第五章 ソジエ遺跡

第一話 裏切り人形 -前編-



 ドシュッ――という鈍い音。


 ジークヴァルトの曲刀が引き抜かれるのと同時に、ヘクトオイユ族の魔物ブラバーオイユが持つ無数の目から、涙と体液が壁まで飛び散った。


 不定形な魔物の死体は、濁った黒いスープにたくさんの目玉を浮かべたように見える。

 まだ生きているかのように、まばたきをしたり視線を変えたりする目玉たち……。


「フゥ……この部屋は、こいつだけかァ?」


 まるで重さを感じないかのように軽々と剣を振るジークヴァルト。

 剣についた黒い体液が、しずくとなって床に飛んだ。


 ここはソジエ遺跡・東の塔の地下――その入口から入って六つ目の部屋だ。

 サシェたちミニブレイクの一行が朝から半日かけてこの塔にたどり着き、休憩もそこそこに全員で突入して三十分ほどたったところである。


 ソジエ遺跡は、塔によってその地下構造が異なる。

 この東の塔は、扉を開けてひとつの部屋に入るとまた扉があり、次の部屋に進むという造りになっていた。


 扉は開けてもすぐに自動で閉まってしまうので、狭い部屋の中で声がよく反響する。


 そして冒険者レベルが50に制限される場所でもあった。

 もちろん、装備できる武器や防具も制限されることになる。


「アー、片手剣は軽すぎて物足りねェなァ……。いつものバーサーカーアクスを思いっきり振り回してェ」


「ジークはホントに両手斧が好きだねぇ。でも曲刀を使っているほうが、いつもよりかっこよく見えるよ」


 カロココの言葉に、嬉しそうな表情を浮かべるジークヴァルト。


「そ、そうかァ?」

「……冗談だよ」


 片手剣を持ったまま、がっくりとうなだれるジークヴァルト。

 ふと思いついたように、サシェが声をかけた。


「ジークさん、そのファルシオン、ちょっと貸してくれない?」

「ヘ?」


 サシェは、かばんから小さなエーテルクリスタルと他にも何かの材料を取り出すと、それらをジークヴァルトから借りた剣の横に並べ、その場に座りこんだ。

 部屋の中の敵さえ片付ければゆっくりできるのが、この塔のいいところと言える。


「お~、サシェの錬金術合成を生で見るの、初めてだ」


 嬉しそうな声を上げたのはカリリエだった。


 カリリエが持つアイスシールドは、サシェが若い頃に合成したものだ。

 もっとも今はレベル制限のせいで、装備できない。


「片手剣を両手斧にするっていうわけには、いかないけどね」


 そう話すサシェの両手の間で、ファルシオンが土のエーテルクリスタルからの黄色い輝きに包まれた。

 無数の泡がはじけるような独特の音が響き、最後に合成光が輝きを増して部屋の中を眩しい光で満たした。


 エーテルクリスタルと他の材料が消失し、サシェの手元に曲刀だけが残る。

 それを興味津々で覗きこんだジークヴァルトは、がっかりしたように首を傾けた。


「ンー、何も変わってないような……失敗か?」


 刃の光沢を見つめてニヤリとするサシェ。


「ジークさんは幸運の持ち主だね。普通より少し軽くて鋭い刃に仕上がったよ。たまに、そういうのができるんだ」

「フーン……?」


 サシェから新しい剣を受け取っても、まだ首をかしげているジークヴァルト。

 カロココがやれやれというジェスチャーを示した。


「だめだめ……ジークは昔から両手斧にしか詳しくないんだよね。ひととおりの武器を扱えるくせに、感性が鈍いというか、脳筋というか――」

「モンクのカロココに言われたかねェヨ……」


 部屋の中に明るい笑いが満ちる。

 レベル制限があるとはいえ、パーティの人数が多いゆえの余裕である。


 黒き雷光団ブラックライトニングのメンバーが加わっていなかったら、こうはいかなかっただろう。


「結局、何ができたの?」


 ミサヨの質問に、サシェが笑った。


「ちょっと派手な剣になっただけさ」

「派手?」


 カリリエが、そばでニマニマと笑っている。

 普段から片手剣を扱うナイトのカリリエだけは、サシェが合成した剣の正体を知っているようだった。


 小さな声でサシェに耳打ちする。


「サシェも意地悪だなぁ……あらかじめ教えておいてあげないと、びっくりするんじゃないかな、ジーク君」

「……解説して、自慢げに聞こえたら嫌だなと思ってさ」


 ――というのは建前だ。

 驚いて喜ぶ顔を見るのは、合成職人の楽しみのひとつである。


「ほな、行こか。失敗したら堪忍なぁ」


 ラカが、次の扉の前でしゃがみこんだ。

 すべての扉には罠が仕掛けられていて、それを外せる技術を持っているのはシーフだけだ。


 ラカは、超一流のシーフだった。

 ここまで、罠の解除にすべて成功している。


「他のみんなもそうだけど……ラカさんがいてくれて、本当に助かるよ」


 以前サシェがここに来たときには、すべての罠を発動させながら力ずくで通ったのだった。

 そのときは大人数で、獣使いという特殊なジョブの冒険者がいたからなんとかなったが……今、罠が発動したらちょっと危険なことになる。


「アカンて、サシェはん。そない褒めると、照れてもぅて手元が狂ぅわ……――あ、ゴメン」

「マジかよッ?」

「げ」


 前方にいたジークヴァルトとカロココが、声を上げると同時に後ろに下がった。

 罠の説明はあらかじめサシェからされていたが、初めて見る者が驚くのも無理はない。

 およそ扉の容積からはありえない大きさの巨大な動く彫像が、扉から抜け出してきたのだ。


「こ……こいつが、ガーゴイル?」


 ジークヴァルトの声に、引き締まった表情のサシェが答えた。


「そうだ……けど、なんとかなるさ」


 カリリエが挑発すると、ガーゴイルが彼女に殴りかかった。


 レベル制限のためにカリリエも自前のアーティファクトではなく、ジークヴァルトと同様の無骨な鎧に身を固めている。

 愛用の片手剣も今はかばんの中だ。


 振り下ろされる巨大で重い左腕――それをカリリエが盾で完全に受けきった……ように見えた。


「アァッ、貴様、歌姫様になンてことをッ」


 叫ぶジークヴァルト。

 滑ったガーゴイルの腕が石の床にめり込んで大穴をあける。


 ヒザをついたカリリエの口の端から、血が垂れていた。


「レベル50制限か……油断したなぁ」


 左手の甲で血を拭うと、ゆっくりと立ち上がるカリリエ。

 続けて正面から突いてきたガーゴイルの右腕を、今度は身体の正面でしっかりと受け止める。


 同時にカロココが、ガーゴイルの背後で宙に跳んだ。


「ここでは〈双竜脚ドラゴンキック〉も〈空鳴拳ハウリングフィスト〉も使えないけど……強すぎる私には、これで十分よ」


 撃ち込まれたのは〈乱撃レイジングフィスツ〉――彼女が冒険者レベル41で覚えた、左右の手足をすべて使って瞬時に叩き込まれる破壊力抜群の五回攻撃である。


 大きな打撃音が壁に反響し、後頭部が砕けたガーゴイルの巨体が前のめりに倒れかかった。


「くらえ、このデカブツがッ」


 間髪入れずにジークヴァルトが放った技は〈紅蓮レッドロートス〉。

 すくい上げるように振りぬいた剣が炎をまとい、ガーゴイルに火系ダメージを追加する。


 冒険者レベル17で覚えた剣技自体のダメージは、それほど大きくはない。

 だが――。


 直後、ガーゴイルの身体が熱に包まれた。


 〈乱撃レイジングフィスツ〉と〈紅蓮レッドロートス〉の連携が生み出す特別な現象――〈溶解リクエファクション〉。

 高熱で体表面がドロリと溶ける。


 そこに詠唱を終えたサシェとアンティーナの黒魔法〈猛火ファイアII〉が発動した。


 ただの〈猛火ファイアII〉では考えられない巨大な炎が燃え上がり、ガーゴイルの身体が液化して崩れ落ちる。


 マジックバースト――カロココとジークヴァルトが生み出した〈溶解リクエファクション〉に、火系の黒魔法を重ねることで、通常の数倍のダメージを与えたのである。


 あっさりと沈んだ敵を前に、ジークヴァルトが鼻の下を指でこすりながら、ニヤリとした。


「へへッ……たいしたことねェな」


 実際には〈乱撃レイジングフィスツ〉や〈紅蓮レッドロートス〉のような技巧はかなりの集中力を必要とするので、頻繁に使うことはできないのだが――“なんとかなる”というサシェの言葉通りだった。


 ザヤグが白魔法〈治癒キュア〉でカリリエの傷を治すのを見ながら、ミサヨがサシェに話しかけた。


「こんな罠がまだまだあるのか……あと何部屋あるのかな」

「ん……あと、十部屋……かな」


 皆の口からため息が漏れた。

 まだ誰かが大けがをしたり死んだりするような戦闘にはなっていない。


 だが、奥に進むほど強い敵が多くなるとサシェから聞いている。

 本当の修羅場は、これからなのだ。





  ***





「フ……決まった」


 トンベリ族と呼ばれる凶悪な獣人にとどめをさしたジークヴァルトが、肩で息をしながらも余裕のセリフを放った。

 最後の部屋の敵を片付けたのだ。


 満身創痍でありながらも、全員が無事なままここまでたどりついたのである。


「俺様の新能力開花に助けられたな、諸君」

「……ハァ? 何のこと?」


 カロココが首をかしげる。

 ジークヴァルトがあきれたようにカロココを見おろした。


「気づいてねェのかヨ。普通なら十回に一回くらいしか撃てない〈紅蓮レッドロートス〉を毎回撃ってたでしょーがッ。こぅ、炎がボッと出てサ」


「……あんた……ホントにばかだね」


 カロココが心底あきれた表情を見せたので、ヒューマン族の戦士はムッとして周囲を見渡した。

 ミサヨと目が合う。


「ミサヨも見たよなッ?」

「え……うん……え~と……。ジーク……気づいてなかったんだ……」


 困った顔のミサヨ。

 笑いをこらえていたカリリエが、とうとう大声を出して笑い出した。


「あは……あはは、あははははは」


 カリリエに笑われて、顔を真っ赤に染めるジークヴァルト。


「な……なんだヨ?」

「それ……その、片手剣……サシェがファルシオンをベースに合成した剣……」


 説明しようとするのだが、笑いの衝動で言葉が途切れるカリリエ。

 ジークヴァルトが何かに気づいた顔をした。


「オ。そういえば、リーダーが合成してくれた剣だっけ」

「それ……名前をね……“フレイムブレード”って言うんだよ……しかも、ハイクォリティ品……」


 うんうんと頷くジークヴァルト。


「切れ味が鋭くなったんだろ? リーダーには感謝してるぜ」


 それから、ジークヴァルトの表情が固まった。


「……フレイム……ブレード……って、“炎の刀”?」


 アッ――という表情をしたかと思うと、うなだれるジークヴァルト。


(穴があったら入りたい……どうしてこう俺って……毎回歌姫に笑われるハメに……?)


 火系の追加ダメージ付与……それがフレイムブレードの持ち味なのである。


「いきなり渡したフレイムブレードを、あんなに効果的に使いこなすなんて、さすがジークさんだよ」

「それは、そうかも……」


 サシェのフォローの言葉に同意するカリリエ。

 そのセリフに、ジークヴァルトが顔を上げる。


 彼の戦士としてのセンスは本物だ。

 カリリエの眼差しに尊敬の念が混ざっているのがわかった。


「オ……オゥ、まァな……へへへ」


 気を取り直した彼は、最後の扉を指さした。


「この先は、どうなってるンだ?」

「地下に降りるリフトがある。それを降りたら、最終目的地の部屋があるよ」


 ジークヴァルトの顔が真剣になり、サシェの目を見据える。


「そこで、マリィを救うアイテムが手に入るンだな?」

「そうだ」


 強い瞳で見返すサシェ。

 ミサヨが全員を見渡した。


「行こう」


 最後の扉が開く。

 地下まで吹き抜けの広い空間が広がっており、その中心にリフトが見えた。


「オイオイ、下にも魔物がいるじゃねェか」


 ジークヴァルトの声に、サシェがニヤリとした。


「まぁね……でも、“なんとかなるさ”」


 ジークヴァルトも、ニヤリと返す。


「俺様のスゴさは、ここからが本領発揮だゼッ」


 疲労した身体を引きずりながら、全員が不適な面構えでリフトに乗り込んだ。

 こんなに楽しい冒険は久しぶりだな――と思うサシェ。


 共通の目的を持った信頼できる仲間とここまで来た。

 目的地は目前である。



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