第3話、『 マイ・フーリッシュ・ハート 』
放課後、私たちは、繁華街を歩いていた。
6月も半ばを過ぎ、街を行き交う人は、もうすっかり夏の装いだ。 半袖の制服を着た他校生も見かける。
いよいよ、本格的な夏が始まるのだ。
服装も薄手のものになり、露出させる肌の割合も多くなっていく。 開放的な気分が高まり、いつもの自分とは違う冒険をしたくなる。 特に、夏休みを控えた学生たちにとっては、格好の季節と言えるだろう。
駅前の地下街に入ると、冷房が入っていた。
2年ほど前にリニューアルした駅前の地下街は明るく、広い通路の両側には、洒落たブティックが連なっている。 各店先には、夏を先取りしたノースリーブなどが、整然とハンガーラックに掛かっていた。
「 黒い色の方が、スリムに見えるのよ? 」
薫が、店先にあったハンガーの商品を手に取り、言った。
「 あ、このキャミ、可愛い。 買っちゃおうかな? 」
美希も、ラックに展示されていた商品を手に取り、言った。
「 どう? 朱美 」
商品を胸に当てながら、美希が、私に聞く。
「 いいけど、それ… 高いよ? あたしのお小遣い、1ヶ月分だもん 」
「 臨時収入があったから、大丈夫。 気に入っちゃった、買おう! あ~、こっちのも、イイなあ~…! 」
「 これなんか、どう? 美希 」
別の商品を持って、美希に勧める、薫。 これもまた、同じように高い。 しかし、美希は、お構いなしのようだ。
「 バイトしてるの? 美希 」
私が聞くと、片目でウインクしながら、美希は言った。
「 …まあね。 内緒よ? 」
大抵の学校では、原則としてアルバイトは禁止されている。 しかし、高校生ともなれば、色々な出費がかさむものだ。 特に女子は、やはりオシャレに気を使う。 当然、洋服などの購入費は、ばかにならない。 学校には届けず、中には、家族にさえ言わず、アルバイトをしている者も数多い。 才女の美希も、それは例外ではなかったらしい。
まあ、成績を下げず、生活態度も優良な美希なら、問題は無いだろう。
結局、美希は、薫が勧めたものを購入した。
地下街のメインロードと、駅のコンコースから続く連絡路との交差路の角に、そのクレープ屋はあった。 セルフの小さな店ではあるが、外からレジ越に店内をうかがうと、かなりの客が入っているようである。
数人の列の後ろに並び、注文の順番を待つ。
薫が、美希に聞いた。
「 いつもので、イイ? 」
「 そうね。 あたし的には、マストね。 …朱美、何にする? 」
初めて来た私には、何が何だか分からない。
薫が言った。
「 初めてなら、まず定番の『 フランジェ 』ね。 入ってるフルーツも、パフェ的だし、クリームもプレーンよ? 私的には、ラムレーズンがオススメだけどね 」
電飾ボードに掲示されている画像を見る限り、どれも美味しそうだ。
だが、私は薫のチョイスに同意した。
「 じゃ、薫がオススメなのにする 」
「 オッケ! 」
ウインクしながら、嬉しそうに薫は答えた。
注文した商品を手に、私たちは、小さなテーブルに着いた。
「 ……美味しいね、これ! 」
ひと口食べ、その味に感動した私は、思わず言った。
「 でっしょ~? 情報誌でも有名なのよ、ここ 」
手に付いたクリームを、色っぽく舐めながら答える、薫。
「 朱美は、どんなお店によく行くの? 」
クリームに差し込んであったチョコレートスティックを食べながら、美希が聞いた。
「 あたし… あんまり行ったコトない。 ってゆうか… 誘ってくれる友達、いなかったし…… 」
正直に、私は答えた。
ある意味、バカにされてもいい。 もしかしたら、友だちになってくれそうな2人には、ありのままの自分を見て欲しかった。
「 そうだったんだ…… じゃ、これからは、あたし達が誘ってあげる! 色々、連れてってあげるね、朱美! 」
薫が、そう言うと、美希も言った。
「 朱美、いつも1人でいるからさ、何~となく、気になっていたの。 もっと早く、声掛ければ良かったね。 あたしってさ… どことなく、取っ付き難い印象あるみたいじゃん? だから、いきなり話し掛けたら迷惑なのかな? って思ってね 」
私は嬉しかった。 何だか、涙が出そうで……
『 ありがとう 』の、一言すら言い出せない自分が、悔しくさえ思えた。
…やっと、友だちが出来た…!
しかも、校内では、知らない者はいない、才女の美希と、超美形の薫。
私は、有頂天になった。 今まで、手の届かなかったVIPの世界の人種が、今は、私の友だちだ。 互いにファーストネームで呼び合い、馴れ馴れしく冗談なんかを言っている。
私は、天にも昇るような気持ちだった。
クレープ屋を出た私たちは、CDショップへ向かった。
音楽を聴かない私にとっては、別世界だ。 店内、溢れんばかりのお客の数に、まず私は驚いた。 CD・DVDの他に、音楽関係の書籍もかなり広いスペースで販売されており、一部では、プレーヤーなどの音響機器も販売しているようだ。
薫が、ジャズコンテンツのスペースへ行く。
「 う~ん… コルトレーンのバラードアルバムかあ… 面白そう。 でも今日は、ピアノトリオのが欲しいのよね 」
ラックに並べてある膨大なCDを、慣れた手付きで取り出しながら、薫は言った。
「 この前、オスカー・ピーターソン、買ったんじゃないの? 」
目の前にあったラックに手を伸ばし、一枚のアルバムを手にしながら、美希が聞いた。
「 ちょっと、古くさい感じなのね。 音源も、アナログだったし 」
私には、誰の事を言っているのか、さっぱり分からない。
手にしていたCDをラックに戻しながら、薫が言った。
「 CD買わなくてもさ、今、無料ダウンロードや配信があるじゃない? でも、あたし的には、何となくCDで持っていたいのよね。 ジャケのデザイン、ジャズのCDって、元はレコードなの。 その、古臭いトコがイイのよ 」
その感覚には、何となく共感をした。
音源そのものに、プラス、デザインの存在……
CDも、自室の壁掛けラックなどにディスプレイしてあると、趣味を自分なりに主張しているようで、面白そうでもある。 ジャズならではの、年季の入ったデザインは中々に渋いだろうし、ある意味、お洒落だ。 何と言っても、大人っぽさを感じる事が出来る。
薫が、少し横に移動したラックの中から1枚のCDを見つけ、言った。
「 あ、レフト・アローンがある……! 」
美希が、そのCDを覗き込み、尋ねた。
「 えっと… バド・パウエルだっけ? 」
「 マル・ウォルドロンよ。 イイのよ、この曲。 トリオじゃないけど、これにしようっと! 」
当然、誰の事を言っているのか、私には分からない。 そもそも、『 ジャズ 』と聞いただけで、私には、お手上げだった。
トランペットやらサックスが、訳の分からないフレーズを吹き、ドラムが鳴っている……
そんな印象だった。 学の無い私などとは、生涯、縁が無い世界で生活している『 高尚な 』人たちが聴く音楽だと思っていた。
「 ジャズ、聴いてるってだけでも、あたし的には、スゴイなあ…… 」
私が言うと、薫は、笑って答えた。
「 あたしだって、ムズかしい奏法は、分かんないよ。 でも、何となく聴いたコトある曲が多くてね。 そこが、イイのよ? 」
「 ふ~ん、そうなの? 」
「 朱美だって、この曲、絶対聴いたコト、あるって! …あ、そうだ。 あとで、ビル・エバンスの『 ワルツ・フォー・デビー 』、聴かせてあげる。 あたし的には、ピアノトリオの中じゃ、断然、お気に入りなの。 CDも持っているケド、結構、イケてる動画、サイトで見つけてさ。 いつも、これで聴いてるの 」
カバンの中からスマホを出して見せながら、薫は、私に言った。
「 あたしなんかにジャズ、分かるかなぁ……? 」
困惑気味の私に、薫は笑いながら答えた。
「 そぉ~んなん、分かんなくてもイイのよ! …てか、分かんない方が面白いかもね。 先入観、無いから 」
ウインクをする薫に、私は苦笑いで返した。
レジで清算を済ませ、ショップを出ると、店舗の入り口脇にあったベンチに座り、薫はカバンの中から先程のスマホを出し始めた。
「 あたし、ちょっとクラシックのトコ、見てくる。 ここで待っててね 」
そう言って、美希は再び、店内に入って行った。
「 ……美希ね、クラシックがメインだけど、ジャズピアノも上手なのよ? 」
薫が、買ったばかりのCDを開封しながら、私に言った。
「 ピアノ、弾くの? 美希 」
「 うん。 小学校の時からね。 はい、これ着けて 」
薫が、スマホのイヤホンを私の耳に着けてくれた。
「 先に、ビル・エバンス、聴いてて。 あたし、いつもCD買った時は、解説から読むの 」
プレイボタンを押すと、やがてピアノの音が聴こえて来た。
ジャケット裏の解説を読みながら、薫が言った。
「 そのアルバムの1曲目は『 マイ・フーリッシュ・ハート 』っていう曲だけど、めっちゃ、イイ曲よ? 」
……曲名など、当然、知らないのだが、確かに、聴いた事があるような曲だ。
静かな、ジャズバラードのようである。
「 落ち着いた感じの曲だね…… 行った事、無いケド… お酒、飲む所に流れてそう。 生バンドが、入っててさ。 大人の音楽だなあ……! 」
私は、うっとりしながら言った。
「 おシャレでしょ? ジャズって 」
解説書を読みながら、薫が言った。 頷きながら、私は、初めてじっくり聴かされたジャズという音楽を、しばらく聴き入っていた。
……何だか、大人になった気分だ。
歌謡曲、ラップなどという俗っぽい雰囲気や、電子楽器などの激しいビート感は全くもって無い。 ピアノ・ドラム・ウッドベースの、3つの音だけで独特な世界を創っている。
私は、のめり込むように、その音の世界に入って行った。
目の前に映る、繁華街を行き交う人々をバックに、心に染み入るような静かなジャズバラードが、私の耳に響く……
『 モノクロ 』な音楽が、目に映る街の風景すらも、アナログに相応しい色彩に変換していくようである。 限りなく、ゆったりとした、静かなモノクロームの世界が、柔らかく私を包み込んで行った……
「 ねえ、カノ女! オレたちと、クラブ行かない? 」
その声に、私は、現実に引き戻された。
顔を上げると、金色に染めた髪を逆立てた男が1人、私の前に立っている。 傍らには、長髪の男。 カッターシャツの胸をだらしなく開け、ダブダブの学生ズボンを、腰の中頃まで下げて履いている。
( ナンパか…… 薫は、いつもされて、困るだろうな。 ルックス、超イケてるもんね。 どうやって、断るんだろ? )
まあ、慣れているだろうから、そんなに心配する事はないだろう。 それより、ピアノの旋律を聞き逃した。 いいトコだったのに……
私は、リプレイのボタンを探した。
「 何だよぉ~、シカトかぁ? オレら、バカじゃん? 」
再び、私は顔を上げた。 2人の男子高校生は、私を見ていた。
「 ヒュー、可愛いじゃ~ん? ラッキ~! ね、名前、何て言うの? 」
「 …え? あたし……? 」
何と、ナンパされたのは私だった。
こんな事は、生まれて初めてだ。 大体… 何で、私なのだろうか……?
隣を見ると、薫が、ベンチに座ったまま、じっと彼らを睨みつけている。
私は、薫に助けを求めた。
「 …薫ぅ~…! あたし…… 」
「 ひょ~っ! この超美人、キミの友だちなのっ? 超ラッキー! 2人とも、一緒に行こうぜ。 な? 」
もう1人の長髪男が、奇声を上げた。
「 オレは、コッチの、かわい子ちゃんがいいな! 行こうよ、ほら 」
金髪男が、私の腕を掴み、立ち上がらせようとする。
「 ちょ、ちょっと待って…! イヤっ! 」
その時、薫が、ゆっくり立ち上がり、男らに向かって静かに言った。
「 ……あたしら… ここで、カレ氏、待ってんだケド……? 」
男らは、その言葉に、少しひるんだ様子だ。
「 カレ氏、いんのかよ……! でもオレらだって、結構、退屈させねえぜ? 」
薫は、腕組みをし、意味あり気な笑みをうっすらと浮かべると、2人の男たちを交互に見ながら言った。
「 アンタたち…… 悪いコト言わないからさ、早く帰った方がいいよ? あたしのカレ氏、小指、無いし… そっちの子のカレ氏、銀バッジに、ベンツの600よ? 」
金髪の男は、途端に私の腕を離し、少し後退りした。 薫は、私の方を向くと、更に続ける。
「 ねえ、朱美。 どうする? カレ、鉄砲玉、欲しがってたじゃない。 この子たち、拉致って、連れてっちゃおうか? 」
……この薫の演技に、私は乗った。
「 う~ん…… でも、フィリピンだ、って言ってよ? パスポート、無いんじゃないの? この子たち。 …あ、カレ、来た。 お~い! 」
人ごみの向こうに、私は手を振った。
「 …ま、またね…! 」
金髪と長髪は、慌てて、どこかへと姿を消した。
薫が、プッ、と吹き出す。 私も、薫に続いて笑い、やがて薫は腹を抱えて笑い出した。
「 あはははっ! 朱美、サイコーよ! あははっ! あ~、おかしいっ…! 」
「 薫だって、大人って感じよ? マジ、入ってたもん 」
「 お腹、痛いわ~! 涙、出て来ちゃったよ、もう 」
やがて、店内から出て来た美希に、今の出来事を話すと、またまた大爆笑だった。
帰り道、私は、幸せな気分だった。
美希と別れ、帰る方向が一緒の薫と、私は電車に乗った。
「 ふ~ん、じゃ、ナンパされたのは、初めて? 」
薫が、私に聞いた。
「 もちろんよォ……! 大体、あたしなんか… ナンパされる事の方が、おかしいよ。 根暗だし… あの男の子、美的感覚が無いんじゃないの? 」
「 でも、朱美のコト、可愛いって言ってたよ? あの子 」
「 そこが、おかしいわよ。 あたしなんかを、さあ…… 」
「 そうかなあ。 朱美、普通よ? てゆ~か、結構、可愛いと思うケドなあ 」
「 やめてよ、薫ぅ~…! 」
私は嬉しかった。
美人の薫が、私を認めてくれている。
お世辞にしても、私の心には、今まで感じた事の無い優越感のようなものが存在していた。
……多分、私の隣に薫がいたから、彼らも声を掛けたのだろう。 むしろ、最初からそれが彼らの手だったのかもしれない。
でも、そんな事はどちらでも良かった。 ナンパされたという既成事実が、私を充分、満足な気分にさせていた。
「 でも、朱美…… マジ、気を付けてね? ナンパして来る連中は、エッチしたいという願望目的だけの連中が、ほとんどだから 」
心配そうに、薫は言った。
「 うん、分かった。 大体、あたし1人で繁華街なんかには行かないから、大丈夫だよ? 」
そう言うと、薫は安心したように笑った。
夏が、すぐそこまで来ている。 今年の夏は、何か… いつもの夏とは、違う夏が過ごせそうだ……!
そんな予感を、私は、心の中で確信していた。
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