第四話 暗殺者の毒 -後編-



「月の神子さま、お聞きになりましたか?」


 フード付きの白い衣装は、ウィンダム連邦・石区にある天の塔に勤める者の証。

 金髪の先をオレンジ色に染めた可愛いタルルタ族の女性が、ウィンダム連邦を治める月の神子の元を訪れていた。


 若く見えるのはタルルタ族だからであり、実際は月の神子様が生まれたときから世話をしている年老いた女性シババである。


「シババ、何事でしょうか?」


 透き通るような声で答えたのは月の神子様。

 長い黒髪を後ろに結い上げたタルルタ族の女性。


 星のお告げを国民に伝えるウィンダム連邦の統治者である。

 まだ若く、周囲の者に頼っている部分が多い。


 ここは、巨大な月の大樹の根に覆われた天の塔の最上階。

 そこにある月の神子様の部屋。


 他国の者はもちろん、一般国民もけして入れない神聖な領域である。


「サシェカシェが戻ったようです。塔の者たちがうわついて、公務が――」


「サシェカシェが?」


 月の神子の顔がぱっと輝いた。


「彼には、ジョーカーの件でとても世話になりました。すぐに出迎えの準備を――」


「月の神子さま」


 シババが月の神子をにらんでいた。


「サシェカシェのことは、世間には秘密です。出迎えの準備などできません」


「そうでしたね。せめてここを訪れてくれないでしょうか……今どんな冒険をしているのか聞かせてほしいものです」


 シババが首を横に振った。


「無理ですね。ここに入れる冒険者は高ランクの国家指令ミッションを受けた者だけです。それに……彼も特別な待遇は望んでいないでしょう」


 最後の言葉に月の神子が落胆の表情を見せた。


「そうですね……彼はそういう人です。それに……私自身がもっと強くなると彼に約束したのでした……」


 気を取り直した月の神子が、しっかりとした口調でシババに指示を出した。


「それでも、彼が天の塔を頼ることがあれば必ず手助けを。天の塔が救国の恩義を忘れることがあってはなりません」


「仰せのままに」


 シババが一礼して部屋を去った。




 独りになった広い部屋で、溜息をつく月の神子。


「サシェカシェ……カサネネと赤子のことはお気の毒でした。どうか新しい人生を……あなたらしく輝く生き方を……そのとき、あなたの隣にいるのは――」


 部屋のドアがノックされた。

 星詠みの時間がきたのであった。





  ***





「ひとつめのトラップ……ですって?」


 侵入者にして暗殺者の女は、先ほどまでと立場が逆転していることに愕然とした。

 あいかわらず熱っぽく、苦しそうな表情で答えるサシェ。


「……ドアの取っ手に、布飾りがついていたでしょう? その布に……ダガーの柄から抽出した毒を塗っておいたんです。あなたの命は、明日の……夕方くらいまでかな?」


「く……」


 美しい顔を悔しそうに歪めると、女は背負っていたかばんを降ろし、その中から小瓶を取り出した。


 ……その瞬間を、サシェは待っていた。


「今だ、モーギル」


「任せるプコー」


 家具の陰からモーギルが飛び出した。

 人が隠れるには狭いスペースも、小型獣人のモーギルが隠れるには十分だった。


「え?」


 慌てる女から小瓶を奪うと、モーギルはすぐに小瓶をサシェに投げた。


「返してっ。その特別な毒消しがないと、私が――」


「動くなと言ったはずです」


 女の動きを牽制すると、サシェがなんでもないように言った。


「大丈夫ですよ。取っ手の毒は嘘です」


「え、どういう――?」


 その場のペースを完全にサシェが握っていた。

 サシェは落ち着いて小瓶から毒消しを飲んだ。


「雨に打たれたのは今日です。いきなりこんなに風邪がひどくなるわけがないでしょう? さすがに今回は死ぬかと思いました。あなたが毒消しを持っていてくれて良かった」


「ミトンの話は……」


 女が手にしたかばんを床に置きながら聞いた。


「もちろん嘘です……許してください。生きるか死ぬかの瀬戸際だったんですから……冒険者ランクが10という話は本当ですけどね」


 女はサシェのほうが一枚上手であることを自覚した。

 急速に元気を取り戻しつつあるサシェ。


(もう一度ペースを取り戻すには……いえ、はじめからこのタルルタのペースでしたわ。それを覆すには――)


「いきなり攻撃魔法とか撃たないでくださいよ。この魔法国家で、街での魔法犯罪はすぐに検挙されます。ガードたちがあなたの記憶からベッケルの情報を引き出すのは簡単です――ここウィンダム連邦ではね」


「いいえ……もうベッケルのことはいいですわ」


 急に態度を変えてうつむく女。


「………?」


 不思議がるサシェの前で、彼女は頬を染めていた。


(……もう、なりふりかまってはいられませんわ。殺して帰らなければ、呪いの指輪を外してもらえない……それ以前に、任務失敗で殺されるかも……)


 ベッケルの非情さは、身に染みてよくわかっていた。


 騒ぎを大きくせず、確実にこのタルルタ族を殺す。

 そのためには、なんとしても油断させる必要がある――と、暗殺者は思った。


「プコッ?」


 手持ち無沙汰にぱたぱたと飛んでいたモーギルが、両手で目を覆った。


 女が上着を脱いでいた。


「お忘れかもしれませんが……飛空艇公社で助けていただいた者ですわ。あなたの優しさに惚れましたの。もともと暗殺など気が進まなかったですし、ベッケルの元を去ることにしますわ。そして、お詫びと……信用していただくために、私にはこれくらいしか……」


 理由はどうでもよかった。

 冷静に考えれば、ありえない展開なのだ。


 だがまともな男なら、理性を取り戻すまでの時間が油断になることを、暗殺者は知っていた。


 胸を覆う下着に自分で手をかけ、ゆっくりと外し……形のいい大きな乳房が現れた。

 夜の自宅に女とふたりきり――。


 あのカリリエより大きそうだな――と、不謹慎な思いがサシェの頭をよぎった。


「ヒューマン族女の身体には、ご興味ありませんか?」


 女は耳まで真っ赤だった。


「そんなことはありません。ただ……こちらに来るなら、背中に隠した手に持っている武器を置いて来てください」


「……かわいくないタルルタですわっ」


 一瞬の出来事だった。

 暗殺者が右手に持ったブラスダガーを振り上げて、サシェが座るベッドに突進したのだ。


 突進したと言っても、ほんの二、三メートルの距離である。

 あっという間にベッドの上が血に染まるはずだった。




 バシッ




 その一瞬に何が起こったのか、暗殺者にはわからなかったに違いない。


 彼女が一歩踏み出した途端、何かが炸裂するような音とともに、その全身が硬直したのだ。

 ――つま先から頭髪の先まで。


 足元から水蒸気が舞った。


「今だ、モーギル」


 本日二回目のセリフをサシェが放つと、モーギルが元気よくロープを飛ばした。


「荷造りは得意プコー」


 くるくると螺旋を描くように宙に舞った荷造り用のロープが、あっという間に侵入者を身動きできないように縛り上げた。


「な……く……っ」


 上半身裸のままもがく女を、サシェがシーツで覆った。


「私が使っていたものですみません」


 そうしてベッドを降りると、サシェは布に隠されたアイスシールドを床から拾い上げた。


「トラップがあるから、動かないでって言ったのに」


 女がアイスシールドを踏んだ途端、〈氷結反射アイススパーク〉が発動し、彼女は一瞬で麻痺したのだった。

 アイスシールドは、もちろんカリリエから借りたものだ。


 もう入ってきていいよ――と、ミサヨに念話テルを飛ばす。


 ミサヨとカリリエがすぐにドアから入ってきた。


「もう、待ちくたびれたよ」

「長い時間心配させて、いったい何を――」


 ふたりの動きが止まった。

 ミサヨが顔を赤くして、くるりと後ろを向いた。


「サ、サシェがそういう趣味の人だとは知らなかったわ」


 カリリエは怒りの形相に変わった。


「サ……あなた、相手が暗殺者だからって、やっていいことと悪いことが――」


 はっとしてサシェが振り返った。


 ベッドの上で、シーツが半分はだけて白い肌に食い込んだロープを覗かせた女暗殺者の姿があった。


 がくりと脱力するサシェ。

 モーギルが口を押さえて笑っていた。



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