第7話、開けられた扉

 9月。

 夏休みは、あっという間に、終わった。

 充実していたり、愉快に過ごしている時間は、早く過ぎ去ってしまうと感じるものだ。


 『 男の仮面はがし作戦 』に参加した事で、美希や薫に、今まで以上の信頼を得る事が出来た私。 まあ、言わば『 共犯者 』なのだから、当然だろう。

 いつもの学園生活が始まったが、夏休み前の私の学園生活とは、全く違っていた。 常に、あの2人と一緒に過ごすようになった私は、クラスの皆からも、特別な存在として認知されるようになっていたのである。


 才女の美希。 容姿端麗な薫。 そして何と… 清楚な私、なのだそうだ。


 自分を、清楚だなんて思った事は、一度も無い。 まあ、物静であるのは認めるが……

 自分には、過ぎた称号ではあるが、私は嬉しかった。 他の皆が、彼女らと同等の目線で私を見てくれる事が、何よりも嬉しかった。 校内での知名度は、格段に上がり、何だか殿堂入りを果たしたような気分だ。 もう、以前の、暗い私じゃない。 言葉使いや、おしゃれに気を使わなくてはならない努力はあったが、それは、大して気にはならなかった。


 生まれ変わった自分…… あの頃の私は、それが誇りだった。

 私の大切な、最強・最高の友だち……!

 全ては、あの2人のおかげだった。



 9月とは言え、まだまだ暑い、ある朝の事。

 いつものように、ターミナル駅のバス停で、学校方面へ行くバスを待っていた私に、とある男子高校生が近付いて来て、声を掛けた。 たいていの日、私と同じバスに乗る彼は、私が降りるバス停より、2駅向こうの停留所付近にある男子校の生徒だった。

「 あの… すみません 」

「 はい? 」

「 迷惑かもしれないけど… これ、読んで 」

 そう言うと彼は、白い封筒を私に差し出した。 私が受け取ると、彼は朝のラッシュの人ごみの中へ、ふっと消えて行ってしまった。

 突然の事で、事態がよく把握出来ない私。 ラブレターを渡されたのだ、と気付くまで、かなりの時間を要した。

( …私、ラブレター、もらっちゃった…! )

 ある意味、今時、古風である。 ラブレターなど、最近は恋愛ドラマにすら登場しない。 せいぜい、小学校高学年か中学生が、バレンタインデーの日に、意中の彼氏の靴箱に入れる程度だろう。 それだけ、あの彼が、幼稚であると言う事の証明かもしれない。

 …まあ、相手が誰であれ、とりあえず嬉しいものだ。 自分の存在を認めてくれた人がいる。 自分を、選んでくれた人がいる……!

 私は、バスの中でドキドキしながら、そっと、その手紙を読んだ。


 綴られた文面は、お世辞にも上手と言えるものでは無かった。 私を絶賛する、歯の浮くような表現の羅列……

 でも、私は嬉しかった。 私を、好きと言ってくれる男性が現れたのだ。 もちろん、初めての事である。 遂に私にも、『 来るべき時 』が来たのだ。

( 美希や、薫にも報告しなきゃ…! )

 

 …だが、私は考えた。


 彼は、おそらく一大決心をして、この手紙を書いたのだろう。 その純粋な想いを、面白半分で他人に話すのは、彼に対して失礼だ。

( 付き合うか、付き合わないかの返事を、まず私が、ある程度決めて… それから話そう )

 私は、そう思った。

 バス停に着くまでの間、私は、何度も手紙を読み返した。 そのうち、段々と私は、最初にその手紙を渡された時の、ときめくような感覚が薄れていくのを感じた。

( この人… 私の容姿しか、見ていない…… )

 一言も会話していないのだから、それも当然かもしれない。 容姿を称える事しか出来ない実情も、理解は出来る。

 しかし、想像でもいい… 希望的観測でもいいから、私の人柄に関する記述が、一言くらいあっても良いものだ。

( 髪に触れたいとか、抱きしめたいとか… 自分の都合ばかり、言ってる )

 私に興味を持ってくれた事は、正直に嬉しい。 だけど、どこかの詩集から引用したような文章の羅列表現をするくらいなら、『 あなたの事が好きになりました。 付き合って下さい 』みたいな、正直な表現の方が、本心ありのままで心地良い。 シンプル・イズ・ザ・ベスト、だ。

( 明日、断りをしよう…! ちゃんと、言葉で )

 いつも、彼が座っている座席辺りを見ながら、私は、心に決めた。


 翌日。

 いつもの通り、停留所に、彼は来た。 バスを待っている私を見つけ、私と目が合うと、恥ずかしそうに彼は、視線を反らせた。

 髪は短めで、少しヤセた印象の彼。

 私は、彼に歩み寄り、お辞儀をして挨拶した。

「 おはようございます。 昨日は、お手紙、ありがとう 」

「 …あ… いや 」

 ドギマギして答える、彼。

「 私の事、色々と誉めてくれて、嬉しかったんですけど… 今のところ私は、特定の男性とお付き合いする事は考えていません。 勝手言いますが、ご理解、願えませんか? 」

 妙に大人びた言い方になってしまったが、相手を傷つけないよう、私は丁重に言葉を選んで、彼に言った。

「 …あ、いや… うん… いいよ 」

 心、ここにあらず、と言った心境の彼。 子供だな… と、私は思った。

 それ以来、彼が、そのバスに乗って来る事は無かった。


 数日後、私はその事を、美希と薫に話した。

 美希は、私の判断に、いたく喜んだ。

「 立派ね、朱美! 文面から、本質を判断出来たなんて、素晴らしい事よ? いつか朱美には、きっと、素敵な彼が現れるわ 」

 薫も、私を支持した。

「 たいていの子は、手紙もらったり告られたりすると喜んじゃって、とりあえず付き合ってみるか、ってなるんだケド… そう言うのって、後から相手の本心知って、ゲンメツしたりしちゃうのね。 朱美は、立派よ? その断り方なら、相手もフラれた、って思わないから落ち込まないだろうしね 」

 2人の賞賛の言葉は、私を称える勲章のように聞こえた。

 何よりも、憧れの2人から誉められた事実が、私には、一番嬉しかった。 他の級友からは、付き合ってみなければ分からない、という意見もあったが、私は後悔していなかった。


 …いいのだ、これで。

 あの2人が誉めてくれれば、私は、それで満足だった。



 夜になると、虫の声が一際大きく聞こえる。 昼間は、まだ灼熱の太陽が夏を謳歌しているが、夕暮れともなると、確実に秋の気配を感じるようになった。

 ラブレターの一件以来、1週間くらいが経った、ある日の夜。 私は、薫の家へ出掛けた。 試験を控え、薫と一緒に勉強する為だ。 美希は、今日、劇団の台本合わせがあり、例のマンションで、団員と打ち合わせをしている。

 夏休み中、毎日、美希に勉強を教えてもらっていた私は、休み明けの実力試験で学年順位を、何と170番近く上げた。 元々、低い順位に低迷していただけに、勉強の成果は、驚異的な数字となって現れた。 現在、学年順位は13位である。 美希の代役として、薫に、勉強のアドバイスが出来るようにまでなっていたのだ。


「 朱美に負けないように、頑張らなくっちゃ! 」

 9月の下旬、私は、薫と勉強会を開いた。 薫の家族は旅行に行っており、誰もいない薫の家で人目をはばかる事無く、時にはお喋りをし、時には笑い、ラグマットに置かれた小さなテーブルを挟み、楽しく勉強を進めていった。


「 ねえ、薫。 ジャズダンスのコーチの人とは、その後、どうなの? 」

 勉強が一段落したところで、私は、薫に聞いた。

 紅茶を入れながら、薫が答える。

「 う~ん… いい人なんだけどね…… 」

「 何か、問題があるの? 美希の話しだと、すっごい、イケ面らしいじゃん? 」

 薫が、ティーカップを2つ持って、私の隣に座った。

「 それよぉ~… モテ過ぎて、困るのよ。 他の女の人に、手を出しそうでさあ… 言い寄って来る人、いっぱい、いるのよ? 」

 ティーカップの1つを、私に渡しながら、薫は言った。

「 …あ、ありがと。 ふ~ん、じゃ、薫… まだ、告白してないんだ 」

「 うん 」

「 薫の魅力に勝てる人なんて、そうざらに、いないって! 」

 少々、無責任に、私は言った。 だが、事実だ。

「 あたしの事より、朱美の方は、どうなのよォ~? 例の、ラブレター告白以降、何かあった? 」

 いたずらっぽく、ウインクしながら、私に言う薫。

「 だめだめ、あたしなんか。 手紙をくれたあの人だって、きっと、気の迷いよ 」

 笑いながら答える私。

 薫は、紅茶をひと口飲むと、聞いて来た。

「 交際を断ったコト… 後悔してる? 」

「 後悔はしていないケド… もし、付き合っていたら、どうなったてたかな? って、考える事はあるよ。 あたしも、薫みたいに、美人だったらなあ… 」

「 朱美だって、可愛いよ? 現に、告られてるじゃん 」

「 だからぁ~、あれは、たまたまよォ~…! 」

 一笑する、私。

 しかし薫は、改まってじっと私を見つめると、言った。

「 朱美… 最近、ホントに可愛くなったから、あたし、心配だなあ…! ヘンな男に、誘惑されたらダメよ? 」

「 だぁ~い丈夫だってば、薫ぅ~! 」

 再び、一笑する私。

 薫が、私の腕に、そっと触れた。

「 ? 」

 薫は、じっと私を見つめていた。

「 …どうしたの? 薫… 」

 私が、そう尋ねた瞬間、薫の自慢の黒髪が、いきなり私の顔に覆いかぶさって来た。 さらっとした、薫の髪の感触。 トリートメントの良い香りが、私の鼻をくすぐる。

 一瞬、私は、何が起きたのか分からなかった。 軟らかい、薫の唇の感触…


 何と、薫が私に、キスをして来たのだ…!


 私の心臓は、打ち鳴らされる太鼓の如く、大きく鼓動し始めた。 予想もしなかった、薫の行動。

 私は、戸惑った。

 薫は、合わせていた唇を少し離し、息が掛かるほど近くから、私を見つめている。

「 …薫…! 」

 薫は、無言のまま、私の手首をそっと持つと、自分のスカートの中に引き込んだ。

「 ……! 」


 どうしたら良いのか? どうして欲しいのか……?


 何も分からず、気も動転していた私は、まるで金縛りに遭ったように、じっと、薫を見つめ続けていた。

 やがて薫は、持っていた私の手を離し、髪をかき上げると、再び、私にキスをした。 そのまま、私のスカートをたくし上げる。


 …ここまで来れば性経験の無い私でも、薫が私に、何をしようとしているのか、大体の想像はついた。


 …私は、拒否は、しなかった。 いや、拒否する意思が湧いて来なかったのだ。

 それが何故だったのかは、今もってしても分からない。

 薫に、性的興奮を味あわせてもらいたかったのか…?

 …いや、違う。

 予想もつかなかった突然の行動で… どう対処したら良いのか分からなかった……

 それが、正直なところの答えだろう。

 信頼する友のする事なら、最大限、受け入れる… そんな気持ちもあった。 憧れの対象だった、薫の要求を断る理由など、どこにも無い。

 やがて薫の指先が、私の股間に、触れて来た。

「 か、薫…! あたし… 」

 喘ぐように呟いた私に、薫は言った。

「 大丈夫よ、朱美… じっとしてて…… ヘンな男とヤっちゃって、汚れちゃう前に… あたしが、女にしてあげる。 キレイなままで、ね…… 」


 その後の事は、よく覚えていない。

 薫のなすがまま、私は彼女に、体の全てを委ねた。

 私にとって、初めての性経験。

 こんな美人の、薫にだったら、いい……

 私は、次第に高まっていく快感の中で、そう思った。 信頼の置ける、友だちの望む事なんだ、とも……


 その日、私は生まれて初めて、性的快感の絶頂というものを、体験した。



「 おはよう、朱美! 」

 翌日、何事も無かったかのように、校門の所で会った薫は、私に声を掛けた。

「 …あ… おはよう、薫 」

 少し、ドギマギしながら答える、私。

「 今日ってさあ、古典の課題の、提出日だったよね? 」

 いつものように、屈託無く話し掛ける薫。 昨日の情事の事など、全く感じさせない。 あれは、夏の夜の夢… だったのだろうか?

 話しながら教室へと向かうすがら、薫が尋ねた。

「 …体、何とも無い? 」

「 え……? 」

「 少し、出血してたから…… 」

「 あ… うん、大丈夫… 何とも無いから 」

 私がそう言うと、薫は、安心したようにウインクした。


 以前、級友の恵子から相談があったように、私も、一般的では無いのだろうか…?

 自分の心の中には、理想の男性像は、しっかりとある。 だが昨日、薫と体を重ねていた時、違和感は、全く無かったのだ。 むしろ、快適であったように思う。 ごく普通に相手を求め、快感を共有していた… そう、最高な時間を過ごしていたと思う。


 ……私には、何が一般的で、何が異常なのか、分からなくなった。


( もう、考えるのは、よそう…! )

 信頼の置ける、友らの望む事… それに従っていれば、いい……

 それが、あの頃の、私の指標だった。 私の、最強にして最高の友だちである、美希と薫。 彼女ら2人は、私にとって、完全無欠と言える存在だったのだ。 何も躊躇する事は無い。


 …信頼し、尊敬し、憧れる友によって開けられた、未知の扉。

 あの頃の私は、それら事実の全てを、無制限に受け入れた……

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