Round.02 セラエノ /Phase.2

 資源採掘作業開始後も航行指揮所ブリッジには大きな変化は無く、コンソールの操作音だけが響き、粛々と状況が進行していた。


 戦術卓に陣取るセラエノの正面には、やや上方に大型モニターがあり、その下では計器類や観測器をモニターするオペレータ達が黙々と任務をこなしている。

 戦術卓の前で腕組みしながら状況を見守っていたが、しばらくして、タブレット端末を操作しているユーリに話しかけた。


「ユーリ、状況は?」


機材砲デミカノン班の採掘用アンカーユニットの撃ち込み作業が半ば。それらの固定作業のため、ライゼン隊長とユージンが骨格艦フラガラッハエルアドレで発進準備中です」


「私もアストライアで出たいな」


「ダメです“船長”」


 セラエノは報告を聞きながら、返しに本音を入れてみたが、にべもなく却下された。


「残念」


 返事は分かっていたとばかりに達観した顔で、吸い口の付いたパック状の携帯食料を吸う。中身は柑橘系の風味。無重力状態になっても飛散しないようにゼリー状だ。


【あ、いいな。あたしにもおくれ】


 セラエノが携帯食料を食べているのを目聡く見て取り、アトマは両手を伸ばした。


「アトマはご飯食べる意味あるの?」


【味を見るの。学術的な興味だよ】


 アトマは見てくれからして尋常の生物ではない。

 妖精の姿は、アトマの本体である“骨格艦フラガラッハジルヴァラ”が操る端末であって、極小のリアクターレプリカと流動金属フロウメタルでできた体は食事など必要ないはずである。


「学術的興味ねぇ……」


 そう言いながらもセラエノは、頭の半分ほどもある吸い口をアトマに寄せると、中身を少しだけ押し出した。

 そのオレンジ色をしたゼリーにかぶりつき、目を輝かせて「おいしい!」と喜んでいる姿は、とても学術研究には見えない。


【美味しいね。誰が作ったの?】


 ヒューレイの学術的興味は目下、オレンジゼリーの味にあった。


「これ、ユーリが作ってくれたんだっけ?」


「そういえば、カシマのおばあちゃんから蜜柑みかんを沢山いただいて……食べきれない分を保存食にしましたか」


 と、ユーリは唇に指をあてて、思い出しながら答えた。


【カシマばーちゃんの蜜柑みかんかぁ】


 カシマさんはフィラディルフィアの後部に位置する居住用コンテナ艦内に農園を持ち、様々な作物を栽培している農家である。


 何せ、フィラディルフィアはずっと宇宙を旅する外宇宙船スターシップで、その動力は、宇宙を漂う星間物質エーテルさえあれば、永久機関として機能するストラリアクター。

 その為、自給自足が基本であり、全長三十kmもある船内には、船員の家族も含めて惑星侯マーキスの領民と同等の地位を持つ約千五百人もの人が暮らし、農場や工場、警察に消防、病院、役所まで存在する。


高次精神生命体オーバーマインドというより、流行娯楽ブームのマスコットにしか見えない……」


 美味しそうにゼリーを頬張るアトマを、セラエノはそう評した。

 厳密には、高次精神生命体オーバーマインドであるのは“ブラフマン”であって、ストラコアはその眷属に過ぎないのだが。


「一応、ウチのクライアントさんですが」


 ゼリーを齧っているアトマをジト目で眺めていると、横合いからユーリが言った。

 アトマから提供される対価は現金ではなく、骨格艦フラガラッハジルヴァラそのものと、自身の研究許可。である。


「ユーリも一応とか言っちゃってるじゃないか」


 太陽系内で文明的な袋小路に陥っていた人類を、広大な銀河へと導いた偉大な高次精神生命体オーバーマインドの眷属ではあるのだが、ユーリ自身ここまでザックバランと言うか、小動物的な人柄キャラクターは予想外だったらしい。


【いいのいいの。畏まられて祭り上げられても困るしね。あたしたちは元々ブラフマンの撒いた感覚器に過ぎないから、ヒューレイといっても、まだまだ人間のような自我や意識はもっていないんだよ。触覚に顔が付いてるみたいなもん?】


 蜜柑みかんゼリーを口でもごもごさせながらも、咀嚼音そしゃくおんを立てずに器用に喋る。


「食べ物を食べながら、気持ち悪い例えをするな。あと、食べながら喋らない」


「自我が育っていない、って割には猛烈に個性があるように見えますが……」


 眼鏡がずり下がらんばかりの呆れ顔で、ユーリはアトマを見つめた。


「生まれたばっかりの子供って思えば、そんなもんなのかね……全知の眷属だけに、無駄に知識ばかりあってそうも見えないけど」


 船長席の手すりで正座して、ゼリーを啜っていた小さな妖精は満足したのか、腹を撫でながら【はー、おいし】などと言っては、食事を満喫していた。


「そういうものですか……あ、それで船長、機材砲デミカノン班の作業、終わりました」


「じゃ、状況お願い」


 エルラド星系出身の船員に見られる頼み事の習慣を真似して、セラエノは手刀を立てる仕草をした。


「セラエノ船長とユーリ副長が、アトマさんときゃっきゃうふふしてる間に、採掘用アンカーユニットの設置は確認済です」


「周辺警戒網、異常ありません」


「続いて、固定作業に当たるエルアドレ一番艦、二番艦、出撃しま……す?」


 オペレータ達が、チョップポーズのまま聞いていたセラエノに作戦状況を告げる。最後に、丁度タスクを進行中だった女性オペレータが歯切れ悪く聞いた。


「どうぞ。やっちゃってください」


「了解。骨格艦フラガラッハエルアドレ、出撃しちゃってください――あ」


 セラエノの言葉尻がうつってしまった管制官の女の子が、自分の言葉に気づいて小さく声を上げたが、そのまま開き直り、何事もなかったように業務を進行する。


「たまには船長もアストライアで出ませんか? 腕、鈍りますよ?」


 大型モニターが、エルアドレのヘルムヘッダー、ライゼン=リンドブルムの顔を映すと、黒髪の洒落者は気さくに船長へ話しかけた。


「そうしたいのは、やまやまなんだけどね」


 セラエノが顎を送った先には、ユーリが目を光らせている。


「ライゼン隊長。今は作戦行動中です」


「相変わらずユーリ副長は堅いね。そんなんじゃ嫁の貰い手なくしますよ?」


「やかましいです。とっとと発進してください」


 ユーリはライゼンの尻を蹴るように言った。


「へいへい。それじゃ、骨格艦フラガラッハエルアドレ一番艦、二番艦、採掘作業に行ってまいりますよ。ジュディちゃん、発進許可よろしく」


「エルアドレ一番艦、二番艦、発進どうぞ」


 管制官のジュディが告げると、戦術モニターに記されたフィラディルフィアの前方下部から、二つの光が飛び立つ軌跡が記された。


      *


「それでアトマ、“彼”から太陽系行きの転移航路図ヴォイドチャートは引き出せそうなの?」


 ひと段落して、セラエノは戦術卓の後ろにある船長席に腰を下ろすと、ひじ掛けに座るアトマに問いかけた。


【んー、航海士リフターの素質はあるみたいだけど……でも、炭素冷却封印カーボンフリーズされた地点から精神経路マインドパスが途絶えてるから、“彼”を当てにするなら、封印される前の記憶がある恒星系までは接近しないとかなぁ】


「とにかく、オリオンアームに渡らないことには仕様がないってことか……」


 アトマと反対側のひじ掛けに持たれて、セラエノは頬に細い指を当てる。


【オリオンアーム行の大転移航路図グランドチャート、あてはある? あたしは本体が骨格艦フラガラッハだから、転移航路ヴォイドレーンの座標とかはサッパリだよ?】


「ここの惑星侯マーキスは知り合いでね。彼女に頼むつもり。シンザはそもそも大転移航路グランドレーンを仕切って儲けてる組織だし、まあ、なんとかなるでしょ」


 知り合いと言う割には、憂鬱そうな顔でセラエノは言った。


「また、そんな行き当たりばったりな――そういえば船長。無事に太陽系行きの転移航路図ヴォイドチャートが引き出せたとして、その後はどうするんです? “彼”」


 横で聞いていたユーリが口を挟んだ。


「……仮に、宇宙に投棄したところで、どこの組織に登録されてるわけでもなし、どこに咎められることもないんだけど……」


 頬杖をついたセラエノは、天井に表示されているペルセウスアーム=シンザ領リューベック星団の全天を記した星図を見ながら言った。


「彼もジルヴァラやアトマさん同様、六千年前に太陽系で生まれた貴重な太陽系人類ソラスの生き残りには代わりありませんから、シンザの歴史研究施設にでも引き渡せば喜ばれるでしょうけども……」


 いわゆる人権。或いは生存権。

 これらは宇宙開拓の時代となる恒星歴に移って以降、六千年経った今でも、太陽系時代よりも劣悪な状況であるとされる。

 それらを“保証”しているのはクヴァル超帝国やシンザ同盟などの、幾つもある超国家組織オーバークランなのだが、それらは全く持って“保障”されていないのだ。


 その原因となっているのは“広大な宇宙そのもの”だった。


 中央権力による統治統制を行うにはあまりに広すぎ、特に情報伝達手段が、外宇宙船スターシップ骨格艦フラガラッハなどの貴重な艦艇を用いた連絡艇クーリエ頼みであることが、相対的に電波通信時代以前の状況を作り出していた。


 そのために、外宇宙船スターシップや居住可能惑星のような“多数のヒトが居住するオブジェクト”には国家級の自治権が認められている。

 そして、その中には交戦権も含まれる。

 それは自治権と言うよりも、“自分の身は自分で守れ”といった意味合いが強いものだった。


「まあ、無事に太陽系まで行って、アトマの用事が済んだら、その後はうちの船員として使えば良いんじゃないかな。宇宙に放り出すとか、奴隷商人や、研究施設に売るのも、さすがに寝覚めが悪いし」


「案外優しいんですね、船長」


 ユーリが嬉しそうに言う。


「私をなんだと思ってんだ君は」


【セラエノは冷たそうな雰囲気があるしねー。あたしも用が済んだら廃棄しろって言われるかと思ってたし】


「クヴァル超帝国の元貴族様ですしねぇ……」


「シンザの人間は、クヴァルを鬼の住処か何かと思ってんの?」


遺跡船レリックシップディエスマルティスで遭遇したクヴァルの船にジルヴァラが接収されていたら、“彼”、殺害されていた可能性が高いと思いますし……シンザ同盟内に不老種アルヴは少ないですから、やっぱりそういう誤解はありますよ」


「誤解のわりには、ナチュラルにひどい言い草なんだけど」


「種族は関係なしに、セラエノ船長は割と冷たい人だと思っていました」


 そう言ってユーリは笑った。


「余計ひどいわ」


 とりあえずで、セラエノは不貞腐れて見せた。


「まあ、ジルヴァラに眠る“彼”の処遇は、まだ先の話ですかね……先ずはオリオンアームに渡らないと。ユードラ様が大転移航路グランドレーンの情報をお持ちなんですか?」


「ユードラと言うか、ユードラが街で使ってるサンバルシオンって外宇宙船スターシップのリアクターにね」


「そういえば首都のラーンで使っているサンバルシオンは確か三千年ほど前の……シンザの開拓期の、結構古参の型ですね」


「三千年前ごろのシンザの船なら、ペルセウスアーム進出で頻繁に大転移航路グランドレーンを行き来してただろうし、大転移航路図グランドチャートの一つや二つ……どっちにしても、シンザの中央星団まで行って大転移航路図グランドチャートを申請してたら、何年かかるかわかったもんじゃないし……」


 セラエノは溜め息を吐きながら言った。


【そんなにのんびりしてたら、ディエスマルティスを襲撃したクヴァルの私掠船ドレイクの人に追いつかれちゃうかもだねぇ】


「そ。ジルヴァラを探してるのは間違いないだろうし、とっととオリオンアームへ渡ってしまいたいんだけど……」


 頬杖のままセラエノは厳しい顔をした。


「このあたりはクヴァル領も近いですから、警戒は厳にしていますけど、今のところは平和なものです」


「……ライゼン、そっちは?」


 ユーリの報告を聞きながら手元のコンソールを操作し、資源採掘作業中のライゼンを呼び出すが、


「平和なもんですね。採掘作業飽きてきました。宇宙怪獣一つ居やしない」


 とのことだった。


 ちなみに、人類が外宇宙開拓に進出して六千年余、宇宙怪獣と呼ばれる類の生物との遭遇はまだない。


 ライゼンの軽口が指揮所に流れ、笑声に場が和んだその時、指揮所に再び緊張をもたらしたのは、同じライゼンの声だった。


「――まじかよ……セラエノッ! 後ろだ!」


「え、なに? 宇宙怪獣?」


「違うッ!」


 骨格艦フラガラッハは光学情報をストラコアが処理することで、超広域の索敵装置として機能する光学観測探信儀オプティカルサイトを搭載されている。

 単純に言えばレーダー波などを使わず、光学情報をストラコアが画像解析と分析を行うことによって、各種対象を捕捉する光学レーダー――つまり、“眼”で見るのだ。


 その光学観測探信儀オプティカルサイトが、偶々、等方性通信波の発信に合わせて母艦を照準した際、フィラディルフィアの背後に現れつつある、別の外宇宙船スターシップの姿を捉えたのだった。

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