第二話 白絹の少女 -後編-
サシェが驚いた理由は二つある。
ひとつは、白いはずのシーツと包帯がグレーにくすんで見えるほどの、輝く白さを放つ絹のキャミソールを少女が身に付けていたこと。
(“神聖布合成”の技が使われている)
生地が“聖なる絹布”であることは間違いなかった。
神聖布合成の技能を身に付けた裁縫職人が、スキル53になって初めて作れる素材だ。
「サシェさんは合成術にたけた冒険者さんだとお聞きしていますので、お気づきかもしれませんね。これは“白絹の衣”といって、生地に〈
リジェンカラーという装備品がある。
やはり神聖布合成で作られる首装備で、徐々に生命力を回復する白魔法〈
それと同じ、いや、それよりもはるかに強力な効果をもつ一品だとサシェには思えた。
ベッケルに見つかっていれば、間違いなく没収されていただろう。
白絹の衣には剣による切れ目があったが、そこから覗く少女の肌には傷どころか血痕さえすでに残っていなかった。
切れ目からほつれた絹糸を指で拾い上げたサシェは、その魔法を帯びた白さを見つめた。
「私は裁縫が専門ではないので詳しいことはわかりませんが、この衣に
冒険者が用いるエーテル合成は、エーテルクリスタルの力を借りることで素材から瞬時にアイテムを作り出せる有用な技だが、化学変化と製作過程を補ってくれるに過ぎない。
つまりレシピのあるアイテムなら作れるが、見たこともないオリジナルのアイテムを作り出すことは不可能だ。
新しいアイテムの開発には、必要な素材が所望の性能を得るための作業手順を、確実に経ることが必要となる。
簡単に手に入るものではない。
「入手には、死んだ主人が残した貯金のすべてを使っても足りませんでした。少ない私の稼ぎのほとんどを毎月の返済に当てていますが、とても……」
婦人が肩を落とし、少女にシーツをかけなおした。
「――すみません。お会いしたばかりのサシェさんに、こんな話を」
衣が放つ魔法の白さが隠れると、異世界から現実に引き戻されたようだった。
家の外では夜の虫が鳴き始めている。
驚いた理由の二つ目。
それは、少女が白絹の衣を着ている理由と無関係とは思えなかった。
衣から伸びた細い手足には包帯が巻かれ、左腕のヒジから先と右脚のヒザから先が――無い。
「魔物に襲われたんですか?」
サシェが思いつく中で、最も可能性が高い理由がそれだった。
だが、婦人は首を横に振った。
「いいえ」
その顔に、苦渋の色が浮かぶ。
「この子には、生まれたときから左手の小指と右足の
恐ろしい運命だった。
少女にとっても、母親にとっても。
衣の効果が切れれば、その瞬間に少女の命は終わる。
〈
(いや、そもそも二つ目の白絹の衣が存在するのかどうか。作れる職人が生きているという保障もない……)
「いったいどうやって、この衣を手に入れ――」
聞かずにはいられない質問をサシェが口にしたとき、玄関のドアをノックする大きな音が響いた。
***
「リタ。夜分にすまないが、アイルナーシュは来ていないだろうか?」
外からの声に最初に反応したのは、レウヴァーン族の少年だった。
「やべ。今日はお父さん、早番だっけ」
幼なじみの秘密を知って、なんとも情けない顔をしていたアイルの目に光が戻った。
慌てて玄関へと駆け出す。
「あら、いけない。もうすっかり外が暗くなっていますね」
婦人は壁にかかった小さな鏡の前に行き、ほつれた髪をなでつけてから少年の後を追った。
部屋に残ったサシェはそのまま丸椅子の上に座りこみ、背中をベッドの側面にあずけた。
小さなタルルタ族の頭のてっぺんが、かろうじて少女から見える位置にある。
少年の父ベイルローシュ氏とは面識があったが、挨拶に出て行くほど親しいわけでもなかった。
(それに、まだ帰るわけにはいかない)
婦人が娘の秘密を打ち明けたということは、冒険者のサシェに何かを依頼したいということだ。
それは病気に関する調査かもしれないし、白絹の衣に代わるアイテムの探索かもしれない。
玄関のほうから、息子を叱る父親の声が聞こえた。
「馬鹿者っ。こんなに遅くまでお邪魔して、リタさんにご迷惑だということがわからんか?」
「だって……」
「まぁまぁ」
そんな遠くの会話をよそにサシェが少女の病気について考えを巡らせていると、頭の上から幼い声が届いた。
「お母さんは、ベイルローシュさんから
初めて聞く少女の声は、明るくしっかりしていた。
部屋にふたりしかいないことを意識した口調だ。
「お母さんは秘密にしてるけど、私、知ってるの。もしそうなったら、アイルが私のお兄さんになるのよ、素敵よね。でも、お母さんは、プロポーズを受けられないの。すごく、たくさんの借金があるから……」
その声が震えた。
「私の……せ……い…………」
涙声になり、最後は聞き取れなかった。
「や……だ、お母さんに、泣いてるの……見られ……ちゃ…………」
借金なんて子どもが気にすることじゃない――そう言うのは簡単だった。
しかし、母親に心配をかけまいと、泣くことさえ我慢してきたというのなら……。
サシェはもう一度椅子の上に立ちあがり、少女を見つめた。
頬を濡らす彼女が、初対面のサシェに警戒を解いて話しかけたことは明らかだ。
それはタルルタ族特有の子どものような外見のせいかもしれないし、母親が少女の秘密を打ち明けたことで、信用していい相手だと感じたのかもしれない。
だからサシェは会ったばかりにもかかわらず、彼女にこんな質問をした。
「マリィは、生きたい? それとも、死にたい?」
ビクッと震えて、少女が濡れた瞳を上げた。
そうして自分を見つめるタルルタ族の瞳を覗き込んだ。
答えを予想した上での質問だった。
ただサシェは、彼女自身にその気持ちを自覚しておいてほしかった。
「生きたい……です」
残酷だという人がいるかもしれない。
だが、少女には生きて行く上で必要な心のエネルギーが、少なくとも今はまだたしかに輝いている。
「本当は……夢があるの。誰にも言ったことないけど……無理かもしれないけど……」
サシェは黙ったまま聞いていた。
「アイルは十三歳になったら、冒険者になるんだって。そうして、たくさんの世界中の話を私に聞かせてくれるんだって。でも、でもね、私は――」
少女の真剣な瞳が、サシェの顔を映している。
「私も冒険者になって、アイルと一緒に世界中を周るのが夢なの」
サシェからの反応を恐れるように口を閉じるマリィ。
もしここで否定的な言葉をひとつでも返されたら、再び心の殻に閉じこもってしまう……そんな危うい時間だった。
サシェがしばらく考え込んだ末に発した言葉。
それは、彼がこれまでの人生で何度も口にしてきた言葉だった。
「その依頼、引き受けた」
「え?」
キョトンとした顔で見つめる少女を背に、サシェは丸椅子から飛び降りた。
そしてくるりと振り向き、ベッドの上に顔を出した少女を見上げる。
「この国で受けた依頼はすべて達成してきた。だから、この依頼も必ず達成する」
「え……でも私、依頼なんて……。それに、うちには報酬にできるようなものは――」
少女の言葉が終わらないうちに、どういうわけか婦人、少年、その父親の三人が部屋に入ってきた。
「マリィ、今夜はベイルローシュさんが料理を作ってくださるそうよ」
婦人が嬉しそうに、娘に微笑んだ。
「もともと今日は早番で、私が料理をする予定だったのだよ。そのための買い出しに行っていたはずのコイツが、私が帰宅しても帰っていなくてね。おかげで食材もここに置いたままだったわけだが――おや、サシェ殿ではないですか」
「だから言ったろ。変なやつらが来てたから、ぼくがサシェを連れて来たんだって」
「嘘をついたな、アイルナーシュ。さっきは自分が追い返したと言っていたではないか」
少女が笑い、婦人も笑っていた。
自分のかばんを肩にかけたサシェが、軽く会釈する。
「今夜は失礼します。良いお食事を」
「サシェ殿もご一緒にいかがですか? 私の記憶がたしかならば、この家のご婦人は心の広い方ですぞ」
おどけた言い回しをするベイルローシュに、婦人が慌てて応えた。
「もちろんですわ。それにまだ、サシェさんにお話ししたいことが――」
首を横に振るサシェ。
「いえ、残念ですが、今日は重要な依頼を受けたばかりなんです。近いうちにまた顔を出しますので、ご心配なく」
リタ家を後にしたサシェが振り返ると、窓から暖かい光が漏れていた。
夜の街はすでに涼しく、石壁に切り取られた空にはたくさんの星が瞬いていた。
***
「これ、ぼくのじゃないよ」
楽しい食事の後、帰りがけに渡された小さな人形を見て、アイルナーシュは怪訝な顔をした。
「おかしいわね、てっきりアイル君が持ってきたのかと……サシェさんかしら?」
「ううん、お母さん。サシェさんが来る前から置いてあったよ」
ベイルローシュがその人形をじっと見つめた。
「これは、どこかで見たことがある。たしか王室親衛隊の資料保管室だったか」
どうしてそんなものがこの子の部屋に――そうつぶやく婦人の前で、レウヴァーン族の少年が父親に話しかけた。
「お父さん、王室親衛隊って知ってるの? お父さんのいる王立騎士団と関係あるの? 昼に来た怪しい連中が、王室親衛隊だって言ってたんだけど」
「よくは知らん。ただ、ピエージュ様がご病気で床に就かれ、国政に口を出しているのが――まぁ、子どもには関係のないことだ」
子ども扱いされた息子がむっとしたことには気づかず、父親は話を続けた。
「その人形は目立っていたので覚えている。たしかウィンダム連邦の魔法人形で二体あったはず。別々にその人形を持てば、離れた場所でも会話ができるとか」
「気味が悪いわ、ベイル。王室関係の物なら、あなたから返していただけないかしら?」
不安げな婦人を元気づけるように、ベイルローシュが胸を張った。
「まかせておけ、リタ。おかしな疑いなどかけられぬよう、うまく返しておこう。心配せずに今夜はゆっくりとお休み。それから――」
ベイルローシュが婦人に少し顔を近づけた。
「困ったことがあれば、なんでも言ってくれ。どんな相談でも、必ず力になるから」
少年の顔が曇った。少女の秘密の深刻さを思い出したからだ。
「どんな相談でもだ」
ベイルローシュが念を押した。
(もしかして……お父さんは知ってる?)
少年は普段より尊敬の念を込めて、父親を見上げていた。
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