運ぶもの、あるいは運命の列車

 西京市大陸鉄道。

 基本的に大陸の東西、欧州と西京市を結ぶ長大な鉄道ルートとなる。

 欧州と北国ウィーガルの間の国交が微妙な事から、欧州とヤマトとの空路は、複数の経由が必要となっている。輸送費の高さ、限られた輸送量から二国の輸出入は芳しくなかった。それを解決しつつ、二国間に存在する小国での交易需要確保が、大陸鉄道の導入目的である。

 大陸横断鉄道で俄かに西京市への観光客が流入する中、ヴェルジェ財団はさらにもう一つの鉄道路を設置する。

 北国ウィーガル、その国境線までの縦断ルートである。

 ヤマトとウィーガル帝国の関係はさほど悪くない。帝国の現在の皇帝と帝妃はヤマトに留学していたこともある。ただ帝国は極地でありながらその国の中だけ完結できてしまっていて、帝国側からの民間交流は少なかった。

 帝国への鉄道路の拡張は、ヤマトの人材交流の布石でもあったのだ。

 もっとも横断鉄道に比べ、採算が取れるかも分からぬ鉄道路である。横断鉄道開通式典から遅れること2ヶ月。ようやく開通式が取り行われることになった。

「イェーイ」

「わほーい」

 その開通式の第一号乗客として、エルレーンとルシカの夫妻が並んでいなければ、頭を抱えずに済んだのだが。彼らは周りに手を振って盛り上がっていた。

 金髪の黙っていれば流麗な男と少し小柄な赤毛の女性は、列車の乗降口の目の前にいた。客観的に見れば欧州の美男美女夫婦であるが、西京市の治安維持を請け負う天剣組にとって上層部限定で要注意人物である。

 式典警備に駆り出されていたエクスやアークにとってもそれは同じだ。

「切符は不正なく購入されたものだ。公式購入日に一番に並ばれては、な。」

 式典警備の槍使いアークは呟くように言う。

 開通式典の第一便には百名の乗客が予定されている。が、式典に集まったのはそのほぼ半数だ。切符購入日においても、一両日の販売だったが売り切れることはなく、予約購入もなかった。

 横断鉄道に比べ、ウィーガル行きの人気は皆無ということが露呈したのであった。

「人気とは関係なく、一応式典だからね」

 今年春からの新人エクスも同様に呟いてため息を吐く。

 彼ら天剣組の市内警邏班にとって、エルレーンたちは気負いがちな相手である。

 先の市長逮捕事件で暗躍したのもそうだが、市内を騒がす毒殺犯を擁しているのは明らかである。だが、表向き繋がりの証拠を上げられないことと、エルレーン本人が人前にほとんど出てこない以上、現行犯逮捕することはできなかった。

 それがアホみたいに出てきている。本来ならば逮捕するべきなのだが、彼ら夫婦が正式な切符で客として来てしまっているため、まったく下手な事ができないのである。

「今日一日下手な事をしてくれるな、としかならんな」

 アークはいつもの槍を杖にして、体重を掛けながら、彼もまたため息をついた。

 つまりは非常に面倒臭かったのである。


                 *****


「気持ちですが、どうぞ」

 その日はエルレーンとルシカの結婚記念日だった。クオーツの差し出したシンプルな便箋をルシカは半信半疑で受け取った。そこから出てきたのは、ウィーガル行きの大陸鉄道の切符であった。

「まあまあ、クオーツさん、ありがとうございます!」

「いいえ。記念日ですから。」

 金色の短い髪の伊達男、クオーツは赤毛の若奥様の華のような笑顔に無表情に答えた。

「それに、ウィーガル便は不人気ですからね」

 クオーツも大陸鉄道の不人気ぶりについては調査済みだった。ウィーガル便と言いつつも、ウィーガル国内までまだ鉄道路が伸びていないのが主な原因だ。

「ふむ、売れてないか」

 喜ぶルシカに対して、エルレーンは冷静だった。金髪の導師は優雅なティータイムだ。

「ええ、売れてませんね。普通に一番に買えました。」

 これが人気ならクオーツとて不正を働く。あまり人気でないので、プレゼントとしては非常に心苦しい。彼の歯に衣着せぬ言葉に怒りは覚えない。エルレーンとクオーツは主と従者の関係だが、付き合いの長さ故にストレートな関係でもある。

 それよりも、この不人気な鉄道に対してのインスピレーションが働いた。つい先日の横断鉄道開通式典で、巨大花火玉に跳ね飛ばされさえしなければ、計画はもっとできていた。

「不人気ならば好都合。この第一便。我々で貸し切ってしまうとしよう。」

「それは、有意義ですね」

「クオーツ、発車の援護を頼む。護衛はてっちゃん。

小手の準備はできているだろう?」

 エルレーンはどうするかを伝えず、概要だけを指示する。てっちゃんとは、もちろん徹のことである。

「構いませんが、発車後のプランは如何するのですか」

「ルシカちゃんと優雅な二人旅だ。それ以外の招かれざる乗客については、こちらで対処する。数日、屋敷を空けるか。」

「承知しました」

 クオーツは主人のふわふわな計画を聞き、どうすれいいかを知った。彼にとってはそれだけで十分で、そのためにどうするかの計画を立てるだけだ。

 エルレーンはふわふわな計画を立てながらごく真面目だ。それがやる気を出している表情だった。

 導師エルレーンという人物は何者か。そもそもそれがふわふわなので、誰も、彼の器に対して疑問は呈しない。


                 *****


 極めて紳士的にエルレーンはルシカの手を取って、列車内へと見本的なエスコートをする。それに対して改札口で待つ後続の客は見惚れていた。エクスやアークも注視していた。そのため、異変に気付かなかった。

 大陸鉄道はクラシックな機関車の見た目ながら、その実、魔術ネットワークを使った無人運転である。そのため発車操作などは管制室から行われる。

 つまりネットワークセキュリティが世界有数であれ、一番にエルレーンが乗った時点で、車両自体は掌握される。

 二人の男女が車内に入るとすぐに、車両はゆっくりと発車し始めていた。

「アーク、管制室へ!」

 エクスの対応が一番早かった。異変に対し、迷うことなく動いた。改札を飛び越えて、車両に飛び乗る。

「くっ」

 判断が遅れたアークは、エクスの言う通り管制室へ向かう。その途中、駅構内を見た。構内の乗り換え陸橋に刀馬や夕那、エリスがいる。

「そこの! 列車に乗れるか!?」

 すでに列車は最後尾が抜ける寸前だ。飛び降りるには勇気と判断がいる。刀馬たちも突然発車した車両に戸惑っていた。

 アークの大声を掛けられて、刀馬も夕那も判断が遅れるが、エリスは違った。

 動きやすく改造された着物を着た女性が、陸橋から飛び降り、車両最後尾に下りた。機関車はゆっくり、しかし確実に加速しながら、北へ向かってしまったのだった。彼はそれを見送る事しかできず、歯噛みしながら管制室へと入る。

 管制室では、すでに悲鳴が響いていた。

「操作奪回できません!」

「緊急停止、受け付けません!」

 薄緑色のジャケットを着た管制員たちは機器を操作して、機関車への外部アクセスを試みている。しかしそれらエラーを吐き出し、まったく問題を解決することはない。

「あの一瞬で乗っ取られたのか」

 アークは魔術ネットワークには明るくない。だが状況を見るにそうとしか思えない。完全無人運転を逆手に取ってのコントロール掌握。あまりにも華麗な手並だ。

(俺だけでは対処できないな)

 列車にはエクスとエリスが乗り込んだが、彼らと連絡を取りつつ、エルレーンらの確保と列車の停止をしなければならない。それはアークにして難題だ。道化が何をしてくるか、まして何が目的なのかが分からない。

 そのためアークは、天剣組本部へ連絡を取り、応援を要請した。


                 *****


 エリスは抜刀したまま列車の屋根を進んでいた。車中をエクスが進んでいるだろうが、今の所遭遇しない。彼をそれなりには認めている。現在は射撃演習をこなしているようだし、サロンでの活躍の噂は本部にも届いている。

 今回も、素早い判断で列車に乗り込んでいた。列車に二人だけだが、存在があるだけでも彼女の心持ちは違った。

 屋根の上を進んで、一号車にいるだろうエルレーンを、車中を進むエクスとで挟み撃ちにするイメージを抱いていた。

 だがそう上手くはいかない。先頭車両から屋根へと上る小柄な者が一人いた。

 両腕に包帯を巻きその上から金属製の小手のような装備をした、黒髪の少年だ。しかも見覚えがあった。

「お前は」

 前に天剣組本部で出会った謎の侵入者だ。

「ん、どっかで見た気がするが、覚えてねーや」

 少年、神代徹の方はエリスを微かにしか覚えていなかった。思考は単純だ。自分で勝てそうな奴はあまり覚えていない。勝てない奴はしっかり覚えておいている。

 テツはエルレーンらの護衛として先に車両に乗り込んでいた。エルレーンを追って乗り込んだエクスの迎撃のつもりだったが、導師の指示で上へ登ったのである。

「さぁて、どうしたもんか」

 テツは低い姿勢で呟く。エリスは刀の切っ先をテツに向けて下段への構えで様子を伺っている。彼の持つ小手はただの重りではない。もちろんそれで防御が可能だ。加えて武器も仕込んでいる。

 だから、エリスの下段突きに対して右の小手で払いつつ、左の小手に仕込まれた鉄爪で攻撃ができる。

「!?」

 意識外の攻撃に彼女は声にならない。身体を捻り、顔を背けるものの、切り傷が残る。彼女は、追撃を逃れるために小さく後ろに跳んで下がる。

 テツはその場から動かない。追撃もしない。右手で左の小手をいじり、仕込み爪を引っ込める。

「別に逃げても構わねぇぜ? ?」

 テツは久しぶりに有利な立ち位置で笑みを浮かべた。エリスは舌打ちしたかったが、歯噛みする。挟み撃ちをしたい欲がある。

 彼の言う通り下がってエクスと車内で合流してもいいだろう。そうすると相手も下に来る。エクスを守りながら戦うことになってしまう。

 彼女はこの場でテツを突破する他ないのだ。それも困難を極める。列車の屋根の上で動ける空間も足場もない。不利な状況で正面対決をしなければならないのだ。

(考えろ。一瞬の隙を。)

 エリスは睨むようにテツを見据えて、様子を伺う。

 体力勝負。彼も一年間無為に過ごしたわけではない。勝てない相手には勝てるよう足りないものを補ってきた。体力はその内の一つだ。

(耐久勝負で負けるわけにはいかねぇ。この実戦が俺の通過点だ。)

 ほぼ四つん這いで、見上げるようにエリスを見据えながら、彼女の攻撃を待ち構えた。


                *****


 列車は五両編成。エクスは三両目に乗ったはずだった。だが彼が一両目に辿り着いたのは一時間以上経ってからのことだった。エルレーンの幻術の罠である。

 かいつまんで言うと、二両目と三両目の間をループさせられていた。三両目から二両目に移動すると三両目に戻されている。簡単な時間稼ぎだが、効果的だ。

 何しろ、一両目と二両目の間にも罠があると思い込んでしまう。実際に何も仕掛けてはいないのだが、警戒しながら進んだエクスは結果的に時間をかけて一両目に入ることになってしまった。

 またその頃には通信の電波も範囲外である。彼は援護を望めないまま、拳銃を構えて、改めて一両目へ突入した。

 二両目までは通常の、中央の通路を挟んで両側に椅子が二つずつある一般乗客用の車両だった。一両目は食堂車だった。車両中央から右奥にかけてオープンキッチンになっている。キッチン前はバーカウンター形式で、左側はテーブル席だった。

 エルレーンとルシカの二人は中央のテーブル席にいた。金髪の道化は奥の席に、メイド姿の妻は手前にいる。食事をしていたかどうかは分からないが、優雅なティータイムだったようで、洋風カップが二つ見える。

「撃たないのかね?」

 エルレーンはエクスに対して、涼やかに言う。銃で狙われていることに、些かも恐れてはいない。

「聞くことがあります」

 エクスは落ち着きを払いながら、その実、緊張しながら言う。銃を持つ手は震えていない。しかし、手汗でびっしょりだ。

 構えてはいるものの、銃撃で殺せる自信はない。道化屋敷で初めて出会った時よりも得体の知れない感覚が、エクスを支配していた。

 目の前の男が人間に見えない。魔人化した化物に遭遇した時は生命の恐怖だ。この男を前にした恐怖は未知の恐怖だ。あるのか、いるのかという、存在感への恐れである。

「君とはそればかりだな。まあいい。何かね。」

「なぜ時間稼ぎをする必要があったんですか?」

 エルレーンは得体が知れない。エクスは、彼がどのような戦闘力を持つのか分からない。やり口からして術や策を弄するタイプなのは分かる。であれば、直接的あるいは殺意のある術を仕掛けてきてもおかしくない。

 だがエクスに仕掛けられたのは、殺意の無い幻術だ。矛盾と仕掛けに気付けば破るのは容易であった。だから時間稼ぎか嫌がらせだと思ったのだ。

「そりゃあ、二人きりでお茶したいし?

それ以外に貸し切りさせる理由もないよ。」

 胡乱な理由が返ってくる。ああ結局、こういう人物なのだ。

 少しばかり正義感や倫理観があれば、怒りもするだろう。だが、サロンで迷惑な依頼を受け続けるエクスとしては、呆れしかなかった。

 愉快犯、快楽主義者、とでも言うのだろうか。理解もできないし、納得することもできないだろう。

「列車を止めてください。楽しんだのでしょう?」

 エクスの問いに、エルレーンは笑う。

「何を馬鹿な。終点まで行かせてもらうよ。こんなところで止めたら屋敷まで帰るのが面倒だし。」

 未だ楽しむ気のようだ。今回の車両は寝台車が無い。本来の終点までは一昼夜跨がなければならないので、今回の便は日帰りだ。燃料や搬入食糧もその分の片道しかない。それらのことは彼も把握済みかもしれない。

「それに、止めたければ、撃てば済むんじゃないか?」

 やけに煽ってくる。エクスも本来は撃てないわけではない。前回と違い覚悟はしてきた。だがそれでも、。それが迷いとなり、引き金を引く指が固まってしまっていた。

「撃てないなら仕方ない。ルシカちゃん、死なないように拘束してね。」

「かしこまりました」

 いつも迷惑な依頼を持ってきていた赤毛のメイドさんが立ち上がる。エクスへと振り返った顔はニコニコした笑顔ではなく、切れ長の細目で睨むような目付きだった。彼女はいつも見た緩い立ち振る舞いがなく、忍者のように俊敏にエクスとの間合いを詰めた。

「な」

 彼が声を出したのも束の間、彼女の左手がエクスの口を覆った。驚きの出来事に、エクスの呼吸は一気に苦しくなる。反射的に左腕を掴むが、彼女の腕は掴んだぐらいではびくともしなかった。彼女はさらにエクスの右手首を掴む。それも挟まれたような怪力だった。握っていた銃が床に落ちる。暴発はしなかった。

「彼女、強いだろう?」

 エルレーンがウィンクしながら歩み寄ってくる。

「おっといけない。それでは喋れないか。」

 返事を期待したけれども、口を塞がれては喋れない。彼女は気を利かせたのか、掴んだ右手首を引っ張り、口を塞ぐのを止めた。

「ぐっ、うああ!」

 空いた左は一気にエクスの右脇に回り、上腕を掴まれ、固められた形で拘束される。同時に右手もがっちり掴まれ、本来曲がらない方向に曲げられた。エクスは口で呼吸できるようになるものの、苦痛の声を上げた。

「彼女は人間だよ。私の可愛い奥さんだ。」

 彼は彼女の髪を指で梳き、頭をそっと撫でる。すると彼女の顔は、見覚えのある笑顔に戻る。彼女はエクスを拘束しながら、エルレーンとイチャつく。エクスにはそれがとんでもなく恐ろしく映った。

「私のような者と付き合い、愛し合い。求め合ったからね。

。けれど、特に問題はないだろう?」

 その言葉はエクスの想像通りの恐ろしさを醸し出していた。道化はやはり普通の存在ではない。竜か魔人か吸血鬼か。いいや、そのどれでもないのだろう。彼は理解の届かない存在に、呼吸ができるのに呼吸困難に成り果てた。

「ところで」

 彼女の頬を舐めたりキスしたりしてイチャイチャしていたエルレーンは話題を切り替える。彼は落ちた羽模様の付いた拳銃を拾う。

「この真上で君の仲間が私たちの護衛と戦っているんだ。だいぶ長期戦のようだが、大丈夫だろうかね?」

 エクスは仲間と言われて迷った。何者かが天井越しにいるような音はしていることに今更気付く。エルレーンの言葉は、ハッタリの脅しではない。

「何を」

「君は、?」

 遠回しに、具体的でないからこその恐怖が言葉として伝わる。銃は撃てる状況にある。列車の天井を撃ち抜くことは可能だろう。だからこそ容易に想像できた。

「僕に、何をさせたいんですか」

 腕は捻られたままだ。今のエクスにはどうすることもできない。

「何も」

 エルレーンは短く答える。表情に悪意は感じられない。もっともこの男は悪意や殺意を無しに、周囲へ害を及ぼす人物だ。

「君の一挙手一投足を見てみたいと思っている」

「何故」

「私はもう普通の人間がどう動くかなんて分かってるんだ。私が知りたいのは奇跡を起こすような人間の挙動。困ったもので、私の計画のほとんどは、そういう類の人の行動によって阻止されてしまっている。」

 エクスは何を言っているか理解できなかった。彼が人間とは別のモノだという確信は得ていたが、言わんとするところの理解には及ばなかった。

「私は、私の想定外の行動する人間の行動をもっと知りたいと考えている。

そのために、どのような手段に訴えても構わないし、と思う。研究と発明には失敗は付きものだ。正解が一つしかないと思っている人には分かってくれないがね。」

 まじまじと銃を見つめるエルレーン。片側しかない翼の意匠を気になっているようだ。

「どうかな。君は、この銃で何をされるのがイヤかな?」

 改めてエルレーンは聞いてくる。額が汗ばむ。エクスの首筋にある古傷が熱くなる気がした。

「撃つな」

 とにかく撃たれるのが嫌だった。団長から渡された銃が悪用されるのが、とてつもなく嫌だった。だからそう口にしてしまう。

「なるほど」

 エルレーンはにっこりと笑い、銃口を真上に向けた。エクスにはその動作がやけにゆっくりに見えた。

 直後、窓が割れる音がする。撃たれたのではない。エルレーンは音がした方、背後へと振り返った。エクスは窓が割れたのが見えたので、左横を見た。

 横の窓越しには並走飛行する飛行機があった。天剣組所有の輸送機だ。

 その飛行機の船底カーゴハッチから身を乗り出す者が見える。

 それは、背中から光の翼を伸ばし、超加速して、割れた窓から車内へと進入してきた。無地の白シャツに黒い上着を着て、黒いロングパンツを履いた小柄な男だ。

 天剣組の団長、獅堂来人が赤い刀身の二刀流でやってきた。

 エクスが何か言うよりも早く、彼は軽い足音を残して、その小太刀よりも長く、打刀よりもわずかに短い刀を振るう。それはあまりにも速く、エルレーンは右手首を切り飛ばされたことに気付くまで時間がかかった。

「ちょっ、待ちたまえ!」

 落ちた右手首は幻だったかのように煙となって消える。そして、エルレーンの右手はいつのまにか生えていた。その手で間合いを詰めてくる来人に待ったをかける。来人の刀の刀身は、エルレーンの胴を貫く寸前で止まった。

「私は別にエクス君を害する気はないのだが」

「アレは大切な銃だ。貴様に触れてもらうためにあるんじゃない。」

 と言って、来人は表情一つ変えずにエルレーンを刺し貫き、斬り捨てた。

 エクスはその瞬間、掴まれていた感触が消え失せる。音もなく、彼を拘束していた赤毛のメイドさんは、来人に襲いかかっていた。

 エクスを掴んだ拳は空を切る。右へと避けていた来人に対し、逆側からの拳の突きも迫り来る。しかしこれも後ろに下がって避けてしまう。

 ルシカは諦めない。前へ飛んで間合いを詰めつつ、ハイキックを伸ばす。来人はそれを紙一重か読んでいたのか、無表情でのけ反って交わしていた。蹴りは蛇か鞭かしなるようにその場で蹴りをさらに二連撃放ち続ける。だが、来人はそれらをかわし続け、おもむろに姿勢を下に落とした。

 来人の一閃が来ると彼女も気づいたのだろう。体勢を立て直そうとするが、来人のほうが速い。

「流石に、嫁を斬られるわけにはいかない」

 エルレーンの声は、いつのまにか車内の奥からした。その次に列車がブレーキを掛ける音が下の方から鈍く響く。

 胴を貫かれていたはずの彼は、来人の後方に出現していた。ルシカを、いわゆるお姫様だっこで抱いている。

「また今度だ、エクス君。では失礼するよ。」

 エルレーンはエクスの方に笑顔を向けてから、その場で上に跳んだ。すると、ルシカと共に掻き消えるように姿を消してしまった。


                 *****


 エリスは息を切らしていた。着ていた着物はあちこちが裂け、肌に切り傷を負っている箇所もある。刀の柄は手汗で濡れている。

 対してテツは呼吸を乱していない。かすり傷を一つとして負っておらず、無傷と言っていい。

 何度か小競り合いをしたが、エリスは有利を取れず、ジリ貧に陥っていた。

 救援も車内へだけで、彼女には何も援護はなかった。あったところで彼女は拒否していただろう。それだけこの戦いに意固地になっていた。

 列車が減速し始めた。チャンスはこれで最後とばかりに、エリスは何度目かの突きを繰り出した。テツはこれを弾くわけでもなく、初めて後ろへバク転して避けた。

 いくら攻撃してもその位置を動くことがなかった彼に、エリスは面食らう。刀の突きは腕が伸び切り、列車の減速と共に体勢のバランスが崩れた。

 その隙を見逃さないが、同時に、テツには余裕もあった。慣れない回し蹴りを放って、彼女の利き手に強打を放ったのだ。すでに柄が滑っていた彼女は容易に刀を取り落とした。テツは右手の小手を操作して刃を飛び出させた。

(殺られる)

 エリスは疲労の中でそう思うものの、身体は反応しない。胴を刺し斬られると思って目を閉じるも、痛覚はやってこない。

 列車が数秒して停止する。エリスは恐る恐る目を開けると、相手のテツはすでに背を向けていた。彼はいつのまにか現れたエルレーンやルシカと共に、その姿を消していってしまった。

「く、くそぉ」

 エリスは毒づきながら屋根の上に倒れ込んだ。疲労困憊だった。

 彼女とて、剣に自信があったつもりだ。多少の武装集団が物の相手にならないことはエクスと同行して証明していた。

 だが、今はそれがことを痛感させた。それに今回は会ったことのある相手だ。その時点で彼女は、相手の実力を計れてすらいなかったことがメンタルを揺るがした。先の出来事の時点で見逃されていたことを知り、屋根を叩くしかなかった。

 しかし、叩く力はすでになく、音が響くこともなかった。


                 *****


「やれやれ、対応が早かったねぇ」

 エルレーンはルシカと共に屋敷の自室に戻っていた。予定外のとんぼ帰りになってしまった。計算ではもう二時間ぐらいゆっくりするつもりだったのだ。

 エクスに語った、終点までというのは、もちろんハッタリである。終点まで自動運転で動いてもらうつもりだった。

 あまり屋敷を空けるつもりはなかった。テツも庭の世話をそこまで放置できないことに配慮した形でもあった。

 ただその配慮も余計なお世話だった。天剣組団長自ら乗り込んでくると、エルレーンとしては分が悪すぎる。逃げ帰る他なかったのである。

「旦那様のお手を煩わせてしまいました」

 とルシカは殊勝にも言う。彼としては彼女の蛮勇に助けられた。彼とて、再生能力は万能ではない。痛覚はほぼないが、斬られたり刺されたりは記憶として誤認する。決してダメージはなかったことになっているわけではない。それが続くと精神的にすり減る。細切れにされつづければ、自分の身体をイメージし続けられなくなるのだ。

 だからルシカが時間を稼いだおかげで、エルレーンはテレポートすることができたのである。完全な空間転移。タイムパラドクスを生じさせないゼロ秒の位置変換の術である。

「いいや、助かったよ」

 彼は応接ソファーに座る彼女を抱いて、素直に礼を言った。

 流れから、絡み合う男女の視線。潤んだ瞳の可憐さに興奮するが、彼は思い止まって咳払いをする。

「その、拘束していて彼におかしなところはなかっただろうか」

 苦しい話題転換に、ルシカは彼へしなだれかかる。

「力は成人男性並、特に問題…あ、いえ、ありますね」

 ルシカはふと気づく。ちらっと見えたエクスの首筋の傷を。

「×印の切り傷か火傷跡か、古傷のようなものがありました」

 彼女はエルレーンの首に温い息を吹きかける。

「傷跡か。なるほど。」

 彼へ気にかかる何かに対するヒント。その一つになるかもしれない。

 エルレーンはそう思いつつ、彼女の赤毛の後ろ髪を撫でる。そして抱き締めた。



 この後、エルレーン自身は宣言とは裏腹にエクスとの接触は避けることにした。彼への監視は、テツに頼むことになる。道化の術士の今後の大きな動きは、サロンの二回目の崩壊の時になる。

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道化の導(しるべ) 赤王五条 @gojo_sekiou

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