第6話 迷い狸

「空木神社は久しぶりだなぁ……」



神社へ繋がる長い階段を見上げながら呟き、幼き頃の光景を思い出す。父と遊びながら登った階段。両側に並んだ木々の間から何かが現れそうで怖いと言えば、クスクス笑っていた父。そんな事を思い出しながら古くなってしまった石段を上り神社を目にする。何一つ変わらない懐かしい雰囲気の中、ベンチに座る1つの影があった。



「こんにちは」



大きめの笠を被っているため顔が見えず、ひとまず挨拶をすると向こうもこちらに気づき顔を上げた。

その顔を見た瞬間、その方が依頼者であると分かった詩乃。相手はニコリと笑ってベンチから立ち上がる。



「こんにちは。 お待ちしておりました!」



「遅くなって申し訳ありません。 一つ目小僧のあまねさんでいらっしゃいますか?」



「はい、依頼させて頂いた周です」



一つ目小僧。

古来から伝わる妖怪であり、其の名の通り目は一つ。とても温厚な性格を持っていて親しみやすい。



彼はぺこりとお辞儀をすると再び詩乃に向き直った。詩乃は無事合流出来たことをインカムで佳代に伝え、待っていて下さった周さんに頭を下げて向き直る。



「では、お探しの場所へ案内致します」


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「これは……迷って、しまいましたね」



香穂と別れた後、自宅へと帰ろうと歩いていた凪だったのだが、入り組んだ街で慣れないのもあり、道に迷ってしまっていた。来る時は三人と話しながらだったため迷う事も無かったのだが、いざ一人になると分からなくなってしまったのだ。生憎人通りもなくとても静かなため、勘を頼りに道を進んで行く。



「なんとか夜までには知っている道に……」



困りながらも、そう願いつつ歩く。こうなるなら三人のうちの誰かの連絡先を聞いておけば良かったと、少し後悔する。



「ん?」



ふと、少し先の曲がり角で膝を抱えて蹲っている人影を見つけ駆け寄って行く。



「大丈夫ですか?」



側に座り声をかける。どうやら泣いていたようで、こちらを向いた顔は涙で濡れていた。

しかもその人物は頭に耳が、お尻からはふさふさとした尻尾が生えていたのだ。



「もしかして、妖怪ですか……?」



「……うん、お兄ちゃんは、人間?」



「えぇ、それよりもどうして泣いていたんですか?」



たぶん狸の妖怪であろうその女の子は、理由を聞かれるとまた涙を溢れさせ凪にしがみつく。突然の出来事に驚いた凪だったが、転びそうになったのに耐えて少女の背中を撫でる。「これは話を聞くのに時間が掛かりそうだ。」と、そんなことを思っていた凪。しかし、突然自分の下から聞こえた微かな声を、凪は聞き逃さなかった。



「……お、かあ……さんっ……」



「おかあさん?」



聞こえたのをそのまま復唱すれば、自分の服を掴む少女の手が力強くなったのが分かった。もしかして、と凪は少女に声を掛ける。



「君、もしかして、お母さんとはぐれたんですか?」



「……。」



無言ではあったが、首が縦に動くのを確認した凪は、少女の頭を優しく撫でる。

すると、少女はゆっくりと顔を上げて凪を見上げた。涙で濡れた顔、目も鼻も頬まで赤く染っているではないか。不安そうに見上げてくる少女と共に立ち上がると、凪は笑顔で告げた。



「よしっ、じゃあ僕と一緒にお母さんを探しましょうか!」


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随分と日が暮れてきた空を見上げ、一息つく影が一つ。真っ赤な夕日が彼女を包み込む。

依頼を無事終えた詩乃は、仕事に備えて待機していた。そんな所に突如として掛かってきた電話。少しばかりの疑問を抱きながらもすぐに応答する。



「はい、こちら詩乃」



「ごめん、詩乃。依頼終わりで悪いんだけど、ちょっと急ぎで頼まれてくれない?」



珍しく雑談も無く、慌てた様子の佳代からの電話に、詩乃自身驚いた。よっぽどの事だろうと、内容も聞かずに二つ返事で答える。



「ありがとう。今さっき入った依頼なんだけど、依頼者は狸の妖怪さん。依頼内容は、娘さんと買い物に来ていたらはぐれてしまったみたいなの」



「依頼者の今居る場所は?」



「詩乃が今居る場所から、南に少し行った所の公園に居るって。もうすぐ日が沈むから……」



「分かってる。すぐ合流する」



佳代の話を途中で切り、詩乃は公園へと走る。佳代の言いたかった事は、詩乃も重々承知の上だ。

「悪霊に襲われる可能性。」

今ならばまだ大丈夫だろうが、辺りが暗くなってしまえば悪霊が活発になってしまう。最悪の事態だけは、何としてでも避けたい。

公園に辿り着いた詩乃は辺りを見渡す。昼間は子供達で賑わっていたであろう公園に、人の姿は無い。



「依頼者は……」



「し、使者様っ!」



慌てた女性の声に振り向けば、奥からこちらに向かって走ってくる姿が見える。狸の耳に尻尾。またその慌てようから、すぐに依頼者だと察した。

走って来た依頼者の目線に合わせて、詩乃はその場に膝をつく。



「依頼者の方で間違いないですか」



「は、はいっ……あの、娘が」



「お話は伺っております。必ず見つけますから、どうか落ち着いて下さい」



肩で息をしながら、涙目になってしまっている母親を落ち着かせる。

だいぶ日が傾いてきて、夕日の明るさが薄れた辺りを見回し、詩乃は少しだけ焦りを抱いた。



「娘さんとはぐれた場所、教えて下さい」



「は、はいっ」



素早い動きで走って行く彼女を追いながら、ルーチェで佳代に連絡をする。

時計台が、七つの鐘を鳴らす街には、刻々と闇が迫っていた。


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「……暗くなっちゃったね」



「そうですね……あっという間に日が沈んでしまいました」



迷子の子と凪は、手を繋ぎながら暗くなった街を歩く。多少寄り道はしたが結構探し回ったのに、未だ彼女の母親は見つかっていない。泣き止んだが、なかなか母親に会えずやはり不安なのだろう、凪にピッタリと引っ付いて離れようとはしない少女。弱音を吐く気は無いが、今現在どこに居るかすら分かっていない凪まで不安に駆られてしまう。



「君のお母さんも、きっと探してくれてると思うんですけどね」



そう呟くと、ピタリと足を止め俯く少女。どうしたのかと止まって隣を見れば、ぽつりと呟く。



「……君じゃないもん」



「え?」



「私だってちゃんとした名前あるもん!」



そこでハッと凪は思い出した。まだお互いに自己紹介をしていなかったことに。凪自身、頭の中がゴチャゴチャしていて名乗る事も、名前を聞くことも忘れてしまっていたのだ。ずっと「君」と呼んでしまっていた申し訳無さを感じながら、このタイミングで自己紹介をする。



「そういえば、まだお名前をきいてませんでしたね。僕は凪って言います。君のお名前は?」



屈んで少女と目を合わせるが、ふいっとよそを向かれてしまった。



「教えない」



「えっ、もしかしてずっと名乗らなかったのを怒ってますか?」



「別に怒ってないもん。教えたくないだけだし」



「そ、そうなんですか?あ、でもそれだと名前で呼べないので…」



隣から聞こえていた言葉が不自然に途切れた時、少女の体は勢いよく引っ張られた。驚くと同時に、背後を何かが物凄いスピードで横切るのを感じて、身をこわばらせる。



「……なっ、な……に……?」



「何か、飛んで行きましたね」



間近にある凪と名乗った彼の顔を見上げると、何かを見据えていた。少女は本能的にこの場は危険だと察する。


彼は分かっているのだろうか?

いや、普通の人間には分からないと思う。

ならば尚更、自分が彼に危険だと知らさないと駄目なのじゃないか。


得体の知れない恐怖に襲われ、少女の頭は完全に回らなくなっていた。言葉が出てこない。どうしようと、必死に考えている頭上から柔らかい声が聞こえてきた。



「何かが見えた気がしたので、咄嗟に引っ張ってしまったんですが……驚かせてしまいましたかね」



申し訳なさそうに眉を下げた凪の表情に、少女の緊張が少しだけ和らぐ。そして、慌てて首を左右にふる。



「お兄ちゃん、ここ、危ないよ。何か、嫌な感じがするの」



少女はようやく危険を凪に伝える。その言葉を聞き、凪は静かに頷いた。そしてまた先程と、同じ方を向き直る彼を見て、少女もそちらを向く。



「あれは、お話の通じる相手では、無いですもんね」



二人の視線の先には、街灯と月明かりに照らされる不気味なモノ。赤黒い色で、辛うじて人の様な形をしている。しかしその胴体には、いくつもの人の頭と思われるものが、背後には手や足と思われるものがくっ付いているのだ。更には皮膚が溶けているのか、ピチャンッと音を立てながら地面にれているではないか。明らかに話が出来る状態じゃないことが分かる。

そんなモノを見て少女は耐えられるはずが無かった。嘔吐えずく彼女を背に凪はどうやって逃げるかと考えを巡らすが、それより早く異形いけいのモノは、自身の体の一部を引き剥がしてこちら目掛けて投げてきたではないか。「やばい」と、そう思った時、彼の前に舞い降りた影。

手に持つ刀で、飛んできたモノを切り刻む。



「下がって」



落ち着いたその声を聞き、詩乃だと直感で気づいた。凪は言われたように、少女を連れて距離をとる。

目の前の人物は刀を構え直すと、異形のモノに向き直った。



「あぁ、悪霊ね。これはまた、完成度の低い」



どこか呆れたような声だったように感じた。

が、次の瞬間には、悪霊が散りゆく所だったのだ。刀を鞘に収める後ろ姿を見ながら、凪は「これが使者の仕事」と、少し感動していた。詩乃の姿を見ていれば、その近く……先程まで悪霊の立っていた場所に何かが浮かんでいるのに気づく。何なのかと目をらせば、詩乃はそれを手に取り……口に入れた。



「なっ、」



「お母さんっ!!」



詩乃にばかり気を取られていた凪だったが、背後で上がった大きな声に振り向くと、少女がお母さんと呼んだ人物に抱き着いていた。少女が無事母親に会えた安堵と、先程の緊張から解放されて、思わずため息をつく。

立ち上がって鞄を持ち直した頃、詩乃も凪の隣に並び親子を見ていた。



「使者様っ、本当に有難うございました」



「いいえ、お子さんが無事で良かったです。お送りしましょう」



また悪霊に出会うと危ないために、そう声を掛けたのだが、母親は涙目で首を振った。



「大丈夫です。帰り道はすぐそこですから、お構いなく」



その力強い目と優しい微笑みを見て、詩乃も安堵の笑みを浮かべる。



「分かりました。また何かありましたら、いつでもご依頼を」



「はい」と頷いた母親は、子と手を繋いで歩き出す。少し歩いた後、子は振り返って口を開く。



「私はね、芽衣めいって言うのよ。凪お兄ちゃん、ありがとうっ!」



満面の笑みで、そう叫んだ芽衣は母親と共に、闇に消えていった。

静かな道で、親子を見送った二人。先に口を開いたのは、詩乃だった。



「……で、凪はどうしてこんな夜道に?」



「あ、えっとですね。迷子になっていた彼女……芽衣ちゃんと会いまして」



「こんな遅くまで一緒に探していたって訳ね」



大体の事を予想していた詩乃は、途中まで聞いて「やっぱり」というように頷く。正直、お人好し加減に呆れている。「それはそうと…」と、今度は凪が切り出した。



「詩乃は母親の方と一緒に来たようですが、どうして分かったんですか?」



「別に、分かっていた訳じゃないよ。黒結が見えていたから来てみたら、二人が丁度巻き込まれていたってだけ」



「黒結、ですか」



顎に手を当て、難しい顔になった凪。その姿を見て詩乃は、黒結について知らなかったのかと思い説明を始める。



「あぁ、黒結って言うのは……」



「あ、いえ、黒結については知っているので大丈夫ですからっ」



慌てて言葉を遮られ、瞬時に言葉を止める。手を開いて振りながら止めに来る、その動作が少し子供っぽくて詩乃は微かに笑った。



「じゃあ帰るか。危ないから送るよ」



家の方向を尋ねる詩乃に、凪は気になっていた先程の疑問を聞く。



「あのっ、詩乃」



「ん?どうした」



「さっき、悪霊が消えた後に、何かを口にしていませんでしたか?」



確かに見えた黒いかたまり。詩乃は宙に浮かんでいたソレを口にしたように見えた。少し気になったから聞いただけ、だったのだが、詩乃の顔には影が差す。



「口に?食べ物なんて無いのに、見間違いだろ」



こちらを振り向いた詩乃の顔は、どこか悲しそうに見えた。ベールの被っていない左目が一瞬、紫の光を放った気がして凪は目を擦る。顔を上げた時には詩乃は背を向けていて、この話は触れないでおこうと、凪は口を閉じた。

詩乃の言葉に甘えて、送ってもらうことにした凪。まあ実を言えば道に迷ったからであって……並んでしばらく歩いていれば、詩乃が静かに言った。



「……昼間は、ごめん」



「え、突然どうしたんですか?」



詩乃の口から出た予想外の言葉に、凪は自身の耳を疑ってしまう。目を丸くして隣を見れば、彼女は俯いていた。



「いや、怒鳴ってしまって、キツく言い過ぎたなと思ってさ」



「そんなっ、僕が図々しく言ったからですよ。詩乃は悪くないんです。僕の方こそ、ごめんなさい」



お互い、昼間のことを気にしていたのだろう。ゆえに謝った後に、どこか気まずい雰囲気に包まれる。

詩乃は、この街に来たばかりという凪に怖い思いをして欲しくなかった。しかし、先程のことを思い返せば、既にトラウマになってしまっているんじゃないかと、不安になってしまう。それを昼間の内に上手く伝えられ無かった自分自身に、苛立ちを覚える。



「詩乃は、心配してくれたんですよね」



まるで心を読まれたかのような言葉に、ハッとして顔を上げる。



「怖くないですよ。僕は、大丈夫ですから」



眼鏡の奥の目は、を描く。優しく笑う彼を見て、詩乃の不安は薄れていった。

何故だろうか、凪の笑顔を見ると安心する。 胸に不思議な気持ちを抱きつつ歩いていると、分かれ道で凪が立ち止まった。



「あ、僕の家この近くなんです。この辺で大丈夫ですよ、詩乃」



「そっか、なら気をつけて帰りなよ」



「はいっ、ありがとうございます」



凪の行く方向とは反対の道を歩き始める彼女の背に、再び声がかかった。



「詩乃、また学校で」



小さく手を振る彼の姿に、一瞬誰かの面影が見えた。ボヤけて、ハッキリしない、誰か。 懐かしい。

思わず手を伸ばし掛けた詩乃だったが、すぐに我に返えり、その手で振り返す。

凪が歩いて行くのを見送って、自分もまた仕事へと戻るため歩みを進める。

今日は、とても視界がいい。綺麗な月を見上げて、詩乃は息を吐く。



「さて、仕事だ」

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彼岸の使者 八敷 燎 @undetakear19

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