紅蓮のハザード①

 ……それは、登校ラッシュの20分ほど前のことです。


「あ、おはようくればやしさん。日誌もらってきたから、簡単なところは書いておくね」

「……ふぁいっ!?」


 日直の役目を思い出し、朝練を延期して職員室へ向かおうとしたら、教室の出入口でわかくんと遭遇です。

 にこりと、爽やかなあいさつ。

 次いで、日誌を開いて歩き出した若葉くんの背中を追うように、机と机の間を縫う。

 追いついたときすでに若葉くんは自分の席についていて、黒無地のシンプルな筆箱から、シャーペンを取り出すところだった。


「ちょ、ちょっと待って。若葉くんは、どうしてこんな早く学校に?」

「僕も日直だからだよ?」

「はっ!?」


【日直】紅林 若葉


 ……思わず振り返った黒板と若葉くんの言い分に、相違はない。

 となると、若葉くんからして疑問となるのは私の言動だ。

 マヌケな声に、レンズの奥にある黒目がパチパチと瞬く。


「そんなに驚くこと? 黒板に書いてあったよ。僕の見間違いでなければ」

「それはないかな!? ウチのクラスで若葉くんって、ひとりしかいないから!」

「ははっ、そっか。なら間違いないなー」

「そうだよ。ハハハ……」


 ……今日って若葉くんだったっけ?

 編入翌日に日直なんてアリ? 別の人だった気がするのは私の思い違い?


(……まさかね)


 心当たりがないわけじゃない。いや、どちらかといえばありすぎるけど……


「紅林さんって、いつもこんなに早いの?」

「……あ、うん。家近いしね」

「へぇ。この辺は駅からも近いよね。学校帰りとか充実してそうだな」

「何が?」

「あれ、寄り道しない?」

「いやぁ……部活が終わったらすぐに帰るし」

「そうなんだ? 僕なんか毎日してるけど」

「毎日!?」

「そうなんだよ……毎日が戦場でね」


 頬杖をつき、視線を窓の外に飛ばした若葉くんが、乾いた笑いを浮かべる。


「ごめんちょっといい? 若葉くんは、学校帰りにいつも何してるの?」

「何って、ゲームセンターの……」


 ゲームセンター!?


「はす向かいにあるバーの……」


 ……ああ、ゲームセンターは関係ないのね。

 でもまだ雲行きが怪しいんだけど……健全な未成年的に!


「裏路地を通り抜けた先の寺の……」


 寺? バーの先に寺なんてあったっけ?


「200m行ったところにある、スーパーに用があるんだけど」

「……………………」


 色んな意味で、なんと言ったらいいのかわからない。


「えっと……若葉くんはそこで何を?」

「やだなぁ紅林さん。夕飯の材料を買うんだよ。葉物野菜がビックリするほど高くてね。もう大変で大変で」


 私、若葉くんと話してるのよね?

 なのに主婦が見えるのはなぜ?


「わ、若葉くんって、家庭的、なのね」

「意識したことはなかったけど、言われてみればそうなのかな」

「そうだと思うよ、うん」

「ウチは兄弟多いから、母さんを手伝ううちに、いつの間にか僕の仕事になっちゃったんだ。学校帰りの買い物は、日課みたいなものだよ」

「兄弟がいるの?」

「妹と弟がね。まだ子供だから、僕が面倒見なきゃいけなくって。……似合わなかった?」

「ううん、全然!」


 お兄ちゃんなんだ。若葉くんがしっかりしてる理由もこれで納得。

 それにしても、買い物が日課とは驚き。

 私も頑張らねば、とひそかに決心した朝の出来事でした。




  ☆ ★ ☆ ★




(おかしいですぞ……)


 休み時間、私はつち先生に日直の仕事を仰せつかったはず。

 これでも力仕事には自信があったんだけど、「僕が行くね!」ってスマイルもらっちゃって。

 口を挟む間もなく、大量のプリントをせっせと用意する若葉くんを、職員室の外で待つことになった。


「……ホント、不思議な人」


 編入生って注目されるものだし、誰かしら話しかけてくれるものだ。

 若葉くんほどの人柄なら、すぐに友達だってできるはず、なんだけど。


(昨日、若葉くんは私以外の誰かと話してた?)


 考えてみても、頭の中はまっさらだった。


「アンタってホント勇気あるよねぇ、アキ」


 そんなとき、どこからか聞こえてきた名前には、覚えがあった。

 アキ……確か、クラスメイトにも同じ名前の人がいたな。遠藤えんどう 亜貴あきさん。

 何気なく壁から顔を出す。すると職員室を横切る廊下をちょうど曲がったところで、その遠藤さんが、何人かの女子と輪を作っているではないか。


(どうしたんだろ?)


 首をひねる私に、届いたものは――


「だって、私が嫌だったんだもん。紅林さんと日直なんて」


 ――耳を疑う、冷ややかさだった。

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