最終章 飛空艇乗り場
第一話 旅立ちの朝 -前編-
サンドレア王国は、冬を迎えようとしている。
日の出前でまだ薄暗い早朝の港は、冷え込みが厳しかった。
港内の免税店はすでに開店しているものの、
丸々と太った年配の店主がタルルタ族の冒険者を見つけ、白い息を吐いた。
「おっ、サシェさんじゃないの。どう、これ。サンドレア王国土産に買ってかない?」
すぐに近寄ってきたサシェが、笑顔で答えた。
「上物ワイン百本か。よし、買おう」
「あっはっは。あいかわらず、気持ちのいいお客さんだ」
荷積みまで頼んでから、さびしいコイン袋の中を覗く。
所持金がほぼゼロになったことを確認し、苦笑いを浮かべるサシェ。
ここ二か月の間に引き受けた依頼と言えば、ホノイコモイからのクルエルサイズ入手だけだった。
それは情報とアイテムが報酬だったので、
さらにこの三日間はいろいろな準備の費用がかさんだ上に、昨夜作った合成品の材料代がとどめになっていた。
(それも、このワインをジュナ大公国で売るまでの辛抱だ)
港に巨大な木箱がないことを確認するサシェを、遠くから呼ぶ声が聞こえた。
***
見上げると、高い段差の上にレウヴァーン族の少年が立っていた。
接岸する飛空艇を見下ろせる、見送り客のためにあるような高台だ。
「サシェ、挨拶なしで行くなんて酷いぞ。礼儀を知らない冒険者は、ただの荒くれ者だぞ」
「アイル、見送りに来てくれたのか。よくわかったな」
驚くサシェの顔を見て、得意気なアイルナーシュ。
「へへ……驚くのは、まだ早いぜ」
少年が、自分が立つ段差の端に誰かを呼び寄せた。
緊張気味な姿を見せたのは、栗色の髪を揺らすヒューマン族の少女だ。
少女は自分の足でしっかりと立っている。
サシェは胸にジンと来るものを感じ、目を細めた。
ホスティン氷河から戻って疲れきっていたサシェは、一度もリタ家に顔を出さないままだった。
「サシェさん。私、一年後にアイルと冒険に出ます。がんばって、たくさん稼いで……」
声が震えている。
「一生かけて、報酬をお支払いします。ありがとうございました」
必死に話す少女の瞳から、感謝の涙がこぼれていた。
うつむいてぽりぽりと頭をかくサシェ。
それからサシェは左の頬を少女に向け、指でトントンと軽く叩いた。
「大きな冒険の報酬は、お姫様のキスで頼むよ、マリィ。今度会ったときに、ここにね」
真っ赤になった頬に両手を当てるマルガレーテ。
その横で、アイルが慌てた。
「ばっ、ばか、サシェ、なに言ってんだ」
「その後は自分のために生きるんだ、マリィ。楽しい冒険生活を祈ってるよ」
両手で顔を覆ったまま、何度も頷くマリィ。
不機嫌になったアイルに、サシェが笑って手を振った。
「アイル、ちょうど良かった。この後、飛空艇公社で宅配を頼むつもりだったんだ」
そう言って、かばんから出した細長い包みを段差の上に投げた。
それを上手にキャッチするアイル。
「何だよサシェ、ぼくは宅配屋じゃないぞ」
「受取人を見てくれよ」
言われるままに宛先を確認するアイルナーシュ。
宛名はアイルナーシュになっている。
「二日遅れだけど、誕生日おめでとう、アイル。昨夜合成したばかりの新品だ」
アイルの表情がぱっと輝いた。
断りもせず、包みを破き始める。
出てきたのは――。
「す……げーっ。アルシオンロッドだ。うぉ、サシェの銘も入ってるっ」
上等な釣り竿を見て、跳び上がって喜ぶアイル。
横ではマリィがくすくすと笑っている。
さらにベイルローシュとリタが姿を見せ、段差の上からサシェと挨拶を交わした。
化粧に時間をかけすぎなんだよ……とアイルがぶつぶつ言ったが、リタは以前とは別人のように生き生きとした顔をしている。
必要がなくなった白絹の衣は、
式は挙げないもののふたりが結婚するという、めでたい報告を受けた。
少し間を置いてから、ベイルローシュが申し訳なさそうに言った。
「サシェ殿の活躍は本来、このサンドレア王国においてランク10として登録されていいくらいのものです。報酬も、あってしかるべき――」
「あはは、そんなわけないじゃないですか」
サシェの明るい声に、ベイルローシュが面食らった。
「いや、しかしですな、もしサシェ殿が聖剣を手に入れたベッケルを倒していなければ、この国は今頃――」
いいんですよ――と、微笑むサシェ。
「冒険者が、ひとつの依頼を達成しただけです――
サシェの満足げな笑顔を見て、ベイルローシュはそれ以上の言葉を控えた。
「国王様の耳にもサシェ殿の活躍は届いています。何かあれば、王立騎士団があなたのために動きますぞ」
「ありがとうございます」
素直にそう言うと、サシェは手を振って四人に別れを告げ、入港したばかりの飛空艇に乗り込んだ。
***
机も椅子もない、ただ広いだけの四角い客室に、サシェだけが立っていた。
出港までまだまだ時間があるため、いつものように壁の航路地図を眺めている。
……そこに、ひとりの女性客が現れた。
「お、おす、久しぶり」
いきなり声をかけられ、驚いて振り向くサシェ。
立っていたのは、サシェと同じタルルタ族のカロココだった。
なぜか目を合わせようとせず、頬が赤い。
「おはよう、久しぶり。偶然だね、カロココさんもジュナ大公国に?」
「う……うん、まぁ……」
どうも、いつものクールなカロココらしくなかった。
緊張しているようにも見える。
サシェはその理由を思いつかないまま、会話を続けた。
「あぁ、えっと、ごめん。結局、ミニブレイクはちゃんと解散宣言をしないままで。でも目的は果たせたし、自然消滅でいいかなというか……」
正直に言えば、リーダーの責務から逃げただけだ。
ひとつの冒険が終わっても、皆と繋がっている気分でいたかったのだ。
実際のところは何を話題にしていいのかわからず、サンドレア王国に戻ってからメンバーの誰とも会話をしていなかった。
「……ちゃんと解散宣言をチョーカーに残しておくよ。誰かが付けたときのために」
チョーカーについているリンクスパールには、ひとつだけメッセージを残せる機能が備わっている。
パールに意識を集中した者に、リンクスシェル名と一緒に短い文字列を見せることができるのだ。
「そっか。リーダー……サシェは、
「ないよ」
きっぱりと言った。
「みんなのことは信頼してるし、好きだよ。ただ、またしばらくひとりでのんびり冒険したい気分なんだ。地味に依頼をこなしたりしてね」
「……うん、そうだと思った」
どうもカロココさんの反応が鈍い――と、サシェが思っていると、いきなり彼女が顔を上げた。
「あのね、私、実は
その声を遮るように、いきなり客室に大声が響いた。
「こらーっ、カロココっ。いきなり
びくっと反応したカロココが振り向くと、客室入口で息を切らせたミラス族の女性が立っていた。
「ラ、ラカっ?」
「パール外すわ、テル受け付けんわで、ここまで走って来た。……て、サシェはん?」
カロココの隣にサシェがいることに驚いて、ラカが指をさす。
しばらくの間――。
サシェは、自分が何か話していいものかどうか迷っていた。
「は、はーん」
ラカの顔付きが変わった。
何もかも、わかったような顔をしている。
「……アンタら、いつの間ぁに、デキとったんや」
「え」
「ば……違っ」
顔を真っ赤にして、突き出した両手を振るカロココ。
「え……ちゃうのん?」
無邪気に首をかしげるラカ。
「……なら、何なん?」
頭の上にある猫そっくりの耳が、興味深げにピコピコと動いている。
「う……あ……」
顔を赤くしたまま答えないカロココを見て、ラカがため息をついた。
壁に身体をあずけ、腕組みをする。
「ゆーとくけど……もうすぐ、ミサヨたちも来るで?」
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