第六話 刺客の価値 -後編-



 暗殺者アンティーナが、サシェの自宅に現れた日の翌日。

 サシェは泣きやんだアンティーナにだけプリズムフラワーを使って姿を消させると、昼前に彼女を連れ出した。


 雨はあがり青空が見えたが、肌寒い一日だった。


 魂の抜け殻のようになったアンティーナは、自分から積極的に行動を起こす様子がなく、黙ってサシェの後をついてまわった。


 ふたりでブランチを済ませて向かったのは、石区にある天の塔。

 それから港区にある魔法院に向かい――残念ながらマジドアルジド院長は不在だったが――代理の者がアンティーナを引き受けた。


 それから早めの夕食を済ませて自宅に戻ると、サシェはそれ以降、一歩も外に出なかった。




 昼間、サシェの考えていた通りに事は運んだ。

 少なくともウィンダム連邦内では、アンティーナは死んだことになる。


 おそらく明日には、週刊魔法パラダイムが喜んで記事を載せるだろう。

 帰還したサシェカシェが、暗殺者を返り討ちにしたという派手な内容で。


 冒険者ランク10という肩書きを遠慮なく使って行動したのは、今日が初めてだった。

 それは“顔が効く”という程度の効果ではあるが――十分だった。




 サシェが自宅に戻るまで、ミサヨとカリリエからの連絡は一切なかった。

 サシェから連絡することもなかった。


 この日。

 サシェも、ミサヨも、カリリエも――いつもと少し違う心理状態にあった。





  ***





 夜が更け始めた頃。

 サシェの自宅の前に人影があった。


 黒髪の美しい娘――ミサヨである。

 ミサヨはこれからどうするかを自分でも決めかねたまま、サシェの自宅の前に来ていた。


 かなり迷ったあげく、この日初めての念話テルをサシェに送った。




 ミサヨ: こんばんは




 沈黙は、一分近いように思われた。




 サシェ: こんばんは




 サシェからの返事はそれだけだった。

 そのまま帰りたくなるミサヨは、何をしに来たのか自分でもよくわかっていなかった。




 昨夜、ミサヨとカリリエがサシェの部屋に飛び込んだとき、ベッドの上にあの女暗殺者の姿があった。

 上半身裸で、縄で縛られていた事情は一応聞いた。


 それはいいとして。

 そのままふたりだけで一晩過ごすというのは、納得いかなかった。


 サシェが女暗殺者を意地悪く尋問するところなど想像したくなかったし、女暗殺者がうまく縄を抜け出して、寝ているサシェを殺すところはもっと想像したくなかった。


(仲間だと思っていたのに……)


 サシェは一緒に泊まろうとする私たちを無理矢理追い返したのだった。


 ミサヨの中で、何か――自分でもよくわからない感情が、心の中でくすぶっている。

 彼女は、それをすっきりさせたかった。




 ミサヨ: 今、家の前まで来てるんだけど……入ってもいい?


 ミサヨ: 話がしたいんだけど……




 サシェの反応はやはり鈍かった。




 サシェ: 今夜はだめだ。悪いが、明日にしてくれないか?




 冷たい返事に、思わずその場から立ち去りかけて――ミサヨは考えた。


(何だろう……サシェとは知り合ってまだ数週間。それでも、ジュナ大公国では何度も心が通じ合う瞬間があった。……と、思っていた。今、サシェとの間に大きな壁があるように感じる……)




 ミサヨ: あの……暗殺者は、まだいるの?


 サシェ: いや、もういない。魔法院に預けたから


 サシェ: …………


 サシェ: 頼むから……今夜はだめだ




 ミサヨは、ようやく気づいた。

 サシェの様子が、明らかにおかしい。


(心の壁とか……そういうことじゃなくて……何かわからないけれど――)


 このまま帰っても、きっと後悔することもなく、明日には何もなかったように会話をするのだろう。

 きっとサシェならそうするし、カリリエと私もそれに合わせて、やがて忘れてしまうだろう。


 それでいい。

 ただの友人でいたいなら、きっとそのほうがいい――。


 そう考えたミサヨの心に、彼女が大切にしている言葉が思い出された。



 ――俺は、ミサヨを信頼してる。この先、何があっても






 ミサヨ: ごめん……入るね




 ミサヨは、ドアを開けた。

 あとで怒られるかもしれない――それでも、確かめるべきだと思った。





  ***





 ミサヨがドアを開けると、部屋の中は真っ暗だった。


 部屋にひとつだけある三角形の窓。

 そこから差し込む薄明かりで、かろうじて物の位置が見分けられるくらいに目が慣れてくる。


 暗闇にぼおっと浮かんで見えるのは、白いシーツが敷かれたベッドだ。

 だが、その上には誰もいなかった。


 何か小さな音が聞こえる。


(音……じゃなくて、声?)


 人の気配があった。




 左の壁際に置かれたテーブルの向こう側に、やわらかく光を反射するものが見えた。

 見慣れた銀髪――サシェだ。


 壁を背にして、片ヒザをかかえるように座りこんでいる。


「……サシェ?」


 遠慮がちに声をかけるミサヨ。


「来るな……」


 直接サシェの声を聞いたミサヨは、とうとう確信した。

 すぐには信じられなかったが――。


 ……サシェは泣いていた。




「……どうしたの?」


 少しためらってから、ミサヨはサシェに近づき……左どなりに腰を降ろした。

 サシェと同じようにヒザを抱えて座った。


 暗闇の中で、サシェがすすり泣いている。


「ば……見られたくなかったのに……みっともないだろ……」


 ミサヨはそれには答えず、もう一度聞いた。


「どうしたの? ……言いたくなければ、いいけど」


「…………」


 ミサヨはできるだけ落ち着いた声を出したつもりだった。

 ……が、正直、ミサヨ自身もとまどっていた。


 マリィを勇気づけたサシェ……シェンを倒したサシェ……カリリエを救ったサシェ……。

 そのサシェが泣いているところなど、一度も想像したことがなかった。


 ふたりとも黙ったままの時間が過ぎていった……。




 十分もたった頃、ようやくサシェが口を開いた。


「理由は……自分でもうまく言えない……ただ……」


 うん――とだけ、ミサヨが答えた。


「世の中には、どうしてこんなにたくさん……哀しい出来事があるんだろう……世界中に……自分の努力とは関係なく……不幸な人生を送る人々が……たくさんいる……」


 サシェは、アンティーナから聞いた話をミサヨに話した。


 ミサヨは思った。

 サシェの意識には、当然マリィのことも含まれているだろう。


 それだけではない。


 昨日、カリリエとともにこっそり見てしまった、タルルタ族の墓地。

 そこに眠る者への想いは――。


 ミサヨは死んだ兄のことを思い出した――彼のことが大好きだった。


 サシェにも、つらいことがあったの? ――その言葉が口元まで出かけた。


(サシェは今、あの暗殺者の境遇を悲しんでいる。でも涙をこぼしているのは、そこに自分の不幸な経験を重ねてしまったから……)


 だがそれは、他人が簡単に踏み込んでいいものではないことを、ミサヨは知っている。

 彼女自身も、兄への想いを墓場まで持っていくつもりなのだから。




「……こんなことで、独りで泣いているなんて……いい歳した男が……変だと思うだろうな……」


 ミサヨは答えられなかった。

 ただ、首を激しく横に振ったが、暗闇でサシェが気づいたかどうかはわからない。


 代わりに、となりに座るサシェの小さな肩に手を回して――。


 そのままサシェの頭を、立てたヒザと胸の間に倒した。

 自然に、サシェの頭を抱き抱えるような形になる。


 (ごめん、カリリエ。これって抜け駆けかな……でも……)


 最初、サシェはびくっとしたが、抵抗しなかった。

 そのまま子どものように、ミサヨのヒザの上で泣いている。


「サシェ……あなたは強い人だわ。その強さの秘密が、抱えた哀しみの数だというのなら――もっと……仲間に頼ってほしい。人は誰でも弱いから助け合う……支え合って生きていく……そう母が言っていたわ」


 ミサヨの心に、サシェへのわだかまりはもうなかった。

 明日からは、いつもの私たちに戻れるだろう――そう思った。


「……ありがとう」


 サシェのその短い言葉を聞いたとき、ミサヨの頬にも涙がつたった。




 開いたままの部屋のドアの外に、金髪の美女が立っていた。


(そういう役目は、私のほうが向いていると思ったんだけどなぁ……)


 そのままサシェの家をあとにして、星空が広がる森区を散歩するカリリエ。


「アダルナの女神様……どうか、私たちの未来にご加護を――」


 静かな森に、カリリエの美しい声が染みていった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る