アトマの章

Round.03 アトマ /Phase.1

【起きろー!】


 それはカノエが掛けた目覚ましの音ではなかった。無機質ではあったが、その音は情緒に溢れていた。


「ん……」


 低血圧なカノエは、ゆっくりと寝返りを打ち、目を開く。寝ぼけまなこに飛び込んできたのは、見慣れない天井だった。


「んん……」


 妙に重い頭を抱えながら首を巡らせると、今度は見知らぬ壁が目に入る。

 しかしそれは、どこか見覚えのある壁だった。再び、天井に目を戻すと、やはり見覚えがある。だが、見も知らぬ天井だった。


「どこだ……ここ」


 寝起きの捗らない頭を掻きながら、体を起こして見渡すと、カノエは少し中に窪んだベッドのようなものに寝ていた。


 体に掛かっているのは眠る時に被った布団ではなく、肌触りのいい薄いシートのようなものだ。掴んでみると、セロファンのような見た目に反して、シルクのように滑らかな肌触りで、見たことも触れたこともない材質。


 着ているものにしても、寝間着にしていた大き目のシャツとホットパンツではなく、病衣のようなものを身に着け、下着はつけていない。


「服は? いやそれよりここ、どこ……」


【ちゃんと覚醒してる? 混乱があるし、手順間違ったかな……うーん】


 さきほどの無機質だが情緒のある不思議な声が、また聞こえた。顔を巡らせると、左手側で人の形をしたミニチュアが動いているのが見えた。

 頭をガシガシと掻きながら、小さなコンソールに手を伸ばしたポーズのまま、小さな座席からこちらの様子を訝しそうに伺っている。


「アトマ……?」


 流暢に喋っているのはどう見ても昨日、セラからプレゼントされたインターフェースユニットことアトマだ。


【あたしのことはちゃんと認識できてる……っと。変なトコ押しちゃったかな。うーむ】


「ってことは、ここ、やっぱり胸部居住区ブレストキャビンの中か」


 改めて、ぐるりと見渡すと、間違いなく骨格艦フラガラッハ胸部居住区ブレストキャビンの中だった。


 すぐに気づかなかったのは“カノエがレイアウトした胸部居住区ではない”ことと、“視点がいつもと違っていた”からだ。

 一方、アトマとその専用のシートは昨日、クラウンシェル筐体で見たままの同じ位置に設置されていた。


 体を起こして、変わった形のベッドから降りる。この変な形のベッドも見覚えがあった。ヘヴンズハースのインテリアの一つだ。


「夢……じゃ、ないよな」


 アトマの方をよく見ると、それは見慣れたクラウンシェル筐体の座席だった。


【おーい、正気?】


 この、ナチュラルに喋りかけてくるアトマからして違和感がある。昨日聞いたアトマの音声は吹き込みではあるが、いわゆる“音声読み上げソフト”か“音声メッセージ”に近かった。

 機械的な音なのは同じなのだが、前もって収録された音声を再生するラジオチャットというわけでもなく、生の言葉を流暢に操っている。


「話しかけても大丈夫なの……このちっこいの」


【ちっこいの言うな】


 受け答えは完全に人のソレである。


「……いや、ここは……その、何?」


 自分の言葉は笑いたくなるほど、しどろもどろだった。


【んー……ここは骨格艦フラガラッハジルヴァラ胸部居住区ブレストキャビン。現在、ツァーリ恒星系惑星レンドラを周回する衛星ファーンの極天座標ゼニスポイントに向けて、小転移航路ショートレーンを航行中。そろそろ離脱点かな。で、私はジルヴァラのストラコア、自我顕現体ヒューレイ、個体名はアトマ。あと、わからないことは?】


「全部、全く。意味が分からない……僕は昨日、家で寝たよね、たしか。なにこれ」


 カノエは額を覆って項垂れた。


 ミニチュアとかフィギュアの類が流暢に喋り、昨日までゲームの背景映像に過ぎなかった場所に、自分が立っている。

 なまじ目の前に座り慣れたクラウンシェル筐体の座席があるのが、カノエの混乱の度合いを深めていた。


【おーけー、おーけー、君の名前は?】


「ええと……三雲庚(ミクモ カノエ)、遠野高校の二年……ですよ?」


【それって確か、プラネットエミュレーション内の設定だよね。そっちの記憶が残って、元の記憶がないってことは……やっぱり覚醒手順間違ったかなぁ】


 筐体の座席に付属したコンソールに備え付けられた専用の座席の中で、アトマはだらしなく突っ伏した。


「そういえば、ジルヴァラって名前の骨格艦フラガラッハは知らないな……」


 ふらふらと部屋の中を歩き回ってみるが、そこは確かに現実だった。ゲームの映像などではない。


【血圧、脈拍正常。基本身体能力の蘇生に問題はなし、と。プラネットエミュレーションの記憶に元の記憶が上書きされてる感じだから、状況認識の精神負荷ストレス精神経路マインドパスに悪い影響が出てないといいんだけど】


「記憶の上書きとか、怖いこと言わないでくれる?」


 ゲーマーであり、SFファンでもあるカノエは、その言葉の意味するところはなんとなくは理解できた。

 それもあって、それに見慣れた空間でもあるせいか、異常な状況にしては、自分でも比較的落ち着いている。

 もう少し取り乱してもおかしくないと思えたが、そう考えを巡らせる程度にはカノエは冷静だった。


「夢でも見てるのか、僕は」


 何より状況を知ると思しきアトマに掴みかかろうにも、相手は身長二十cmセンチメートルほどのミニチュアだ。


【ここは夢じゃなくて現実だよ】


「ゲームとかで良くある“異世界に飛ばされた”とかってやつ?」


【そういうのとも、違うかな……プラネットエミュレーションの記憶をそのまま受け継いじゃってるから、なんて説明したもんか……んー】


 アトマは真面目に言葉を捜しているようだった。次の言葉を待ちながら、ふと、カノエは以前観たSF映画を思い出していた。

 タイトルは忘れてしまったが、学校で珍しくセラが話しかけてきて薦められた映画だ。


 そのSF映画はディストピア物で、主人公が今まで生活していたのは実はAIが見せていた夢の中。何かの拍子に目を覚ました主人公は宇宙船の中に――


「……今までの生活が、コンピュータが見せていた僕の夢の話……とか言うんじゃないだろうな」


【そうそう、そんな感じ。見せてたのはあたしじゃないんだけどね】


 思いつきの言葉に、返事は随分と軽薄に返ってきた。


「いや、ふざけ――あー……もう」


 あっけらかんとしたアトマに怒鳴りそびれて、語尾が宙を舞った。

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