第九話 心奥の裂傷 -前編-
「鉄の塊は、どうやって外したんだ? 最後の指輪は俺に使ってしまったんだろう?」
呪いの指輪で自分が蘇ったことを聞いたザヤグの質問だった。
たしかに今のアンティーナは、二本の足でしっかりと床に立っている。
アンティーナを壁の下から押し出したときに無理な力がかかり、彼女の二本の足が骨折したことをザヤグは感じていた。
だがそれは、サシェの白魔法〈
欠損した肉体の再生まではできないものの、時間をかければ治癒するような傷や骨折くらいなら、〈
しかしあの鉄の塊を外すのに、白魔法は役に立たない……。
衰弱状態で座ったままのガドカ族の男に、サシェが微笑んだ。
「リスクが高くて試していないから、はっきりしたことは言えないけど……」
リスクというのは、指輪の効果がランダムに発動してしまうことだ。
サシェは先に指輪のことを話した。
「呪いの指輪では、あの鉄の塊を外せなかったと思う」
呪いの指輪は、万能ではない。
少なくとも、指輪をはめる指が残っていなければならないだろう。
壁が落ちるとき、ザヤグはアンティーナを押し出した。
そのとき壁の外に出た左腕が残っていたからこそ、指輪をはめることができたのだ。
「指輪が作られた目的と、今までに見た効果から考えると……指輪の力が及ぶのは、人の身体だけという気がするんだ」
そう考えると、指輪という形態は実に都合がいい。
呪文の中に個人を特定する複雑なフレーズを含めなくても、指にはめることで対象者を確定できるからだ。
説明を続けるサシェ。
「あの鉄の塊はアンティーナの足を溶かして融合していたわけじゃなくて、固定していただけだった。身体の外側にある物質にまでは、指輪の効果は及ばない――ザヤグさんの服が戻らなかったように……」
「なるほど……じゃあ、どうやってあの塊を外したんだ?」
ニヤリと笑うサシェ。
「アンティーナに聞いたんだ。どうやって塊を付けられたのかを。それを聞いたら答えは簡単だった」
ザヤグが視線を向けると、アンティーナは照れるように話した。
「ベッケルの部下のひとりが、鍛冶の合成職人だったのですわ」
アイアンインゴット四個を材料にして、炎のエーテルクリスタルで合成したのがあの鉄の塊だという。
アンティーナがブレソール卿の別邸で頭に詰め込んでいた合成の知識の中に、そんなレシピはなかった。
そもそも人体の一部を覆うように形成する合成など聞いたことがなかったし、アンティーナ自身がまともな精神状態ではなかった。
だから二度と外せないとばかり思い込んでいたのだが……。
「でもサシェに話したら、他の多くの合成品と同様に“分解”できるだろうって言うんですの」
分解とは、合成した品から元の素材の一部を復元することだ。
雷のエーテルクリスタルを使う。
「しかし、サシェは錬金術合成の師範だろう? 何かの合成の師範ともなると、他の合成術にも精通しているものだとは聞くが……鍛冶合成も習得していたのか?」
「まあね。錬金術以外の合成――鍛冶に彫金、裁縫、木工、革細工、骨細工、調理まで――全部、スキルは60ある。ご用命があれば、いつでも対応するよ」
ヒュウと口笛を吹いたのはカリリエだった。
「サシェって……本当に合成のスペシャリストなんだねぇ」
スキル60とは、ひとつの合成スキルを100まで極めた職人が、他の合成で到達できる限界いっぱいのスキルである。
照れるように顔をそむけるサシェに、かまわずカリリエが言った。
「でも良かったよね、成功して。分解って、いくらスキルが高くても失敗する確率が高いって聞いたことがあるから」
床には、分解に成功した証のアイアンインゴットが一個、転がっている。
「いや失敗しても良かったんだ、今回の場合は。成功でも失敗でも、元のアイテムが消失するのが、“分解”だからね」
なるほど――と感心するカリリエの反応が大げさだったので、サシェがまた照れた。
実際には失敗しても消失しないことがあるのだが、もう一度トライすれば済む話である。
「さて……」
サシェが、リフトがある吹き抜けの空間のほうを見て黙った。
そちらから差し込む光が、静かにサシェの顔を照らしている。
「俺は行くよ。ベッケルとは……決着をつけなければいけないから」
その引き締まった表情は、これからの闘いに対する覚悟を語っていた。
「それは私も同じだよ、サシェ」
ミサヨだった。
ベッケルに付けさせられた呪いの指輪のせいで、
ベッケルが姪のマリィを殺そうとしたことも忘れてはいない。
そして、サシェやミサヨ以上に決着を望む者がいた。
「私も行きますわ。これからの……人生のために……」
サシェは振り向いて、ミサヨとアンティーナの顔を見た。
ベッケルには、カーバンクルの聖剣と霊獣ディアボロスの協力がある。
生きて帰れる保障はどこにもない。
(いや……可能性は、ゼロに近いだろう……)
大切な仲間をそんな死地へ付き合わせることが、正しいと言えるのか……?
あるいは……。
その答えは、彼女たちの表情にあった。
決意するサシェ。
「……よし、行こう」
自分の人生は自分で決める――その決意を、ただ受け止めた。
カリリエだけがとまどっていた。
いつもなら真っ先に飛び出すはずの彼女が動けないでいるのは、座りこんでいるザヤグを見捨てて行けないからだ。
自分のそばを動けずにいる娘に、ザヤグが声をかけた。
「衰弱している俺は、一緒に行っても邪魔なだけだ。心配するな……魔力が回復したら〈
「私は……」
ザヤグが大きな腕を伸ばして、まるで幼女をあやすようにカリリエの金髪をなでた。
「正直に言えば、おまえにもアンティーナにも……いや、皆に行って欲しくはない。だが……おまえはもう一人前だ……行かなければ一生後悔するとわかっている娘の背中を押すのも……親の役目だろう」
「お……父さん……」
ザヤグに抱きつき、涙を浮かべるカリリエ。
しばらくして落ち着いた彼女は、ゆっくりとザヤグから離れた。
振り返ると、サシェとミサヨの並んだ背中が見える。
「あのね……何もかも終わって帰ったら……私、すごく落ち込んでいることがあると思う……また泣いているかもしれないけど……」
「おまえが強くなる節目にかかわれるなら……それは親として嬉しいことでもある」
自分の気持ちを見透かされたように感じたカリリエが、顔を赤くした。
「それから――」
少し間をおいてから、カリリエの言葉が続いた。
「呪いの指輪が外れて、思い出したことがあるの。四歳で、指輪をはめるまでの……記憶」
「――なに?」
ザヤグの表情が変わった。
「指輪のせいで私が失っていたのは、記憶だったんだ。おかげで十五年も前のことなのに……鮮明に思い出せる」
「…………」
動揺するザヤグに、カリリエが微笑んだ。
「孤児だった私を拾ったって……嘘だったんだね。まあ、ちょっと恐い記憶だけど……でも大丈夫。平気だよ、私は」
行ってくる――そう言って立ち去る娘を、ザヤグは複雑な心境で見送った。
(生きて、帰って来てくれ。他に何も、望みはしない……)
遠くでリフトが降り、小さく見えていた四人の姿が消えた。
***
雪が舞う夜のホスティン氷河――その中心に位置するソジエ遺跡・中央塔の地下。
リフトに乗って最下層に向かうのは、ヒューマン族の女性であるミサヨ、カリリエ、アンティーナの三人と、タルルタ族の男サシェ。
ゆっくりと降りていくリフトの上で、サシェが首のチョーカーに埋められたパールに意識を集中した。
サシェ: みんなのおかげで、アンティーナを取り戻すことができた
ミニブレイクのメンバーに向けたリンクスシェル会話である。
落とされた壁の手前ではザヤグが、壁の向こうではジークヴァルト、カロココ、ラカが、サシェの言葉を聞いていた。
サシェのすぐ横にいるミサヨとカリリエにも届いているが、チョーカーを奪われたアンティーナには聞こえない。
サシェ: 今頃マリィにも、ミサヨによる呪文詠唱済みの指輪が届けられたはずだ
誰も口を挟まず、静かにサシェの声を聞いている。
少し間をおいてから、サシェははっきりと言った。
サシェ: これをもって、ミニブレイクを解散しようと思う
ミサヨとカリリエが、同時にサシェを見つめた。
なぜ今、そんな話をするのかがわからない。
ジークヴァルト: ソレはおかしいゼ、リーダー
カロココ: そうだよ、リーダー
異をとなえたふたりは、同じことを言った。
ミニブレイクの誓いの言葉には、“生きて帰る”が含まれていたはずだ。まだ誰も、サンドレア王国に帰っていないじゃないか――と。
その時点で、ようやくミサヨがサシェの意図を理解した。
「ずるいね、サシェ」
「まぁね」
サシェが頭をぽりぽりと掻いた。
これでサンドレア王国に向かい、完治したマリィの姿を確認すれば、ミニブレイクの目的は達成されたと言えるだろう。
だが今リフトに乗る四人は、寄り道をしようとしている。
……生きて帰れるかどうか、わからない寄り道を。
サシェ: 生きて帰るつもりでいるさ……今もね。ただ……
ただ、これからの闘いに集中したい。
そして敗れた場合、闘いに参加できず待つだけの仲間に、死の実況中継をして悔しい思いをさせたくない――というのも本音だ。
だが、やはりこれは、ずるい言い訳だろう。
サシェ: ベッケルが――
サシェは、もうひとつの理由を言うことにした。
サシェ: アンティーナから奪ったチョーカーを持っている。リンクスシェル会話はこれで最後にしたいから……少し早いけど、解散しようと思う
しばしの沈黙。
そしてラカが、見透かしたようにはっきりと言った。
ラカ・マイノーム: リンクスシェル会話は、最後でええわ。けどな……解散は、皆で顔合わせてがええ
ミサヨがサシェの顔を見て微笑んでいる。
ラカの答えが、予想通りだったのだろう。
ラカ・マイノーム: ……生きて帰って来ぃや、四人とも
その言葉でサシェは気づいた。
ラカたちは、闘いの結末を見届けるつもりだ。
もちろん、生きて戻ることを望んでくれている。
だが、戻らなくても――その事実を受け止めるつもりでいるのだ。
仲間が泣いていると駆けつけるのは、傷を舐めあうためじゃない。
仲間が自分で自分に決着をつける大切な日に、送り出すため。
(優しくて……厳しいものなんだな、仲間っていうのは……)
サシェ: わかった。じゃあ、リンクスシェル会話での最後の指示を出すから聞いて
カリリエがリンクスシェル会話の内容をアンティーナに説明しているのを見ながら、サシュは指示を出した。
ザヤグは衰弱状態から回復したら〈
移動魔法を使えないジークヴァルト、カロココ、ラカは、ベイルローシュさんたちと一緒に地上に戻り、キャンプを張っている従騎士たちと合流すること。
そして――。
……サシェたちが戻らなくても、朝になったらサンドレア王国に戻ること。
皆の同意を確認して、サシェは最後の言葉を伝えた。
サシェ: チョーカーを外すよ……またね
リフトが、静かに最下層に到着した。
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