「卒業」

 人が出ていったことで眠気と緊張をまとった空気は体育館から次第に薄れていった。残った生徒の雑談とパイプ椅子が当たる音、窓からは教師や家族と思われる声がかすかに聞こえる。島田は手にした箒で紙吹雪に使われた色鮮やかな折り紙を集めていた。紙は二階から舞うわずかな時間だけ輝き、床に落ちてからはゴミとして扱われ捨てられていく。儚さとは異なる虚しさばかり感じられた。

 まとまらない思考のまま手を動かし、ほかの班員と共に自分の仕事を終えた。

 喋りながら教室に向かうクラスメイトの後をついていきながらチラリと窓を見やると、すでにホームルームの終わったらしい卒業生の姿が見えた。友だちと肩を並べて写真を撮っているようで、多くの卒業生の手にはスマートフォンが握られていた。校内でのスマートフォンの使用は基本禁止されているが、今日は先生たちも大目に見てくれているのだろう。教師も巻き込み自撮りをする卒業生たちは遠目でも楽しそうに見えた。

 探した人は見つからず、島田は安堵とも不満ともつかない息を吐いた。

 島田たちが教室に着くとクラスメイトの大半が戻ってきていた。しばらくしてホームルームが始まったが、卒業生との時間に配慮してか、簡単な連絡だけされるとすぐに解散となった。 

解散の号令と同時に、部活動に所属しているクラスメイトたちが自分の荷物をまとめ、バタバタと教室の扉から出ていく。いつもは見ない花束や色紙が彼女らの腕から垣間見えた。羨ましい気持ちに胸をつかれて自分の机を見る。日の光が反射して眩しい。ふと窓からわっと声が聞こえて、島田は体を傾けて下をのぞき込んだ。斜め下に見える玄関の前に人だかりができている。いくつかにわかれた制服姿の集団とそれを遠巻きに眺めているような保護者たち。そのこちら側に先ほど出ていったクラスメイトを含むよく知っている集団があった。

 あまり親しくなれなかった後輩とクラスメイトの二人が卒業生らを囲んで何か話している。その半円の中心にいる卒業生のあたりから、フィルムの反射のような光が時折見えた。集団の笑い声は風にのって聞こえてきたが、話していることまでは聞き取れなかった。

 島田はしばらくの間その光景を窓から眺めていた。


 やがて保護者が帰り、卒業生も半分以下に減った頃、ようやく教室を出た。靴に履き変え外に出ると、生徒がひとりこちらへと歩いてきた。胸元にピンクの花飾りを付け、手荷物は親に預けているのかスマートフォンだけを手にしていた。

「ハル!」

 彼女はそう名前を呼ぶと、腕をぐいと引っ張りずんずんと歩いていく。華奢な腕に似合わずその力は強い。

「もう帰ったのかと思った。写真撮ろ?」

写真撮影用に玄関前に設置されている看板と並べられた花々の前まで歩いてから、こちらを振り向いた彼女の笑顔はキラキラと輝いて見えて、一瞬言葉が出なかった。

 遅れて始まったシャッター音が止んだあと、先輩は満足そうに写真を眺めていた。しばらくしてそれをポケットにしまうと顔を上げる。ふと目が合った。秋の初め、帰りに話していたときに時々していたように、どうかしたとでも言いたげに笑う。その様子が愛おしくて、けれど何も言えず、ただ「卒業おめでとうございます」と改まった口調で言った。

 その堅すぎる祝いの言葉に先輩はおかしそうにクスクスと笑い、ありがとうと応えた。

「佐紀ちゃんとか来たのにハルが来ないから、どうでもいいって思ってるんだと思ってた。だるいって帰ったのかなって」少し眉を下げながらも先輩は笑って話した。

「ただ、気まずかっただけですよ、すぐに行くと部活の人ばかりで。佐紀とか他の子は気にしないでしょうけど、辞めた身からすると申し訳ないというか、ね」

 誤魔化すように言い訳を口にする。真面目に励んでいた部員たちに合わせる顔がないのは本当だけど。

「そっか。私らも気にしないけどな、もともとゆるい部活だったし。でもハルがそう思うならそうだし、それでもこうやって来てくれたわけで」

 先輩はそう明るく話す。最後の言葉の強調に曖昧な笑いしか出来なかった。いつも大事なところを誤魔化して、彼女の笑顔を見ている。

 本当はもっと早く話したかった。一番先におめでとうと言って長く話していたかった。でも、部員に囲まれているところを見て、そこに自分の居場所がないことを思い知って、動けなくなった。遅れて降りてきたのはそんな自分を隠したかったからだ。

 綾こそ早く帰っていなくてよかった。

「今日帰りはどうするの。時間は平気?」

「うん、大丈夫。親からは勝手に帰ってこいって言われた」

 放り出されちゃったと綾はえへへと笑う。

「だからハルを待ってたっていうか。一緒に帰らない?」

 もう帰ったかもしれないと思われていたのに。願ってもいない申し出を断る理由などなかった。部活をやめてから放課後に過ごす時間は増えたが、それも受験前の短い間だった。

 久しぶりに一緒に帰れる。わざわざ待っていてくれた。

 それだけで嬉しさがじわじわと胸に広がり、やがて動悸に変わった。

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