第四話 仲間の定義 -後編-



「あなたはダメよ、カリリエ」


 止めたミサヨは、カリリエの顔を見てハッとした。

 ……カリリエの目に、涙が浮かんでいる。


「何よ、ふたりだけわかったような顔をして。私だって、アンティーナが心配なんだから」


 いつもと違う様子のカリリエに少し驚き……そしてミサヨは気づいた。

 カリリエの目にはアンティーナへの心配とともに、ミサヨへの嫉妬の色が浮かんでいた。


(アンティーナが消えてサシェは最初に私に声をかけた……それは信頼の証……)


 そのことを喜んでいた自分にミサヨは気づいた。

 カリリエはそれを鋭く感じ取っていたのだ。


(違うよ、カリリエ。サシェが私に声をかけたのは――)


 サシェは〈脱出エスケープ〉の長い詠唱に集中していて、周りの会話は聞こえていない。

 ミサヨは少し動揺しながら、ゆっくりと答えた。


「それは……ラテーネ高原の谷底でサシェを見つけたのが、たまたま私で……その帰り道に、サシェの考えを聞いていたから……」


 説明するには時間が足りないと思った。

 今考えるべきはマリィを救うことと、アンティーナを助けること。


 マリィの件を急ぐことはもちろん、アンティーナも一度見失ったらいつ助けられるかわからない。

 どちらも急を要するのだ……それを両立するには、二手に分かれるしかない。


 そして、ここに残る者はマリィを救うアイテムの入手方法について見当がついていなければならず、アンティーナを追う者はレベルが高いほうがいい。


 アイテムの入手方法についてサシェから話を聞いているのは、現時点でミサヨだけだった。

 ミサヨはラテーネ高原の谷底でサシェと再会し、谷底を抜け出すまでの間に霊獣カーバンクルが残した言葉と、その解釈についてサシェから聞いている。


 だからふたりの結論は一致していた。

 レベル1のミサヨがアイテムを入手し、レベル75のサシェがアンティーナを追う――と。


 ミサヨが落ち着きを取り戻した。


「とにかくカリリエは残って。理由は説明するから」

「でも……っ」


 なお抗議しようとするカリリエの肩に、手を置く者がいた。


「冷静になれヨ、歌姫。こんなときに一番信頼できるのがミサヨだって、歌姫が一番よく知ってるだろ?」


 真面目な顔で見つめるジークヴァルト。

 気持ちが高ぶっているカリリエに対し、ジークヴァルトだけでなくラカやカロココも落ち着きを取り戻していた。


 ミサヨが迷いのない表情を見せているからだ。

 若いミサヨが黒き雷光団ブラックライトニングのリーダーとして認められている理由のひとつを、カリリエは思い出した。


 そんなやり取りの間に、異空間に消えるサシェ。

 カリリエは大きなため息をひとつついて、それからミサヨを見つめなおした。


「……いつもそうだね。私が怒っていて、ミサヨが止めるの」

「……そうだね。ウィンダム連邦で、サシェがひとりで行動するって言ったときもそうだった」


 ミサヨの返事に、カリリエが微笑んだ。


「今回も何か考えがあるのかな? サシェには内緒にしている考えが」

「もちろん」


 ふっと笑みを交わすふたりは、いつも通りのふたりだった。

 危険も、喜びも、哀しみも、成功も――二年間の冒険を共有し、その後も一番仲のいい親友。


 サシェはどちらかを選ぶかもしれないし、ふたりとは違う人を選ぶかもしれない。

 どちらかを選んだとき、素直に祝福できるかどうかはふたりともわからない。


 ただ、今は……、自分勝手だけど頼りになる――そんなタルルタ族への片想いを共有するふたりに違いなかった。





  ***





 白い雪原に白い雪が舞っている……。

 〈脱出エスケープ〉によってソジエ遺跡の外に姿を見せたサシェは、いつの間にか雪が降り始めていたことを知った。


 雪の上には消えかかった足跡があり、南へ続いている。

 低い声がサシェに尋ねた。


「どこへ向かったと思う?」

「わからない……とにかく追おう」


 考えるよりも、ベッケルたちの足跡が消える前に追ったほうがいいだろうとサシェは思った。


 サシェと一緒に地上に姿を現した者も納得したようだ。

 走り出すサシェに、遅れないように駆け出した。


 その大きな影は、ガドカ族のザヤグ。

 サシェがリーダーをミサヨに譲ってから仲間を見渡したとき、ザヤグだけが心を決めた顔をしていた。


 サシェが思った通り、彼だけは〈脱出エスケープ〉する自分について来た。




 走りながら、サシェはカリリエの話を思い返していた。

 ショコルで移動しながらアンティーナと三人で話したとき、彼女はたしかにアンティーナに言った。



 ――背中に大きな……アザがない?


 ――ザヤグがね……あるんじゃないかって言ってたの



「ザヤグさんは、過去にアンティーナに会ったことが……?」

「いや、一度もない」


 いきなりのサシェの質問に驚く様子もなく、無表情のまま答えるザヤグ。

 だが出会ったばかりの仲間に対する心配にしては、かなり思いつめた様子に感じられる。


 ……長い沈黙の後、おもむろにザヤグが口を開いた。


「……俺の年齢の話をしたことがあったか?」

「いえ……」


 いきなりの場違いな話題にとまどったが、サシェは黙って話の続きを待った。

 ふたりが雪を踏みしめる音だけが延々と続く……。


 ふとサシェは思い出した。

 世界にいる五種族……ヒューマン族、レウヴァーン族、タルルタ族、ミラス族、ガドカ族のうち、ガドカ族だけが際立って長寿だ。


 他の種族の平均寿命は、だいたい七、八十歳程度……一番長いレウヴァーン族でさえ、百歳前後のはずだ。

 だがガドカ族は、二百歳を超える者さえ珍しくない。


 さらに言えば、ガドカ族にだけ女性が存在しない。

 異種族間での婚姻は認められているが、生まれる子どもは母親と同じ種族になることがわかっている。


 つまりガドカ族は、異種族との交配で種族を維持しているわけでもない。


 彼らは――“転生”によって続いている特別な種族なのだ。


「ミサヨたちには四十一歳と言っているが、それは気安く話すためでな……本当は、百四十一歳だ」

「…………」


 百四十一歳と言われてもピンと来ないサシェ。

 そしてやはりこのガドカ族の白魔道士が、何を話そうとしているのかわからなかった。


 走りながら会話を続けていれば、いずれはザヤグの話が見えてきたのかもしれない。

 だがその前に、足跡の続く先がついにわかった。


 ちょうど日没の時刻がすぎ、空を流れる雪雲が一気に暗くなりはじめている。

 ……足跡を目で追えるぎりぎりの時間だった。


 ベッケルと二人の部下、そしてアンティーナの四人の足跡は、ソジエ遺跡の別の塔――中央塔の入口に続いていた。

 ホスティン氷河のど真ん中にある塔である。


 それを目にしたサシェの口から、思わず言葉が漏れた。


「ここは……」

「どうかしたのか?」


 ザヤグとの会話に集中して忘れていたことを、サシェは今になって思い出した。

 ここは、よく考えれば予想できた場所のひとつだった。


 なぜならこの塔の地下、その最下層こそ――。


「霊獣ディアボロスの棲家すみかだ」




(……甘かった)


 ただ追って、アンティーナがベッケルに逆らえない理由を探り、チャンスを作って連れ出せばいい――そう漠然と考えていたサシェ。


 “カーバンクルの聖剣”の力は未知数だが、ベッケルは少なくとも霊獣ディアボロスを味方につけている。

 そんなところへ冒険者二人が乗り込んで何ができるというのか……。


 しかもベッケルがディアボロスの居る最下層まで行く手段を持っているとしたら、ふたりだけで魔物を倒しながら追える自信はない。


 しかもサシェの記憶によれば、この塔はレベル40制限――レベル50制限である東の塔よりもさらに厳しいのだ。

 それに今回用意したレベル50制限用装備が全く役に立たなくなる。


 レベル40制限用の装備など用意していなかった。

 装備による能力強化を期待できないということは、通常のレベル40の力さえ発揮できないということだ。


(くそ……)


 サシェは自分の無力さに、思わず歯噛みをした。

 握りしめたこぶしに力が入る。


(守りきれないのか……今度も……)


 蘇る過去の記憶――守りきれなかった愛する妻と子……。


 大切な人を守るために冒険者レベルを上げてきた。

 そんな努力を簡単に無効にしてしまうレベル制限という壁。


 ミサヨを救うために崖に飛び込んだときとはわけが違う――絶対に超えられない壁……。


 アンティーナに約束した言葉が思い出された。



 ――待ってろ。必ず助けるから。



 たしかに、そう伝えた……。




「何を考えている? 俺は行くぞ」


 ザヤグだった。

 うつむいたまま、状況を伝えるサシェ。


「……この塔はレベル40制限だ。そしてベッケルは、霊獣ディアボロスを味方に――」


「それがどうした?」


「――え?」


 顔を上げるサシェ……聞き違いかと思った。


 ザヤグと目が合う。

 その瞳は落ち着いていて、焦っているわけでも、ヤケになっているわけでもなかった。


 いつの間にか雪がやんでいる。


「レベル制限が何だ? ……おまえはレベル15制限で、あのシェンを倒して見せたじゃないか。それに――」


 ザヤグはサシェから視線を外し、来た道を見据えた。


「冒険で得たのは、レベルだけじゃないだろう? 何が言いたいかわかるか?」


「……知識と……経験」


 サシェの正直な答えだった。

 それがあったからこそ、シェンを倒せた。


 サシェの答えを聞いて、いきなりザヤグが微笑んだ。

 ガドカ族の彼が微笑むのをサシェが見たのは初めてだ。


 ……優しい笑顔だった。


「おまえは……ずっとひとりでいたんだな……」


 いったんサシェのほうを見てから、再び来た道に視線を戻すザヤグ。


「おまえにはわからなくても、俺にはわかる。そして……今のおまえなら、わかるんじゃないか?」


 ザヤグにつられてサシェも来た道を振り返った。

 まさか――という思いが頭をよぎる。


 空の雲が切れ、その間から漏れた月明かりが、雪原の一部を明るく照らしはじめた。


「………っ」


 サシェの目が驚きで見開かれた。

 見えたのは……こちらに向かってくる一団……。


 先頭にいるのは、ミサヨ、カリリエ、ジークヴァルト、カロココ、ラカ……その背後に、さらに二十人前後の鎧に身を包んだ騎士団――そこにはベイルローシュの姿がある。


 あきれたようにつぶやくザヤグ。


「驚いたな。ミサヨのやつ、朝のうちに応援まで呼んでいやがったのか。それに早過ぎる……こっちは連中が来る前に、塔の中を偵察しておきたかったんだが……」


 サシェは全身が震えるのを感じた。


 正直に言えば、自分の考えについて来ているのはミサヨくらいだと思っていた。

 それは、ミサヨには指輪の秘密を話してあったし、ミサヨの頭の回転が速いことをよく知っていたから……。


 だが黒き雷光団ブラックライトニングのメンバーには、そんなことは関係なかったのだ。

 言葉にしなくても、持っている共通認識……離れていても、繋がっている心。


 “仲間が泣いていたら、全員が全力で助ける”


 ――それが彼らの、仲間の定義。




 心の内を見せられなかったアンティーナ。

 だが、彼女が泣いているのを見たとき、皆の心はすでに決まっていた。


 動揺するカリリエの肩にジークヴァルトが手を置いたとき、黒き雷光団ブラックライトニングの全員がすでに落ち着いていたのはそのためだ。


 そしてサシェには思い出したことがある。

 ラテーネ高原の谷底から戻る道すがらにミサヨから聞いた話。


 サンドレア王国のホームポイントで泣いていたミサヨの元に、黒き雷光団ブラックライトニングのメンバーがすぐに駆けつけたという話を……。




 ミサヨは元々、さっさとアイテムを手に入れてすぐに合流するつもりだったのだろう。

 何も言わなくてもザヤグにはそれがわかっていた。




 冒険で手に入るもの――レベル、知識、経験――それらが役に立たないとは言わない。

 だが、もっとかけがえのないものがある。


 生死を共にし、苦しみも喜びも分かち合い、その先に得られるもの……。




 ミサヨが手を振っている。

 サシェの意識にリンクスシェル会話が届いた。




 ミサヨ: マリィのことは安心して。騎士さんのひとりに持って行ってもらったから。ベイルローシュさんに託そうとしたんだけど、話を聞いたら一緒に来るって


 カリリエ: ミサヨに、してやられたって感じでしょ? 素直に認めなさいよ




 その後もリンクスシェル会話が飛び交ったが、サシェには聞こえていなかった。


 この人数でどこまでいけるのかは、わからない。

 ただ、この場に“仲間”がいてくれる――そのことが嬉しかった。



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