第五話 黒き雷光団 -前編-



 魔物のスライムから採れた透明なオイルと、あらかじめ切り分けた蜜蝋を二個用意して水のエーテルクリスタルを使って合成する。

 すると、サイレンスオイルと呼ばれる潤滑油が小瓶四本分できる。


 サイレンスオイルは冒険者に最も重宝される薬品のひとつで、鎧や靴に塗って使用する。

 そうすることで油膜を作り、金属と金属や靴と地面の摩擦を減らして音を消すのだ。

 聴覚で敵を感知するタイプの魔物――例えば、アンデッド系や昆虫系、水棲系の魔物の近くを、気づかれずに移動できるのである。


 朝から延々と、サシェは錬金術スキル24で覚えたこのレシピを合成し続けていた。

 錬金術スキルが100に達しているサシェが合成すると、精錬の無駄がないのでたまに一度で八本分ができたりする。


 すでにサシェの傍らには、百本以上の小瓶が積み上げられていた。


「ご主人様、こんなにたくさんのサイレンスオイルをどうするプコ?」

「ジュナ大公国で売るのさ。金を作って、冒険者を雇う」


 心配げなモーギルのほうを見もしないで、手を休めずにサシェが答えた。

 その言葉に、自嘲の響きがまとわりつく。


 ――五秒間の沈黙。


「……ああ、作りすぎてしまったな」


 今度はモーギルのほうをしっかり見て微笑みかけた。


「――ごめん、モーギル。まだちゃんと立ち直れていないみたいだ」

「ご主人様、元気出すプコ。モーギルは魔法なんて使えなくても、毎日元気プコよ」


 サシェが本気で笑った。


「あはは、そうだね、モーギル。ありがとう。じゃあ、そろそろ行くよ」


 出発の準備は二日前にできていた。

 そこに、正確に数えた百二十本のサイレンスオイルを入れた大きな布袋を加えて、サシェは宿を出た。

 余った二本は、自分用にいつものかばんに入れてある。





  ***





 サンドレア王国の上空は、曇り空だった。


 ドラゴーニュ城を訪れ、呪いの指輪に魔力を奪われた五日前のあの日から、曇りと秋雨を繰り返す日々が続いていた。

 あれだけ厳しかった残暑は嘘のように昔のことになっていて、涼しい風が建物の間を静かに流れている。


 正確には、すべての魔力が奪われたわけではない。

 いろいろと試したところ、冒険者レベル15までの魔法は使えることがわかった。


 サシェが冒険者になって、たった三年ほどで到達したレベルだ。

 人数を集めれば、一般市民でも倒せそうな魔物くらいしか相手にできない。


 過去二十年分の経験がすべて無に帰したという事実は、サシェにとって彼自身が思っている以上に、精神的な衝撃となっていた。


 いずれ、指輪の呪いを解く手がかりを求めて、冒険に出る必要がある。

 レベル15で踏み込める地域エリアは限られるが、それでも行くことになるだろうとサシェは思った。


(だが今は、最優先の依頼がある)



 ――マリィを冒険ができる身体にすること。



 それだけは、どんな困難があろうと達成しなければならない。

 自分でそう決めたからだ。

 その決意が、今のサシェを確実に動かしていた。





  ***





 サシェが港に着くと、巨大な木箱が飛空艇の甲板に積まれようとしていた。

 二階建ての家ほどもあり、見上げる大きさだ。


 木工ギルドの職人が組んだ木製の簡易クレーンと、足場、そして移動やテコに使われるたくさんの丸太の周りで、大勢の職人たちが動き回っていた。

 ちょっとしたお祭り騒ぎに、見物人もたくさん出ている。


 サンドレア王国とジュナ大公国を結ぶ飛空艇は、最も快適かつ安全で、速く移動できる交通手段だ。

 サシェが係員に出港時間を聞くと、あと三十分ほどだと教えられた。

 銀髪のタルルタ族は、港内の免税店を眺めて時間を潰すことにした。





  ***





「おっ、サシェさんじゃないの。どう、これ。サンドレア王国土産に買ってかない?」


 大きな声がした方を見ると、丸々と太った年配の店主が大股を開いて椅子に座っていた。

 サシェの背の高さくらいありそうな木箱をぺちぺちと叩いている。


 サシェが近づくと店主はニヤニヤしながら立ち上がり、箱の中身を見せた。


「どう? 最高級のサンドレアグレープで作った上物ワインだ。こっちじゃ、あまり需要がないんだけどね。ジュナ大公国だと高級料理用に高く売れる。最後の一箱百本入りで、ズバリ三万Gでどう?」

「よし、買おう。今なら荷積み代も安く済みそうだしね」


 木製の簡易クレーンが組まれた飛空艇のほうを見ながら、サシェが即答した。

 あっはっはと快活に笑った店主は、サシェの背中をばんばん叩いて喜んだ。

 タルルタ族の小さな身体が、ぐらぐらと揺れる。


「あいかわらず、気持ちのいいお客さんだ。ついでに、いいことを教えてあげよう」


 サシェとしては少しでも稼ぎが欲しいところだったので、乗るつもりの飛空艇に乗って行くだけで儲かる話がおいしかっただけなのだが、店主は誰かに話したくてたまらなかったという様子で、サシェの耳元に口を寄せた。


「役人が話してるのを、偶然聞いちまったんだけどね。あの大きな積荷、国王様からジュナ大公国のカムリナート大公様への献上品らしいよ」



 嫌な予感がするサシェ。



「それで、中身は?」

「そんなの知らないよ。きっと、すごいお宝に決まってる。あの大きさだからね」


 店主は再び、あっはっはと笑ったが、サシェは笑えなかった。


 呪われたあの日の空のように、上空の雲の流れは速く、黒みを増してきていた。





  ***





 木製の船底にあたる波が、ちゃぷちゃぷと軽い音を繰り返している。

 机も椅子もない、ただ広いだけの四角い客室で、サシェは壁に貼られた大きな航路地図を眺めながら飛空艇の出港を待っていた。


 客の数はサシェを含めて、まだたったの四人。

 四隅の一角に、王室関係者と思われる二人の事務的な役人と、一人の騎士の姿があった。

 騎士はアイルナーシュ少年の父、ベイルローシュだ。

 遠くにいるサシェと目が合うと、軽く微笑んで会釈を交わした。


 折を見て、巨大な箱の中身について聞いてみようとサシェは思った。




 ――突然。

 客室にひとつだけある出入口に、ヌッと巨大な塊が現れた。


 岩のように重厚な体躯、丸太のように太い腕、眼光の鋭い険しい容貌。

 そして、背後に伸びる重量感あふれる滑らかな尻尾。


 レウヴァーン族よりさらにひと回り大きいガドカ族が、人気の少ない客室内を見渡した。

 サシェと目が合うと、無表情のまま部屋の一角に歩みを進める。


 複雑な刺繍が施された紺色の広い布地を金で縁取った服が、室内灯に照らされてまばゆく輝いた。

 彼が見事に着こなしているのは、ノーブルチュニックだ。

 その冒険者が高レベルの白魔道士――回復魔法や神聖魔法のスペシャリストであることを語っていた。


 次に現れたのは三人組だった。

 タルルタ族の女、ミラス族の女、ヒューマン族の男。

 ちなみに、ミラス族はネコのような耳と尻尾が特徴だ。タルルタ族の女はサシェと同じ種族であり、子供のように見える。


 やはり、いずれも高級装備を身にまとい、装備の高級さはそのまま彼らの冒険者レベルの高さを表している。

 そして高級な装備ほど有名であり、特定のジョブに合わせた付加価値を伴うため、装備を見ただけでその冒険者のジョブを類推することが容易になる。


 タルルタ族の女は、体術を極めたモンク。

 ミラス族の女は、身の軽さが売りのシーフ。

 ヒューマン族の男は――彼だけは若く、比較的レベルが低いように見えたが――様々な武器を使いこなす戦士であった。


 三人組は客室に入ってくると、三人そろってサシェを見た。

 モンクとシーフは興味深げな、戦士は睨むような視線をサシェになげかけた後、先客の白魔道士と合流した。


 よく見ると、四人ともダークグリーンのパールを身につけている。

 ブローチにしている白魔道士、髪飾りにしている女モンク、耳に付けている女シーフ、指輪にしている戦士。

 形態は様々だが、同じ色のリンクスパールだ。




 サシェは、ふと、自分の指にはまった白いパール付きの指輪に視線を落とした。


 よく見ると、白いパールにスペードに似た形の模様が浮かんでいることに気づく。

 下の部分がやや長く、悪魔の尻尾の先のようにも見えた。


 サシェの冒険者レベルを15に制限している呪いの指輪だ。

 おかげで、いつもの高級な黒魔道士用装備を着ることができず、他の客に比べると実にみすぼらしい格好である。


(ベッケルは、この白いパールをリンクスパールだと言っていたな)


 同じときに同じ指輪を付けるはめになった女冒険者のことを思い出すサシェ。


 今まですっかり忘れていて、連絡を取ろうとさえしていなかった。

 向こうから連絡が来たこともない。


 サシェは試しに、白いパールに向かって心で話しかけてみた。




 サシェ: サシェです。誰かいますか?




 一般人にはあまり知られていないが、冒険者になると声に出さなくても心で会話ができるようになる。

 はじめは時間がかかるが、慣れてくるとかなりスムーズな会話が可能だ。


 いくら離れていようと、相手が眠ってさえいなければ心の声が届くし、相手がどこにいるかさえ感じ取れるようになる。

 ただし会話の相手は一人に限られるし、遠くにいる相手との会話は精神的な負担をともなうので頻繁には使えない。


 この冒険者独特の会話手法を“念話テル”と呼ぶ。


 これに対し、複数の仲間との同時会話を可能にするのがリンクスパールだ。

 念話テルの相手をリンクスパールにすることで、同じ色のリンクスパールを身に付けた者全員に心の声を伝えることができる。


 リンクスパールは、リンクスシェルという特殊な貝から採れる。

 様々な色のリンクスシェルがあり、採れるリンクスパールはリンクスシェルと同じ色になる。

 つまり同じ色のリンクスパールを持つ者どうしは、同じリンクスシェルの仲間ということだ。


 この仲間どうしのリンクスパールを介した会話を、“リンクスシェル会話”という。




 ベッケルから渡された呪いの指輪には、白いパールが付いていた。

 リンクスパールを指輪などのアクセサリーに加工するのは一般的な慣習であり、サシェはまんまとだまされた。


 だが実際のところ誰かと連絡を取りあうには、念話テルよりもリンクスシェル会話のほうがずっと楽である。

 また、ベッケル自身かその関係者が同じリンクスパールを持つことで、ふたりの会話を監視することもできる。


 そういう意味で、この指輪に乗っている白いパールが、リンクスパールとして機能する可能性は十分にあるとサシェは思った。


 しかし一分待っても、彼の声に対する反応はない。

 そして誰かが同じ種類のパールを身に着けている感覚もなかった。


 ミサヨという女冒険者も、白いパールが付いた呪いの指輪をはめていた。

 意識を集中しても彼女の存在を感じられないということは、白いパールはリンクスパールではないのだろうとサシェは思った。




 唐突に、波音が止んだ。

 飛空艇のエーテルクリスタル機関から、重力制御エネルギーが解放されたのだ。

 この一瞬だけは嘘のような静寂が訪れ、自分の息づかいが大きく聞こえる。


 すぐに低周波音がヴンと唸った後、ガシュガシュとタービンと歯車が回る音が壁から響いてくる。

 やがて、天井からヒュンヒュンと風を切る音が小さく聞こえてきた。

 六機の姿勢制御用プロペラが回転を始めたのである。




 間もなく出港というそのとき、最後の客が出入口に姿を見せた。

 艶のある黒髪をショートボブにした、ヒューマン族の美しい娘だ。


 サシェは、その娘にどこかで会ったことがある気がした。

 服装は、サシェとあまり変わらない低レベル冒険者用のものだ。


「ミサヨ、遅いよ。乗り遅れたかと思った」

「アレ? もう髪が伸びたのか? それとも、かつらッ?」


 モンクと戦士が声を上げ、サシェの思考が一瞬止まった。


(――ミサヨ、だって?)




 サシェが思い出していたのは、全く別の女性だった。

 八日前にマリィの家の前に立っていた、黒鎧を着たヒューマン族の女。

 短く刈り上げた黒髪で、ベッケルにぶつかった新米の黒鎧である。


 彼女が転んだおかげで、マリィは助かったのだ。


(あのときの黒鎧が、ドラゴーニュ城を一緒に歩いたあの金髪の娘だって?)


 混乱するサシェだった。



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