第四話 罠への誘い -後編-



 歴史の重みを感じさせる石造りのドラゴーニュ城。

 その広い廊下を、謎の娘とサシェが歩いていた。


 召喚状を見せたにもかかわらず城内から案内が来ないということは、彼女が案内人――というよりは、いつまでたっても凱旋門の向こうでのんびりしているサシェの情報を聞きつけて、迎えに来たのが彼女ということだろう。


 たまにすれ違う者たちは軍服や制服を身に着けている。

 娘の着飾ることを目的としたお洒落なワンピースは、明らかに浮いていた。


(こんな格好で城内を自由にうろつけるのは、王族くらいのはずだが……)


 これほど美しい娘の噂など、サシェは今まで聞いたことがなかったため、今や“国務代行代理”となったベッケルの身内に違いないと思った。

 ベッケルが玉座でふんぞり返っている情景を想像して、サシェは顔をしかめた。


(楽しくない時間が始まりそうだ)


 ところが、彼のこの想像は裏切られることになる。

 要所要所に立つ兵を通り過ぎ、金髪の娘は無言のままサシェを地下へと導いたのであった。





  ***





「遅かったな、サシェ」


 ランプの光が揺れる小さな部屋で、大きなデスクの向こうの革張りの椅子に座したベッケルと対面した。

 サシェが会釈をすると、ベッケルは頷いた。

 散らかった部屋の中と外には、例の黒鎧たちが立っている。


「ご苦労だった、ミサヨ。たしかに部下に頼むより、君に頼んだほうがスムーズに事が運んだ気がするな」

「お役に立てて何よりでございます、閣下」


 ミサヨと呼ばれた娘は、サシェの横でベッケルに頭を下げた。

 どうやら彼の身内というわけではないらしい、とサシェは思った。


「貴様たち冒険者を呼んだのは、もちろん依頼を出すためだ。……どうした、サシェ? 意外そうな顔だな」


 三日前のリタ家でのことなど忘れたかのように、笑みを見せるベッケル。


 彼は犯罪人でもなければ敵でもない。

 れっきとした国家の要人である。

 だが、サシェが警戒を解くことはなかった。


 他種族とはいえ、国民のひとりであるマリィを簡単に殺そうとしたこと。

 そしてそれを邪魔したサシェに、“後悔することになる”という言葉を残したことを忘れてはいない。

 そんな彼が、今さら何を依頼するというのか?

 サシェはベッケルの真意を測りかねていた。


「まあ、いい。最初に言っておくが、このサンドレア王国のことを――いや、世界のことを最もよく考えているのは、この俺様だ。そのためなら、この命さえ惜しくはない」


 口ひげの男は、さらりと言ってのけた。


「――能天気なタルルタ族、金のことしか頭にないヒューマン族、気まぐれなミラス族、馬鹿力だけのガドカ族。こんなやつらが好き勝手に生きているから、この世はいつまでたっても幸福に満たされた秩序ある世界にならんのだ」


 目の前にいるふたりがタルルタ族とヒューマン族であることは気にしていないようだ。


「いいか、この世で最も優れたレウヴァーン族が世界を治めてこそ、他の種族も真に幸せになれるというものなのだ」


 狭い部屋が大きな拍手で満たされた。

 黒鎧たちがベッケルの思想に染まっていることは明らかだ。

 手で拍手を制すると、苦悩の表情で頭を横に振るベッケル。


「だが、国王陛下はご決断なされない。獣人どもの勢力に立ち向かうほうが先だとお考えだ。しかし、考えてみたまえ。サンドレア王国が世界をまとめ上げれば、統制が取れた完璧な軍隊が出来上がるだろう。獣人どもなど恐るるに足らんのだ。そして、真の楽園への扉が開かれることになるであろう」


 再び拍手が湧き起こる。

 内容の是非はともかく、ベッケルは本気で話しているようだ。

 彼なりの思想に基づいた真剣な言葉だからこそ、賛同者がいるのだろう。


「よく聞け、冒険者たち」


 ベッケルの声のトーンがやや落ちた。


「貴様たちへの依頼は、サンドレア王国からの正式なものだ。ただし、極秘のな。それだけの報酬を期待してよい」


 ベッケルがデスクの引き出しから指令書らしき巻物を取り出した。


 まるで国家指令ミッションを与えるかのような仕草だが、サンドレア王国民ではない冒険者にミッションは出せない決まりになっている。

 ただの依頼であれば、それは報酬を前提とした“冒険者へのお願い”であり、引き受けるかどうかは冒険者の気分次第のはずだ。


 ベッケルは断れない雰囲気を作り出そうとしているようだった。




「冒険者にして黒き雷光団ブラックライトニングのリーダー、ミサヨ。貴殿は仲間とともにジュナ大公国に赴き、かの国が有するすべての飛空艇を奪取せよ。期限は一か月」


(――それは、立派な国家犯罪だ)


 地下の小部屋に呼ばれた理由が、サシェにはわかった気がした。

 そして目の前の男が本気だということも。


「冒険者にして錬金術合成師範、サシェ。貴殿はジュナ大公国に赴き、大公カムリナートを亡き者にせよ。期限は一か月。この二つの依頼は連携して実行してもらう。一方が先に成功すれば、警戒されてもう一方がやりにくくなるだろうからな」


(まともな依頼じゃない)


 仮に成功したとしても、報酬どころか消されかねないとサシェは思った。

 返事をする前にミサヨの様子をうかがったが、彼女もまた黙ったままだった。




 短い沈黙の後、ベッケルが遠くを見る目つきでつぶやいた。


「ああ、何と言ったかな。もう何か月も、税金を未払いの母子家庭があってな」


 ミサヨの表情が一瞬固まるのを、サシェは見逃さなかった。


 ベッケルが語ったのは、リタ、マルガレーテ親子のことに違いない。

 自分への脅しだと思ったサシェは、ミサヨの反応が意外だった。


「貴様たちが引き受ければ、これまでの滞納金のことは忘れるとともに、依頼期限までの一か月間は放置するとしよう。ただし、断れば――」

「喜んでお受けいたします、閣下」


 ミサヨが即答した。

 その表情に感情は読み取れなかったが、繊細な指が握り締められ、震えていた。




 満足げに頷いたベッケルは、次に口ひげをさすりながらサシェを見る目を細めた。


「サシェ、貴様には街中では禁じられた魔法を使用した罪がある」


 もちろん、サシェには身に覚えがある。

 マリィの命を救おうとして放った黒魔法〈麻痺スタン〉のことだ。

 ただし被害が出たわけではないので、普段ならたいした罪にはならない。


 問題は、今のベッケルが国王に匹敵する権限を有しているということだった。


「その罪により、禁固三年を言い渡すこともできるのだがな」


(やられた……)


 今度はサシェがこぶしを握り締める番だった。


 三年も拘束されれば、マリィを冒険者にするという依頼の失敗はもちろん、白絹の衣の魔力が失われている可能性が大きい。

 仮にリタとマリィをベッケルから遠ざけたとしても、サシェが捕まっている間にマリィの命は終わってしまう。


「お引き受け……いたします」


 この場は引き受けるしかなかった。

 国王たちがバスクート共和国から戻れば、状況が変わる可能性もある。




 例えばここが盗賊団のアジトで、ベッケルがその首領だったなら、冒険者としてベテランの域に達しているサシェにはどうとでもできた。

 油断させて黒魔法の〈範囲睡眠テラスリープ〉でも唱えれば、取り押さえることも、騎士団に突き出すことも簡単だ。


 しかし今のベッケルは、騎士団に命令を出せる立場なのだ。

 力で解決しようとすれば、世界中から追われる身になることは間違いない。




「うむ、それでいい」


 それだけを言うと、ベッケルは引き出しから小さな箱を取り出し、中身をミサヨとサシェに見せた。

 ビロードの布に包まれた台座の上に、白い真珠パールの指輪が二個乗っている。


「これは遠距離で思念を伝えるリンクスパールを指輪にしたものだ。先ほども言ったように、今後はふたりで連携を取ってもらう必要があるからな。そして、ジュナ大公国に潜入させた我が同胞を見分ける目印も兼ねている」


 ここまで来たら素直に従うしかなかった。

 ミサヨとサシェはそれぞれ同じ形の指輪を、サイズが合う適当な指にはめた。


 とにかく、ここから早く離れたい。先のことを考えるのは、それからにしたい――とサシェは思った。




「く、くくくっ」


 ベッケルが笑っていた。


「行っていいぞ。せいぜい頑張りたまえ。期待はしておらん。うまくいけば儲けものだ」


 その言い方に少し引っかかるものを感じたサシェだが、あとで考えることにする。


「〈帰還ワープ〉で失礼します」


 そう言って黒魔法〈帰還ワープ〉の詠唱を始めるサシェ。

 ミサヨという冒険者との連絡には、後でリンクスパールを使うことになるだろう。


 〈帰還ワープ〉は街中での使用を許可された数少ない魔法のひとつだ。

 一瞬で、あらかじめ設定したホームポイントに帰ることができる。




 ――はずだった。




「どうした、サシェ?」


 ニタニタと薄ら笑いを浮かべ、ベッケルが嬉しそうにサシェを見つめていた。


 〈帰還ワープ〉は発動しなかった。

 冒険者レベル17で習得してからこれまで、何百回と使ってきた魔法だ。

 失敗などありえない。


 それを見たミサヨがハッとして、付けたばかりの指輪を外そうとした。



 ――外れなかった。



「呪いの指輪かっ」


 呪いによるレベル制限――それが、〈帰還ワープ〉が発動しない理由。


 サシェは左手中指の指輪を見つめ、己の間抜けさを悔いた。

 警戒していたはずだった。


 ベッケルは初めから他種族を信用していなかった。

 依頼など、どうでも良かったのだ。


「入手には苦労したのだ。せいぜい楽しんでくれたまえ」


 醜く笑うベッケルは、今やはっきりと“敵”であった。


 私怨――三日前に、部下の目の前で無様に転ばされた。

 ただそれだけのことが彼のプライドを傷つけ、ここまで手のこんだことをさせたのだ。


 呪いのアイテムは他人に使用可能な状態で所持しているだけで罪に問われる。

 サシェは、ベッケルがここまでやるとは思っていなかった。

 おめでたいことに、ベッケルの立場をわずかでも信用していたのだ。


 すべては、手遅れ。

 ベッケルに一矢報いる力は――すでに封じられていた。



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