Round.03 アトマ /Phase.2

 ともかく慌てたところで、怒りをぶつけるにも、ぶつけようが無い。何せ相手はヒトですらない。


 胸部居住区ブレストキャビンはカノエにとってゲーム空間だが、ここには、ゲームや夢には存在しない“空気”や“気配”があった。

 ゲーム特有の記号化されたオブジェクトが擬態する“リアリティ”ではなく、“存在する”と言う明確な実体感リアル

 そういったものがカノエを包んでいて、アトマの話を真っ向から否定することが出来なかった。


「これ、外に出れる?」


 部屋の中だけでは判断材料が全然たりない。窓の無いこの部屋の外が、どんなものか気になった。

 取り乱しそびれてしまい、なし崩し的に状況に順応しつつあるが、だが何か、納得できるだけのモノをこの目で見たいと思った。


 先ほどから周囲の空気は明瞭にその存在を示すのに、それを感じるカノエ自身が、曖昧で空虚な存在のままだ。


【もう少ししたら転移航路ヴォイドレーンから離脱して、レンドラの衛星ファーンの極天座標ゼニスポイントに出るから、そしたら宇宙遊泳と洒落込みますか】


転移航路ヴォイドレーンに、惑星レンドラ……ほんとにヘヴンズハースまんまだね」


【ヘヴンズハース……? ああ、プラネットエミュレーションの?】


「いや、こっちの話」


【船外に出るなら、コレを着てね】


 アトマが座席のコンソールを操作すると、カノエが眠っていたベッドの脇の壁が開き、宇宙服と思しき服がせり出してきた。


 一般的にイメージするマシュマロのように膨らんだ宇宙服ではない。

 ボディスーツのような宇宙服はゲームなどでは良く見かけるが、実際に着ろと言われると、ボディラインが諸に出るこれは、なかなか気恥ずかしいものがあった。


「……ここで着替えるの?」


【うん。導体に流動金属フロウメタルを使ってる環境保護スーツで、擬似的に超構造体ちょうこうぞうたい化するタイプだから肌に直接着てね~】


「着てね~」と言われても、カノエも年頃の男子高校生であるので、女の子(?)の前で着替えるのは気が引ける。

 セラであれば普通に着替えそうだ、などど思いながら、


「……カーテンとかは無いの?」


 そう聞くと、


【乙女か君は】


 いつだかセラに言われた台詞で、同じにバッサリ斬られた。


 カノエはどちらかと言えば垂れ目で線の細い顔立ちだし、目元に掛かる髪のせいで、女々しく映るのかもしれないと思ったことはあるが、快活に短く髪を刈り上げた自分を想像しても、いまいちピンとこないので試したことは無い。

 それに、そもそも見た目よりも行動の問題だろうけども。


「仕方ない」


 着せられていた病衣のような服を脱ぎ捨てると、宇宙服を手に取る。中はひんやりとしたゼリー状のものに覆われていて一瞬躊躇したが、意を決し、足を入れた。

 服はカノエの体にピッタリ合うように作られていた。


「――それで、後はどうしたら?」


 体を少し動かしてみるが、意外にも着心地は滑らかだった。


【もうそろそろユーリの設定した小転移航路ショートレーンから離脱するから、もうすこし待ってて】


 百m級の艦船としては、骨格艦フラガラッハ胸部居住区ブレストキャビンはさほど広くない。

 その中にコックピットシートと、船体を縦に貫き頭部艦橋クラウンシェル臀部動力炉区画リアクターブロックを繋ぐ脊椎フレームが通っており、横幅となると外観で十数mほどの上に、もろもろのスペースや壁面構造の事情で、居住スペースは八畳間ほどの広さしかない。


 カノエの記憶しているヘヴンズハースの設定と同じなら、背面の扉の向こうは搭乗者用の資材と、背部の小さなデッキスペースへの通路、脊椎フレーム内の整備用通用口に繋がっているはずだ。


「座っても?」


【どうぞ】


 カノエは一先ず、設置された小さめのソファに腰をかけて一息ついた。

 体にピッタリとしたボディスーツなど、生まれてこの方着たこともなかったからか、どうにも落ち着かない。


「外を見たりは出来ない?」


 窓の無い部屋は、ゲームの時は気にならなかったのだが、現実に座ると息苦しく感じられた。


VOIDヴォイドの中は光も逃げられない超重力空間だから、何も見えないよ。って、そういえば基本的な知識のインストも失敗してるんだっけ。ああーもう……】


 アトマが、ひどく人間臭い溜息をついた。


VOIDヴォイドの設定は知ってる。そうか、超重力だと何も見えないのか」


VOIDヴォイド内は深淵ネザーに光が吸収されて光学センサーの意味がないし、非ユークリッド空間だから、前もって航海士リフター転移航路図っヴォイドチャートをエミュレーションで解析した転移航路ヴォイドレーンを、入り口から出口まで偏向重力推進ベクタースラストで直進しか出来ない――って、設定ってなに? 頭にバグとか出てないよね? 大丈夫かな】


 この小さな妖精との会話はさっきから今ひとつかみ合わず、しばらく沈黙が流れた。

 ミニチュアサイズの妖精と言うと、アニメやゲームではよく出てくるが、実際にヒトのように喋られると違和感しかない。

 曖昧な自己と、妙な現実感、そして不自然な妖精に囲まれて、落ち着かない気持ちのままカノエは待った。


"判断付かない時は、よく観察。焦って突撃はダメ”

 カノエが落ち着いているのは、セラのそんな言葉を思い出していたからだ。

 もちろんソレは“ゲームプレイの心得”の話なのだが。


 この外がヘヴンズハースの設定通りの超重力空間VOIDヴォイドなら、カノエはここから出るだけで死んでしまう。

 外が尋常の宇宙だとしても同じことだ。

 骨格艦フラガラッハの制御は当然、アトマがやっているはずだから、このアトマがヘソを曲げるだけで、命の危険だってありえる。


 カノエに出来ることは、今はまだ、ジッと待つことだけだった。

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