第三話 暗殺者の毒 -前編-
かなりイライラしているカリリエ。
サシェカシェ様――それが何なのか語ろうとしないサシェが、さらに別行動をしたいと言い出したからだ。
「実は私用で最初に行きたいところがあるんだけど、あまり面白くないところだから、ふたりは先に宿に行ってくれないか?」
飛空艇公社で泥棒騒ぎが起こる直前の言葉を、サシェがあらためて繰り返したとき、カリリエは本気で怒っていた。
「あなたは、命を狙われているのよ?」
「ちょっと待ってくれよ。この先、ずっと付いて回るつもりじゃないだろう? 子どもじゃないんだし、レベル15でもその辺のガードくらいの力はある」
サシェらしくないサシェの返事に、さらに何か言おうとしたカリリエをミサヨが抑えた。
「サシェの言う通りよ。私たちは“マリィの病気”と“呪いの指輪”のことで契約しているだけ。それ以外は自由だわ」
それは正論ではあったが、カリリエが怒っている理由がサシェへの心配であることも、ミサヨにはよくわかっていた。
サシェに気づかれないようにウィンクしたミサヨを見て、カリリエはようやく黙った。
「それじゃあ、明日の朝、居住区の水区出口で会おう」
そう言って歩き去るサシェ。
カリリエがミサヨを小突いた。
「どうするつもりなの?」
ミサヨがにっこりと微笑んだ。
「もちろん、後をつけるのよ」
***
霧雨が通常の雨に変わり、やがて大雨に変わった。
秋の雨は冷たく、身体の芯まで冷え込むようだ。
サシェは港区から北にある水区へ出て、途中のレストラン“音楽の里”で昼食用のパイを包んでもらった。
顔を見られないようにことさら気をつかってチュニックのフードを深くかぶっていたが、怪しむような店員はいない。
ここウィンダム連邦には、変わり者が多いからだ。
そこから東に向かい、やがて細い道を抜けると全寮制の魔法学校が見える。
サシェはさらにその奥の学生寮の間を抜け、ほとんど獣道のような細い道に入った。
生い茂った木々が雨と同時に光を遮り、雨天ということもあって足元はかなり暗い。
サシェの後を追っていたミサヨとカリリエは、大雨のおかげでサシェに気づかれる心配はまずなかった。
そして、はじめこそ気の進まない様子だったカリリエも、サシェの行動に興味を持ち始めている。
「誰かに会いに行くのかと思ってたけど……そんな感じじゃないねぇ」
「……………」
ミサヨは黙っていた。
正直に言えば、後をつける提案をしたのはカリリエがサシェを心配していたのに比べて、ずっと不純な動機だ。
きっと、意中の女性に会いに行くに違いない――と確信していた。
だが、向かっているのは人が住んでいるような場所とは思えない。
やがて森が切れて視界が明るくなると、そこがサシェの目的の場所だった。
周囲を森に囲まれた狭い原っぱ。
そこには、いくつもの不揃いな形の大きな――タルルタ族の頭くらいの大きさの火成岩が、一定の間隔をあけて縦横に並んでいた。
それを見たミサヨとカリリエは、自分たちの行動を恥じることになる予感に気持ちが沈んだ。
サシェは迷わずひとつの岩――周囲の岩よりも少し小さめの岩の前に行くと、そこでヒザをつき、頭を垂れた。
「ずいぶん長い間留守にしていた……ごめんよ、カサネネ……メイルル……」
墓石に刻まれたタルルタ族二人の女性名をつぶやいたサシェ。
……そこはタルルタ族の墓地であった。
墓前から動かないサシェを見つめていたミサヨとカリリエであったが、十分もたつと姿を消していた。
素直にふたりで宿に向かうことにしたのだ。
三十分も雨に打たれたまま動かないサシェだったが、ようやく雨を避けて樹の陰に移動し、冷え切ったパイを食べ始めた。
そのまま二時間が過ぎた頃、ぶるっと震える寒気を感じ、サシェは自宅のある居住区へ向かうことにした。
すっかり雨に体温を奪われていた……。
サシェが去った後の墓地にキラキラと光の粒がきらめき、背の高いひとりの人物が姿を見せた。
プリズムフラワーの効果時間が過ぎて現れたのは、ブラッククロークをまとい、指に呪いの指輪をはめたヒューマン族の女だった。
「カサネネ、二十七歳で永眠……メイルル、〇歳で永眠……ですか。まいりましたわ。公社でかばってもらったうえに、このような過去まで知ってしまっては……」
ブラッククロークのフードからのぞいた顔は、すでに薄汚れたメイクを落とした美しい女性だった。
「でも、そろそろ薬が効いてくるはずですわね。任務を果たさなければ……ベッケル様のために」
女は〈
誰もいなくなった墓地――。
いつもの退屈な時間を取り戻した火成岩たちが、ただ静かに雨に濡れていた。
***
観音開きのドアの取っ手には布飾りがかぶせてある。
それに手をかけて、音を立てないようにそっとドアを開ける者がいた。
その指には、呪いの指輪がはめられている。
雨水がしたたるブラッククロークのフードをおろして十分な聴覚を確保し、周囲の物音に警戒しているのは背の高いヒューマン族女だった。
美しいライトブラウンの髪は前髪が右側にたらされ、残りの髪の一部が後ろで小さくまとめてられている。
ひとつしかない部屋の中には様々な小物や合成素材が散乱していた。
そして世話係のモーギルがいないことをブルーの瞳で確認し、その幸運に喜んだ。
どうやらこの家のモーギルは外出中のようだ。
部屋に置かれた大きなベッドには、銀髪のタルルタ族が横たわっている。
意識の有無は不明だが、熱っぽい顔が苦しそうだった。
「油断しましたわね、タルルタくん。まさか拾ったダガーの柄のほうに、毒薬が塗ってあるとは思わなかったでしょう?」
余裕たっぷりに声をかけた侵入者の女は、タルルタ族の反応を待った。
タルルタ族は少し動いたが、返事はない。
呼吸が苦しそうだ。
「錬金術合成の師範であるあなたは、一目でポイズンダガーであることを見抜いたでしょうね。そして刃から染み出す毒に警戒して、柄をつかんだことでしょう。そこに皮膚から染みる遅効性の毒が塗られているとも知らずに……」
「なぜ……」
サシェがようやく口を開いた。
「なぜ、私を狙うのかは知りませんが……」
黙ったままの女に、サシェが言葉を続けた。
「とどめをさしに来たのでは? ずいぶん口数が多い……」
「まだ強がる元気があるみたいですわね。心配しなくてもあなたは明日の朝には間違いなく死にます。そういう毒ですから。私は確認に来ただけですわ」
なるほど――と、サシェは納得した。
「ひどいことをする人だ。いったい何のために……」
「ベッケル様のご意思ですわ。あの方の崇高な理想を知り、その上で逆らう者はすべて抹殺される運命なのです」
女がきっぱりと言った。
(またベッケルか……その身を隠してさえ、俺のことを忘れてくれないらしい……)
サシェは苦々しい思いに、一層気分が悪くなった。
「ええ、そのせいで……帰ってすぐに、
「何を言っているのでしょうか。ミトンなど簡単に透過する毒ですわ。そんなに苦しそうなのに、今さら嘘をつかなくても――」
くすりと笑いかけた女は、サシェが指さす方向を見た。
そこには洗濯ロープにぶら下げて干されたミトンがあった。
「私は……この国でサシェカシェ様なんて呼ばれていますが……サシェカシェは本名で……実は冒険者ランクが……10なんです」
「ばかを言わないでください。ランク10と言えば、その国の“英雄”クラスではないですか。もう何年も、ランク10の冒険者など出ていないはずですわ」
女はサシェが何を言いたいのかわからなかった。
ただ、苦しそうでありながら余裕のある彼の言葉に、警戒し始めていた。
「ええ、まぁ事情があって……ランク10の冒険者が出たことは秘密になっていますからね……知っているのはウィンダム連邦上層部と、天の塔受付嬢のピククさんくらい……のはずでした」
女は黙ったまま周囲を警戒したが、他に人が潜んでいられるような場所はない。
タルルタ族の苦しそうな様子が演技とも思えなかった。
「私がランク10になった経緯が記された書物は禁書になったんです。ところが……この国ではよくあることなんですが、それが週刊魔法パラダイムの記者にすっぱぬかれて……国中に知れ渡ってしまった。もともと噂が流れていたところにそれが裏付けになって……たいていのウィンダム連邦民は、私がランク10だと知っています……」
「そうですか……その英雄の命も、明日の朝までですわね」
サシェが微笑んだ。
「ランク10になったとき、月の
女の顔色が変わった。
彼女がとまどっている間に、サシェが言葉を重ねた。
「おっと動かないで。この部屋には、あなたの登場を心待ちにしていたトラップが仕掛けてあります……」
サシェが上半身を起こした。
「そのひとつめに……あなたはすでに触れてしまった」
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