第六話 各々の想い -後編-



「ベッケルも、ここを通ったのかな……」


 サシェの右横で深い雪を踏みしめ、ミサヨがつぶやいた。


 空はダークグレーに濁った雲で覆われ、大地は純白の雪で覆われている。

 夕方のこの時間、幸運にも風はほとんどなかった。


 ここはホスティン氷河――雪と氷の世界である。



 ラングモンド峠を無事に抜けたミニブレイクの一行は、南西側からホスティン氷河に入っていた。

 そのままレベル1のミサヨを囲むようにして、崖の間を進んでいる。


 人が踏み入ることがほとんどないこの北の大地には、凶暴な剣虎族トラや獣人のゴブリンがうろついているのだ。


「どうだろう? ウィンダム連邦方面から直接来たのなら、〈瞬間移動テレポート〉でヴァズに飛んで西から歩いて来たほうが早いかもね」


 サシェの言葉に「そっか」とだけ答えたミサヨは、ベッケルの行動に考えを巡らせた。

 ホトルル遺跡で見つけたベッケルの資料から推察すれば、彼がこのホスティン氷河に来ている可能性は高い。


 金さえ積めば〈瞬間移動テレポート〉の魔法を唱えてくれる冒険者はどこにでもいるだろう。

 面が割れているサンドレア王国の近くを通るよりは、変わり者を詮索しない風土のウィンダム連邦で準備を整えた可能性が高いように思える。


 そして、自分たちが向かっているソジエ遺跡のひとつ――東の塔こそが……。


「まさか、ベッケルってやつの羊皮紙に印がついていた塔に向かうことになるとはね……。はちあわせとかしたら、嫌だなぁ」


 ミサヨの右側でこぼすカリリエ。

 ミサヨも自然に残念そうな顔になる。


「出会う確率は低くないかも……」

「むしろ高いと思う……勘だけど」


 サシェには確信があった。

 霊獣カーバンクルが与えてくれたカーバンクル・カースについてのヒントは、呪いの指輪につながるものだ。


(ベッケルがカーバンクル・カースに関わっているとは思えない。でも、彼が呪いの指輪を手に入れたのが偶然とも……思えない)


 思い思いに会話をしている一行の中で、アンティーナだけが無言だった。





  ***





 いつしか崖は途切れて、広い場所にホトルル遺跡の魔法塔にそっくりな建造物が見えた。

 ソジエ遺跡のひとつ――南西の塔だ。


「今夜はここに泊まろう」


 泊まるといっても地上にある塔の中に入るだけで、地下の施設に降りていくわけではない。

 夜の吹雪を防げればそれでいいのだ。


 階段を降りた先の地下には、魔物たちが潜んでいる……。


 目的の東の塔までは、翌日に半日かけて歩くことになるだろう。

 そう皆に確認して食事をとり、早めに眠りについた。





  ***





 その夜――サシェは夢を見た。


 暗闇で囲まれた赤く広い空間。

 そこにいるサシェを、空中から見おろす異形の者。


 爬虫類系の顔と皮膚を持ち、背には巨大で翼竜のような翼。

 先端が槍のような形の、細く長い尻尾を持つその姿を一言で現せば――。


 ……悪魔デーモン




(失礼ナ…… デーモン族のヨウナ 下等な者ト 一緒にスルナ)


 響く女性の声はかん高く、サシェの神経を不快にする。


「何しに現れた……? 呼んだ覚えはない……」


(ふン…… そなたノ 意識ガ 私の夢ヲ 呼んだのダ)


 彼女は、つまらなそうにサシェに答えた。


(十三年前ニ 私のチカラヲ 分け与えタ 者がイル…… そなたガ その者のコトヲ 強く考えていたセイダ……)


「なん……だって……?」


 思考が鈍くなっている。

 力を分け与えた……?


(その者ハ 私ガ 与えてやったチカラ…… 心弱き者への精神支配力だけデハ 満足でキズ…… 別の霊獣ノ 力をも得よウト この地に来てイル…… 私が棲むこの地ヘ……)


「俺とおまえと……やつ――ベッケルが近くにいるせいで……この夢というわけか」


 思考をまとめるのに、普段の倍以上の精神力が必要な気がする。

 サシェは考えることに疲れを感じていた。


(そういうコトダ…… 私ハ 夢ヲ 司るモノ…… どんナ 夢モ 私ノ 夢とナル……)


「……親切なことだ」


(……何ダト?)


「それだけ聞けば十分だ。さっさと帰ってくれ」


(人の分際デ…… 大きな口を叩かぬコトダ…… このまま 夢の中デ そなたヲ 殺すことナド 私にハ 造作もないコト……)


「…………」


(まあヨイ…… いい暇つぶしになったというモノダ……)


 そう言いつつ、異形の者は、やはりつまらなそうだった。


 サシェは早く目覚めたかった。

 このまま夢の中にいれば、本当に殺されかねない。




 突然。

 左手に青い光が生まれ、赤い空間を押し出し始めた。


 気づくと、呪いの指輪から青く柔らかい光が漏れている。


(それハ…… ハハハ)


 異形の者が額に手を当てて笑っていた。


(あの男メ…… 私ガ コレクションにしてイタ カーバンクルの指輪ヲ せっかく与えてやったというノニ…… そんなことに使ってイタノカ…… 愚かナ…… 人ハ 昔カラ 少しモ 変わらヌ……)


「そうだ……俺もカーバンクルに会うまでは、この指輪の本当の意味に気づかなかった……」


 青い光が空間を満たし、異形の者の姿が薄れていく……。


(人どうしノ 争いナドニ 興味はナイヨ…… さらばダ……)


 かん高い声が余韻を残しつつ、闇に消えていった。





  ***





 夢から醒めたサシェは、ひどく気分が悪かった。

 鈍い痛みが頭を包んでいる。


 塔のすぐ外で暖を取るために燃やしている焚き火の光が、入口から差し込んで壁を赤く照らしていた。


 その赤い空間は夢の続きを見ているようだ。

 だが、ここには仲間が――まだ夢の中にいる仲間たちが寝息をたてている。


 焚き火の番をしている小柄なカロココが、塔の中でサシェが身体を起こしていることに気づいた。


「夜明けまで、もう少し時間があるよ。ゆっくり寝てなよ、リーダー」


「いや、寝不足感はあるんだけど……目が冴えちゃって。交代するから、カロココさんこそ少し眠ってよ」


 そう言うと、立ち上がって焚き火のところまで歩くサシェ。

 二時間交替で焚き火の番をしているのだが、今夜のローテーションにサシェは入っていなかった。


 同じタルルタ族のカロココは、小さなサシェよりもさらに少し背が低い。

 その近くに腰を降ろしたが、彼女に動く気配はなかった。


 少し考えるそぶりを見せた彼女は、灰になってしまった部分を木の枝でかき出しながら、遠慮がちに言った。


「……少し、話していい?」


「……うん、……何?」


 サシェの頭は、まだ夢のことでぼんやりしている。

 しばしの沈黙の後、ようやくカロココが口を開いた。


「リーダーは……集団のリーダーをするのって、初めてでしょ?」


「まぁね……」


 カロココが何の話をしたいのか、サシェにはわからなかった。


「やっぱりね。でもさ……これだけの集団が冒険を続ければ――」


 カロココはそこで言葉を区切った。

 少しの間を置いて、続きを口にする。


「一人、二人、死人が出るのは仕方ないよね?」


「――っ」


 顔が引き締まるサシェ。

 となりにいるカロココが、サシェの目を見つめていた。


「……昨夜の、“誓い”のこと?」


「そう……正直、生っちょろいこと言ってるな――と思った」


 無表情のまま話すカロココ。

 サシェは彼女から視線を外すと、あっさりと認めた。


「……そうだね」


 そう言うと、サシェは遠くを見る目になって黙った。




 沈黙が続くと、次第にカロココがソワソワしはじめ、居心地が悪そうに口を開いた。


「べ……別にさ、非難するつもりじゃなくてさ。リーダーがどんな覚悟で冒険しているのかは、ミサヨを助けたことでわかってるし……。何て言うか……その、誰かが死んでも……くじけてほしくないっていうか……ヤケになってほしくないというか……」


 サシェが、くすりと笑った。


「……ありがとう。カロココさんは優しいね」


「……な…………嫌なやつっ」


 カロココが顔を赤くして立ち上がった。


「私、ちょっと寝てくるよ。じゃあね」


「うん、本当にありがとう」


 サシェは新しい乾いた木の枝を焚き火に放り込んでから、再び遠くを見る目になった。




(それでも――)


 サシェの心に、今は亡きタルルタ族の女性とその赤子の姿が浮かんでいた。


(大切な人を失うことに……慣れることなんてないんだ……)


 誰にも死んで欲しくない――そう願わずにはいられない。

 死と隣り合わせの冒険者がそれを望むことは、ワガママだとわかっていても……。




 サシェの脳裏に、夢の中の異形の者の姿が蘇った。

 彼女の名は、ディアボロス……夢を司る霊獣……。


 カーバンクルと同じ、生ける神々――五霊獣の一角である。



 ――闇に身体を喰われた者は、ディアボロスの夢の世界デュナミスで、心だけが永遠に生き続ける。



 それは様々な書物に残る、霊獣ディアボロスの有名な言葉だった。

 サシェ自身は、彼女の口から直接聞いたこともある。


 夢の世界デュナミス――そこは理想郷とはほど遠い、心の檻のような世界だと言われている。


 マリィの病気の正体が闇の一部だとわかった以上、彼女を救うことは、ただ死から救うこと以上に意味があるということだ。

 ただし、時間はあまり残されていない。


「必ず、助けてみせる。そのために、全員が生きて帰るんだ」


 サシェは知っていた。

 この決意だけが、誰もが死を覚悟するような危機に、生きて乗り越えるチャンスを産むのだと。


 二十年以上の冒険から学んだ最も大切なことだ。

 だから、ミニブレイクの誓いの言葉は、これしかないのだ。





  ***





 ふと気づくと、ひざを抱えたままうたた寝をしていたサシェ。

 ずれた眼鏡を戻して目を上げると、東の空が白みはじめている。


(見張り失格だな……)


 もっとも、レベル75のサシェが座る塔の入口に近づくような魔物が、この辺りにいるはずもないのだが……。


 幸い、火は消えていない。

 いや……焚き火の向こうに誰かが座って、焚き火を見守っていた。


 ……ミサヨだ。


 サシェは自分の身体に毛布がかけられていることに気づいた。

 それからもう一度ミサヨのほうを見ると、目が合った。


「おはよう、サシェ。そろそろ起こそうと思っていたんだ」


 白い息を吐いてにっこり笑うミサヨ。


 サンドレア王国の凱旋門前で初めて出会ったとき、心臓が止まるかと思ったほどの美しさ。

 それは今も少しも変わらない……。


「おはよう、ミサヨ。……今日の冒険はキツイものになる。レベル50制限だからね。だから――」

「……だから?」


 サシェはニヤリと笑った。


「しっかり朝食をとってから出よう」

「了解」


 みんなを起こさなくちゃね――そう言ってミサヨは元気に立ち上がった。


「あ、ちょっと待って」


 呼び止めたサシェに怪訝な顔を向けるミサヨ。

 サシェは立ち上がって、右手に毛布を持った。


「これ……ありがとう」

「……リーダーが、風邪をひいたら大変だからね」

「……面目ない」


 自然に笑いがこみ上げて、ふたりで笑いをこぼす。


 こんなくだらない時間がずっと続けばいいのに――と、サシェは思った。

 毛布を受け取ったミサヨが、笑いの余韻を残したまま塔の中に入っていく。


 サシェが振り返ると、ホスティン氷河の絶景が遠くまで見渡せた。

 結局、夜の間も吹雪くことがなかった――そのせいで、空気が澄んでいるのだ。


 広大な雪原が美しい紫のグラデーションに染まっている……。


(……冒険者の血が騒ぐ景色だな)


 そんなことを思いながら、サシェは朝食の準備に取り掛かった。






 ~ 第四章完、第五章へ続く ~



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