第6話、アルバイト
8月。
いよいよ、本格的な夏が到来した。 夏休みに入り、連日、うだるような酷暑が続く。
空は、限りなく蒼く、刺すような日差しが、肌に照りつける。
繁華街には、私服姿の学生たちが闊歩し、歩道に立てたビーチパラソルの下で売られているソフトクリームが、一時の涼を誘っている。
開放的だ。
実に、奔放な季節となった。 ちょっぴり、『 冒険 』もしてみたい季節だ。
私は、今日も美希や薫と共に、駅前の繁華街へ来ていた。
これといって私自身は、繁華街に用事は無い。 ただ、私は、美希や薫たちといるのが楽しかった。
ゲームをしたり、カラオケへ行ったり、ファストフード店で何かを食べたり……
友人のいなかった私にとって、初めての経験ばかりだった。
勉強だって、しっかりやった。
なにせ、美希がいる。 2日に1度は図書館へ行き、午前中は、しっかりと美希に勉強を教えてもらった。
午後からは、薫と合流。 買い物や映画を楽しむのだ。
毎日が、夢のように楽しく、高校生活最後の私の夏は、最高に充実していた。
頻繁に外出するようになった私を、母も、止めようとはしなかった。 行く先が図書館、と決まっていたからだ。 しかも、校内きっての才女、美希とである。 親としても、何も心配する必要が無かったのだろう。
また、いつだったか、遊びに出掛ける時、私の家へ、薫が迎えに来た事があった。
母は、薫を見て、目を丸くしていた。 ファッション誌のモデルと見紛うかのような薫の容姿に、唖然としていたのだ。 また、私に、そんな友人がいる事も意外だったらしく、母は、とても喜んでいた。
全てが、うまくいっていた。
私には、何のわだかまりも無い、あの夏だった。
「 ねえ、朱美。 朱美を信じて、あたしたちの秘密、教えてあげようか。 誰にも言っちゃ、ダメよ? 」
駅前の喫茶店で昼食を済ませ、美希たちに連れられて行く途中、美希が私に言った。
「 秘密? 何、それ。 これから行くトコ? 」
私が尋ねると、美希は、頷きながら答えた。
「 そう 」
何だろう? もしかして、薫との関係の事だろうか?
もしそうだとしても、私は、ある程度、2人の関係は納得していた。 あまり、動揺は無いものと思われる。
傍らを歩いている薫の方を見ると、少し、笑みを浮かべながら薫は言った。
「 朱美なら、大丈夫よね…! しっかり、理解してくれると思うわ 」
……いまいち、不安ではある。
しかし、この2人の言う事だったら、大丈夫。 私たちは、しっかりした友情の絆で結ばれているのだ。 無茶な事を押し付けてくる事などは無いだろう。
仮に、難しい事であったとしても、この2人に着いて行けば、問題は無い。 なにせ、特別な2人なのだから……
美希と薫は、繁華街近くの、とあるマンションへ私を案内した。
築、そう経っていない、比較的に新しいワンルームマンションである。
「 ここよ。 入って、朱美 」
1階の廊下の、一番奥にあった部屋のドアを開錠しながら、美希が言った。
「 …お邪魔します 」
「 誰もいないわよ? ここは、あたしが借りてるの 」
…意外だった。
なぜ、美希がこんな場所に部屋を借りているのか、私には分からなかった。
薫が、カーテンを開け、エアコンのスイッチを入れる。
部屋は、6畳のワンルーム。 ベッドに冷蔵庫。 小さな机に、数冊の単行本が入っているラックと、2人掛けのソファー。 掃除は行き届いており、非常に整頓されていた。
「 …綺麗な部屋ね。 いつも、掃除をしてるの? 」
「 まあね 」
私の問いに、美希は、軽く答えた。
綺麗と言うよりは、生活感が無い。 まるで、住んでいないかのような印象の部屋だ。
…何か、普通の部屋とは違う。
ある種の疑問を感じながら、私は、ソファーに腰を下ろした。
「 あたしの劇団の人に保証人になってもらって、借りたの。 家族からも離れて、1人で静かに勉強出来るトコが欲しくてね。 この部屋の存在は、お母さんも知らないわ 」
美希は、そう言った。
薫が、冷蔵庫からペットボトルに入った清涼飲料水を出して来て、私に渡す。 勝手知ったる他人の家、という感じだ…
薫は、同じように美希にも渡し、自らもキャップを開封して、飲み始めた。
美希は、私の真正面のベッドに座ると、じっと私を見つめた。 何か、重大な話しがあるようである……
少し緊張して待っていると、やがて、美希は言った。
「 …去年の暮れ頃、だったかな…? 中学の時の友だちがいてね。 付き合っていたカレ氏がいたんだけど… その子、そのカレ氏に裏切られて、ひどいコトされたの 」
「 ひどい事? 」
「 カレ氏の友だちに、姦わされちゃったの…! 」
「 …… 」
私は、何も言えず、黙っていた。
「 その時に、考えたの… カラダしか目当ての無い、バカな男どもに、天誅を食らわせられないか… ってね 」
「 …… 」
その打開策を考えついた、というのだろうか?
私は、無言でいた。
美希が続ける。
「 世の中… 無知で、身勝手な男が多過ぎると思わない? 朱美 」
いきなり、美希から問いを投げ掛けられたが、正直、私は困った。 そんな経験もなければ、聞いた事も無い。 ましてや、私には、カレ氏もいない。
…しかし、女性の純潔を踏みにじる野蛮な行為に関しては、もちろん、憤りを感じる。
とりあえず、私は、無言で頷いた。
美希は続ける。
「 まあ… 男性、全部が全部、そんな連中ばかりだとは言わないケド。 でもね、スキあらば… チャンスがあれば、頂きます~、ってカンジの男性が多いのは事実よ? 」
だから美希たちは、同性に走るのであろうか? …いや、そんな解釈では、無いようだ。 美希と薫のキスシーンを目撃したのは事実だが、日常の彼女たちからは、そういった同性愛的な行動や、それを裏付ける雰囲気といったようなものは、一切無い。 あの日の行動は、今、話している内容とは、観点が違うようだ。
美希は、更に続けた。
「 あたし、前に、バイトしてるって言ったでしょ? 」
相変わらず、無言で頷く、私。
「 繁華街で、男を誘って、ココに連れてくるの 」
…売春をしていると言うのか? そんな事は、許されない…!
いくら美希たちでも、それは、れっきとした犯罪行為だ。
動揺した私の表情を見取ったのか、美希は、慌てて補足した。
「 カン違いしないで。 売春をするんじゃないわよ? その男を、懲らしめてやるのよ 」
「 …懲らしめる…? 」
理解出来ない私に、薫が、代わって答えた。
「 つまりね、ヤらせるコトを勝手に想像させて、男をココに連れて来てさ、もう1人が、ドアを叩いて、これを聞かせるの 」
薫は、そう言うと、傍らの机の上にあった、小型レコーダーのスイッチを入れた。
『 おい、オレだ。 開けろや! 』
ダミ声の、男の声だ。
「 あたしの劇団の人に頼んで、吹き込んでもらったの。 迫力あるでしょ? 」
美希が言うと、薫は続けた。
「 それで、慌てたフリをして、『 カレが来ちゃった! あたしのカレ、暴力団なの。 こんなトコ見られたら、殺されちゃうわ。 そこの窓から逃げて! 』って、言うのね。 …そんで、おしまい。 前金、もらってから仕掛けるから、それは、そっくりそのまま、あたしたちのお小遣いってワケ。 どう? 考えたでしょ 」
……何という計画だろうか。 明らかに、作為的な詐欺だ。
2人がこんな、とんでもない事をしていたなんて、私には信じられなかった。
逃げた男が、戻って来る事はないのだろうか…?
後で仕返しをされたら、どうするつもりなのだろうか……!
私は、言葉を失い、茫然としていた。
「 悪い事をしようとしたのは、相手の男の方よ? 誘うあたしたちは、ヤらせてあげるだなんて、一言も言わないようにしてるわ。 法律的に、誘った方にも、実刑が下るからね 」
美希は、そう言うと、清涼飲料水のペットボトルに口を付けた。 薫が、補足する。
「 近くに、あたしのマンションがあるから、ゆっくり話でもしない? って、言うの。 ノコノコついて来た男は、部屋に入るなり、勝手にお金を出すわ。 受け取らずに、困ったような顔をしてると、金額をアップする人もいるわね。 ホント、男ってスケベなんだから 」
…この話に、私も参加しろと言う事なのだろうか。
状況的にそうらしいが、そんな演技、私に出来るはずがない。 超美人の薫だからこそ、男がついて来るのだろうし、劇団に所属している演技派の美希だからこそ、務まる役どころだろう。
しかし、こんな危険な話を私にしたという事は、やはり、それなりの協力を要求しようと思っているに違いない。
私は、動揺した。
( もし、私が協力を拒んだら… せっかくの友情に、ヒビが入るかもしれない…! )
私の心情を察してか、美希は言った。
「 心配しないで、朱美。 無理矢理、協力しろなんてコト、ゼッタイに言わないから 」
しかし、美希や薫に、不甲斐なく思われたくはなかった。 そんな心情が私に、思ってもいない事を言わせた。
「 …別に、いいケド… でも、演技なんて事… あたしには、出来ないよ? 」
美希が答える。
「 大丈夫よ、朱美! 実はね、この作戦… 完成度が、イマイチなのね。 失敗したり、あとで仕返しされた事は無いけど… もう少し、相手の男に、心理的圧迫を与えたいの 」
「 心理的…… 圧迫? 」
「 そう 」
美希は、ベッド脇にある窓の外を指差しながら言った。
「 その、路地裏にいて、窓から出て来た男を、不信そうに見る役が欲しかったのよ。 今までは、薫と2人だけだったから、出来なかったの。 要するに… 相手の男に、顔を見られた、って、思わすの。 心に、やましい気持ちがある人は、絶対、その場所になんか戻らないものよ? 」
「 逆ギレして、襲って来たらどうするの? 顔を見られたんなら、抹殺しようとするんじゃない? 」
私は、不安気に聞いた。
「 近くにいると、そうなるかもね 」
美希は、窓を開け、路地裏を私に見せた。
1メートルくらいの、細い路地だ。 隣の雑居ビルの壁が、向こうの大通りまで続いている。 外灯もあり、夜も比較的に明るいようだ。
対して、反対側は、倉庫らしき建物の脇を通り、昼間でも薄暗い。 外灯も無いところを見ると、夜間は、真っ暗なのだろう。
「 …あっちに見える、大通り側に立ってるといいわ。 夜も明るいから。 窓からは、約10メートルくらいかな。 距離が10メートルもあって、わざわざ逆襲してくるなんて事は、まず考えられないわ。 反対側の暗闇に、一目散で逃げて行くはずよ? 今までだって、そうだもん 」
蒸し暑い外気が入って来る為、窓を閉める美希。
薫が言った。
「 あたしも、逃がす時、『 あっちに、逃げて 』って言うから、大丈夫よ? 」
どうやら、もう後には引けそうも無い。 私は、この作戦に加わる事になったようだ……!
名付けて、『 男の仮面はがし作戦 』。
美希や薫たちは、これを、1年以上も前から続けているらしかった……
夏、特有の、けだるい夕日が、西に傾いている。
一瞬、この時間帯に、虚脱感のような感覚を覚えるのは、私だけだろうか。 何か、自暴自棄になってしまう感覚だ。
その日… 特に私は、危険な体験をする緊張からか、妙に赤く感じる夕日を、通りの角に立ちながら見ていた。
…今頃、薫は、『 獲物 』を求め、繁華街を歩いているはずである。
部屋に入ったら、廊下に隠れている美希から、私の携帯に連絡が入る手はずになっていた。
( …あたし、犯罪者になるのかなあ…… )
計画がバレ、全てが白日の下に曝されれば、そうなるだろう。 見つからなければ、犯罪者として問われる事は、無い……
まあ、やましい行動を起こした男たちが、訴えて来る事など、確かにあり得ない事だろう。 ある意味、完璧な作戦だ。
何もかも、あの2人が、お膳立てしてくれる。
私は、それに従っていれば良いのだ。 何しろ、私の友だちは、最強なのだから……!
辺りが薄暗くなった頃、美希から連絡が入った。
『 1人、連れて入ったわよ。 中年の、おデブさんね 』
予定では、2・3分で、出てくるはずだ。 私は、路地裏の壁際に立ち、じっと窓を見据えた。
…窓が、開いた! 出て来た…!
醜く太った腹を出し、トランクス姿だ。 ずり落ちるように窓から出て、慌ててズボンを履いている。
ふと、その男は、私の存在に気が付いたようで、こちらを見た。 顔面蒼白である。
「 …い、いや、あの… ドアが壊れちゃって…! ははは 」
引きつった笑顔で、そう言うと、男はクツを持ったまま、向こうの暗闇の中に走り去って行った。
一瞬の出来事だった。
( …これで… 終り……? )
大きな緊張感とは、引き換えにならないほどの、短い時間。 15秒も無かったのではないだろうか。
やがて美希が、駐輪場のある裏口側から小走りでやって来た。
「 朱美、どうだった? 」
「 あっちの方に、走ってったよ。 あたしを見て、血の気、引いてたよ、あのオジさん。 クツも履かずに行っちゃった 」
「 効果てき面ね…! 薫、次の相手、探しに行ったわ。 2時間くらい続けるから宜しくね 」
美希は、そう言うと、マンションの方へと戻って行った。
……これなら、何の問題も、危険も無い。
ただ、ここに立っていれば良いのだ。 不信そうに、相手を見るだけ……
簡単な事だ。
「 …あ、え~っと… 女房がおっかなくてね…! 」
「 ち、ち、ちょっと待って…! 違うんだよ、隠れんぼしててさ… 」
「 いやあ~、暑いね! 窓から出た方が近道なんだ 」
人間、窮地に追いやられると、ワケの分からない事を言うものである。 2時間も経たないのに、次から次へと、男たちが窓から出て来る。
若手サラリーマン・中年男性・ヤンキー… 中には、どう見ても、60過ぎの老人までいた。
慣れて来た私は、演出にも挑戦した。
「 あなた… 誰? 」
「 何してんですか? そんなトコで 」
声を掛けると、男たちはすべからく、この世の終りのような顔をした。 皆、着る物も着ず、一目散に逃げて行く。
何と情けなく、滑稽な姿…
あれでも、会社ではそれなりの地位を持ち、部下に対しも、偉そうにしているのだろうか。
愚かなる、男の本心を垣間見た… 私は、そう思った。
美希から、連絡が入った。
『 そろそろ、切り上げようよ 』
マンションに戻った私に、美希は、私の取り分をくれた。
何と、8万円…!
ただ、道端に立っていただけなのに… 私の手には、見た事も無い大金があった。
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