く宮川に望海はまたしがみついた。
「怖いの。あいつがまだいるの!」
「大丈夫だ。あいつはもうやっつけたんだ」
怯える望海に宮川は動揺を隠して優しく答えた。
「さっき山の方からあの音が聞こえたの」
望海の言葉に宮川の表情が変わった。
「どこでだ」
「この前、あいつが飛んできた山の方から」
「玄関で待っていなさい」
宮川は望海に言うと急いでグラウンドへ走って行った。
「全くどうなっているんだ」
大野は護送車の後部に乗り込んだ。
「自衛隊の後方で警護ですからね」
井沢は防弾チョッキの肩の位置を気にしながら答えた。
「何でケツ振りながら走っているんだよ」
揺れる車内で大野は席にしがみつきながら怒鳴った。
「鳥が落ちてくるからですよ」
同乗していた刑事が言った。
「全く…何でもアリだな」
大野は呆れた口調で呟いた。
蛍光灯の並ぶ天井を治也は見ていた。
途切れ途切れな意識で見る天井は霞んでいた。
「俺は…死ぬのか」
治也の不安な思いと裏腹に体中に熱い何かが激しく流れている感覚がした。
「俺の体を流れているのは何だ。外に出たがっている」
体の中で流れる何かが治也の体から出ようと治也の頭に働きかけているのを感じた。
体から何か出てくるのを感じる度に治也の意識がはっきりしてきた。
「うわあああああ」
治也は叫んだ。治也の背中から薄い膜状の翼が広がった。
「体が消えていく…」
治也は自分の手足が透き通っているのを見て驚いた。
全身が消えて体が浮かんでいる感覚はあるが、視界が暗くなった。
「何だ、頭が溶けていくようだ。何も考えられない…」
闇の中で治也の意識が途絶えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます