第七話 富豪の依頼 -前編-



 ヒュンッとうなって、大きな鎌の薄い刃がサシェのひたいをかすめた。


 額にすっと赤い線が浮き出て、ぷつぷつと小さな血液の玉がいくつも出てくる。

 それらが大きくなり、互いにくっつくと、銀色の眉の上まで垂れて赤いスジを作った。


 目の前にいるのは、この遺跡に居座るノートリアス・モンスター。

 一見、フードをかぶったレウヴァーン族に見えるが、フードの奥にあるはずの顔は闇に隠れ、瞳だけが黄色く輝いている。


 シャドウ族と呼ばれる魔物だ。

 レベル75だった頃のサシェなら、瞬殺できた相手である。


 だが今はレベル15の制限を受けている。

 敵が一撃目を外したのは、ほとんど奇跡だった。


 魔物の黒い鎌は、一振りで今のサシェを天国へ運べる力を持っている。


「くそ……」


 サシェはちらりと背後を見た。

 ミサヨが倒れている。


 そしてたった二回の攻撃でミサヨを床に沈めた別の魔物が、今度はサシェに狙いを定めていた。

 トゥーオブカップス――カーディアン族だ。


 ウィンダム連邦が生み出した自動人形が野生化し、この遺跡に住みついている。

 このカーディアンはレベル1のミサヨはともかく、レベル15のサシェから見ればたいした相手ではない。


 問題は目の前にいるシャドウ族のノートリアス・モンスターだった。


 その濁った黄色い目が輝いたように感じた瞬間――。

 防御の態勢をとる時間さえ与えず、黒い鎌が真上からサシェに向かって振り下ろされた。





  ***





 話は二日前にさかのぼる。

 その日のウィンダム連邦は、涼しい風が吹くさわやかな秋晴れだった。


 サシェたちがこの国に滞在してから三週間が過ぎようとしている。

 そして、来る日も来る日も、サシェ、ミサヨ、カリリエの三人は水区にある図書院の魔法図書館で、膨大な量の蔵書をチェックしていた。


 カーバンクル・カース――その病名のヒントとなる記述を探すために。




 図書院を訪れた初日。

 幸運にもトスクポリク院長をつかまえることができた。


 一年前に記者ウルルが見つけた禁書についてストレートに尋ねたが、どうにも歯切れが悪い。

 話をしているうちにわかってきたのだが、どうやら禁書だから話せないというよりも、禁書そのものを紛失したらしかった。


 はっきりとは言わなかったが――そんな大失態を言えるはずもないが――ウルルのインタビューの後、たしかに禁書を保管する部屋に移したはずが、消えてしまったらしい。


 三人は仕方なく、他にヒントとなる記録がないかを探して、図書院の蔵書を調べ始めたのである。

 ――が、何の成果もないまま三週間近くたってしまっていた。




 バターン……と大きな音を立てて、図書館の扉が突然開かれた。

 サシェ、ミサヨ、カリリエの三人が、それぞれ本を開いたまま入口を振り返る。


 書記官の金髪タルルタ族が、眠そうな目を開いて注意をした。


「……ふわぁ……? あー、ここは魔法図書館ですよ。お静かに願いますね」


 入口に現れた人物は、そんな注意を全く聞いていないようだ。


「おい、新入り。水区のオジーチャンが戻って来たぞ。オマエ、知らせてくれって言ってたろ」


 サシェの顔が輝いた。


「ありがとう、マダルマダ。その知らせを待っていたんだ」


「“ヤクソクは絶対に破らない”が、ジョーカーが決めたムーンオニオンズ団の鉄則だ。オマエも破っちゃダメだぞ。それから、また倉庫裏に顔を出すんだぞ」


 マダルマダと呼ばれたタルルタ族の少年は、言うことだけを言うと、再び大きな音を立てて扉から出て行った。

 金髪タルルタ族がやれやれという顔をしてから、居眠りを再開する。


 ミサヨとカリリエが目を合わせてから、サシェのほうを見た。


「何、今の子? サシェの知り合い?」

「うん、まぁね。ちょっと出かけてくるよ」


 サシェはそれだけ言うと、手にしていた本を本棚に戻して扉に向かった。

 ミサヨとカリリエが手を振る。


「いってらっしゃい」

「またね」


 サシェも手を振りかけて、ぴたりと止まった。

 しばしの沈黙。




「……ふたりも一緒に来る?」


 少し考えてから出たサシェのセリフに、ミサヨとカリリエが再び目を合わせた。

 そして、にんまりとした笑みを見せる。


「行くよ、もちろん」

「サシェも進歩したねぇ」


 一瞬、むっとするサシェだったが、心から嬉しそうなふたりの様子を見て、何も言う気がなくなった。


(ひとりのほうが気楽なんだけど……まぁいいか)


 三人は扉を開けて、秋晴れの空の下に出て行った。


「これでやっと、ゆっくりできます」


 他に誰もいなくなった図書館で、金髪の書記官が小さなあくびをもらした。





  ***





 ウィンダム連邦には、ムーンオニオンズ団と名乗る集団がいて、日々、ウィンダム連邦の平和と正義のために活動している。

 サシェはその団員のひとりである。


「ちなみに俺以外のメンバーは、魔法学校入学年齢にさえ達していないような……子どもばかりなんだけどね」


 嬉しそうに話すサシェを見て、カリリエがあきれた。


「それって、単なる子どもの遊びなんじゃあ?」


「そうとも言えるけど、俺が冒険者ランク10になった事件は、彼らの活躍がなければ解決しなかったよ」


 カリリエは半信半疑だ。

 ふーん――とだけ言って、話題を変えた。


「今から会いに行く人は、どんな人なの? オジーチャンって言っていたけど」


 オジーチャンと言っても、タルルタ族なら子どもにしか見えないんだろうなぁとカリリエは思った。


 サシェ、カリリエ、ミサヨの三人は、水区を南に歩き、帽子屋の角を曲がって西に向かっていた。

 どこまで行っても、森と青空と涼しい風が続いている。


「ウィンダム連邦で唯一の大金持ち――ホノイコモイ氏」

「ホノイコモイ……? ――あ」


 カリリエが何かを思い出したような顔をしたので、ミサヨが口を挟んだ。


「カリリエ、知ってるの?」

「う、うん。子供の頃に名前だけ聞いたことがあるんだけど……その人の噂がすごく印象に残っていて……」


 カリリエの表情を見る限り、あまりいい噂ではなさそうである。


「その……すごい悪徳商人ってことで有名だったんだけど……同じ人かな?」


 サシェは、カリリエが子どもの頃に父親代わりのザヤグとともに商人をしていたことを思い出した。


「たぶん……いや、間違いなくその人だと思う……」


 サシェの返事を聞いて、カリリエとミサヨの顔が暗くなった。

 わかりやすい反応が面白くて、サシェがくすりと笑った。


「そんなに悪い人じゃないよ……まぁ……口と性格は悪いけど」

「…………」


 相手の人柄に確信を持ってしまったカリリエとミサヨは、すっかり楽しくない雰囲気になった。


 ふぅ、と溜息をついてサシェが足を止める。


「……ちゃんと説明するよ。マリィの依頼を引き受けたとき、会うべき人物が二人、頭に浮かんだ。それがジュナ大公国のモンブラー先生と、ウィンダム連邦のホノイコモイ氏なんだ」


「モンブラー先生は高名なお医者様だから、病気のことを聞くのはわかるけど……そのホノイコモイさんは?」


 まじめな顔のミサヨ。

 マリィの名前が出た以上、これは大切なことと認識したのだ。


「うん、まず……マリィの命をつないでいる希少レア品“白絹の衣”のことを知っていそうな人が他に思いつかなかったというのと……」


 サシェはマリィの母親リタから聞いた情報を思い出していた。

 白絹の衣の入手経緯――三年前に街を訪れた、普段見かけないヒューマン族の旅商人から購入したという。


「ホノイコモイ氏は、若い頃に商人として世界中を旅している。大戦で滅びたタブジアナ候国にも渡っていたらしい。……病気や呪いについて、何か情報を持っているかもしれないと思ったんだ……もしかしたら、だけどね」


「そっか。商人から情報を得るっていうのは、思いつかなかったな」


 感心するミサヨに対して、カリリエの目は冷静だ。


「あまり期待しないほうがいいと思うけど。商人って、自分の扱っている商品にかかわること以外には、興味がないのが普通だから」


「そうだね、俺もそんなに期待しているわけじゃないけど。ホノイコモイ氏が扱ってきた商品の数は……たぶん想像以上だと思ってるんだ」


 サシェの話を聞いてオジーチャンに興味を持ったミサヨが、三歩前に進んでふたりを振り返った。


「行ってみましょうよ。話はそれからでいいじゃない?」


 サシェとカリリエが笑顔で頷いた。



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