第8話、慣化と飽和の果実

 図書館が、改修工事で休館となっていた、ある日曜日。

 美希としている図書館での勉強会を、美希のマンションでやる事にした日の事だった。

 約束の時間に少し遅れた私は、30分ほど遅刻して、美希のアパートに着いた。


 ドアノブに手を掛け、ドアを開けようとした、その時、部屋の中から声がした。

「 …美希…… 」

 艶かしい声に、私は、ドキッとした。

 …薫のような声だった。 部屋に薫が来ているのだろうか……?

 ドアノブから手を離し、私は躊躇した。 そっと、耳をドアに近付け、室内の物音をうかがう。

 荒い息使いと共に、確かに薫の声がする。

「 …もうダメ、美希ィ~……! 」

 思わず私は、部屋を離れた。

 急ぎ、マンションの入り口を出て、近くの路地裏を、あても無く歩く。

( 薫がいたって、構わないけど… あたしが、もうすぐ来るってコトは、知ってるハズなのに )

 別に、2人が関係を持っていたって、私は構わない。 体の欲求があるのなら、求め合えばいい。

 だが… あまりにも開けっ広げな感覚に、私は戸惑った。

 2人が求め合っているところを、私に、認知させたかったのか……?

 それも、理解に苦しむ。 意味が不明だし、目的もハッキリしない。

 では、ただの淫乱という事なのか?

 あの2人に限って、それは無いと思われる。 それ以上に、そんな事は信じたくない。

 私は携帯を出し、美希にダイヤルした。

「 …あ、美希? ごめん。 今、駅に着いたの。 これから行くね 」

『 珍しいじゃない、朱美が遅刻するなんて。 あたし今日、傘、持って来てないわよ? 』

「 ごめ~ん。 目覚ましの電池、切れちゃってて… 何か、飲み物、買って行こうか? 」

『 気にしなくてもいいわよ? 買い置きがあるから。 待ってるね 』

 美希は、薫の事には触れなかった。 幾分、息使いを抑えながら話している雰囲気が感じられたが、至って、平静な口調だった。


 マンションに戻り、ドアを、恐る恐る開けた。

 部屋の中には、美希1人が待っていた。 …かすかに、薫の残り香がする。

 私は、何も気付かないフリをして、いつもの通り、美希との勉強を始めた。


 …もしかしたら、薫は、いなかったのかもしれない。 残り香も、気のせいだったのだろうか。

 私は、勉強の合間に、脳裏を横切る想像を、何度も振り払いながら机に向かっていた。


「 朱美… 随分と数学、理解出来て来たみたいね? 2学期の成績、楽しみね 」

 小1時間ほど勉強をした後、美希が、私に言った。

「 美希のおかげよ。 ホント、感謝してる 」

 ラグの上に足を投げ出し、ひとつ、伸びをしながら、私は答えた。

「 朱美は、本当は、出来る子なのよ。 努力しなかっただけね。 この調子で、英語もいこうか 」

 ペットボトルの緑茶を飲みながら、美希は言った。

 私は答えた。

「 英語はダメねえ~、あたし… 生来、どんクサイし。 薫は、得意なのよね? 英語 」

「 薫は、ジャズを歌いながら、発音、覚えたみたいよ? 」

 両腕を後ろに立て、美希も、足を伸ばしながら言った。

「 ジャズかあ… 薫なら似合いそうね。 あたしなんかには、似合わないなあ…… 」

 しばらくの沈黙。

 やがて、美希が私に言った。


「 …朱美。 薫とは、したの? 」


「 え…? 」

 イキナリの、ストレートな質問。 私は、ドキッとした。

「 隠さなくたって、いいわよ? 別に、怒らないから 」

 …薫が、美希に話したのだろうか。 それとも、頭の良い美希の事だ。 何か、感じ取っていたのかもしれない。

 美希の問いには、確たる確証に基づく発言である、という雰囲気が感じられた。 隠していても、美希には分かるのだろう。

 私は、小さく頷いた。

 美希は別段、驚きもせず、言った。

「 …そう 」

 美希は、薫と関係を持っている。

 その薫が、私と情事をした事によって、何か、まずい事になってしまうのではないか…? と言う焦りが、私の心に湧き上がって来た。

 この3人の友好関係が、情事なんかによって崩れてしまう事など、絶対にあってはならない。

 私は、美希に謝罪した。

「 美希、ごめんね…! あたし… 美希が、薫と付き合ってるコト、知ってるのに… 薫から求められて… 断り切れなかった……! 」

 そう言った私に、美希は、きょとんとして答えた。

「 あたしと薫が、付き合ってる…? 」

「 だって… 学校でキスしてたり… さっきも、薫… ここにいたんでしょ? 」

 しばらく、ぽかんとしていた美希は、やがて笑い出し、私に言った。

「 ヤだなあ~、朱美。 知ってたんだ? 」

 頷く、私。

 美希は一笑した後、真面目な顔になり、言った。

「 あのね、朱美… 確かに、あたしは、薫とキスをした。 セックスもしてるわ。 さっきもね…! だけど、付き合ってるワケじゃないよ? 」

 意味が分からず、私は尋ねた。

「 …どういう事… なの? 」

「 言わば、予行演習みたいなものなの。 …あたしや薫にだって、理想の男性像はあるの。 だけど… 朱美も、例のバイトしてみて、分かったでしょ? 世の中、体目的の男性が、いかに多いかって……! 」

 それは、私も納得のいくところだ。

 美希は続けた。

「 あたしたちの理想男性像は、同年や大学生のような学生ではなく、しっかりとした理性や、社会経験のある年上の男性なの。 もっとも、スケベな年上だって、いるケドね… 」

 初めて聞く、美希たちの理想男性像。

 美希は、更に続けた。

「 そんな男性に、初めて体を許す時… あたしたちは、女として認知してもらいたいの。 ネンネの処女ではなく、同等のパートナーとしてね。 …大体、処女にこだわる男性は、幼稚な証拠よ? だから、薫としてるの。 だって、女同士だから、汚れないでしょ? 」


 ……何とも、独創的な発想である。


 つまり、レズビアンでは無く、もちろん、付き合っている訳でも無いと言う事らしい。

 しかし、ある意味、私は安心した。 2人が付き合っている事を認知しているとは言え、やはり、友だちがレズビアンかもしれないという事実は、少々、気になっていたからだ。

 まあ、2人の考えは、究極ながらも合理的なのかもしれない… 私は、そう考えた。

「 何か… ちょっと安心した、ってカンジかな? ずっと気になってたの 」

 私は、美希に言った。

「 気を使ってくれてたんだ、朱美… ありがとね。 朱美の、そういうトコ… 好きだな、あたし 」

 美希は、私の隣に座り直すと言った。

「 …あたしにも、キスして…… 朱美 」

 私は、言われるがまま、何の躊躇も無く、美希の唇にキスをした。

 そのまま、私の背中に腕を廻した美希は、私を抱えるようにして、床に横たわる。 私は、仰向けに寝転んだ美希の体の上に、覆いかぶさっていた。

 …こうして間近に見ると、才女と呼ばれる美希も、そのルックスは随分と美人だ。 知的な美しさ、とでも表現しようか……

 私は、その美しさにドキドキしていると、じっと、私を見つめていた美希が言った。

「 ねえ、朱美… して。 朱美になら、あたし… いいよ? 」

 そう言うと、美希は目を閉じた。


『 朱美になら 』


 その言葉に、私は嬉しさを感じた。

 特別な存在… そう感じられたからだ。

 あの、才女である美希に、私は認められている。 その体に触れる事を許されている…… そんな、優越感にすら浸れる感覚が、私の脳裏を横切った。

 私は、再び、美希にキスをした。 彼女の体を愛撫し、その乳房を吸い、性器に触れた。

 次第に、興奮していく美希……

 私は、1人の女性を、快感へと導いている事に感動を覚えた。 それは、不思議な感覚だった。

 美希が、快感を登りつめて行くに従い、私は、自分が女である事を忘れた。

 1人の人間として、大切な友を、悦楽の世界へと導く……

 一途な、義務とも思える意思の遂行… 私の頭の中には、それしか無かった。

「 あ、朱美…! 朱美ぃ~……! 」

 美希が、私の愛撫に悶えている。

 私は、美希を感じさせる事が出来る自分に、至福の喜びを感じていた。

 誰にだって許される訳ではない。 自分は、美希に選ばれた『 特別な存在 』なのだ。


 私は、夢中で彼女の性器を吸い、愛撫を続けた。

 額に、薄っすらと汗をかき、恍惚の表情の美希……

 やがて彼女は、痙攣するように体を硬直させると絶頂を迎え、果てた。


『 おかしな理屈を、正当化している 』

 今だったら、美希や薫との性交渉を、そう評価したかもしれない。

 だが、あの頃は、そうは思わなかった。

 最強の友らの考えは、そのまま、私のバイブルとなっていったのだ。


 彼女らは、正しい。


 自らの独創的な発想を元に、それらを実際に具現化し、現実に遂行して行く彼女らの姿は、私には、たまらなく眩しく見えた。

 『 男の仮面はがし作戦 』も、繰り返し、参加した。

 美希や薫とのセックスも、かわるがわる、何度もした。

 …ただ、3人一緒にした事は無かった。 それは、単に快楽を求める以外の、何物でも無かったからである。

 私たちのセックスは、いつか訪れる、大切なヒトとの為の疑似体験。 堕落した悦楽を求めるところには無い。


 純粋な、未来的意思に基づいた行動……

 あの頃の私は、そんな理念が、全ての私の脳裏を席巻していた。


「 何だか、あたし… 本当に、朱美が好きになっちゃいそう……! 」

 ある日の情事の後、紅潮した顔で、美希が私に言った。

「 性転換手術、しようか…? 」

 私の冗談に、美希は笑った。 私の首に抱きつき、目を閉じながら言った。

「 …いつまでも、あたしや薫のそばにいてね。 大事な、友だちなんだから……! 」

 美希にしては、妙に神妙な言い方だった。

「 もう一度、抱いて… 朱美……! 」

 求め来る、可憐なまでの美希… 私は再び、その体を愛撫した。


 今、思えば、あの時の美希は、何かを予感していたのかもしれない。

 そう… 私たちの、あの夏の終演を……

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