第十話 心奥の裂傷 -後編-
最下層には誰も、魔物さえもいなかった。
「最下層が、霊獣ディアボロスの棲家って言ってなかったっけ?」
やや緊張したカリリエの言葉に、サシェが静かに答えた。
「正確には、この正面の通路の先だよ。T字路になっていて右は行き止まり、左が霊獣ディアボロスの部屋に続いてる」
たぶん――とミサヨがつぶやいた。
「ベッケルはその部屋に向かったんだろうね」
「だと思う」
同意したサシェの脳裏に、昨夜見たディアボロスの夢が蘇った。
暗闇で囲まれた赤く広い空間。
そこにいるサシェを、空中から見おろす異形の者……。
神経を不快にする声……。
夢の霊獣ディアボロスはたしかに言った。
――その者ハ 私ガ 与えてやったチカラ…… 心弱き者への精神支配力だけデハ 満足でキズ…… 別の霊獣ノ 力をも得よウト この地に来てイル…… 私が棲むこの地ヘ……
別の霊獣の力とは、“カーバンクルの聖剣”で間違いない。
その威力は未だに謎のままだ。
ふと我に帰ると、サシェの目の前に大きな石の門があった。
カリリエが門をこぶしで叩いている。
「もう……。開かないよ、この扉。中からカギでもかけてるんじゃないの?」
いつの間にか、通路の行き止まりまでたどり着いていたのだ。
「……待って」
慌ててカリリエを止めると、腰の小物入れをまさぐるサシェ。
「あった……三人とも、これを」
サシェが取り出したのは、三枚のサーメット製の札だ。
それを一枚ずつ配る。
受け取ったアンティーナが首をかしげた。
「何ですの、これは?」
「クルエルサイズの報酬だよ。ウィンダム連邦で、ホノイコモイ氏からもらったんだ」
カリリエが顔をしかめた。
あの傲慢な金持ちオジーチャンか――と、はっきり声に出して言うところは、さすがカリリエだ。
ホノイコモイの言葉を思い出すサシェ。
――おまえは物好きだなサシェカシェ。それが必要な場所に行って、生きて帰れると思っているのか?
(まさか、こんなに早く使うことになるとはね)
ニヤリと笑うサシェ。
すべての流れが運命のように感じられるから不思議だ。
かばんの中から、自分用の札も取り出した。
「これは、ソジエ識別札。ほら……ついて来て」
そう言いながら、サシェが門に踏み込んだ。
閉まっている扉に、サシェの身体が吸い込まれる。
「なるほどね」
そう言ってカリリエが入り、ミサヨとアンティーナが続いた。
こうして、あっさりと門の中に入って行った四人。
彼らを待ち受けていたのは、ぬかりないベッケルの攻撃だった。
***
「……ぐ、……はっ」
開いた口から唾液が飛んだ。
全身をブルブルと震わせ、がくりと片ヒザをつくサシェ。
……いきなりだった。
ソジエ識別札を使って石の門をすり抜けた途端の出来事だ。
斬られたわけでも、撃たれたわけでもない。
何か目に見えない
痛みはない。
ただ、とてつもなく不快な感覚に、手足の先まで
そして。
ある思い出が。
四年も前の出来事が。
信じられない鮮明さで、記憶の地層から掘り起こされた。
「あ……あ………、カサ……ネ……ネ……」
震えながら倒れ、地面に両手をつくサシェ。
目の焦点が定まらない。
混乱するサシェに、慈愛に満ちた優しい声が届いた。
(サシェ……可哀想な男よ……)
誰の声か思い出せない。
だがその言葉を聞いた途端、サシェの両目から涙が溢れたのだった。
(貴様が仲間を作らず、ずっとひとりでいたのも無理はない)
男の声だ。
(心の底から他人を信頼することができなくなった理由が、俺にはよくわかる)
サシェは、涙を流し続けている。
ずっと、ひとりで苦しんでいたことだ。
誰にも話すことができなかった。
(どうして貴様が、他人の子どものために必死になるのか……その本当のワケも……)
「ああ……カサネネ……どうして…………」
独り言のように、つぶやくサシェ。
(貴様は……うらやましかったのだろう……)
「……どうして、俺を……裏切ったんだ………」
地面に置かれたサシェの手が、握りこぶしに変わっていた。
(自分の子を持つ親が……うらやましかったのだろう?)
「…………」
(貴様が子どもに優しいのは……子どものためじゃない……)
その声は、何もかも知っているかのように、断言した。
(……自分の子を不幸にしている親を、許せないからだ)
無言になったサシェに、たたみかけるように言葉を重ねるのはベッケルだった。
(憎いだろうな……自分を裏切った女が……)
その声は、どこまでも深く優しい……。
(貴様の気持ちはよくわかる……事故死でなければ、自分で殺していたのだろう?)
***
「ごめんなさい、ごめんなさ……」
サシェの横で、カリリエが泣き叫んでいた。
地面に横たわり両腕で自分の身体を抱きしめ、ヒザを曲げて赤ん坊のように丸まっている。
「おとうさま、おかあさま、カリリエはいいコです。どうして……」
つぶやくような泣き声のため、聞き取りにくい。
がくがくと身体を震わせるカリリエ。
「……やだっ……やめて……わたしを、ダンロになげこまないで……」
その後方ではミサヨが両ヒザを立てて座り、ヒザを抱える腕の中に顔を埋めていた。
「やめて……誰か……兄さんを助けて……」
ミサヨも泣き声だった。
「あ……あ……腕を離して……優しい兄さんなの……私の大切な人なの……やめて……なぶり殺しにしないで……」
ミサヨの横にはアンティーナがいた。
「………」
立ったまま自分を抱きしめ、うつむいて歯を喰いしばっている。
泣いてはいない。
アンティーナの閉じられた瞳には、今は亡き兄たちと姉の姿が見えている。
誰も近づかないラテーネ高原の谷底に立つベッケルの部下とアンティーナ。
プルガノルガ島のヌシであるシェンを捕獲した数日後だ。
その目の前で、兄たちと姉が谷底にある洞窟に姿を消した。
ベッケルの部下に命じられるままに……。
その部下が、アンティーナから取り上げた白いリンクスパールに何かを伝えたようだった。
その直後、洞窟内からすさまじい爆音が響き、爆風が噴き出した――。
……五人分の穿甲蟲が爆発したのだ。
顔を上げ、両目をゆっくりと開けるアンティーナ。
ここはソジエ遺跡・中央塔の地下――ディアボロスが棲むと言われる場所。
目の前には、むき出しになった地面に座りこむミサヨ、横たわるカリリエ、うずくまるサシェがいた。
その先は天然の洞窟になっており、奥から赤い光が漏れている……。
赤い光を背後から受けて立っているのは、アゴをやや突き出すようにしてこちらを見ているレウヴァーン族の男。
二本の指で挟むように口ひげを撫でている。
「無駄……ですわ……私には……あなたの精神支配攻撃など……」
絞り出すようなアンティーナの言葉を聞いて、ベッケルは口ひげを触るのをやめた。
「さすが、特殊部隊としての訓練を積んできただけのことはあるな、アンティーナ……だが……」
いくら貴様でも、意識を保つのが精一杯だろう――それがベッケルの余裕の言葉だった。
「貴様は特別だ。だが、一緒に来た者たちはどうかな? 霊獣ディアボロスから最初にもらったこの
ふらふらと遊んでいる冒険者では、
(信じたくありません……サシェやカリリエやミサヨが、ベッケルに忠誠を誓うはずがありません……そんな姿など……見たくありませんわ)
アンティーナの目に涙が浮かんだ。
蘇るのは、サシェの笑顔……カリリエの笑顔……ミサヨの笑顔……。
(皆さんで、私を助けに来てくれました……無事を喜んでくれました……)
涙がスジとなって頬を伝った。
「どうして動かないのですか……私の身体…………あんなに……訓練しましたのに……」
悔しさと絶望が、アンティーナを包む。
ベッケルの精神支配能力は霊獣ディアボロスの力の一部――それは想像以上に強力だった。
「ベッケル……おまえは何も、わかっちゃいない」
聞きなれた声に、ハッとして顔を上げるアンティーナ。
目の前で立ち上がる小さな影は……。
「サ……シェ……?」
立ち上がったサシェの視線は、真っ直ぐにベッケルを貫いている。
その左手では、呪いの指輪がかすかな青い光を
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