第二話 旅立ちの朝 -中編-
船底に波が当たるのを眺めながら、ミサヨは接岸中の飛空艇に乗り込んだ。
今朝、
“LS:Black-Lightning”という文字の後に、こう書かれているのが見えた。
カロココ: 思うところあって、パーティを抜けます
最初に気づいたのは、ラカだった。
すぐにリンクスシェル会話や
他のメンバーも集まることになっていた。
飛空艇の客室に入ろうとして、ミサヨはまず室内の壁にもたれかかっているラカを見つけた。
直接会うのはホスティン氷河から戻って以来――五日ぶりだ。
「あ、ラカ。久しぶ――」
そのセリフが、カロココの大きな声に遮られた。
「……ヒューマン族なんて、私たちタルルタ族と違って」
「すぐにシワだらけの、
カロココと、サシェが視界に入ったが、ミサヨはとっさに言葉を出せなかった。
ずっと連絡のなかったサシェがそこにいることに驚いたのはもちろん、カロココの言葉は、かなり前からミサヨの胸の奥に引っ掛かっていたことだからだ。
「……よっ、ミサヨ。思ぉたより早かったなぁ」
ラカの言葉が耳に届き、カロココの顔から血の気が引いた。
ゆっくりと振り返る。
「ミ、ミサ……ヨ……」
「あはは……何の話をしてるの?」
ようやく出てきた言葉は、我ながら間抜けだなとミサヨは思った。
そこへ、ガヤガヤという騒がしさとともに、ジークヴァルトとザヤグ、そしてアンティーナが姿を見せた。
「カーッ。ギリギリ間にあったなッ」
「良かったですわ。ザヤグが忘れ物を取りに戻ると言ったときには、半分諦めていましたもの」
「……すまん」
あまりの空気の変わりように、先客の四人はむしろほっとした。
新たな客三人はカロココがいることを確認し、それからサシェの存在に驚いた。
「サシェ……っ」
ザヤグの太い腕に絡めていた自分の腕をほどくと、アンティーナがサシェの前にやって来た。
近くにいたカロココを、突き飛ばしそうな勢いだ。
「サシェ、聞いてください。私、やっと本当の幸せを見つけましたの」
興奮気味に話すアンティーナの頬は桜色に染まり、目はキラキラと輝いている。
すべてはサシェのおかげだと話すアンティーナの背後で、ザヤグが照れるように視線をそらした。
「お、おめでとう」
「はい。ありがとうございます」
それだけ言うと満足したらしく、すぐにザヤグのそばに戻って行くアンティーナ。
一瞬言葉を失ったカロココは、「もう知らん」とつぶやくと部屋の隅に歩いて行き、怒ったように座りこんだ。
唐突に、波音が止んだ。
飛空艇のエーテルクリスタル機関から、重力制御エネルギーが解放されたのだ。
この一瞬だけは嘘のような静寂が訪れ、自分の息づかいが大きく聞こえる。
すぐに低周波音がヴンと唸った後、ガシュガシュとタービンと歯車が回る音が壁から響いてくる。
やがて、天井からヒュンヒュンと風を切る音が小さく聞こえてきた。
出港の時間が来たのだ。
慣性による身体の揺れなど全く感じさせないまま、飛空艇は水面を滑り、気づいたときには離水したようだった。
「
ミサヨだった。
カロココもね――と付け加える。
皆が客室から出ていき、再びサシェとふたりきりになってしまったカロココ。
居心地の悪さに仕方なく階段を上がると、真横から突き刺す朝陽が甲板を輝かせていた。
***
早朝のジュナ大公国下層区にある酒場は、静かだった。
営業時間が終わった店は閉まっていて、店員も寝静まっている。
以前と変わらないカーテン越しの朝陽が差し込む自分の部屋で、再び歌姫としての生活を始めたばかりのカリリエが目を覚ましていた。
(違うのは、ウイカのベッドが
今頃は、張り切って吟遊詩人の修行に励んでいることだろう。
少し寝グセのついた美しい金髪をかき上げるカリリエ。
それから、昨夜店長からもらった煙草に火をつけた。
生まれてこの方、煙草を吸うのはこれが初めてだ。
歌う者にとってノドに悪い煙草はご
一度吸い込んだだけで、げほげほと咳き込むカリリエ。
目から涙が出た。
「……やっぱり、やめよう、これは」
指の先でつまんだままの煙草から、ゆるゆると煙がのぼっている。
それを眺めながら、五日前のことを思い出していた。
ホスティン氷河からサンドレア王国に帰り着いて、すぐに解散した後。
気がつくと、
サシェの態度はわかりやすくて。
ラテーネ高原で白いパールで話した“今は何も言わないで”というカリリエの言葉――それをずっと気にしていたのだとわかった。
そしてやっぱり、カリリエは繰り返したのだ。
もう何も言わないで――と。
そう……ミサヨはたぶん気づいていないが、カリリエにはとっくにわかっていた。
サシェの気持ちがミサヨに向いていることに。
それでも、自分にもチャンスがあるかもしれないと思っていた。
「ふふ……相手がミサヨじゃなかったら今頃、
エスパドンはカリリエ愛用の片手剣だ。
冗談だったが、自分で言って笑いがこぼれた。
サシェは、はっきりと言った。
カリリエと会う前から、ミサヨのことを好きになっていた――と。
だから彼女は言ってやったのだ。
――どうしてかは、わからないかも知れないけど……絶対に、サシェから告白すると約束して。
ミサヨは自分から告白できないだろうとカリリエは思っていた。
カリリエ自身も、アンティーナの発言がなければ、自分からするつもりはなかった。
種族間の恋愛は、そんなに簡単なものじゃない。
特に、タルルタ族の男とヒューマン族の女の組合せは皆無に等しい。
――私たち、変人かもしれない。
ウィンダム連邦に向かう飛空艇で、ミサヨと笑いあったことを思い出す。
それは趣味の問題だけではないのだ。
タルルタ族は、成人を迎えると外見的な老化が止まる。
他種族からは子どもにしか見えない姿のまま、年齢だけを重ねていく。
それはかまわない……タルルタ族にとっては、それがあたりまえだ。
だが、ヒューマン族の女は……確実に老けていく……。
若いままの恋人を前に、それに耐える決意は容易ではない。
ましてや、そんな自分と付き合ってくれと言い出せるミサヨではないだろう。
「わかった……約束する」
たしかにサシェは、そう言い切った。
それを聞いたカリリエは、翌日の便でジュナ大公国へ飛んだ。
「あ~あ、いつか私にも、サシェくらい好きになれる相思相愛の相手が現れるのかな~?」
灰を落とした煙草をもう一度口に運んで、再びカリリエはむせた。
目から涙が出ている。
それから小皿にぐりぐりと煙草を押し付けて、火を消しながら唸った。
「……もう絶対に、煙草は吸わない」
顔を伏せたカリリエの肩が震えていた。
***
ブエっくしゅッ――と、甲板で派手なクシャミをしたのはジークヴァルトだった。
「風邪か~? バカは風邪をひかないって言うけど」
いつものツッコミを取り戻したカロココに、ジークヴァルトが反論した。
「違ァう。コレは、ソジエ遺跡での俺の活躍に見惚れた歌姫が、俺の噂をしているに違いないッ」
やれやれ、ありえないよ――という気持ちを、無言のジェスチャーで示すカロココ。
「クソ~」
とにかく――と、悔しそうにジークヴァルトは話を続けた。
「さっきも言ったように、
もうわかったから――と、カロココとラカが頷いた。
「……なンだヨ、少しは引き止めようとか、思わないワケ?」
「……引き止めて欲しいわけ?」
ニヤリと笑うカロココ。
ジークヴァルトの瞳が真剣さを取り戻した。
「イヤ……俺は、自分を鍛え直すと決めた。色ンなパーティを渡り歩いて……歌姫にふさわしい男になって帰ってくる」
「……二十年後くらいかね?」
ラカの言葉に、力を落とすジークヴァルト。
「そ……そンなにかかるかな。五年くらいのつもりなンですケド……」
「ジークはいい男になるよ……私が保証する。ラカとカロココも、本当はそう思ってるんでしょ?」
ミサヨの笑顔を見て、ラカとカロココも素直に認めた。
「まぁね。ちぃとばかし楽しみしてる」
「ちょっとだけね」
何も言えなくなってしまったジークヴァルトが、顔を赤くしている。
もう一度微笑んでから、ミサヨは話を進めることにした。
「カロココも戻る気はないって言うし、ザヤグはアンティーナとジュナ大公国で商売を始めるって言うし」
ふぅ――とミサヨがため息をついて、ラカのほうを見た。
「どうしようね、ラカ。
「話て、そないなことやったんか……そやなぁ……」
しばらく考え込んだラカが口を開いた。
「……解散しよか。パールも割ろ」
「そのほうが、
あっさりと結論を出したラカとミサヨに、ジークヴァルトが動揺した。
「エ……解散しちゃうの?」
「ウチ、まずウィンダム連邦の彼女んとこでも遊びに行くわ」
たった今思いついたように話すラカ。
「カロココも浮気あきらめて、ウィンダム連邦のダンナんとこ戻る言うてるしな」
「アー、あの弱ッチそうな裁縫職人の……て、浮気?」
言い終わらないうちにカロココの鉄拳が、ジークヴァルトの顔を吹き飛ばした。
「あの人は心が強くて、優しいの。あんたの二億倍くらい」
「ハイ……すいましぇン……」
甲板を笑いが包んだ。
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