第4話
天郷、という二文字がその海洋国家に棲まう人々にとって自国であり、世界の中心を意味していたのは、五年ほど前、大海征までのことだ。
西方四国の連合艦隊による、最新技術と最大物量に物を言わせた軍事行動。
それがいわゆる『大海征』。
その後、諸外国の助力を得てそれを跳ね除けた太州総督府だったが、その礼金、および西方四国への賠償金、各地で奮戦した各軍閥への報奨金などに大量の負債を抱えて経営は頓挫する。
そして対外問題は、いつしか内紛へと変異していった。
栄州軍閥を中心とする革命によって総督府は打倒され、この中央政府の中核であった旗本十騎がその解体を命ぜられたのは、三年前のことだった。
だが、時代の奔流はその後こそが激しかった。少なくとも、市井の人々にとっては。
まず旧政権が抱えていた負債を解消するべく、暦が変えられ、税の徴収が前倒しになった。
また、ひときわ被害を受けたのは神社や神宮の勢力であっただろう。
多くの所領と財産を抱え、それらが特権的に保護されていた。
手付かずに育った巨木や鉱脈は、それこそ新政府にとっては手の届く場所に放置された宝に思えただろう。
そして、彼ら勝利者にとっては、当然おのれらに所有権があると考えた。
反対はあった。
「ここは神が鎮座まします聖域である。もしその禁を破るようなことがあれば、彼らは怒り狂い、激情のままに暴れ狂うだろう」
そう押しとどめる宮司たちを押しのけ、検地に来た憲兵たちは嗤った。
「神などいようはずもない。もし存在するというのであれば、何故に先の戦の折に人々を救済せなんだのか」
内外の国難にその心身を燃やした彼らにしてみれば、富や権力を欲しいままにしながら安穏と祭祀やら儀式だのにうつつを抜かしていた神職の者共に、忸怩たる思いがあったのだろう。その憎悪に勝利者たる者の優越が加わり、さらに彼らを驕慢にさせた。
霊山を焼き、神木を伐り、宝物殿の扉を蹴破った。
だが
封を破られたそこから、異形の者たちが現れた。果たして神官たちの予言の通り、住処を荒らされた彼らは侵入者たちを殺して周り、霊域に踏み込んだ愚者たちのうち、誰一人として五体満足な者は帰ってこなかった。
そのまま山に居座る者もいた。新天地を求めて暴れ狂う者もいた。復讐のために人里を襲った者もいた。人を食う者も、生殖のための苗床にする者もいたし、人体や精神に寄生する者まで現れた。
宝の前に生い茂る薮を無策にかき回し、無数の大蛇を起こしたかたちとなった新政府は、苦肉の策として対策組織を祭務省主導のもとに設立。
政治犯や思想犯として投獄されていた旧勢力の士族、あるいはお役御免として放逐した神官たちを再登用し、事態の収拾に当たらせることとなった。
「……これが、我ら『賢木の枝』成立までの流れだ」
駐屯所内のサロンにて、駿の講義を聴いて「はぁ」と霧生は生返事。すっかり硬くなった餅を小豆汁の中でほぐしながら、ぼやくように言った。
「まさかまた研修を受ける羽目になるとは思いませんでした」
「そう言うな。お前の質問に対して順を追って説明するとなると、どうしてもそこからになる」
苦笑しながら、副長は渋茶を煎れていた。
「で、アレ。海城澪の正体に入るわけだが……アレは港州の
「あぁ、やっぱりあいつ、男だったんですねぇ」
自分の見極めが正しかったことを知り、霧生は安堵した。
だが対する駿の眉根あたりには、苦さが浮上していた。いや、そもそも何故彼女は、何度も、自らに念押しするかのように『アレ』だの『兵器』だのと物扱いするのか。
「先年、海蛇型の異神が死骸として発見されただろ。それが元々封じられていたのがあの宮で、水運と豊穣をつかさどる竜神として祀られていた」
「ははぁ、読めた」
霧生は箸を突きつけて笑った。
「その出自ゆえにあの少年は神通力を得たというわけですか」
「話が早いな。その通りだ」
「……」
冗談のつもりで言ったことが、そのまま正解だった。
所在なさげに虚空をさまよわせていた箸を椀の上へともどし、霧生はつまらなさそうに唇をとがらせた。
「だが、その海城家には奇妙な習わしがあった」
「ならわし?」
渋茶を注いだ湯呑を、女副長はまずおのれの手元に置いた。そのうえで、別の茶碗に煎れた茶を、霧生の手元に置いた。
「一族の嫁を神と娶せる。いわゆる異類婚姻だ」
こつん、と陶器と塗り物がかち合う音がした。
「一族の中からとりわけ容色にすぐれた者を選び抜き、海へと供する。それによって神とまじわり、やがてふたたび陸に上がった嫁は、神の仔を産む。そうして神もまた代替わりしていく。効能があったかはともかく、そういうことが、三世代に一回行わされていた」
「狂ってますね」
霧生は茶碗を取ってすすり、忌憚なく私見を述べた。
駿は、否定も肯定もしなかった。
「ただ、しばらくはその肝心かなめの女系にめぐまれなかったそうだ。それに合わせるかのように、近郊では不漁不作が続いた。奇病が蔓延し、何百人という死者を出した。一族に近しい縁故より養女をとったりして代行を試みたが、効果はなかった。窮した当時の宮司のひとり息子が、澪だった。そしてアレは並みの少女よりも美しかった」
あとは言わせるな。そう訴えたげに、駿は今にも吐きそうな顔つきで手を振って話題をさえぎった。
なんとも食事時に聞く話ではなかったが、少年隊士の食欲がそれに勝った。
箸を動かし餅を食い、それを茶で流し込む。他者の食い気まで誘うような豪胆な食いっぷり飲みっぷりに、副長は微苦笑を漏らし、自分も茶で唇を湿らせた。
「その因習をさらに歪ませた狂気の結果が、アレだ。無事に『床入り』を果たして陸に上げられた少年は内面も外見もすっかり変わり果てた。そして子を成せず、老いた竜神様は文字通り、精根を使い果たして死んだ。新政府の棄神令によって神社も解体され一族は離散。そうしてアレだけが残った」
なんとも無情で理不尽な話もあったものだと思う。
時代の奔流にさらされたのは霧生も同じだったが、澪の凄惨さはそれを軽く上回る。
――そう、内戦の末の投獄生活中、一家全員腹なり首なり斬って斬られて死んでいたなど、些末な話なのだろう。
「しばらくはその能力を重宝がられて陸軍省のほうで異神討伐に使われていたが、しだいに持て余しはじめた。そこで我らが敬愛すべき局長殿が奇貨居くべしと、方々に根回ししてアレを買ったというわけだ」
敬愛すべき、のあたりに強烈に含みを持たせて、 副長は線を引くようにして笑った。
「で、その奇貨ってのは今どこに?」
ふたつの椀を空にして、霧生はあらためて問うた。
「問診を受けている。アレからはまだ収集すべき情報も多いというに、陸軍のバカども、そこまで頭がいかなかったようだ」
冷たい皮肉を込めて言う彼女に、霧生は肩をすぼめてみせた。
「ということは、あの爺さんの出番ってわけか」
楽し気に、言葉を鞠のように弾ませる少年に対し、副長は重く苦い表情で、眉間にシワを寄せるばかりだった。
「そうだ。あの老人だ」
ただし老人を語る印象の度合いは、どちらも等しく強かった。
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