第5話、美希と薫

 終業式を数日後に控えた、ある日の放課後。

 私は、級友の1人から呼び出され、校舎の屋上に行った。


 錆びついたドアを開けて屋上に出ると、級友は手摺に両肘を突き、その上に顎を乗せて、ぼんやりと校庭の景色を眺めながら待っていた。

「 恵子、ごめん。 待った? 職員室に行ってて。 あたし、今日、提出係りだったから 」

 私が声を掛けると、その級友は振り向き、答えた。

「 ううん。 あたしこそ呼び出したりして… ごめんね 」

「 相談って、なあに? 」


 同じクラスメイトの、高松 恵子……

 成績は、中くらい。 ショートヘアの彼女は、陸上部の主将をしており、健康的な日焼け顔が魅力的な、活発な性格の子だった。

「 実は… 今、すごく悩んでる事があって…… 」

 恵子は、小さなため息をついて言った。

 美希や、薫たちと付き合うようになり、性格・容姿ともに変わった私は、他の級友たちにも積極的に話をするようになり、結果、私の周りには、実に沢山の友だちが出来ていた。

 時々、こうして、個人的な悩み事の相談なども持ち掛けられる存在にまで、なっていたのである。 以前の私には、考えられない事だった。

「 どうしたの? 部活の事? 」

「 ううん、違うの… 」

 そう言うと、それきり彼女は黙り込んでしまった。 どうやら、深刻な悩みらしい。

 私は、恵子と並ぶように、手摺にもたれて立ち、彼女の次の発言を待った。

「 …あのさ… 」

 しばらくの沈黙の後、恵子は言った。

「 朱美… 誰かを好きになったコト、ある? 」

 意外な質問だった。

「 あたし? …う~ん、ないなあ… 恋愛の悩みなの? 恵子 」

 頷く、彼女。

 少々、困った。 私には、今の所そういった経験が無い。

「 彼に、告白したいとか? 」

 私の問いに、恵子は、戸惑ったような表情を見せた。 みるみる、恵子の顔が紅潮していく。

「 …そうなんだ。 …そっか… 」

「 違う…! 違うのっ 」

 慌てて、首を横に振る、恵子。

 違うとは、どういう意味なのだろうか? 恋愛の相談には違わないらしいのだが、どうやら様子がおかしい。

 私は、慎重に言葉を選んだ。

「 …彼、どこの学校? 」

 恵子は、じっと自分の足元を見つめたまま、何も答えない。

「 どんな人なの? もしかして、歳が離れているとか? 」

 首を振る、恵子。

「 じゃ、年下だとか? 」

 更に、首を振る恵子。

 …私は、判らなくなった。 彼女の悩んでいるシチュエーションが、いまいち理解出来ない。

 困り果てていると、恵子は言った。

「 朱美… 足立さんと、友だちなんでしょ? 」

「 薫? うん、そうだよ。 どうして? 」

 再び、しばらく沈黙したあと、恵子は思い切ったように、私に言った。

「 あたし… 足立さんの事が好きなの……! 」

「 え? 薫のコトを…? 」


 これには参った。


 前から聞いてはいたが、まさか自分の身近に『 そう言った親愛の情を抱く者 』がいたなんて、正直、私は驚いた。

 …確かに、薫は魅力的だ。 同性の私から見ても、その美貌には、嫉妬する気力すら湧いて来ないほどの美人だ。 しかし……


 元来、恋愛は自由だと言う。

 その愛情の対象者が誰であれ、人を好きになる行動は、押さえる事は出来ないだろう。 たとえ同性を好きになったとしても、人を好きになるという事実は、何の罪に問われる事ではないのだ。

 恵子を含む、幾人かの者たちにとっては、その恋愛対象者が、たまたま同じ同性であった… という事に過ぎない。


 …だが、恵子は悩んでいる。

 その恋愛が、一般的ではない事に気付いているのだ。 しかし、情は押さえられない。 その狭間で、揺れているのだ。

 恵子は俯き、苦渋の表情で目を瞑りながら言った。

「 あたし… 自分がヘンなのは、分かってるの…… だけど… 押さえられないの…! 薫が、好きなのっ…! 」


 以前、美希と、恋愛に関して話をした事があった。 私は、その話を参考にしながら、自分なりの考えを恵子にアドバイスしてみた。

「 …恋は、憧れだと思うの、私。 恋愛ってさ… 『 恋 』・『 愛 』と一緒に書くけど、恋と愛は、ホントは違うんじゃないかなぁ… 私、『 恋 』は憧れだと思うの。 …憧れって、誰にもあるよね? その憧れに向かって、人は努力をするのよ。 その憧れは、人だったり、夢だったり… いっぱいあると思うわ。 だから、努力を惜しまないようになる憧れは、沢山した方がいいと思うの 」

 恵子は、じっと私の話を聞いている。 私は続けた。

「 『 愛 』は、ね… 信じあう事だって、あたしは思う。 目を見れば、何をしたいか・・ 何を言おうとしているのか分かっちゃう、あれよ。 お互いを、信じあう事なのね。 冷静に考えれば、違いが分かるわよ? まあ、恋愛を、冷めた目で冷静に判断するのも、何か興ざめだけどね 」

 少し笑いながら、私は、恵子を見た。 じっと、私を見つめている恵子。

 私は、視線を自分の足元に移し、更に続けた。

「 お互いに信じあう、愛になれば… そうね、それこそ、なりふり構わずで良いとは思うけど… 片思いの…『 恋 』の時点では、よく状況を確認しないとね…! その状況次第では、周りからは、やっぱりヘンな目で見られる事もあると思うから 」


 乾いた初夏の風が、私の髪を揺らす。 そよいだ髪を右手で押さえ、恵子の方を向くと、私は言った。

「 恵子の場合、憧れなんじゃないかなあ…? 薫、超キレイだもんね。 あたしだって時々、ドキッとするコトあるもん 」

「 …恋、かぁ…… 」

 恵子が呟く。 私は、追伸した。

「 あ、 恵子。 あきらめろ、って言ってんじゃないわよ? 告りたかったら、すればいいと思うよ。 でも、結果が良くなかったらイヤでしょ? あたしが言いたいのは、その前に、よく状況を確かめて判断してね、ってコトなの 」

 恵子は、何度も小さく頷いていた。

 私は、更に追伸した。

「 恋は盲目、って言うでしょ? その意味を、よく考えてね。 愛とは違うものだ、って言うのが、あたしの持論よ? …もっとも、体や、快感… 悦楽だけが目的ならば、定かじゃないケド 」

 恵子は、手摺に両肘を乗せたまま、顔を上げて空を見つめると言った。

「 何か… 踏ん切りついたような気がする……! やっぱり、あたしのは… 朱美が言ったように、憧れだと思う。 あたしに無い魅力を、いっぱい持ってる足立さんに対する独占欲… って言うの? 気に入ったものを、自分の側に置いておきたいって言うか… そんなカンジよ、きっと 」

「 何か、偉そうなコト言っちゃって、ごめんね。 あたしなんか… 恋愛に関して、まだ何ぁ~んにも経験なんか無いのにさあ…! 」

 私は苦笑いしながら、恵子に言った。

「 ううん… 朱美、すごく哲学的なのね。 あたしも、たまには本、読まなくちゃ。 全く運動バカだからダメよね。 こうと思ったら、一直線だし 」

「 そこが、恵子のいいトコじゃん 」

 私が、そう言うと、恵子は笑った。


 さっぱりした性格も、影響しているのだろう。 もう、先程のような暗い表情は無い。 美希と、色んな話をしたおかげで、意外と私にも説得力が備わって来たようだ。 これも、かけがえのない友のおかげだ。

「 …よしっ、今日は、走るぞ! 朱美、ありがとね 」

 恵子は、駆け足で階段を降りて行った。

( 告白… するのかな? 恵子 )

 多分、それは無いだろう。

 片思いは、密かに憧れるところに、本来の意味があるのではないだろうか。 想いが募り、切なくなる自分に陶酔する……

( いつかは、そんな経験もしてみたいな )

 実際、そんな立場になったら、今、恵子に答えていたように、冷静な対処などは出来ないだろう。 まあ、それも経験の内だ。 恋愛は、幾つもの経験をしてこそ成就なるものかもしれない。

 私は、そんな事を考えながら、屋上を後にした。


 教室に戻ると、机の上に、美希が書いたメモが置いてあった。

『 用事が済んだら帰ろうよ。 薫の教室で待ってるね 』

 どうやら、美希と薫を待たせてしまったようだ。 私は急いで帰り仕度をすると、薫の教室へ向かった。

( 薫かあ…… やっぱり、魅力的だもんなあ。 憧れる子は、いっぱいいるし… 恵子みたいに考える子も、潜在的には、かなりいるんだろうなあ…… )

 同性から交際を申し込まれたら、薫は、どう答えるのだろうか? 私には、想像もつかない世界だ。

 これには、さすがの薫も困っているのではないだろうか。

 実際、何回も告白の手紙なるものを、下級生の女子から貰っていると聞いている。 ある意味、少々、興味のあるところだ。


 そう言えば、美希から聞いた話しだが、薫はジャズダンスのコーチに、気になる男性がいるようである。 どんな男性なのか? あの、容姿端麗な薫に射止められたラッキーな男性とは…?

 こちらも、また、興味そそられる話だ。

 まあ、あの美貌なのだから、相手の男性も、それなりのイケメンでないと吊り合わないだろう。 もっとも、そうでなければ、私も不満だ。 やはり、薫の相手は、とびきりのメンズでなければ……


 勝手に想像を膨らませつつ、薫の教室に入りかけた私は、教室内を見るなり、慌てて廊下のドアの影に隠れた。


 教室の中で、誰かが、抱き合っていたのだ……!


( だ… 誰だろう…? 確かに、誰かが、抱き合ってた…… )

 1人は、長い黒髪の女生徒だった。

( まさか、薫……? )

 そんなはずは… もしそうだとしたら、もう1人は、美希…? まさか…!


 ドアの影から、私は、そっと教室内をうかがった。

 向こう向きに立っている長い黒髪の女生徒が、机に腰を掛けた女生徒に、愛撫をしている。

 私の心臓は、経験した事がないくらい、激しく鼓動し始めた。 心音が、教室内の2人に聞こえてしまうのではないか、と思われるくらいだった。

 息を殺し、私は、じっと2人を凝視した……


 黒髪の女生徒が、もう1人の女生徒に、キスをしている。

 顔の位置がずれ、黒髪の生徒の後ろ姿で見えなかった、もう1人の女生徒の顔が確認出来た。

 目を閉じ、薫のキスを受け入れている女生徒……


 美希だった。


 思わず、私は、ドアの影から離れた。

 黒髪の女生徒は、確認するまでもない。 見慣れた、後ろ姿… 状況的に言っても、薫に間違いは無い。

「 ん… 薫…… 」

 かすかな、美希の声。

 私は、足音を立てないように教室を離れ、自分の教室辺りまで戻った。


( 美希と、薫が…! )


 私は、気が動転した。 今さっき、恵子と話しした直後の、この展開。

( 落ち着け… 落ち着け…! さっき、恵子に、恋愛は自由だって説明したばかりじゃない…! 恋だろうと、愛だろうと… そのカタチは、不偏的なのよっ! 自由なのよ! お互いが認めているんなら、尚更よ )

 私は、気を静めようと、必死になった。

 おかしな、イカれた男と抱き合っていた訳じゃない。 気心の知れた、親友同士だ。 しかも美希と薫は、小学校からの付き合いだ。 決して、ふしだらな気持などないはずだ、と私は自分に言い聞かせた。

 たまたま、同性だった…… それだけの事だ。


 …ドコカ、一般性ガ欠如シテイル…


 私は、そうは、思いたくなかった。

『 何も、悪い事をしてるワケじゃない 』

 いつだったか、美希が私の前でタバコを吸った時に、美希は、そう言った。

『 誰にも迷惑、掛けてないわ 』

 そう、彼女たちは、どちらにも該当している。

 目撃した私にとっては、少々、驚く情景と事実ではあったが、落ち着いて考えてみれば、何も問題は無い。


 才女の美希と、超美人の薫……


 ある意味、こんなお似合いのカップル、そうは無いだろう。 俗っぽい考えかもしれないが、妊娠の危険性は、ゼロだ。

 私は、深く深呼吸をすると、わざと咳払いをし、上靴の足音を大きく立てながら、再び、薫の教室へと向かった。

「 …ごめ~ん! 遅くなっちゃった! 」

 何も見なかったように、私は、元気よく教室に入った。

「 もう用事はいいの? 」

 薫が聞いてきた。 美希とは、向かい合わせの席に座っている。

「 うん。 ごめんね、待たせちゃって 」


 …来なかった方が、良かったのか…?


 一瞬、そんな考えが、私の頭を横切った。

「 ねえ、朱美! 駅前公園の横にね、新しく、お好み屋さんが出来たんだって。 行こうよ! 」

 美希が私に言った。

 美希の制服のリボンが、少し、乱れている。 薫も美希も、顔が、ほんのりと赤い。

 私は、何も気付かないフリをして答えた。

「 いいね! 行こうか 」

「 3人とも、違うもの頼んでさ、少しずつ分けようよ。 そうしたら、3種類とも、食べれるよ! 」

 教室を出がてら、私の腕に抱き付いて来た薫が言った。

 …私は、近くに接近した薫の唇に目をやった。

 上品な、ピンク色をした薫の唇。 これが、つい先程までは、美希の唇と触れ合っていたのか……


 私は、妙な興奮を覚えた。


「 どうしたの? 朱美。 顔が、赤いよ? 」

 美希が、私に言った。

「 …そ、そう? あ… さっき、ちょっと走ったからかな 」

 私より、美希と薫の方が、数段赤い。

 そう思いながらも、それらの事には触れず、私は平静を装った。

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