第2話、夏の予感

「 ねえ、朱美の家って、どこなの? 」

 購買で購入して来た惣菜パンと、パックジュースを机の上に置きながら、隣の席に座っているクラスメイトの美希が、私に聞いた。

「 …え? あたしの家? あ、赤塚町… だけど……? 」

 突然の質問に、私は戸惑い、弁当を食べていた箸を止め、そう答えた。

「 ふ~ん、赤塚かあ… 色んな店があって、いいトコよね。 あたしンち、亀島なの。なあ~んにも無いのよ? ヤんなっちゃう 」

 パックジュースにストローを刺しながら、少し、つまらなさそうに、彼女は言った。


 彼女の名前は、本田 美希。

 セミロングのストレートにシャギーを入れ、前髪をきれいに揃えてカット。 カラーリングはしていないが、地毛が茶色っぽいので、明るく見える。 教室では、すぐ隣に座っているクラスメイトなのだが、今まで、ほとんど話した事が無い。 すっきりしたルックスで、成績も優秀。 学年では3位、校内では2位である。

 知的な魅力を感じさせる美希は、あまり成績が、ぱっとしない私にとって、話し掛けにくい存在でもあったのだ。


「 亀島には、大っきな公園、あるじゃない? いいなあ~、犬の散歩には、うってつけよ? 」

 私がそう言うと、美希は答えてくれた。

「 朱美、ワンちゃん、飼ってんだ。 うちは、マンションだからダメなの。 何て名前? 」

「 え… あ… コーギーでね、コタローって言うの 」

「 あははっ、かわいい名前! オスなの? 」

「 うん、5歳だよ。 写真、見る? 」

「 わあ、見たい見たい! 」

 ソーセージを口に放り込むと、私は、カバンの中のポケットアルバムから1枚の写真を取り出し、美希に見せた。

「 かわいい~っ! いいな、いいなぁ~! 」

 惣菜パンを食べながら、美希が言った。

「 この子ね、ドッグフードより、ご飯の方が好きなのよ。 ヘンでしょ? 」

 残りの弁当を食べながら、私は言った。

「 庶民的で、いいじゃない。 あたしの従姉妹が飼っているシャム猫、鰹節を振り掛けたご飯なんて、見向きもしないわよ? いつも、ツンとしちゃってさあ。 可愛気が無いわ 」

 写真を返しながら、美希が言った。

「 猫は、いつもマイペースだからね。 …美希、ワンちゃん、飼いたいの? 」

「 飼いたいなあ~ パピヨンっていう犬、いるじゃない? あんな、小っこい子がいいな。 ご飯あげたり、散歩したり… 夢だなあ~ 」

「 うちの表札、ちゃんとコタロー、って書いてあるのよ? 」

「 え~? 面白ぉ~い! 何、何? 小岩井 コタロー、って書いてあるの? 」

「 そう 」

「 あははっ! サイコー、それ 」

 美希が、笑って答えた。

 今まで、気高くて、話し掛けようともしなかった美希。 意外に親近感があり、社交的だ。

 全く、住む世界が違う人種と思っていた美希と屈託のない話しが出来、私は、大いに満足だった。 美希と、友だちになれたような気がして、他の級友たちに対し、優越的な気分すら感じられた。

 しばらく飼い犬の事を美希と話していると、やがて、違うクラスの女生徒が1人、教室に入って来た。


 綺麗なロングヘアが、印象的な彼女。

 制服のスカートから、すらりと伸びた、高校生とは思えない脚線美。 同じ同性からも、憧れの眼差しで見られる彼女は、校内で知らない者はいない。 私や美希と同じ、3年生の足立 薫 だ。


 真っ直ぐ、私と美希の所へ来ると、彼女は、1枚のチケットを美希に渡して言った。

「 はい、美希。 伊達 シンゾー サマーコレクション発表会のチケット 」

「 ありがとう、薫。 いつも、ごめんね 」

「 ううん、気にしないで。 お父さんから貰ってるだけだからさ。 何時頃、行く? あたし、ジャズダンスのレッスンがあるから、その後にしたいんだけど… チケットは招待券だから、遅れても入れてくれるわよ? 」

「 そうね… じゃ、明日、LINEするね。 あたしも、劇団の発表会の配役会議があるから 」

 薫は、ロングの髪のサイド部分を両手で整えながら、美希に尋ねた。

「 美希の劇団の発表会って、いつも10月だったっけ? 」

「 うん。 今回は、準主役なの。 セリフ、いっぱいあるから頑張らなくっちゃ! 」

「 また、ビデオ撮ってあげるね。 春のステージの美希、綺麗だったなあ~…! ドレスって、歩き難くない? 」

「 慣れれば、何てことないわよ? 初めは、裾を踏んで、よく転んだケドね 」

 ジャズダンスに、劇団… 伊達 シンゾーと言えば、今、超売れっ子の若手デザイナーだ。

( やっぱ、あたしなんかとは、趣味からして違うなあ… もっとも、あたしには、趣味なんてものも無いケド )

 私は、眩しい魅力を振りまく薫の出現で、意気消沈した。

 薫が、美希の隣にいた私に目をやる。 美希が、私を紹介をしてくれた。

「 …あ、薫。 この子、朱美。 あたしの隣に座ってるの。 ワンちゃんの事、詳しそうよ? 」

「 え? そうなの? 」

「 …詳しいってほどじゃないケド…… 」

 少し、遠慮がちに、私は言った。

 薫が、私に聞いて来た。

「 あたし、チワワ飼ってるんだけど、家に来客があると玄関まで走って行って、すっごく吠えるの。 何とか、仕付けられないかなあ 」

 そう言いながら、空いていた私の前の席に座る、薫。


 ふわっと、コロンの良い香りがした。

 制服のスカートから伸びた、薫の組んだ足が、妙に艶かしく目に映る。


 薫について、同性からラブレターを貰う事がよくあるらしい、と聞いた事があるが、それが今、何となく私にも理解出来た。 女子校では、珍しい事ではない。 私が通う、この学校も例外ではなく、友情以上の親愛を交し合う生徒たちが校内には何組もいる… と聞いた事がある。

 おかしな緊張にも似た動揺を感じながら、私は答えた。

「 チワワは、そんなに鳴く子じゃないケド… う~ん… ちょっと、脅しを掛けてみたらどう? 」

「 え? ぶつの? 」

「 違うよ、あのね… 玄関先で鳴いたら、こうなるんだ、って覚え込ますの 」

 ちょっと分からない、といった表情の薫。

 私は説明した。

「 玄関にあるマットレスに、長い紐を着けてね… その子から見えないトコに居て、鳴いたら、思いっきり引っ張るの 」

「 何か、いたずらみたいね。 それでどうなるの? 」

 薫は、興味津々な表情で、私に聞いた。

「 多分、その子、ひっくり返っちゃう 」

「 あははっ! ちょっとかわいそうだけど、面白ぉ~い! 」

 美希が笑う。

「 つまりね。 玄関で鳴いたら、ひっくり返っちゃうんだ、って理解させるの。 多分、3・4回やったら、鳴かなくなるよ? 」

「 へえ~っ! そうなんだ。 朱美… だっけ? 物知りなのねえ~ 」

 薫は、いたく感心したようである。

 美希が、薫に言った。

「 朱美の家は、コーギーだって。 コタローって、言うのよ。 表札にも、書いてあるんだって 」

「 へええ~、いいわねえ~! 何か、家族の一員ってカンジじゃない? いいな~、うちのミルクも書いてあげようかな 」

「 ミルクって言うの? その子 」

 私が聞くと、笑いながら、薫は答えた。

「 そうよ。 真っ白だから。 男の子だけどね 」

 笑顔もまた、上品だ。

 美希と同じように… いや、それ以上に、雲の上の存在だった薫と、こんなにも親しく話しが出来るなんて、私には、想像もつかなかった事だった。


 傍らには、校内きっての才女、美希。

 前には、同性からも憧れられる、容姿端麗な、薫……


 おおよそ、自分には不釣合いな人物と、まるで以前からの親友同士のように、自然に笑いながら話している現在の状況……

 私は、とても満足だった。


 始業ベルが鳴った。

「 じゃ、朱美。 授業が終わったら、また来るね。 帰っちゃ、ダメよ? ミルクの相談、まだあるんだから 」

「 うん、分かった。 待ってる 」

 軽く手を振りながら、薫は自分の教室に帰って行った。

「 ねえ、朱美。 学校が終わった後、何か用事ある? 」

 美希が、教科書を出しながら、私に聞いて来た。

「 え? …何も無いけど? 」

「 薫とね、美味し~いクレープ屋さん、行くんだ。 朱美も、一緒に行かない? 」

「 ホント? わあ、美味しそう。 行く、行くっ! 」

 『 友人 』から誘われた事など、今の今まで、一度も無い。


 私は嬉しくなり、授業が終わるのを心待ちにして、1日を過ごした。

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