第五話 刺客の価値 -前編-



 陽射しの温かいよく晴れた日だった。


 その日、院長先生が私と五人のヒューマン族の子どもを呼んでこう言った。


「あなたたち、とても素敵な方が見つかったのよ。六人全員の親になってくださるそうなの」


 そのときの院長先生の嬉しそうな顔を今でもよく覚えている。


 生まれてすぐにこの孤児院に預けられた者ばかりだった六人は、院長先生に抱きついて泣いた。

 院長先生がずっと母親だと思っていたから。


「泣かないで、みんな。本当に素敵な方なんだから。安心してあなたたちを任せられるわ」


 院長先生は私たちを慰め、新しい家でも“いい子”でいるようにと念を押した。

 それから私の顔を両手で挟んで、ひたいにキスをした。


「アンティーナ、あなたはまだ三歳で、六人の中で末っ子になるわね。お兄さんお姉さんの言うことをよく聞くんですよ」

「やだ」


 物心がついて反抗期に入っていた私は、何もかもが嫌な時期で――院長先生を困らせていたらしい。


 やがて、正式に兄弟姉妹になった六人の子どもは異国に運ばれ、大きな屋敷に迎え入れられた。


 長男は五歳のマーク。

 四歳の男の子が三人と女の子が一人。

 三歳は女の子の私だけ。


 そこは、サンドレア王国の貴族であり高級官僚でもあるブレソール卿の別邸だった。

 たくさんの使用人がいてびっくりしたのを覚えている。


 ブレソール卿は人望のある優しい人柄のレウヴァーン族だと聞いていたが、実際に会ってみて納得した。


 私たちは大きな丸テーブルに呼ばれ、おいしい紅茶をいただきながら、これからの話を聞いた。

 途中で私が紅茶をこぼす粗相をして、兄たちが引きつったが、ブレソール卿は少しも怒らず、使用人に片付けさせた。


 私たちはこれから、特殊部隊としての訓練を受ける。


 国の危機に陰から活躍するカッコイイ、ヒーローヒロインになるのだ。

 長男のマークが「任せてください」と、“いい子”をアピールした。


 翌日から、たくさんの先生が入れかわり立ちかわり屋敷に現れては、私たちのジョブ適正を見たり、基礎体力訓練を始めたりした。

 それはときにはつらいこともあったが、おおむね楽しい訓練のほうが多かったし、何より私たちは“いい子”でいたかった。


 教育の時間もあって、文字の勉強などもした。

 そして必ず最初と最後に、ブレソール卿への感謝の言葉を復唱した。


 ブレソール卿がいかに偉大で、忠誠を誓うに値する人物かを解説する授業が毎日のようにあった。


 新しい親が素敵な人物であることは私たちの願いでもあったから――絶対服従の精神は、何の抵抗もなく私たちの心に染み渡っていった。

 それが洗脳教育と呼べるものであることを知ったのは、ずっと後のことだ。


 ……いや、今でもブレソール卿は尊敬に値する人物だと私は思っている。

 ブレソール卿は。




 マークが十五歳、私が十三歳のときのことだった。

 私たちは冒険者レベルで言えば、すでに70前後に達していた。


 マークはナイト、私は黒魔道士、他の兄弟もそれぞれのジョブのエキスパートになっていた。


 ところが。


 久しぶりに屋敷に現れた年老いたブレソール卿は、突然「私はもう政界から引退しようと思う」と告げた。


 彼はひとりの男を連れていた。

 その男が素敵な笑顔で長男のマークに握手を求めた。


「はじめまして、ブレソール卿の甥のベッケルです。もう三十三歳ですが、卿の意思を継いで王城に勤め始めたばかりです」


 わけもわからず握手するマーク。

 ブレソール卿がにこやかに説明した。


「ベッケルは親戚の中で最も見込みのあるやつなのだ。頭がいいし、正義感も強い。将来は、このベッケルのために働いてくれないか?」


 私たちにとって、ブレソール卿の“頼み”は“命令”と同じだった。

 全員がその場で頷いたとき、ベッケルの目が妖しく光ったことに気づいたのは、私だけのようだった。


「歳も私より若いからな。本当の親子のように仲良く頼むぞ」


 ブレソール卿はそう言って、先に帰っていった。


 ――ベッケルの態度が一変した。




 詳しく語る気はない。

 彼はブレソール卿の前で被っていた“いい人”の仮面を、なんの躊躇もなく脱ぎ捨てた。


「貴様たちは、俺の下僕だ」


 事実、彼の命令に逆らうことは、私たちにできなかった。


 私たちの心の奥底に染みついたブレソール卿への忠誠心は、私たちが生きる心の支えでもあったから。

 彼の望みがベッケルを支えることであるならば、それに従う以外の選択肢はなかった。


 もっとも、三年もすると彼が私たちの屋敷を訪れることはなくなっていた。

 彼と同じレウヴァーン族の信者を増やし始めた頃のようだった。




 そして、今から約一か月前。

 マークが二十六歳、私が二十四歳。


 私たちは冒険者レベルでいえば、その限界と言われるレベル75をとっくに超え――尺度がないのではっきりとは言えないが、レベル90相当だと聞かされていた。


 ――ベッケルから、突然指示がくだった。





  ***





「――それが、シェンの捕獲」


 サシェがぽつりとつぶやくと、アンティーナと名乗った女暗殺者が頷いた。


「よく知っていますわね。プルガノルガ島のノートリアス・モンスターといえど、私たち六人の敵ではありませんでしたわ」


「あの黒鎧たちにシェンを捕らえる力があるとは思えませんでしたからね。納得がいきましたよ」


 サシェの自宅に暗殺者が侵入した翌日の朝である。

 昨夜、ミサヨとカリリエを無理矢理帰したサシェは、縛ったままの暗殺者にベッドを譲って寝袋で眠った後、早朝からふたりで会話をしていたのだ。


「ベッケルがヒューマン族の部下を持っているのも不思議でしたが、それも納得しました。あなたが話してくれたことは真実だと思います」


 サシェはそう言うと、アンティーナに近づき縄をほどいた。


「?」


 突然の解放に、女が驚いた。


「どういうつもりですの?」

「いいから服を着てください。また誤解されちゃいますから」


 そう言って、床に散らばっていた服と下着を無造作に拾い、そっと暗殺者に投げるサシェ。

 アンティーナは顔を赤くしてそれを受け取ると、急いで身に付けた。


「私が生きていくためには、あなたを殺すしかありませんわ。それが――」

「そうでもありません」


 ここでサシェは、初めてアンティーナの目を正面から見つめた。


「あなたには、ここで死んだことになってもらいます。そのためには、ちょっと昔の知り合いの協力が必要ですけど……なんとかなると思います」


「そういう問題ではありませんわ。私が生きる目的は――」


 アンティーナは、サシェの目の奥に深い哀しみの色を見たと思った。

 つい、言葉を途切れさせてしまった。


「あなたの生きる目的を見つけるところまで、面倒を見る気はありません。ただ――」


 サシェが視線を外した。


「あなたをノドから手が出るくらい欲しがりそうな就職口なら、心当たりがあります」


 魔法院院長の言葉を思い出すサシェ。



 ――いつでもうちに来いよ……いい実験台になる……。



 実験台というのは、彼流の言い回し――未知の魔法を身に付けられる可能性がある――という、彼なりの高い評価の言葉だ。


「…………」


 黙っているアンティーナに、サシェがさらに声をかけた。


「六人のうち、生き残っているのは、あなただけなんでしょう? ベッケルは何かしら理由をつけて、あなたも殺すつもりのはずだ。なぜなら――」


「証拠隠滅。そして、彼の理想にヒューマン族は不要だか……ら……」


 気がつくと、アンティーナは泣いていた。

 子どものようにみっともなく、泣き声ともうめき声ともつかない声がノドから漏れていた。


 マークの顔が浮かんだ。

 他の兄弟たちの顔も。


 つらい訓練にも耐えてきた。

 何のために……殺されるために……?


「院長……先……せ……」


 アンティーナの頭に最後に浮かんだのは、幼い自分たちを育ててくれた、孤児院院長の優しい笑顔だった。



 ――とても素敵な人が見つかったのよ。



 私たちの幸せを信じている言葉。


「……あの頃に……戻り……た……」


 アンティーナはいつまでも泣き続けた。



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