第2話 桃色の髪と水色の髪と

日差しが照りつけるお昼頃。人気アイドル若葉わかばこべに――本名、常磐小紅ときわこべには駅前通りを闊歩していた。この通り――通称『アイドル通り』は愛堂流市あいどるしでも随一の街道で、全国展開を果たしている店舗やコンビニなど、さらには商店街までもが立ち並んでいる。

通り沿いにある大人気コーヒーチェーン店に寄りフラペチーノをテイクアウトで頼んだ後、写メを撮り、写真投稿SNSにアップする。これが彼女の日課だ。幸い今日は土曜日でアイドル活動をしながら通っている大学の授業もない。だが、彼女の至福の時はそう長くもない。すぐに店を立ち去ると再び駅前通りを歩き、大きな交差点を右に曲がり、路地を一本入る。

少し歩くとすぐにとあるビルが見えた。1階には有名な全国チェーンのファミレスのテナントが構えられている。ファミレスの入り口―の横にある階段をカツカツとのぼり進めて行くと踊り場の突き当たりに見えるのは一枚の扉。印刷された紙が貼られている。

『アイドル事務所 フラワーマーチ』

明朝体で書かれた、一見事務所かと目を疑うような地味な貼り紙だ。ドアノブに手をかけ右方向にガチャリと回す。開く時のキイィと古びた音にはもう慣れた。



談話室のソファーでプロデューサーの柊穂多瑠ひいらぎほたるが横になってスマートフォンを片手にくつろいでいた。

「あ、おはよ~~小紅」気だるそうに起き上がる穂多瑠に「プロデューサー、おはよう」と微笑んで挨拶。穂多瑠はんーと背伸びをし、立ち上がる。そして小紅の方へ向かい、指をさし、高らかにこう告げた。

「ばばーーん! 実行しちゃったぜい!!」

「……あの計画? ああ、あれ? どうなったの?」

――あの計画、とは、1ヶ月ほど前から小紅と穂多瑠でたてられた計画だ。その詳細はというと、小紅をソロアイドルからチームアイドルにさせ、何かあった時にも対応できるような事務所の後継アイドルを作ることを目的としている。

『題してっ! 人数増やしちゃうぜどんどんパフパフ計画!!』

穂多瑠が意気揚々と題字を書いた紙を掲げ、その計画はスタートしたが……

「よっくぞ聞いてくれました! 大発表でーーーす! なんとっ! な! ん! と! 新メンバー、2人、加入致しまぁす!!」

見事な大成功だった。

「あら! よかった! おめでとう、プロデューサー!」

「ありがとんかつ大盛りカレー! 敏腕プロデューサー穂多瑠ちゃんの目に狂いはなかったぜ……☆」

祝福の言葉に快感を覚えた穂多瑠はこめかみにつけた人差し指を大仰に離す。その姿はさながら男性アイドルグループのイケメン担当だ。……いや、某六つ子の次男というべきか。

「ってことでぇ、小紅ちゅわ~ん、あたしと喜びの舞をぉ、踊ろうぜぇ?」明らかに作った声色で、フラメンコの振りの如く小紅へ擦り寄る穂多瑠。はいはい、と軽くあしらってソファーに腰掛ける。「ちょっとぉ! 無視しないでよ~!」嘆く穂多瑠をよそに、

(こういうところがプロデューサーの信頼性に欠けるのよねぇ……)

内心毒づく小紅だが、グッとこらえて『新メンバー』について聞くことにした。

「それで、その子達っていうのは今いるのかしら……へくちっ!」

すると、先ほどのコントのようなドタバタ劇の流れで部屋に舞った埃が鼻に入り、思わずくしゃみが出る。

「ろんのもちもち――うわっ!?」それと同時に小紅のくしゃみに驚いた穂多瑠の身体が重心を崩す。その方向は小紅目掛けて一直線。「ちょっと!!」小紅も身をかがめて被害を最小限にしようと思った。しかし、


ガラガラガラガラ、ドッシャーーーーーン


遅かった。

マンガみたいな音を立てて2人は縺れあい、ソファーごと横倒しになってしまった。穂多瑠は小紅の華奢な身体の上へ馬乗りになり、ふたりの顔がほぼゼロ距離の状態で接近している。

「なんかすごい音した!」

「……んぅ、睡眠妨害……!」

部屋の奥の方から聞き慣れない声が聞こえてきた。ドタバタと足音が近づいてくる。ドクンドクンと心拍数を増す鼓動。額を滴り落ちる汗。

――まずい、このままじゃ見知らぬ人に誤解されてしまう!

「あの、プロデューサー……どいてくれるかしら…? その、そのままでいると――」



「うわーーーーっ!? 女の子同士で絡み合ってるっ!?」

「やだ……わたしもトーリとこんなふうに絡み合いたい……濃厚なキッスをしてそのままホテルで熱い夜を……」

遅かった。

決定的瞬間を見事に目撃されてしまった。しかもその片割れは真昼間から過激な発言をしている。

「ちっ……! 違うのよ、これはっ!!」

慌てて穂多瑠に頭突きをし、立ち上がる。「痛った! 穂多瑠ちゃんをテキトーに扱うなーーーッ! あたしは敏腕プロデューサーなのーーーーッ!!」と横で穂多瑠が騒いでいるが、今はそれどころではない。

「事故というか……その、ハプニング? みたいな……そうね、そういうことなのよ……うふふ?」

今の出来事の誤解を解こうと必死に弁明しようとしたが、笑い声が掠れた。

――やばい、私、相当動揺してる!

「ま、それはいいけどさ~ 2人とも怪我はなかったかい?」

2人組の、小紅から向かって左側にいた人に心配された。今のアレを見てなんとも思わないとは、この人は相当な心臓の持ち主だろう。現に一度見たら忘れられない見た目をしている。桃色の髪に桃色の目。フリルのたくさんついたトップスとキュロットもペールトーンのピンクだ。おまけに身体の線は細く華奢で、ピンクという色が持つ女性らしさを強調している。そこだけ聞くとふわふわとした女の子を想像するだろう。しかし彼はそれと対称的な焼けた肌や筋肉のついたふくらはぎ、目鼻立ちのくっきりとした顔に耳の見えるベリーショート。ミスマッチとはまさにこのことをいうのだろうか。

「ええ、大丈夫よ……ありがとう」

「よかったぁ、大きい音したから心配になっちゃったよ」

女性らしいものに憧れる少年のような子の声は第二次性徴期の来ていない男子中学生のような、低すぎず高すぎない声だ。小紅が桃髪の目の前に立つと身長は殆ど変わらない。いや、桃髪の方が少し高めだ。彼女は桃髪の人を男子中学生だと推測した。

「しっかしさ~、おねーさんも細いから気をつけてね? 骨とかすぐ折れそうじゃんか」

「ふふ、ありがとう。そういうあなたも……えーっと……お名前は?」

桃李とうり! ボクは御苑みその桃李だよ」

桃髪――御苑桃李は眩しいくらいにはにかんだ。服装は女子っぽいがこれは学校内にファンクラブが出来る微笑みだろうと小紅は確信した。

先程から気になっていたが、この際だし聞いてしまおう。小紅は聞きにくい質問を投げかけてみた。

「ええっと…… 桃李くんだっけ? その服装は、趣味……? フェミニンな格好が好きなのかしら……?」

頭突きの痛みは収まったのだろうか。小紅の後ろで穂多瑠が声をあげた。

「まって!その人は……」

「女の子……っ!」

誰かが穂多瑠の言葉を遮った。それは、桃李の横でずっとうとうとしていたお下げ髪の少女だった。眠そうで、気だるげで、やる気のないようにも感じるが、鈴の音のような可愛らしい声の持ち主だった。

「トーリは……女の子、だから。勘違い……しないで……」

衝撃の事実が、今、発覚した。

「……へ!? ええええええ!?!?!?」

小紅の叫び声が事務所中に響き渡った。

「桃李くんじゃなくて桃李ちゃんだったのね…… ごめんなさい」

状況を把握した小紅は桃李に深々と謝る。

「大丈夫だよ。もう慣れてるし」

「わたしのトーリを男と勘違い……この女、許さない……痴女……」

「玲雅、きっと彼女はボクらの敵じゃないさ」

仲睦まじげなひそひそ話は小紅側に筒抜けであった。思い切り聞こえている。……私の誤解はまだ解けないのかしら。

そうだ。

「自己紹介、お互いまだ……だったわよね?」小紅がふんわりと2人に向かって微笑むと、お下げの子から舌打ちをされた。お下げの彼女の髪も目も同じ鮮やかな水色だ。半目がちなたれ目が彼女のものぐさな雰囲気を促進させている。身長は恐らく平均的。桃李と身長差は10cm程あるが、単に彼女の背が高いだけだろう。そして桃李と決定的な相違点は肌の色。お下げの彼女の肌は生クリームのように白い。

「自己紹介しても平気……? この事務所、怪しさしか感じない…… プロデューサーも胡散臭いし」

「誰が胡散臭いって? 誰が!」すかさず自分関連の言葉に反応する穂多瑠だった。

「わたしはさとみ……よろしく」

「さとみちゃんね? 上のお名前はなんて言うのかしら?」

その言葉にピクッと反応したさとみは俯き小声で、

「……が」

「……へ? ごめんなさい、聞こえなかったからもう1度言ってもらえるかしら?」

「……れいが」

「れいがさとみちゃん? ふふ、かわいいお名前ね! 私は常磐――」

「違うの!」

本日2度目のシャウト。意外と声は出るのかもしれない。しかし声を発するタイミングやその表情がイマイチ掴めない。

「さとみちゃん、何が違うの?」小紅はおずおずとさとみに問う。

「わたしはれいがさとみじゃなくて、里見玲雅さとみれいが。……男みたいな名前でしょう? ……恥ずかしいけど、玲雅が下の名前なの。」

「そうなの!? でも、私はかっこいいと思うわよ?」

「でもわたしが恥ずかしいの。……わたしが恥ずかしいんだから、わたしのことは里見って呼んで……」

また俯くとぼそっとお願いごとをするさとみ――もとい玲雅。

「あッ、そうだ!」玲雅の隣で話を聞いていた桃李が会話に参加する。

「玲雅のことを『玲雅』って呼んでいいのはね、ボクだけなんだ!」

自分が玲雅のになれたのが嬉しいのか、腕組みをして誇らしげに自慢する。

「トーリはね、わたしのすべてなの……だからトーリにはわたしのすべてをあげちゃう……」流し目で頬を染めながらいう玲雅。あなた、さっき私のこと痴女って言ったけれどそれはあなたの方じゃないかしら? 心の内でツッコミを入れる小紅だった。

「……それはそうと、私、まだ名前言ってないわよね? 私は――」

「知ってるよ! 若葉こべにさんだよね! テレビでみたことある!」

「あら、本当なの?」意外だ。御苑桃李は芸能にも詳しかった。

「うん! だからボク、いますっごく嬉しいんだ! だってこべにさんにも会えて、アイドルにもなれるんでしょ? 可愛くてふわふわな衣装、着てみたかったんだよね~!」

桃李はそういい、目をキラキラと輝かせくるくると喜びの舞を踊った。そのピュアな目で見つめられたら破壊力もただではないだろう。でも、だからこそ、本気であればあるほど、目の前のふたりには言っておかねばならない。

「私を見てそう思ってくれるなんて嬉しいな。あなた達もアイドルになるなら一応言っておくね。私の本名は常磐小紅。同じグループになるから、私のことはさん付けで呼ばなくてもいいわよ」お得意のにっこりスマイルを添えてやっと名乗ることが出来た。

「わかった! じゃあ小紅でいいかな?」

「コベニがどう思っても思わなくても……わたしはコベニって呼ぶから」

と、2人が了承したところで、突如、室内のスピーカーから声が流れ始めた。ボイスチェンジャーで加工された、少し機械的な声だ。

『4人とも、聞こえるかしら?』

これはこの事務所内で社長がプロデューサーやアイドルと連絡を取るための主な手段である。社長は常に事務所の人間に顔を見せない。小紅をスカウトした穂多瑠でさえも見たことはないに等しいとのことだ。

『私と穂多瑠で話し合って……そして穂多瑠が貴方達にいったと思うけれど、貴方達にはユニットを組んでもらうわ。グループ名やコンセプトは再び貴方達で考えて、意見を出し合って決めて頂戴。いいユニットになること、検討を祈るわ』

それだけ告げ、通話が途切れた。

4人――いや、3人プラスプロデューサーの間に一瞬の沈黙。破ったのは小紅だ。

「……って、私たちが話し合うの?」

「……そう、みたいだね」

「……わたしはトーリの意向に沿うわ」

「桃李くん、里見ちゃん、さっそく決める……?」

「そうだね! 決めようか」

「トーリがそういうなら、決めたい……」

3人の間には少しまだぎくしゃくしたがある。それをほどくためにも話し合う必要があるのだろう。こうして第1回、ユニット会議が開かれることとなった。

「さーてと」一連の流れを見守っていた穂多瑠はコーヒーを淹れに談話室の奥のキッチンへ。

「先行きどーなるんだろ……? ま、あの子達だからなんとかなるっしょ」

キッチンから漂うコーヒー豆の匂いに、穂多瑠の独り言が溶けていった。

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