三題噺 [兎][鍵][美しい]


 SNS上である噂が流れていた。

『うさぎを手に入れれば願いが叶う』

 多くの人によって拡散されたが、そのほとんどはただの作り話として認識していた。



 八時過ぎ。昨日したことや、最近流行っていることなど、俺はすでに来ているクラスメイトと話していた。教室に来て十五分ほどが過ぎ、八時二十二分になるとアヤトが教室に入ってきた。

 毎日のことながら、どうして同じ時間に登校できるのか…。一度聞いたことがあるのだが、本人曰く、普通じゃない?とのこと。十分普通ではないと思うが、そんな変わったところがアヤトにはある。

「おはようアヤト。お前このうわさ知ってるか?」さっきまでクラスの奴らと話していた話題を振る。

「おはよう、上野。うわさ?うわさってどんな?」

「んだよ、知らねぇのかよ。最近ネット上でよく見かけるんだけど、『うさぎを手に入れれば願いが叶う』んだとよ」

 こんなうわさを話題にするあたり、高校生ってのは暇をもてあましているのだろう。

 アヤトは少しものを考えるような顔をしてから答えた。

「へぇ。面白い噂もあるんだね。でもただの作り話だろ。現実っぽい内容じゃないし」

「ま、そうだろうな。だいたい『うさぎ』ってなんだよな。動物じゃないだろうし。

 …面白そうだったから俺も拡散しちまったんだけどよ」

 アヤトはあまりこういう話が好きではないのか、それから深くは聞かなかった。そのあとは、宿題をやったかどうか、今日は晴れているから体育が憂鬱だとか、そんなことを話しているうちにチャイムが鳴り、ホームが始まった。



 放課後。

 朝方に授業が嫌だと言いながらも時間はあっという間にすぎる。俺はいつものようにアヤトに声をかけた。

「アヤトー帰ろうぜ!帰りどっか寄らね?」

「お、いいな。どこ行く?」

 特に行きたいところが決まっていたわけではなかったので、とりあえず帰りながら、考えることにした。


「今朝のうわさだけどさ」

 唐突に言われ、しかも興味がないと思っていたこともあって、アヤトが何を言ったのか、俺は聞き取ることができなかった。

「ごめん、もう一回」

「今朝のうわさ。『うさぎを…』ってやつ。上野は本当だと思うか?」

 今朝言っていたこととは真逆の質問をされて、少し、いやかなり驚いた。俺の知る限り、アヤトは自分の言ったことを変えたことがない。俺が少し話しただけで、それ以降一度も話題にならなかったのに。

「お前が意見を変えることってあるんだな。そうだな、俺は作り話だと思う。つか、本当だとしても、たぶん俺には関係ないかな」

 アヤトが真面目な感じで聞いてきたから、つい俺も茶化さずに答えてしまった。

「関係ない、か。うん。そう思っているほうがいいと思う。」

「なんだよ。変な言い方だな」

 どこかおかしなアヤトの返事に俺は釈然としない気持ちになった。

「いや。ただ自分の願いに忠実すぎるのも考えものだなと思って。」

 願いってうわさのことだろうか。願いに忠実ってことは、叶えようとするってことじゃないのか?願いを叶えようとするのは普通だと思うが…。

「わけわかんねぇ」

「上野はそのままでいいってことだよ。それよりハンバーガー食べに行かね?俺、なんかそんな気分なんだよね」

 モヤモヤした気持ちのまま、俺たちはアヤトの提案通りハンバーガーショップに向かうことにした。



「ごめんなさい、ちょっと聞いてもいいかしら」

 ハンバーガーショップが見えてきた時だった。何を食べるかを話していた俺たちに、女性が声をかけてきた。

 その女性はとても綺麗な人だった。

「かまいませんよ。何かお探しですか?」

 アヤトが答える。こんな美人のお姉さんにも、動じることなく対応できるなんて流石だ。

「ええ。うさぎを。」

「えっ?」

 女性の言葉に思わず声が出てしまった。

「どういう意味ですか?」

 ついそんなことも聞いてしまう。なんだか今日はうわさについての話をよくしているような気がする。だからだろうか。彼女がうさぎと言ったときに、俺はうわさのうさぎを一番に思った。普段なら動物のことを考えただろうに。

「そう、そういうことなのね。」

 彼女は何か納得した様子でアヤトに向かって言った。

「君、なにか知らない?」

 アヤトは少し困った顔で答えた。

「いえ、なんのことかよく分かりません。あの、よかったらお手伝いしましょうか?」

「あ、あ!なら俺も!」

 紳士的なアヤトとは対照的に、付け足すように言う。

「じゃあお願いしようかしら、君に」

 彼女はアヤトを指して言った。


 先に帰っててくれとアヤトに言われ、俺は一人で帰ることになった。美人のお姉さんと二人ということに羨ましい気持ちもあったが、どこか居心地の悪さを感じていたのか、一人で帰っていることに安心していた。

 明日の朝、アヤトに昨日どうだったかを聞こう。それから今日行きそびれてしまったハンバーガーショップに行くように誘ってみよう。

 そんなことを考えながら、俺は家に向かった。



 **



「ええ。うさぎを。」

「そう、そういうことなのね。」

「じゃあお願いしようかしら、君に」

 ああまたか。どこから情報を得ているか知らないが、ここ数年増えてきている気がする。おおかたインターネットが普及してきたからだろう。

『うさぎを手に入れれば願いが叶う』

 こんな信ぴょう性のない話を誰が信じるだろうと思っていたが、なんとしても願いを叶えたいという人間は想像よりもいるようだ。


「ねぇ、君がうさぎってことであっているかしら?」

 この女性は美しい。白い肌、紅い唇、パッチリとした瞳に、さらりと流れる黒髪と、健康的で女性的な身体。そのびしっとキメるスーツ姿は多くの男性を虜にするだろう。

「なんのことかわかりませんね」

 一応とぼけて答えるが、女性は確信をもって聞いてきた。

「あら?人違いだったかしら。『うさぎを手に入れれば願いが叶う』。そのうさぎは貴方じゃなくて?」

 上野を帰していてよかった。それにしてもこんな人通りの多いところで話すなんて。面倒ごとが起きてしまうかもしれない。

「どうして僕がそのうさぎだと?まぁ合っているんですけどね。ここではなんですからどこか人気の少ないところへ移動しませんか」


 女性を連れて建物の間へと移動する。人に聞かれる心配がなくなったことを確認して、本題に入る。

「僕がうさぎなら、貴女はどうするのですか?その美しい容姿で僕を虜にしますか?」

 人の見かけの善し悪しなんてまるで興味がないが、この女性にとって外見の美しさは重要だろう。

「虜になんて出来るのかしら?私が貴方に求めるのは美しさよ。どうすれば願いを叶えてくれるのかしら」

 女性は一歩俺に近づいた。

「貴女は十分美しいですよ。なぜまだ美しさを求めるのですか?」

「まだ足りないからよ。あの人を本当に手に入れるにはね。」

 女性は俺を見ながら、俺ではない誰かをその目に映していた。

「あの人は私を見ていてくれているわ、私のこの美しさを。それなのに最近あの女がやって来たから。美しくない幼い顔のあの女。あの人は私のものなのに、あの女はあの人に近づいて、あの人もまんざらではなさそう。私がもっと美しければ。あの人が私に満足していれば。あの人は私だけを見てくれるのに。」

 女性はその胸のうちを吐き出した。想う相手と、その人とをつなぎとめる自分の美しさに対する執着。どうしてそこまで思えるのか。人間は、やはり不思議だ。

「ただで願いを叶えるわけにはいきません」そう俺が言うと、女性はすんなりと頷いた。

「ええ、そう思っているわ。何をすればいいかしら」

 思っていたよりも話が早くて助かる。さっきの告白のように自分のあり方を心得ているようだ。

「くちづけを。その紅い唇をいただけませんか」

 黒髪に黒いスーツ。肌の白さもあって、紅い唇は彼女の美しさを示しているようだった。

「かまわないわ。あの人を手に入れるためなら。それにしてもキスなんて、見た目通りのところもあるのね。」

 女性はふっと微笑むと、顔を近づけ、やわらかい唇を俺にあてた。唇があたる瞬間に彼女は目を閉じた。きれいに分けられていた前髪が流れ、額にあたる。


 数秒が過ぎた。

 女性はゆっくりと顔を離して、俺の目を見た。キスをする前のはっきりとした意識が読み取れた瞳が、眠たげなものに変わっていた。体もどこかふらついている。

「ん、」

 なにか言おうと唇が動いたが、それが音になる前に彼女は俺に力なく倒れ、眠った。

 俺は彼女を抱きとめると人のいる通りへ移動し、彼女を座らせると隣に座って起きるのを待った。

 五分もしないうちに彼女は目を覚ました。辺りを見渡すと驚いた顔をして俺を見た。

「あの、私、」

「大丈夫ですか?あなたは俺に道を訪ねて、話しているときに倒れてしまったんです。」

 女性は困惑しながらも立ち上がると、俺に言った。

「よく覚えていないんですが、お世話になってしまったようで。ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ。…ごちそうさまです」

 女性は不思議そうな伺うような顔をしたが、それでは失礼しますと言うと足早に去っていった。




 翌朝。

 俺はいつものように早く学校に来ていて、いつものようにクラスメイトと話していた。いつもと少し違うのは、アヤトが来ることを今か今かと待っていることだ。

 八時二十二分になるとアヤトが教室の戸を開けた。それを見た瞬間入口に駆け出す。

「なぁ昨日のことなんだけど」

「おはよう、上野。ああ、ハンバーガーのことなら放課後にでも行くか?」

「お、いいな。俺もそのつもりだったんだ。…じゃなくて!その後!綺麗な女の人と何話したんだよ!」

 女性はうさぎを探しているといったはずだ。あれはどういう意味だったか。それにしても天然なのか、わざとなのか。まぁ確かにハンバーガーのことも気にしていたけど。察しがいい割にこういうところが抜けている。

「あ、そっちか。いや特になにも。うさぎって言っていたのはペットショップのことだったんだよ。飼いたいんだってさ」

 そうなのだろうか?ペットショップのことなら、そう言えばいいじゃないか。うさぎを扱っている店は他にもあるかもしれないが、それにしては言い方が悪いと思う。相手には伝わりにくい。それとも昨日俺がうわさのことを考えすぎていただけなのか。

「なんだよ、俺があの女性と一緒にいたことが気に食わないのか?」

 アヤトが茶化すように言う。

「ちげぇよ!確かに綺麗な人だったけど!」

 そう抗議したとき、何か違和感を感じた。じっとアヤトの顔を見る。

「お前、雰囲気変わった?なんか、かっこよくなったような」

 とくに髪を切った様子もなく、昨日と変わらないはずなのに、何か違う。

「そうか?何もしてないけど」

 アヤト自身も何かしたというわけではないらしい。けれど、他のやつも俺と同じように思っているのか、アヤトに視線が集まっている気がする。ただ入口で話しているのがうるさいだけかもしれないが。

 頭をひねって考えていると、担任の先生が現れ、邪魔だぞと怒られてしまった。そうこうしているとチャイムが鳴った。いつもの日常が始まる合図。そんなふうに感じた。


 おわり

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