第1話 少女、詩乃

午前二時。 丑三つ時と呼ばれるこの時間に、一人の少女が夜風に当たりながら町を見下ろす。 街一番の高さを誇る時計台が午前二時を告げ終えた時、少女の片耳に着けられた『ルーチェ』と呼ばれる通信機器が電話を受信した。 慣れた手つきでスイッチを入れ応答する。



「はい、こちら詩乃しの




「やっほー、詩乃。 昨日はちゃんと眠れたー?」




ルーチェから聞こえてくる、場に似合わない声。 ルーチェの生みの親であり通信管理をしている、榎本えのもと佳代かよだ。




「眠れたよ。 二時間は寝たんじゃないかな」




「すっくなっ?! 二時間とか寝た内に入らないよ……せめて六時間は寝なきゃ」




「そんな事より、今はもっとやるべき事があるでしょう?」





いつ終わるか分からない睡眠話を止めるべく話題をそらす。

まぁ実際、こんな呑気な話をしている暇なんて無いのだが。

ルーチェの向こうから佳代の慌てた声に、PCのキーボードを叩く音が聞こえてくる。 どれだけ時間が掛かるのか、と思っていればすぐに応答があった。




「アンタが今居るその場所から、東寄り……300m圏内」




佳代の告げる情報を聴きながら立ち上がった私は、大きな伸びをして東の方向に視線を向ける。 袋に入った刀を背負い落ちないように紐を結ぶ。




「今の所、実害は出て無いようだけど……祓った方が良さそうなのは居るかなぁ……」




「曖昧だね」




「いやぁ、ちょっと今日は視界が悪くてさ。 詩乃もそこに居て分からない?」





分かるに決まっている。 どう見てもいつもより景色が霞んでいるのだから。 霧が出るだなんて言っていなかったのに……





「分かるよ。 ……気味が悪いってね」




「ほーんと、気持ち悪いよねー。 だから、ちゃっちゃと終わらせよ!」




「そうだね。 早く帰りたいし」





「じゃあ私は他の人の指示に回るから、詩乃はその辺が片付いたら連絡してね」





「分かった」




そう言ってルーチェのスイッチを切った。 他の人も動き出すだろうか、と考えながら詩乃はおのれの長い前髪を掻き上げ視界を巡らす。 300m圏内とは言われたが東寄りというヒントを元に対象を捜していると、ある一箇所に視線が止まる。 黒っぽい煙、我々は『黒結こくゆい』と呼んでいるものを捉え詩乃の瞳が光り始める。

黒結とは、この世のものでない者が現れた際に発せられる、いわゆるオーラの様な物の事を指す。




「見つけた」




霞む視界の中、黒結を見失わないように注意しながら建物から建物へ飛び移りながら走って行く。 だいぶ近づいた所で、どれだけ居るのか確認するべく足音を立てぬよう物陰から様子を見る。




「一体だけ……? 」




電柱の下に立つ赤い服を着た女。 まさにホラー映画に出て来そうな髪で俯いている。




「黒結から見て三体だと思ったんだけどな」





黒結は一体から出る程度が一定していて強さや年数は関係ないと証明されている。 だから自分達は黒結の濃さを見て何体居るのか予想をつけてから様子を見るのだが、どうやら今回は私の勘違いだったようだ。 霧のせいもあるだろう。 辺りに他にも居ないのを確認して赤い服の女に近づいていく。





「こんばんは。 こんな時間にどうされました?」





「…………。」





万が一生者という可能性も考慮して、こうやって声を掛けるのが決まりになっているのだが、やはり生者ではなかったようだ。 詩乃の声に反応するように上げた顔は、目が窪んでいるように真っ黒で、血が飛び散っていた。 生きているようには到底見えない状態にも変わらず話しかける。





「貴女はあちら側ですね。 私で良ければお話聞きますよ」





先程よりも距離を縮めて紫に光る瞳で女を見つめる。 真っ黒に窪んだ目がまるで驚いたかのように見開かれ、ゆっくりと詩乃の方に体を向け、初めて口を開いた。




「し、しゃ……さま」




「はい」





掠れた問い掛けに頷けば女は涙を流しながら徐々に生前の姿へと変わりだした。 艶やかな黒髪にシンプルな化粧で彩られた顔。 赤い服だと思っていた物は血で染まった白いワンピースだった。 姿が変わりながらもその女性は涙きながらぽつりぽつりと話し出す。




「私は、数日前にこの場所で、殺されました。 夜道で突然襲われて、抵抗する間もなく……。 他の場所に行きたくても、この場所から動けないんです。 使者様っ、助けて下さい……」





「それはお辛いですね。 話して下さってありがとうございました。 私が貴女をこの場から解放しますから、安心して下さい」





腰につけた小さなポーチから一枚の短冊型の紙を取り出し泣いている女性に手を伸ばす。




「この紙に息を吹きかけて下さい」





「……ふっ。 こ、こんな感じですか?」





そう女性が首をかしげたのと同じタイミングで紙の方へと女性が吸い込まれていく。 指先の方から光の粒になりどんどん体が無くなっていく。 何が起こっているのか分からない女性は言葉を発する事なく口をパクパクさせながら紙へと消えた。




「さて……」




女性を吸い込んだ紙には、さっきまで無かった黒い文字が浮かび上がっていた。 詩乃はそれを読み女性の情報を得る。





御池みいけ あかねさん、24歳。 若いのに、酷いことを……」





表情を変えずにそう呟き、暫く紙を眺めた後再びポーチを漁って針を取り出す。 裁縫などで使う針と同じ物だ。 その針で人差し指を刺し、出てきた血を紙につける。





「迷わずあちらに行ってね……ふっ」




女性と同じ様に紙に息を吹きかけると、途端に紫の煙と化し詩乃の手から消えていく。




「ありがとう」



闇夜から確かに聞こえたその声に詩乃は「どういたしまして」と、呟いた。 黒結に反応していた左目の光も消え、いつものちょっと特殊な瞳に戻る。 針を片付け、佳代に連絡をしようとルーチェに手を伸ばした時、ふと近くに人の気配を感じ数歩下がり目を凝らす。 生者だろうかと息を殺して周囲を警戒していると、





「っ!?」




電柱よりも先、20m程の場所に立つ人影を見つけた。 その人が普通なら生者だと思いすぐにその場を離れていただろう。 なのに、そいつは……




「赤い、瞳っ……」




異様に光っているその片方の瞳を見て、詩乃の全身に緊張が走る。 紐を時背中の刀を構える、その数秒の間に赤い瞳の人物は煙のように姿を消してしまった。


距離はあったが、あれは間違いなく我々と同じ『彼岸ひがん使者ししゃ』だと本能が告げてくる。 紫ではない、赤い瞳の使者がやはり動いているのだ。 なぜわざわざ姿を見せたのかは分からないが、奴らがうごいている事に間違いはないだろう。


刀を背負い直しルーチェのスイッチを入れる。




「佳代。 応答を」




「あ、詩乃ー。 連絡待ってたよー! 終わった?」




「終わった。 あと、赤い瞳を見かけた」





「……詩乃も?」





「も、って事は他にも目撃情報が?」





自宅へと向かいながら歩いていたが、佳代のその言葉に驚きその場に立ち止まって次の言葉を待つ。




「そう、ほぼ全員から来たよ。 時間はバラバラなんだけどね。 って、詩乃! 怪我とかしてないよねっ?!」





突然の大声に耳の奥がキーンとなり頭を押さえる。 なぜ佳代は距離感を考えてくれないのか。 呆れながらも、心配してくれるという優しさに感謝を忘れず答える。




「大丈夫だから。 ありがとう、佳代」





「あぁ〜、良かった……」




間の抜けたその声を聞きながら再び歩み始める。 家まではそう遠くはない。 狭い路地を抜け、向かいに見える小道まで飛び移り右に曲がる。 入り組んだ町を器用に渡り歩きながら詩乃は佳代に別れを告げる。





「もうすぐ家に着くから、そろそろ切るね」




「分かった。 今日もお疲れ様。 ちゃんと寝るんだよ!」




「うん、お疲れ様」




そう言ってルーチェの電源を落とした詩乃は立ち止まった。 小道の行き止まりにまで来たのだ。上へ繋がる梯子はしごが付いているため、それを使って上に行く。 「よいしょ」と小さく声を漏らし上った先には木造の小さな家が建っていた。 両側に並ぶ木々が青々と葉をつけていて、まるで森の中を思わせる。

ふいに立ち止まり己の時計を確認すると午前三時になる頃だった。




「このまま朝まで居るかな」




独りそう言って家とは反対の、今上ってきた場所の向かいへと飛び移ると、時計台が見える場所まで行き土地を囲むフェンスに腰掛けた。 静まり返った町を眺めながら午前三時を告げる鐘を聴く。 町の人達が起きてくる時間まで少女、詩乃はただそこに座り、同じ表情のまま町を眺めていたのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る