第5話 久しぶりの来訪者

午後一時の鐘が鳴り終わる頃、詩乃は先程の行いを少々悔いながら家へと帰っていた。

朝、クロ丸と一緒に走って来た道…というか、屋根を飛び移りながら帰っているとクロ丸が上の階段から目の前に飛び降りてきて立ち止まる。




「詩乃、何か元気ないニャ?」




「ちょっとね……気にしないでいいから」




「ふ〜ん……それより、お客さんが来てたんだニャ」





「お客さん?」





「早く行くんだニャ〜」




誰か聞く前にクロ丸はタンタンと屋根から降りていってしまったため、首を傾げながらもクロ丸の降りてきた階段へと飛ぶ。




「よっ、と……」




早歩きで家に帰ると、玄関の前に見知った人影が経っているのに気づいた。

二人の間を風が吹き抜け木々が騒めく。




「……秋水しゅうすいさん」




「やあ詩乃ちゃん。 久しぶり」




落ち着いた色の着物を着ていて優しく笑っている男性。

詩乃の叔父に当たる人物である秋水さんだ。

相変わらず和な雰囲気が似合う。

家に上がってもらおうと急いで鍵を取り出し近づく。




「本当、久しぶりですね。 何か急用でもありましたか?」




「そんなんじゃないんだけどね。 近くまで来たから、久しぶりに会っておこうと思ってさ」




「近くに用事があったんですか。 あ、どうぞ」




鍵を開け玄関を開けると、秋水さんを家の中に招き、刀と鞄を置いた詩乃はお茶を入れに台所へ行く。

居間から「気を使わなくて大丈夫だよ?」とは聞こえたが、せっかくだからと冷たいお茶を入れて持っていく。




「ありがとう」




「いえ、お茶菓子が無くてすみません……」




「気にしないで良いんだよ。 俺が勝手に来たんだから」




秋水は背中の風呂敷を下ろし、お茶を一口飲むと改めて詩乃に向き直る。




「あれからなんとも無いかい? 傷が痛むとか……眠れないとか……」




「大丈夫ですよ。 傷だって塞がってますし……」




左胸に手を当て口籠もった詩乃はチラリと秋水を見て、また目を伏せる。

どこか悲しげな顔を見せる詩乃は、胸に当てた手に力を込めて呟く。




「秋水さんの方が……傷を」




「そんな悲しい顔しないでよ。 腕の一本や二本、安いものなんだから」




そう、秋水には左腕が無い。

詩乃が幼い頃、助けようとして片腕を失ってしまったのだ。

詩乃自身、一時たりともその事を忘れた事は無い。

もちろん、自分自身が負った傷の事も。

だからいつも秋水に会う時は、胸の中が申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「詩乃ちゃんを守れただけで、俺は充分だよ」と、笑顔で言ってくれるのだが、それが余計に詩乃の胸を締め付ける。

言葉を返す事が出来ずに俯いていると、微かに窓を叩く音が聞こえ振り向く。




「クロ丸……?」




立ち上がり窓を開けると、ひょいと部屋の中へと入ってきた。

今日はよくクロ丸に会うなぁ……




「おやクロ丸。 さっきぶり」




「さっきぶりニャ〜。 無事会えたようで良かったニャ」




ペロペロと手を舐めながらくつろいでいるクロ丸。

その頭を撫でて台所へ行くと、約束の鰹節を持って部屋に戻る。




「ほわっ!! 鰹節ニャ!!」




「約束だったからね」




目を輝かせ、詩乃の手から鰹節を掻っ攫うと床に寝転がりながら齧りだす。

「妖怪に属しててもやっぱ猫だ」と思いながら眺めていると、側に置いてあった鞄の中からルーチェの受信音が聞こえてきた。




「……電話だ」





鞄からルーチェを取り出し耳につけた詩乃は電話に出る。

案の定、電話の相手は佳代だった。





「こんちゃー、詩乃!」





「こんにちは。 どうかしたの?」





相変わらずの明るい声に呆れながらも挨拶をする。

仕事までに時間はあるのに、連絡があるという事は何かあったのだろう。

すぐに何があったのか聞けば、何故かため息をつかれてしまった。





「はぁ……」





「なんでため息?」





「だってさー、雑談なしですぐにお仕事〜ってなってるんだもん。 雑談ぐらいしてもいいんじゃないの?」




不満気な声を聞き流しながら居間を離れていく。

秋水さんとクロ丸を残して二階に上がった詩乃は、大きな窓のある部屋に入り扉を閉めて返答する。





「雑談してもいいけど、急ぎじゃないの?」





「うん、急ぎ。 だから雑談はまた今度!」






内心「おい、こら」とツッコミを入れつつも、その急ぎの用事とやらに耳を傾けて聞く。





「二つあるんだけど、まずはねー……昨日、お仕事中に何か違和感とか感じなかったか、私からの質問」





「違和感……」




昨日はあの赤い瞳を見かけたという事ぐらいで、他には何も無かったはずだ。

そう昨日の様子を鮮明に思い出していると、一つ心当たりがある事を思い出す。




「……そうだ、あった。 黒結の濃さに比べて居た人数が少なかったんだよ」





「あー、やっぱりねー……」





「なるほどねー」等と呟きながら、キーボードを打つ規則正しい音が聞こえてくる。





「やっぱり、って事は何か掴んでるの?」





「んー、まぁね。 また詳しく話すよ! で、二つ目が依頼っ」





「あー、なるほどね」





依頼は仕事とは別で、妖怪から神様というような、人間とは違う種族のモノ達の手助けをしているのだ。

此岸には人間以外にも、こうして違った種族は居るのだが、人間の数が圧倒的に多くなり今では此岸=人間界等と言われるようになってしまった。

此岸の世界は環境の遷り変りが激しいせいか、彼岸からやって来たモノは皆迷ってしまう。

そんな悩みを無くすため、使者がボランティアで依頼と称して始めたのだ。





「依頼者は?」





「妖怪さんだってさ。 空木うつぎ神社で待ってるって。 お店が分からないらしいよ」





「分かった。 すぐ向かうって伝えて」





「OKー! じゃあ宜しく」





通話を切り、一階に下りた詩乃は居間に戻って鞄からスマホを取り出す。




「用事が入ったのかな?」




秋水の声に振り向き事情を説明すれば「じゃあそろそろお暇するよ」と言って、風呂敷を背負い立ち上がる秋水。

それを聞いていたクロ丸も、鰹節を咥えて窓から出ていく。

食器は帰ってから片付けようと思い、詩乃も刀を背負いスマホをポケットに入れて靴を履く。

玄関を鍵を閉めた詩乃は別れを告げ、神社に向かおうとして秋水に止められる。





「詩乃ちゃん、ズレてるよ」




「あ、すみません。 ありがとうございます」




瞳が見えてしまっていたのか、ベールの位置を正してくれた。

秋水も詩乃とは反対側だがベールを着けている。

もちろん紫の瞳だ。




「はい、これで大丈夫。 気をつけてね」




「ありがとうございます。 秋水さんもお気をつけて」




お辞儀をした詩乃はヒョイっと柵を飛び越えあっという間に姿が見えなくなってしまった。


笑顔だが、どこか寂しげに手を振っていた秋水にクロ丸が近づく。

鰹節を地面に置いたクロ丸は意味深な言葉を口にした。




「今日も言えなかったニャ、秋水」




「……やはり、言わない方がいいだろうと思ってさ」




何を言うのか言わないのか……こちらを見て悲しく笑った秋水の表情に目を丸くするクロ丸。

だが鼻で笑って言葉を返す。




「まぁ、言ったら詩乃がどうなっちゃうかニャんて目に見えてるからニャ〜」




その言葉に、今度は秋水の方が目を丸くする。

カカッと笑ったクロ丸は目を一層鋭くさせると秋水に言った。




「壊れる。 確実にニャア……」




ピンッと張り詰める空気。

冷たいものが背筋を撫でる。

秋水もクロ丸も、お互い視線を合わせたまま微動だにしない。

だが、先に沈黙を破ったのは秋水だった。




「だから壊れないように守るんじゃないか」




その場に屈み、クロ丸に顔を近づけて何をするのかと思えばヒゲを引っ張る。




「ニャアァァァァッ?!」




「クロ丸、調子乗ってたら許さないよ…?」




「ニャニャニャ、ごめんニャさいぃっ!!」





泣き泣きの謝罪でやっと解放されたクロ丸は、瞬時に秋水から離れて怒りを露わにする。

一方の秋水は、何事も無かったかのように微笑みを浮かべているため、クロ丸の警戒心が強まるのだ。




「いやぁ、ごめんよ。 いきなりドヤ顔であんな台詞を言われては、怒るしかないと思ってねぇ」





「わ、悪かったニャ……でもヒゲは止めてほしいニャーよ」





前足でヒゲの生えている場所を押さえながら座るクロ丸。

懲りたのか、ションボリと俯いている。





「こちらも悪かったね。 だけど……詩乃に何か吹き込んだりしたら、許さないよ」




そう言った瞬間、ベールの奥で微かに瞳が紫の光を放ったような気がした。

「じゃあね」と言って秋水も柵を飛び越え、姿が見えなくなってしまった。




「全く……過保護すぎるニャア」




小さくため息をつきながらも怖かったのか、尻尾をまるめて耳を伏せてるクロ丸。




「まぁ、詩乃には何も言わないニャ」




パクっと置いていた鰹節を再び咥え裏庭から帰って行く。

最後に呟いたその言葉を、帰ったフリをして聞いていた秋水は安堵の笑みを浮かべると今度こそその場から立ち去って行った。

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