悪徳、あるいは邪悪の侵食

「本作戦を説明する」

 黒髪の青年は魔術スクリーンに立体地図を表示させる。魔術ネットワークによる立体スクリーン技術である。黒髪の青年はミストラル。従者会議では欠席していたが、ネットワーク技術者としてみっちり講義と課題を与えられていた。

 そして一年。ミストラルが作戦を説明する相手は神代徹。一年で体はいくぶんか大きくなった。色気づいて両目を覆わんばかりに前髪を伸ばしている。

「目的はヤマト情報サーバー区画から戸籍情報を持ち帰る。作戦時間中、師父エルレーンは陽動を行い、情報上の痕跡は消してくれる。だが問題は別にある。」

 立体地図は地下鉄路線も込みで表記され、侵入経路と脱出経路を同時に視覚的に説明する。しかし、その経路は侵入も脱出も共通した一本道になる経路であった。そして地図上でもの共通経路を通る他ないことも示していた。

「本作戦の目的上、行きはよいよい帰りは怖い、となることが予測される」

「通路の広さは?」

 完全に声変わりして、声音は低い。徹が質問する。

「都市計画の一環で、本来は地下鉄を通す予定だった通路を、現在はネットワーク回線を通している。それ以外に障害物はないし、明かりの類も設置されていない。ヤマト政府から公式に存在すると明言されているが非公開の施設だ。広く設計されているし、頑丈に作られている。」

「国民情報を保存されている場所とはいえ、防犯対策が取られていないわけがない。それを踏まえて、俺は誰に待ち伏せを食らうかもしれないんだ?」

 これから徹が忍び込む場所は情報集積所だ。国家機密等が保存されている区画ではないが、倫理的に漏れ出てはいけない情報が盛り沢山だ。それらはすべて、ヤマト国民の個人情報である。

 本来であればエルレーンが情報防壁を突破して、が望ましい案件である。しかし、ヤマトの情報防壁は初代公安室副室長が最初に構築し、一番弟子に、さらにその弟子がアップデートし続けているものである。彼らはネットワークウィザードの異名を欲しいままにし、現在君臨するウィザードはエルレーンの義理の息子である。力づくで情報を盗むことは、彼と対決することに他ならない。

 だがいっそ対決するならば、と当作戦を立案した。エルレーンが道化の魔術師を名乗り、証券取引場のサーバーを破壊すると犯行予告する。例のウィザードを引きずり出して、大げさに陽動する。

 この陽動作戦は、徹にとってもミストラルにとっても実力を発揮させる試金石である。ミストラルは後方から補助するネットワーク技術者として、徹は工作員として。

「皇室直属公安室二課。通称、おおとり忍軍。」

 ヤマト皇室直属とは読んで字のごとく。ヤマトの皇を通常指揮系統とする国内外の情報組織である。歴史こそ約五十年程度だが、少数精鋭だった時にヤマトに残された数少ない忍者一族の鳳家を加え、規模は巨大化している。

 そして何より、鳳忍軍は、神代徹が手習いしたところであり、神代家の養子も数多く在籍しているのである。

 忍軍が防衛にあたるということは、徹は身内殺しも視野に入れろということである。ただこれに関しては徹自身問題はない。問題があるとすれば手の内がバレているということである。

「お前の実力なら勝てるだろうが入れ込みすぎるな、という言伝を預かっている。ムキになって全部なんとかしようと思うなよ。」

 徹が毒手使いであることがバレているが、使い方は見違えるほど増えている。負けはしない、と思っていたが、見事にいない奴に釘を刺された。

「りょーかい」

 言葉だけは了解しておく。その白々しい返事にミストラルは不安を直感するが、この場は何も言わないでおいた。



 ヤマト本土にはエルレーンとルシカ、ミストラルと徹、二組がそれぞれ別の日に分けて到着した。宿泊するホテルも別で、男二人の方は一泊してから、エルレーンが用意した仮の活動場所に移動した。作戦が成功したらすぐに引き払うため、最低限のネットワーク設備のみしかない。

 初夏だが涼しい日、何もないオフィスに、ミストラルは作戦発動準備をする。

 何もすることがない徹は自分の情報媒体を操作して、つい先日、ヤマト首都東京から周囲百キロメートルの電波を乗っ取り放送された映像を見ている。

『ご存知の方はいるかな? 私は道化の魔術師。私こそが本物だ。その証拠を示すとしよう。この放送から十分以内に、私の名を偽った不届きものに死を与える。ただし、特別に三人だ。』

 映像にはエルレーンの声で、醜悪な道化が映っている。これはこういう認識阻害の魔術であるらしい。エルレーンはリアルタイムでは顔出しで放送していたが、動画として保存されたり、人間の記憶では道化姿に認識を改変させてしまうという。

 故にエルレーンの顔を正確に覚えていられる者は、彼に近しいか、魔術に抵抗できる者に限られる。そしてそれは彼に敵対できる相手ということにもなる。

『では私の復活の手始めとして、二日後に証券取引場情報でも破壊してやろうと思う。待ちかねておきたまえ、私の信仰者たちよ!』

 という一連の乗っ取り放送。予告通り、道化の魔術師を名乗った一般人三人はそれぞれ死を迎えた。一人は玄関を開いて仕掛けられた爆弾で爆死。一人は無人の乗用車による轢死。三人目は、乗っ取り放送の罪を着せられ、警察当局に拘束され、社会的に抹殺された。

 というか二人まではそれぞれミストラルと徹の仕込みによるものだ。別の場所の別々の人間を抹殺することの手品の種はそれほど難しくない。十分以内という曖昧な縛りでもあったし、時間を合わせればいい話だ。三人目に関してはヤマト当局が優秀な証だろう。もっとも、罠に引っかかっていれば世話はない。

 そんなわけで、仮の拠点を手に入れ、明日の作戦のために一日空いている。徹はすることがない。

「ちょっくら出かけてくる」

「問題は無いだろうが、目立つようなことはするなよ」

「分かってるよ」

 バレる要素はないが、徹の場合、両腕に包帯を巻いている不審者に見えかねない。天下の往来を出歩くなら、人ごみに混じる他ないだろう。

 とはいえ、普通に出歩くつもりはない。いつも通り、屋根から屋根へ、ビルの屋上から屋上へと跳んで移動する。

 向かう先は養父の家である。東京の下町に位置する霊山寺れいざんじの北部にある小山のたもとにある建物。そこが神代家の慎ましやかな家屋がある。

 神代家はその姓の通り、神に代わって守ってきたものがある家である。王魔皇族が将軍家だった時代、何らかの大事なものを守っていたようだ。今はその役目もなく、神代家は皇族とも疎遠な関係であった。いつの頃か没落貴族の子弟を養子にし、鳳忍軍に預けることで、遠巻きながら関係性は継続していた。

 もっとも、徹のような手習いだけで終わってしまう者も数多くいる。彼が養子の中では最も年少であっただけである。そして、徹より下はもういない。

 当主の神代司が年老いたのが大きな理由だ。百五十年近く生きていて、年老いるもなにもあったものではないのだが。

 さて、徹が里帰りするのは一年ぶりになる。本来は帰ってくるつもりはなかった。今回の作戦のための、もののついでである。

「ちゃーっす」

 特に遠慮もなく、引き戸を開け、挨拶する。玄関すぐの広間にいる背中を丸めた白髪混じりの男が徹の方を向き、微笑む。

「でかくなったなぁ」

「オヤジは老けたな」

 でかくなったという少年の顔を彼は覚えていた。少年の方は明らかに老け込んだ義父の姿に寂しさを感じた。

 今の時間は昼。広間は電気を付けず、日の光だけを明かりにしていた。外から来ると暗さばかりの広間だが、徹はいつものくせで暗視してしまう。とはいえ、義父がやっていたのは記事漁りだったようだ。

《本物の道化師!?その手口を比較する!》

《自称本物という真実に迫る!》

《政府は民間からウィザードを招聘する決定を下す》

 …などという記事が踊るネットワークを開いていたようだ。術式ネットワークの元はモバイル電話。こうした姿は現代の、とりわけ今のヤマトでは珍しくない。

 もっとも、家で背中を丸めて記事を眺めている義父の姿に違和感があるのは元家族故だ。

「逃げてきた、というわけではなさそうだな。郷愁でも付いたかな。」

 と、義父は言う。背筋を伸ばし、わざとらしいほどに伸びをする。

 徹の中の神代司は冷徹冷酷冷笑の三拍子揃っているのに身内には感情を見せる本当は優しい人という印象であった。その彼が今までの学校長という職を辞すると耄碌するように老け込んでいってしまったのは失望感があった。

「道化師などと。師父せんせいは、やはり素晴らしい人だな。」

 司の師匠はエルレーンである。エルレーンの作った学校の校長を長らく務めたのだから、信仰心は強いだろう。それは決して盲目的ではなく、本物と偽物を見分けることができるほどであることは考えられる。

「お前が今回師父に何と仰せつけられているかは分からん。が、ここでくすぶるよりは今世屈指の魔王の元に奉公させに行かせたことを最期の親心だと思ってくれ。」

 と、しんみりと語る。徹の耳にも、さいご、という言葉が今生の別れを感じさせた。

「身内を敵にまわしても?」

 徹は迷いを口にした。古巣と戦って実力を試すのはいい。だが加減できるほど力を付けられているかといえば、そうではない。本気でやらなければいけないのに、非情になりきれない迷いがあった。

「今のお前の身内は師父の所だけだ。1年過ごせたのだろう。顔つきも見違えた。今のお前を見ていると、俺も師父との生活を思い出して懐かしい。鳳忍軍?あんなものは頭領以外は強い人間に毛が生えた程度よ。竜化もできない忍者など、蹴散らしてしまえ。」

 不穏な微笑みを浮かべる。ようやくよく知る義父の雰囲気に戻ってきた。それに徹は安心し、迷いや漠然とした不安は消えていく。

「来て良かった」

「師父には何も言うな。心配など、生意気がすぎる。」

 徹が素直な感想を述べると、義父は真顔に戻ってぽつりと言った。冷たい師弟関係に見えるが、その実は見えない信頼関係があるのが伺える。

 もはや、神代家を継ぐ者はいない。継がせる気はないようだ。どうも役目自体が消えてしまっているらしい。

「もう行くよ」

「ああ、達者でな」

 これが本当の別れであろうと思う。徹がいつどこで生まれたのかは自身では知らない。聞いたこともない。この神代家の養子となり、長続きしない手習いも多かったが、それでも尊敬のできる養父母の元にいた。

 徹のここからは、神代家とは関係のない人生だ。だとしても神代の姓は捨てられないだろう。

 邪悪な道故に養父母に迷惑がかかろうとも、神代徹の道はそれだけで外れる理由にはならないと。

 徹は屋敷の敷居を跨ぐことなく、引き戸を閉めて出て行く。見送りなどない。養母がいれば来ていただろうが、留守なら仕方ない。むしろいれば変に居着いてしまったに違いない。

 さっぱりと別れる。今はその方が決心がついた。



 エルレーンが陽動である証券取引場ネットワーク破壊活動を行う影で、徹は地下通路を進む。説明通り通路幅は広かった。また、一定間隔で柱があり、それ以外に障害物が存在しない。

 非常灯しかないほぼ闇の通路を進み、目的のサーバー区画へ入る。データのコピー作業は自動操作で行われる。ネットワークがまったく分からない徹にも簡単だ。

 ここまでは予定通り。問題はここから。

 外部からデータのアクセスをすれば否が応でも記録は残る。後で痕跡を消すとはいえ、この瞬間は隠蔽工作をしようがない。

「実行完了」

『確認した。速やかに撤収。合流地点で。』

 ミストラルの短い返答を聞きながら、徹は部屋を抜ける。

 彼は部屋を抜け、通路に出た途端、体が重くなった感じがした。敵の気配を感じたわけではない。緊張し始めたのだ。

 地下故に息苦しいこともある。とはいえ、脱出するにも一本道。何が待とうとも、ここを抜けなければどうにもならない。息を飲み込みながら、脱出ルートへと駆ける。

 彼の脳裏に脱出できないパターンが駆け巡る。想定以上の戦力の待ち伏せに足掻くこともできずに。あるいは完全な格上からの一撃必殺。考えるだに、喉が渇く。

 出てくる相手が予測できない以上、徹の敗北予測は自らのミスをフォロー仕切れない状況ばかりになる。それは冷静になりきれていない半人前の証であったが、局地戦しかしていなかった彼には無理もない話だった。

 道半ばあたりで、一瞬非常灯に影が映る。たとえ見間違いだとしても、見逃せない。徹は足を止めて、改めて周囲の空気を読む。地下故に風は通らないが、空気の流れはある。また無機質で人の気配のしない通路故に何かいれば匂いが混じる。それらごく微小な情報を元に自分以外の存在を探知する。

 その気配察知を達成した矢先、徹の目の前に金属の切っ先が飛んでくる。飛びクナイだ。相手方の奇襲だが、見えているものに彼は驚かない。クナイを右手で受け止めてしまう。

(今のところは一人か)

 牽制攻撃といったところだろうか。こんな所に侵入してくるとはどのような相手かを測るためでもあろう。ヤマトにおける機密ではないが、一応重要なモノがある場所だ。迷子になって行ける場所でもない。コソ泥が価値を見出す場所でもない。

 故に、今相手は徹を得体の知れない相手だと思っているだろうか。彼にとっては知ったことではない。

 クナイの形は幼少でよく見た形のものだ。大方の予想通り、相手は鳳忍軍の者。上忍か中忍か。下忍ということはない。下忍は見習いもいいところだ。一人で迎撃に出てきたりはしない。つまりは、中忍以上は徹の格上も同然なのだ。

 今の徹が中忍かそれ以上か、はたまた上忍に迫れる実力まで引きあがっているのか。力試しができるいい機会だ。

 徹の気性では読み合いというものが苦手だ。以前の天剣組の槍使いならともかく、初見の相手で委縮しないなら、彼は真っ先に行動する。

 先ほどまで緊張で焦っていたのが嘘のように、彼は闇の中の相手を見据えて、体勢を低くしながら地を蹴る。直線距離を鍛え上げられた脚力で高速移動する技法だ。中忍以上の模擬戦はこの技法を使った高速戦になる。これ自体は決め手にはならない。

 対忍者戦で決め手になるのは術、近接戦のどちらかだ。多重影分身という派手な術から、岩を砕くただの飛び蹴りという地味なものまで。

 徹の切り札は言うまでもなく、必殺のウィルス攻撃。格上ばかりの大陸と違い、今回は素直に自分の切り札の力を試すことができる。

 必要なのは敵への殺意。迷いなく敵を殺す気持ちは、両腕に巻かれた包帯の下から赤い紋様が浮き出てくる。曲線の多い、落書きのような赤い紋様だ。殺意を込めれば紋様は赤く輝く。

 触れる必要はないが、気持ちを強く持ちすぎて掴みかかろうとする。だが、敵忍者は紋様の輝きに危機感を感じたか、後ろに跳んで徹の掴みをかわす。

 おそらくは、普通の手練れなら誰だってそうするだろう。正面から行けばほぼ当たらない。しかし、前述のように触れなくても近距離なら彼の能力は有効距離となる。

 距離を離した忍者が姿勢を崩して身を震わせた。

 エナジーペイン。徹の力は人間なら誰もが持つ欠損術式にウィルスを感染させ、苦痛を与えるものである。感染経路は接触感染であるものの、ウィルスは微少でも魔力に集まる性質がある。そのため、近距離でも飛沫感染で、軽度の症状が発生してしまうのだ。

 そうなれば苦痛に対してある程度鍛えられている戦士にも耐え難い体調不良に陥る。つまり、徹の力は近づけば勝ちである。これに抵抗できる者は本当に格上である。

 放っておいても衰弱死するかもしれないが、徹は動けなくなった忍者の首根っこを掴み、悲鳴を上げさせることなく死を与える。

 ウィルスが吸えない魔力の代わりにありとあらゆる生気を奪い、忍者はしなびた皮となる。暗がりで、忍者装束を着ていた何かになってしまったものを徹は捨てる。

 徹自身が吸ってしまったわけではない。あくまでウィルスが猛烈に食い尽くしてしまったのだ。骨さえ残っていればウィルスは滞留するが、今回は骨まで食い尽くしてしまった。しばらくすればウィルスは消滅してしまうだろう。

 瞬殺してしまったが、相手忍者が救援を呼んだか推し量れなかった。二人、あるいは三人で行動する忍者たちが一人で行動していることから、血気に逸って先行してきたか。もしくは一人で十分と油断されたか。いずれにせよ、迎撃が一人だけとは考えにくいと思う徹。息を呑んで、再び暗闇を駆け始めた。

 二、三分ほどであろうか。入ってきた通用口に近づいていくと、影が二つ、待ち受けているのが見えた。残りの迎撃忍者であろう。先の忍者と違い、暗闇に紛れる装束を着ておらず、スーツ姿である。徹には顔つきになんとなく見覚えがあった。

「徹か」

 相手もまた徹に覚えがあったようだ。もっとも、その言葉だけでは修行時代の教官か義兄弟の方かは判別できない。するつもりもない。

「どこぞへと奉公に出したと聞いている。昔とはいえ、身内殺しをする敵になるか。」

 と、相手は言うものの、もはや徹は揺らがない。迷いはない。二対一という不利を覆すために戦い方を必死に絞り出す。

「目的をしゃべってもらう」

 ここで相手の油断が生まれたことに徹は気付いた。徹が年少で修行を辞めた未熟者であること、相手には徹に情報を聞き出したい欲があること。それらは徹にとって大きな油断にしか見えない。

「毒手だ!触れるなよ!」

 徹を知る者の方が一方に注意を叫ぶ。徹は距離を詰めてその一方に手を出そうとするが、簡単には捕まってはくれない。

 腕は赤く紋様が輝いている。だから、掴まなくても力は発揮できている。一方の肌の色が変色し、端から見ても異常が起こっているのが視覚的に分かる。その場から動けず、吐血し始めている。

「捕まらずに!?」

 相変わらず口数が多い徹を知る男。喋らずにいられないか、それとも徹の反応を見るためか。だとしたら失敗している。徹の方に口を開く気はない。

 徹の目的はただ一つ。この場から脱出することだ。彼らと戦うことではない。

 だから徹を知る男が距離を取って、出入り口から遠のくなら、徹は無表情に脱出するだけだ。

「な、待て!?」

 お決まりの台詞を背中に受けながら、地下から脱出した。そこから合流地点に向かうまでに何も妨害はなかった。



 結果的に言えば今回のことで即物的に得られたのは戸籍データのみだ。エルレーンの陽動は成功し、彼自身は娘婿との対決を楽しんだようだ。

 徹はといえば、特に感慨はなかった。自らの能力による対人攻撃は効果的だ。近づけば終わり。そんなことに面白みなどない。緊張感はあったが、もはやただの人間相手では緊張感もへったくれもない。

「力あるものの憂鬱とでも言うか」

 世間では道化師事件と呼ばれる日から1日たった後のこと。早朝に閑散とした飛行場から小型航空機で大陸へと戻る一行。ルシカの荷物をカーゴデッキに持ち込みながらエルレーンは徹に言った。徹に手荷物はない。ミストラルはあるものの、持ち運びができる電子機器のみだ。いつ買い物したか分からないが、ルシカの荷物が一番多い。徹としては彼女の荷物の積み込みぐらいやぶさかでない。

「私も自分の策謀の前では大抵のものはゴミだと感じることもあったがな」

 エルレーンが自慢を言って嘆息する。心なしか自嘲しているような感情が見える。

「なかなかどうして。頭で考えたことの通りには上手くいかないものよ。思い通りに成功したのは数えるほどで、ほぼ不確定要素に策を阻まれた。忌々しいことにな。」

 再び嘆息するが、徹には彼が悔しそうには見えなかった。

「考えろ、少年。自分が格下、弱いと思う相手に、足を掬われる時がある。我々邪悪に慢心してはならんのだ。」

「たとえどんな弱い相手がいようと、刃物と銃は怖いが」

 導師の説教に、徹は正直な感想を吐露する。徹は近づけば勝てる。とはいえ、障害物のない平面戦闘で、銃列相手に勝てる道理はない。大陸の天剣組とてそうだ。刃物を振り回されると近づこうにも近づけない。

「まぁ、刃物に関しては何か考えておこう。その両腕や手や指が失われるのは、我々にとって損失だろうしな。」

 荷物の積み込みが終わり、客席へ移動する。操縦するのはエルレーン自身だ。徹には不安だが、だからといって代わってやることはできない。

「庭を整美する奴がいなくなると?」

 徹はエルレーンの心配をそう解釈する。徹にとって導師エルレーンは、今でもそういう意地の悪い嫌な奴だと思っている。だが、徹の思うよりも底意地の悪い導師は首を横に振った。

「確かに存在する生身のものでしか、他者の存在を確かに知覚することはできないのだよ。おっぱいとか?」

 と、彼は言いにくいことを直接言う。歯に衣を着せない。本当にこういう奴である。それだけ気安い関係性なのか。ミストラルが良い話に期待して肩を落としている。

「か、どうかは分からないが、俺も斬られるのは嫌だ」

 徹は未だ手の平でエウロサの体の感触を確かめたことはない。背中に押し付けられたことはある。それはレハールも含めることになるが。

 彼の感想はそれとは違う。今のところ、強制されて土弄りをしているわけではない。自らガーデニングをしている。帰ったら、また何か育ててみようとさえ思っている。

 そのためにも手足は大切にしていかねばならない。

「まもなく離陸いたします。シートベルトをしっかり締めて、前の座席にしっかり御掴まりください。」

 ルシカの芝居掛かった注意喚起。外から響き渡るエンジン音。今日日プロペラ機。大陸に到着するまで持つのか。

「発進!」

 ヤマトまで正規で乗った飛行機とは違う圧倒的な揺れと速度圧が乗客に襲い掛かる。それでも助走をつければ飛行機は飛ぶ。乗り心地はまったく保証しないが。具体的には常に上下の揺れがあり、機体が音を立てているのが乗っていて響いてくるというところだ。

 多分空中分解はしない。そう信じて、今回の作戦よりもよっぽど恐ろしいフライトタイムを過ごすのであった。

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