第9話、永遠の記憶

 『 男の仮面はがし作戦 』は、繰り返し、行なわれていた。

 回を重ねるたびに、連携はうまくなり、1日に10人以上の男性を呼び込んだ事もある。


 9月も、半ばを過ぎた頃… 私の手元には、143万円ものお金があった。


「 女性を軽視する輩を、イタイ目に遭わせてやってるのよ 」

 そう言う美希たちの言葉に、いつしか私は、洗脳されていった。

 罪の意識など無く、まさに、ゲーム感覚。 スリルと面白さがあり、短時間でお金が稼げる……

 私の理性は、あの時、すでに麻痺をしていた。

 気付くべきだったのだ。 人を欺いている事に、違いは無い、という事実に……


 9月の中旬にしては、蒸し暑い夜だった。

 私にとって、忘れる事の出来ない、あの夏の夜……


 学校が終わり、放課後、例によって、あの『 男の仮面はがし作線 』をしていた時の事だ。

 いつもの通り、事は順調に運び、私は、逃げて行く哀れな男たちの後ろ姿を、小バカにしながら見送っていた。

 3人ほど、済んだ頃だろうか。 美希から、連絡が入った。

「 今度は、どんな男? 」

 携帯に出た私は、美希に尋ねた。 しかし、美希からは、いつもとは違う、ひっ迫した様子で応答があった。

『 朱美! ちょっと、中止よ。 まずい事になってる…! 』

「 どうしたの? 何か、トラブル? 」

『 薫が、前に誘った男に、追いかけられてるの! 』

「 …えっ? 」

 以前に誘った男と、街で出くわす事はよくある、と薫は言っていた。 私が参加するようになる以前から、これは続けられていたのだ。 誘われた男は、かなりの数になっているはずである。 ばったり出くわす事は、確率的に言って頻繁ではないにしろ、多いはずだ。

 しかし、買春行為をしたと思っている相手の男たちは、例え薫を見かけても、何も言って来ないのが普通だった。 むしろ、目を合わさず、足早にと、その場を立ち去って行く。

 美希が言った。

『 薫の話しだと… どうやら、その男… 知り合いにも、あたしたちが誘った人がいるらしいの…! 』


 …まずい。

 いずれ、こういったケースも出てくると思い、近々、この計画は、閉鎖する事になっていた。 その矢先の出来事だったのだ。

 美希は言った。

『 さっき、駅東2丁目の公園のトイレにいる、って言っていたわ。 着替えの服を持って、行こう! 』

「 分かった! 」

 私たちは、すぐさま、薫の所へ向かった。


「 美希、朱美…! ありがとう! 」

 小さな公園のトイレに、薫は隠れていた。

「 大丈夫? 薫。 どこも、ケガは無い? 」

 美希が心配そうに尋ねると、美希から手渡された着替えの入った紙袋を開けながら、薫は答えた。

「 ちょっと、引っぱたかれたケド… 大したコト、無いわ。 それにしても参ったなあ…! 」

「 相手の人、どんな人? ヤクザ? 」

 薫が脱いだカーディガンをたたみながら、私は尋ねた。

「 まさか。 そんな人、誘わないわよ。 普通のサラリーマンよ? だけど、お酒、入ってるの。 同僚と3人で、すっかり出来上がっちゃってて… その、同僚の内の1人が、前に誘った人らしいの 」

 ノースリーブを脱ぎ、Tシャツに着替えながら、薫は答えた。

 外の様子をうかがっていた美希が、私たちを振り返りながら言った。

「 やっぱり、もうやめておけば良かったね…! とにかく、帰ろうよ。 ここ、男女共同の小さいトイレだから、そいつら、入って来れるし 」

 私たちは、そっと、そのトイレを出た。


 辺りを警戒しながら、公園を横切る。 路地を通って、大通りの方へと抜けた。

「 あいつら、住吉町の方から歩いて来たの。 多分、ターミナルの方へ行くつもりだったのよ。 この方角なら、大丈夫よ 」

 薫が、私と美希の影に隠れて歩きながら言うと、美希が周りを見渡しながら注進した。

「 酔っ払いってのは、しつこいからね。 油断しないで…! 」

 私は、ジーンズのポケットに持っていた髪留めを出し、薫に渡しながら言った。

「 これで髪を束ねて、薫。 UPにするだけで、随分、見た目の印象、変わるよ? 」

「 ありがと、朱美。 一時は、どうなるかと思ったけど… 2人の顔見たら、安心しちゃった。 やっぱり、頼れるのは、友よねえ~ 」

「 何、ノンキなコト言ってんのよ、薫。 たまには、朱美ぐらい慎重にならないと、ダメよ? 」

「 はい、はあ~い 」

 生返事をした薫が、チラッと私を見て、ウインクした。 笑って答える、私。

 狭い小路の、十字路にさしかかった。 前方に、背広姿の数人の影が見える。 一瞬、緊張が走る…!。

「 …大丈夫、違うわ…! 」

 目を凝らし、私たちの後ろから人影を確認していた薫がそう言った途端、左の方から男の声がした。

「 いたぞ、このアマぁ~っ!! 」

 スーツ姿の男が、左の路地を走って来る。 その後ろにも、2人いるようだ。

「 逃げてッ!! 」

 薫の声に、私は思わず、右の小路へ逃げ、薫と美希は、今、来た道の小路の方へ走り出した。

「 …あ… 」

 一瞬、迷った私に、美希が叫んだ。

「 そっちに行くと、交番があるわ! お巡りさん、呼んで来て! 」

 事情を説明すれば、私たちの計画もバレてしまう。 だが、そこは女性である。 泣きマネでも何でもして、トボけてしまえば、分はこちらにあるだろう。 しかも、相手は酔っ払いだ。 美希なら、その辺り、うまく立ち回れるだろう。

 私は、そのまま小路を走った。

 大通りに出て、後ろを振り向くと、男たちが1人も追って来ない。 全員、薫と美希たちの方を追いかけて行ったらしい。 大通りの右方向を見ると、50メートルほど向こうの歩道に、小路を抜けて来た薫と美希の姿が確認出来た。 そのまま、大通りを横断しようとしたのだろう。 2人は、いきなり、大通りに走り出た。

「 トラックが…! 危ないッ!! 」

 私が、叫ぶのと同時だった。 夜の繁華街に響き渡るクラクションと、長いブレーキ音。 ドーンという衝撃音が聞こえ、2人の体が、数メートルも跳ね飛ばされるのが見えた。

「 …みッ、美希ィ―ッ! 薫う―ッ! 」

 車道に走り出た私は、アスファルトに倒れている2人の元に駆け寄った。

「 だ、誰か… 誰か、救急車を呼んで下さいッ…! 」

 私の声に、近くにいた通行人の男性が携帯を出し、通報をしてくれた。 トラックの運転手が、顔面蒼白の表情で駆け寄って来る。

「 きっ… 急に飛び出して来て… どうしようもないよッ…! 」

 私は、手前に倒れていた美希を抱き起こした。 ぐったりと首を垂れた美希の耳と鼻から血が流れ、私の腕から肘に、暖かな感触として伝わって行く。

「 美希ッ…! しっかりして、美希…! 」

 美希からは、何の反応も無い。

 少し向こうには、薫が倒れている。 私は、薫に向かって叫んだ。

「 薫ッ! 薫ぅ―ッ!! 」

 ピクリともしない、薫。

「 …誰か… 誰か、助けてっ…! あ、あたしの友だちが… 死んじゃうッ! 死んじゃうよォ―ッ!! 」

 美希を抱いたまま、私は、集まって来た野次馬に向かって、夢中で叫び続けた。



 ……薫は、即死だった。

 美希も、病院に搬送される途中、救急車の中で息を引き取った。



 私たちを、追いかけていた男たちは、どこかへと姿を消し、 翌朝の朝刊には、酔っ払いにからかわれ、女子高生、事故死… との報道が、掲載されていた。


 ……あっけない幕切れ。

 そう。 蒸し暑い夜の出来事だった。



 一瞬にして、最愛の友を失った私は、抜け殻のようになっていた。

 何も考えられない。

 何も喉を通らない。

 自分の部屋に閉じこもり、一睡もせず…

 夜よりも暗い心の闇の中で、ただ、ボ~ッとしているだけの私。


 しばらくは、学校も休んだ。


 …私にとって、特別な存在だった、美希と薫。

 その2人を、一瞬にして失った私のショックは、誰にも想像つかないくらい大きなものだった。 いや… 生きる指標を失った、と表現した方がいいだろう。 何度、2人の後を追って、死のうと思った事か…… 踏み切りや、学校の屋上に立った回数も、2度や3度ではない。


 …でも、その度に、私は、思い留まった。


 死ぬのは、簡単だ。 1歩、足を前に出せばいい。

 …しかし、ここで私が死ねば、全てが消えてしまう。 美希や薫の生きざま、考え方… それらを理解し、伝承する者すら消えて無くなってしまったら、彼女らの生きた人生は、一体、何だったのか?


 …死ぬ恐怖など、無かった。


 それより、彼女らの生きた証しが消えてしまう事の方が、私は怖かった。

 あの2人に導かれ、私は、生まれ変わったのだ。

 私自身が、彼女らの生きた証しなのだ……!


 決して、自身を絶賛しているのではない。

 だが、本当の美希と薫を身近で理解出来ていたのは、実際、私だけであったと思うのだ。

 別段、それを誰かに語る必要は無いとは思うのだが、少なくとも、彼女らの素顔を知り得て、その理念や行動を理解出来る人間が1人くらい居なくては、彼女らの人生が、あまりに無意味過ぎる。


『 色々、教えたじゃない。 それを、朱美らしく発揮するのよ。 個性あふれる、立派な女性として自立するのよ…! 』

 死のうと思い、あても無く街を彷徨っていると、そんな、美希や薫の声が聞こえて来た。

 亡き彼女らの叱咤を受け、ハッと我に返り、家へ帰る…

 しばらくは、そんな生活を繰り返す私だった。


 生きるべきか、死ぬるべきか……

 結論を出すまでの数週間、線路のレールの上を夢遊病者のような足取りで歩きながら、私は、随分と悩んだ。

 答えなど求めず、このまま鋼鉄の車輪に轢かれ、粉々に砕かれても構わないとさえ思った。 おそらく、それが一番楽になれる方法であっただろう…


 だが、私は… 生きる道を選んだ。 ある意味、苦悩であろう道を。


 何故に、楽な道を選択しなかったのか?


 それは、旅立って逝ってしまった掛け替えの無い2人の友の為、である事に他ならない。

 私たちの、あの夏をムダにしたくはなかったのだ… あの夏を……!



「 お母さん、何、ボ~ッとしてるの? 」

 娘の夏美が、私に聞いた。

「 …え? あ… ちょっとね… 」

「 お父さん、パソコン売り場に行ってるって。 ねえ、あたし、もう少し服、見てていい? 」

「 いいわよ。 気に入ったのがあったら、店員さんに言って試着してみなさい 」

「 わ~い! 」

 娘の夏美も、この夏で10歳。 そろそろ、着る物にも、こだわりが出て来た。

 もうすぐ梅雨入り宣言も出されようかという、6月のある日。 私は、久し振りに、この繁華街に来ている。


 美希や、薫と一緒に歩いた、この街……

 当時には無かった大型の量販店に、家族で来ている。


 4階へと通じる階段脇のベンチに座り、大きな窓越しに、階下を見下ろす、私。

( …あの辺りだったわ、美希のマンション… )

 私の目に、見覚えのあるパスタ専門店が映った。 『 スクエア 』も、確認出来る。

( 薫…… )

 今、思えば、私は、あの2人を親として、この世に生を受けた子供だったような気がしてならない。

 色んな事を、2人から学んだ。

 共に過ごした、もう戻らない時間、あの日、あの時……


 あの2人が生きていたら、今頃、どうしているだろうか?

 もし、あの2人と出逢っていなかったら…

 おそらく、今の私は、いなかっただろう。


 毎年、夏が来る度に、あの友らの事を思い出す。

 かけがえのない時を怠惰に過ごさず、自身の理念を持って、真っ直ぐに生きた私の友だち…


 何がいけなくて、何が正しいのか… そんな事、考えた事も無かったあの頃。

 私の全ての常識は、彼女らの理念にあった。

 つまらない常識など、彼女らにしてみれば、咲いた花の写真と同じだったのだろう。 眺めるしか無いという事は、彼女らにとって、無駄な時間の浪費に過ぎなかったのだ。 また、誰にだって出来る。 強いて言えば、過ぎ去った過去を吟味している事にもなる。


 考え方は、人、それぞれ……


 彼女たちは、常に未来を期待し、それに伴うべく、行動をしていた。

 平凡に終わらせるだけの青春に、警告を発するかのようだった、彼女らの一言一言……


 …やり過ぎた感もある。

 一般的な常識から照らし合わせれば、明らかに行き過ぎた面もあった。 若気の到りでは済まされないような行動を、独創的な視野の観点から正当化していたとも感ずる。

 行き着いた結果は、奔放的な夏からの、私に対する警告だったのかもしれない。

 この辺りで止めておけ、と……



 誰もいない、教室。

 静かに1人、本を読んでいる美希。

 私に気付き、笑顔を見せる。

 共に机を並べ、参考書を見せ合った、あの頃……


 校庭から校門に続く、並木道。

 手を振りながら駈けて来る、薫。

 長い黒髪が、夏の日差しにきらめき、美しく踊っている。


 共に歩いた、あの日、あの時……


 ……また、どこかで逢えるのかな……?

 未だ、ふと時々、そんな事を想う。


 逢えなくとも、寂しくは無い。 何故なら、今でも私の心の中には、美希と薫がいるからだ。 おそらく、一生、いてくれるはずである。 時々、迷った私に、クラクションを鳴らしてくれる。

 決断と勇気、優しさと慈しみ、柔軟さと排除、愛……


 ありがとう。

 またいつか、どこかで……


 窓の外から、車のクラクションが聞こえる。

 隣のベンチに座っていた女子高生らしき2人連れに、若い男が声を掛けた。

「 ねえ、君ら、家どこなの? 」


 …同じ言葉で始まった、私の、あの夏。

 この季節になると、いつも私は、あの友らの事を思い出す。

 夏のクラクションと共に……


              〔 夏のクラクション 完 〕

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