第二話 霧雨の帰郷 -後編-
足元にキラキラとこぼれるように光がきらめき、その中から短剣が現れた。
それを拾い上げたサシェは、すぐにただの短剣ではないことに気づいた。
ポイズンダガー――錬金術スキル22で作れる合成品だ。
通常の殺傷能力に毒の追加効果が付与されている。
持ち主に突然落とされて、付いていたプリズムフラワーの粉が落ちたのだった。
「誰かいたみたいだね」
ミサヨが口を開いた。
カリリエが頷く。
「プリズムフラワーで姿を消し、サイレンスオイルで音まで消して近づいて、何が目的だったのかな?」
サシェが拾ったばかりの短剣をふたりに見せた。
「あまり楽しい目的ではないでしょうね。私の頭がまだ胴体にくっついているのは、カリリエさんのおかげです」
でも――とサシェは言った。
「暗殺者にしては、やり方が素人っぽいですね。セリフも間抜けでしたし」
「女の声に聞こえたわ」
カリリエがそう言うと、ミサヨが頷いた。
「気をつけてねサシェ。今はレベル制限されている身なんだから、気配を感じる能力や敵を威圧するようなオーラも落ちていることを忘れないで」
「ありがとう。そうだな、油断して殺されたくはない」
目的が私だけとは限らないので、ふたりも一応注意してください――そう付け足して、サシェはポイズンダガーをかばんにしまった。
あいかわらず空は青く、風は涼しい。
しかし飛空艇が進む方向――ミンダルシム大陸南部の空が厚い雨雲に覆われているのが見えた。
ウィンダム連邦は今頃雨が降っているに違いない。
故郷ウィンダム連邦の風景を思い浮かべたとき、再びサシェの心は光を失った。
(カリリエから指輪の話を聞いたら、後部プロペラ台の上に戻ろう)
旅を楽しむふたりの邪魔をしたくなかった。
そんなことを考えているサシェには、彼を見つめるふたりの視線の優しさに気づく余裕がなかった。
あえて話しかけずに見守っていたふたりの心遣いにサシェが感謝するのは、もう少し先のことである。
***
着水した飛空艇から桟橋に出ると、そこは緑と水の国ウィンダム連邦であった。
主にタルルタ族とミラス族が暮らす風光明媚な国が、今は霧雨で白くけぶっている。
「もっと大雨かと思ったけど、これくらいだと
「ウィンダム連邦は久しぶりだけど、変わってないよねぇ、この田舎さかげん」
サンドレア王国やジュナ大公国のような高い塀や建物はひとつもない。
自然の木々が生い茂り、森の中の隠れ里のような国である。
ミサヨとカリリエが旅行者気分で元気な声をあげると、サシェもそれに応えた。
「うん、そこが我が故郷のいいところ――って、ふたりとも初めてじゃないんだ?」
明るさを取り戻したサシェの声を聞いて、ふたりが顔を見合わせた。
アイコンタクトで互いの安堵を確認してから、記憶をたどる。
「――と言っても、ふたりで冒険しているときに数回寄ったことがあるだけか……」
「そうだね、あれから私も寄ってないな」
カリリエの言葉にミサヨが答えて、ふたりがサシェに期待の眼差しを向けた。
「案内、お願いしま~す」
「うん、そうしたいところなんだけど……」
ふたりの依頼にサシェが言葉を濁した。
桟橋を渡って陸に上がると、すぐに飛空艇公社の建物が見える。
サシェは顔を隠すようにチュニックのフードの端を引っ張った。
飛空艇公社の中に入ると、まず荷物のチェックを受ける。
青と白を基調とする公社の制服を着た若いヒューマン族の女性がかばんの中をあらためた。
チェックはすぐに済み、部屋中央にある別のカウンターの横を通ると、そこに立つ案内係のヒューマン族男性が声をかけてきた。
「空の旅はいかがでした? 楽しめました?」
特上の美人二人にニコニコと笑顔をこぼしている。
そして――。
チュニックから眼鏡と銀髪がのぞいたタルルタ族を見つけると、そのふたりに対して以上に男が興味を示した。
「あの……あなたは、もしや……」
サシェはそれを無視したまま、早足でカウンターの横を過ぎた。
カウンターの男は自信なさげで、それ以上は声をかけてこなかった――が、荷物をチェックした女性がサシェのほうを見て、隣の同僚とヒソヒソと話していることにミサヨは気づいた。
チュニックを深くかぶっているのは、雨を避けるためじゃない?
飛空艇で暗い様子だったことと関係がある――とか?
そんなミサヨの想像をよそに、サシェは何も気づいていないかのように会話を続けた。
「実は私用で最初に行きたいところがあるんだけど、あまり面白くないところだから、ふたりは先に宿に――」
入口とは反対側の壁にある出口の扉に、サシェが手をかけたときだった。
サシェの声を遮るように、突然大きな声が背後から上がった。
「ちょ、ちょっと、泥棒っ」
女性のかん高い悲鳴があがり、急に部屋の中の空気がピリピリして、全員が荷物チェックカウンターのほうに注目した。
「こ、この人が、私のお弁当を……」
(……お弁当?)
ミサヨ、カリリエ、そしてサシェが見つめる先には――。
先ほど荷物をチェックした公社の若いヒューマン族女性。
そして彼女に右手首をつかまれたもうひとりのヒューマン族女性がいた。
左手には盗んだと思われるバスケットを持っている。
その弁当泥棒は、背が高い上に悪びれた様子がなく――毅然とした態度に迫力があった。
「何ですの? 私は空腹なのです。生き残ることは人生において最優先事項――あなたは私を飢え死にさせて平気なのですか?」
とんでもない居直り、かつ逆ギレである。
そう言いながら、左手に持ったままのバスケットを片手で器用に開けて中から白パンをひとつ取り出すと、遠慮なく口にくわえたのだ。
「な、なに平気で食べているのよ? 信じられない……ちょっと、主任」
荷物チェック係から声をかけられたのは、中央カウンターにいた先ほどの男であった。
我に返ったようにカウンターから出てくると、主任はバスケットを持つ泥棒の左手をつかんだ。
泥棒の女は気にせずにむしゃむしゃと白パンを頬張っている。
主任はもうひとりの公社の女性に声をかけた。
「君、西門に行ってガードを呼んできてくれ」
「ちょっと待ってください」
いきなりサシェが声をかけた。
驚いたのはミサヨとカリリエである。
通りすがりの冒険者が口を出すことではない――が、ふたりはサシェがここウィンダム連邦の国民であることを思い出した。
(え、でも、止めてどうするつもりなの?)
「よく見てください。彼女は本当にかなりの空腹のようです。困っている人には救いの手を差しのべるのが、月の
周囲にかまわず口の中のパンを咀嚼し飲み込んだ弁当泥棒は、汚い粗末な衣服にぼさぼさの髪で、顔も薄汚れている。
その両目から、涙があふれていた。
「あなた……いい人ですわね……」
弁当泥棒は大いに感激している様子だが、はたから見れば演技にしか見えない。
ミサヨとカリリエは大いにあきれた。
ところが――。
場の空気は、ミサヨとカリリエの予想外のところに流れていた。
「サシェ……カシェ……様?」
「やっぱり……。サシェカシェ様が、ウィンダム連邦にお戻りになられた」
どういうわけか、部屋の空気が急に明るくなり、部屋の隅にいたタルルタ族の特産品売りまでが浮かれた様子である。
「サシェカシェ様が戻られた――大ニュースだ」
サシェは顔を伏せるように頭を抱えている。
それから気を取り直した様子で荷物チェックの女性に近づくと、カウンターに五千Gを置いた。
「もしよければ、これで昼休みに食事でもしてください」
それだけ言うと、急いで部屋から出て行ったのだった。
慌てて後を追うミサヨとカリリエ。
わけがわからない。
サシェは思ったより早足だったので、ふたりが追いつくのに時間がかかった。
「もう、何よ、“サシェカシェ様”って……サシェさ――サシェのことなの?」
カリリエがすっきりしない不満を顔に浮かべてサシェを睨む。
少し顔が赤いのは、サシェと互いにタメ口で話す約束をしたものの、まだ慣れないせいだ。
そのとき、ミサヨは別のことを考えていた。
(……あんな客、飛空艇に乗っていたっけ?)
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