第三編 親友との決裂
「委員長?」
B組のクラス委員長、神功春香だった。
「委員長?どうしてこんな所に…武内の奴は一緒じゃないのか?」
「親友が死んだんだよ?それどころじゃないでしょ。…ううん。違うっ。あんな女。親友なんかじゃない。」
彼女はいきなり手に持っていたノートを床に叩きつけた。
「委員長?如何したんだよ。お前ら…ずっと仲良かったじゃないか。」
「そうね…でも、今は違う。違うんだよ早太。君の愛した女の子は、私の愛した人を奪い取った、悪魔の様な女よ。私…信じてたんだよ。七花は私達の間に割って這入らないって信じてたのに。信じてたのに。信じてたのに。信じてたのに。信じてたのに。…あの女は私の大切な人を奪った。悪魔の様な女よ。あんな女…あんな女死んでせいせいしたわ。そうよ。悪はいずれ滅びるの。そうよ。あの女もとうとう滅びの時が来たのよ。アハハハハハハ。アハハハハハハ。アハハハハハハ。アハハハハハハ。」
彼女は狂った様に笑い出し。
「…あの子が悪いの。私の利ちゃんを
―最低。」
「委員長。止せ。」
「キヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
途端に彼女は甲高い悲鳴をあげ、美術部員の彼女が愛用しているナイフを取り出した。それと共に、僕のワイシャツは赤く染まった。
「委員長…」
その刹那、僕は事の全てを悟った。全て分かった。何もかもが。
○
「私は…私はずっと、アナタの事が好きでした。」
私は屋上で告白した。これが、私の精いっぱいの告白だった。
しかし、帰って来た言葉はそれほど甘くは無かった。
「嫌だね。もう俺たちは他人同士さ。」
「え?」
「俺にはもう恋人はいるのさ。知らなかったのか?まァ、仕方のない話さ。もう、お前の這入れる隙間なんてないのさ。」
彼は平然とした顔で酷い言葉を云い放つ。
「如何して?」
「所詮、お前は浮気相手。愛人だったのさ。一方的に俺の趣味を押しつけ、お前をキズ物にしたのも、所詮は俺が叶えることのできない欲望のはけ口でしかなかった。俺はお前の事なんてちっとも愛しちゃいない。お前はたかが一玩具でしかなかったのさ。」
彼は高笑いをしながら、チョコレートを地に落とし、それを
「待って。待って利通。私は…私はアナタが居なければ…私は生きていけないの。」
しかし、私の悲痛な叫びは届く筈も無く、利通の姿は其処には無かった。
私の心と躰は、最早彼無しでは生きていけない程に狂っていた。それ程彼に依存していた事に、私は気がついた。
「如何して?如何して?如何してアナタは私を捨ててしまったの?如何して?私じゃ駄目だったの?何処が駄目だったの?私は…私は一体何処で間違えてしまったのかしら?こんなにも…こんなにも私はアナタを愛しているのに。どんな事でも、アナタの望む事なら何でも受け入れてきたのに。私…何か悪い事をしてしまったのかしら?何か気に障る事をしてしまったのかしら…如何して?如何してなのよ…ねぇ…教えてよ…教えてよ。利通。」
私は誰も居ない屋上で、私は一人叫んでいた。
静かに降り注いでいた雪も、いつしか霰に変わり、激しく私に打ち付ける。そして追い打ちを掛けるように
自慢だった長い髪の毛も、既にグッショリと濡れ、セーラー服と共に私の躰にへばりついてくる。
―教えてあげようか。七花。
ふいに掛けられたその声に、私は聴き覚えがあった。
「春香?」
私は顔をあげた。
やっぱりだ。目の前には、傘をさした、私の親友。神功春香の姿があった。
「春香?もしかしてアナタが…」
私は気がついた恐怖に声を引き攣らせながら口を開いた。
「そ。私が利ちゃんの彼女だよ。知らなかった?何時も私達一緒に居たじゃない。……私も知らなかったわ。七花の好きな人は、早太じゃなかったの?私は今迄、今日迄そう思っていたの。でも―
―まさかアンタが俊ちゃんを
「ごめんなさい…私…知らなくて…」
「知らなかった?ぬかした事云わないでよ。アンタだけは…アンタだけは、利ちゃんに手を出さないって信じてたのに。」
春香は鬼の様な形相で私を睨みつけ、私の頬を叩き、怒鳴りつけた。
痛い。
しかし、そんなことお構いなしに春香は平手で頬を叩き、足で蹴り、頭を踏みつける。
其処に立っているのは私の知っている神功春香では無かった。
彼女は最早、鬼と化していたのだ。
「痛い…止めて…私が悪かったわ。だから…止めてください。…ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい―」
屋上には、水浸しの地面の上で土下座した私の「ごめんなさい。ごめんなさい」と云う声と、私を傷めつける鈍い音だけが響いていた。
そうしている間に、寒さと痛みで気を失ってしまった。
○
気がついた。今は何時頃だろう。
屋上には時計は置いてないし、私は腕時計も持ち合わせていない。
私は雪を被り、躰も真っ白けになって、とても寒い。手は霜焼けで醜く腫れている。
既に春香の姿は其処には無かった。帰ってしまったのだろうか。
「私…ハめられちゃったのね。捨てられちゃったのね。そうね。長年愛した人に裏切られた気持ちはどうかしら?」
私は自分に問いかけた。
「振られちゃったわねぇ…」
私はボソボソと呟きながら、狂った様に只屋上を歩き廻っていた。
○
既にこうなってしまった私は、最早下へは戻れない。
「あれ?リボンは?」
私は何時も、自慢の長い髪の毛を白いリボンで束ねている。それがいつの間にか解けて無くなっていた。
それに気がついた私は、長い髪を振り乱していた。
そして、何より私は利通に振られてしまった。その上、春香にも知られてしまった。おまけにこんな姿だ。
雪が降っていると云うのに、振り乱した髪とセーラー服はずぶ濡れで、カーディガンは大きく破れ、セーラー服も汚れ、ところどころ破れている。
こんなお化けの様な容貌は人目には見せられない。
勿論。早太にも。
「そうね。早太にだけは絶対に見せられないわね。昔から…正義感だけは強かったものね。弱い癖に…ふふっ。」
私は薄い笑みを浮かべた。
「早太…私は、アナタを好きになっていれば…こんな事にはならなかったのかもしれないわねぇ。でも、もう遅いみたいね。…っふふっ…アッハハハハハ。」
私は突然笑い出した。自分でも何が面白いのか解らない。それなのに、私は笑っている。愚かな私を蔑んで我っているのだろうか。
そしてそのまま、私は足を止めた。
「さようなら……ごめんね。早太。こんな愚かな私を許して頂戴。」
私はひと思いに屋上から身を投げた。
私の意識は其処で途切れた。愛すべき相手を間違えてしまった。もしも…もしも私が早太を好きになっていたのなら、こんな後悔はしなくて済んだと云うのに。
「本当に私は愚かな女ね。」
早太に会いたい。会って好きだと伝えたい。
でも、それももう叶う事は無い。
しかしー
―時既に遅し。
○
「春香。とうとう死んじまったのか?」
男の声だ。男の声の中で、一番聞き覚えのある声。
「武内…」
そこには武内が立っていた。その表像は、春香の死を嘲笑うかのようである。
「昔から春香はメンタルが弱いんだ。哀れな女だよ。」
「武内…貴様っ。」
僕は彼に殴りかかった。しかし、野球部の彼に敵う筈もなく、拳は受け止められた。
「暴力か?嫌なことは全て暴力で解決するのか?ハッ。馬鹿かよ。今のお前が俺に敵うとでも?無理だよなぁ。非力なお前が野球部の俺に勝てる訳ないだろ?それにお前は人を殴ることさえもロクに使えない。その右手、
「五月蠅い。」
僕はポケットの中のリボンを握りしめ、空いていた左手で彼の頬を殴った。
だが、それと同時に彼は僕の腹を蹴飛ばし、後ろに倒れた僕の腹を踏みつけた。
「かはっ。」
そして彼は僕の首をあの木の瘤の様な手で僕の首を絞めてきた。
「云ったろ?無駄だと。所詮、もうお前じゃどうにもならない。終わったんだよ。折角だから教えてやるよ。玉依は以前から俺に気があったんだ。だが、俺には春香がいる。だが、存外しつこいんだよな。アイツ。結局俺たちは付き合う事になったんだ。」
「二股か」
「ああ。そしたら案外良い物でな。俺の望む事、何でもしてくれんだぜ?俺はアイツを自分の欲求を満たす玩具としてしか見ていなかった。だから俺は、弄んだり、辱めたり、傷めつけたりしたんだ。自我を失って、涙も出なくなるまでな。だが、それも長くは続かなかった。春香は薄々俺たちの関係に気付き始めていたんだ。だから、俺は玉依を捨てた。今に分かるさアイツは既にキズものだ。精神的にも、肉体的にも傷だらけだ。もうお前に顔向けできないほどにな。嫁になんて当然行かれない。見た事無いみたいだから教えてやるよ。アイツの肌は既にキズだらけさ。もう、他人に柔肌なんて見せられない。だが、アイツの眼中にお前は映って無かったみたいだがな。ま、もう。手遅れだ。」
彼は高らかに笑う。
「武内…云いたいことは…それだけか?この性犯罪者!」
「フッ。何とでも云えよ。カスが。それともうひとつ。春香が死んだ以上、それを見ていて止めなかったお前にも責任がある。俺の大切な恋人をお前は見殺しにした。責任は取ってもらう。五瀬。お前のせいで春香は死んだんだ。」
そして武内は地面の上で脚を滑らせ、委員長のナイフを蹴りあげた。
「死んでもらうぜ。」
「止めろ。」
彼はスッとナイフで僕を突いた。その刹那、僕は地面の雪を彼の顔めがけて蹴りあげた。それが目くらましとなって狙いは外れ、ナイフは僕の制服の腕を切り裂いた。そのナイフは肌をも切り裂いていた。
急所を逃したといえ、傷口からは血が流れている。すごく痛い。
「そうだな。丁度良い。その右手からやってやるよ。命だけは助けてやるが、筋をやられちゃもう二度と、万年筆なんてを握れない様にな。失職だ。」
ナイフが腕を突き刺そうとした時、感じたことの無いような力が僕の腕に伝わり、彼の腕を掴んだ。彼の手の内からナイフが落ちる。
「取り敢えず、死ね。」
「なん…だと?」
気がつくと、彼の胸には委員長のナイフが突き刺さっていた。そして、僕は又あの言葉を口ずさむ。
「嗚呼、武内利通がごとき良友は世にまた得がたるべし。されどわが脳裏に一点の彼を憎む心今日まで残りけり。地獄でしっかり反省するんだな。…じゃあな。親友。」
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