5-1 接続

 彼女の背中に人の温もりを感じる。白く不健康な腕が瑠璃の首元に巻かれ、耳元で囁く。


「接続の仕方、思い出した?」


 昨日の夜に接続の仕方を教わっていた。身体の力を倍増させて核シェルターから脱出するため、床を踏みしめて玄関を開ける。


「カセットは月の民を入れる箱。その容量で佳夜を受け入れるイメージ!」

「私は瑠璃の味方だから、絶対に信じて」


 瑠璃は自分の空洞と対峙した。まるで瑠璃は空のコップだ。その中に佳夜の意識が甘い液体のように粘ついて、上から零れてくる。爪で心臓を直に掻かれてるようなむず痒さがある。頭蓋骨から脳を取り出された感覚が走り、吐き気がこみ上げる。その液体じみた意識は、瑠璃を張り固めるように埋めていく。彼女の体はかき混ぜられた。そのせいで胃が悲鳴をあげ嗚咽する。

 彼女の自由が効かなくなっていく。瑠璃は意識が足一本で宙ぶらりんになってるような怖さが走る。その身体は商品のようで誰かの借り物だった。


「瑠璃、一緒に外を見よう」


 身体が兎のように跳躍する。天井が普段より近くなった。頭の重心で全身が一回転する。


「黎はこの世界を見ていたんだね」


 バランスを崩し横転する。再度立ち上がれば佳夜は意識が二つになった。抱えられる自分と、カセットの緒方だ。デカルトの身体は代わり映えがなかった。意識は低下し詰問されても返事出来ない。

 瑠璃は思い出と共に眺める。買い食いしたことやケアハウスに残した恩人の人たち。


『いつか、その日が来ると思ってました』

『私たちはデカルトの貴方に甘えていました。旅行してきなさい。本来、私たちがなんとかするべきことなのです』


 旅行という言葉で永遠の別れをした。相手も知っておきながら旅行という言葉を免罪符にするつもりだ。その時、管理人は何を想ったのか聞こうとするのは野暮な質問だった。


「みんなに感謝してる」

「私も行き倒れたところを助けてくれた」


 核シェルターの大穴から脱出する。洞穴に寄り道したら、獣は体を丸めて動かなかった。


「ミイ、今までありがとう」


 佳夜の口を動かした。その目はずっと名残惜しいそうに肉塊を捉えている。瑠璃はかの罪と呼ばれる獣から煙が抜けた気がした。その沈黙が唯一の鎮魂になる。


「襲われないように、探知機や対抗策は預けた。ケアハウスを信じるかな」

「瑠璃、そうだね」


 太陽は爛々と二人の肌を焼いた。割れ目から壁を飛び交わし空に近づこうとする。核シェルターから遠ざかった。


「不浄の位置も教えられないの」

「それは出来ないんだ」


 位置を教えることでさえ許さない。デカルトの常識を提示されるたびに、明の異常さが浮かび上がった。


「あ、地上が見えてきたよ」


 窮屈な空気を抜け、緑の地面が出迎えた。荷台から蔓が這っているトラックを目視できた。瑠璃は何故か心が摘まれたように寂しくなる。


「付いたから、接続解くね」


 瑠璃は大きなものを返された。あまりに心の処理ができないから地面に体を崩す。抱えられたデカルトも巻き込まれて草を口に含んだ。


「だ、大丈夫?!」首に回した腕を伸ばす。足も彼女の腕から抜いて、友人を仰向けにして胸の動きを確認した。


「瑠璃!」


 女の腕が目元を通過する。両目を擦ったら、瑠璃は咳き込んだ。


「佳夜、接続ってこんなに疲れるんだね」

「休む?」

「いや、進もう」


 二人はある目的を立てていた。瑠璃は自身の故郷に赴く。自由になった佳夜は、道中で世界を見て回る。


「また、接続しよう」


 二人は体を密着させる。佳夜は背負った鞄の位置を直す。

 瑠璃は髪の毛が青くなり肌が白くなる。瞳は満月と同じ色に変質した。


「あ、掴めた。わかる、こうだよね!」


 誰もいない道路で少年の声が通る。瑠璃は接続の要にしがみつく。彼女の提示した難易度の船に、恐る恐る足を乗せて操縦する。

 今のふたりはデカルトのエネルギーにカセットが合意していた。二人は接続の力で付近の街に抜け出すつもりだった。そこで、駅のチケットを購入し村にまで近づく。


「ねえ、野宿したい!」


 背中の少女が嬉嬉として指さした。瑠璃は接続が安定したから返事する余裕が出来た。今の瑠璃は佳夜の力を借りて歩いているという表現に間違っていない。


「それは、また後でね」


 錆びた車は道路に捨てられて生物の巣になっている。背丈のある植物が太陽の光を渇望していた。昆虫が滑空し二人の視界を阻害する。二人の行動で、不浄が銃口で追いかけても、機械の体内は小動物に住まわれていた。


「あれ、思ってたより早く到着するね」

「着いたら何か食べようか」


荒廃した文明の上に生き物が生息している。人間が作ったものは自然の産物でしかない。結晶の運用を除いて、地球はビルの外観も緑で飲み込んでいる。


「ここ、大っきい都市だったんだ」


 瑠璃は戦争によって人間が殆ど滅んだことを思い出した。その出来事に感想の付箋をつける気はない。結晶を戦争の道具として使った形跡はある。人間が残した欠片で生活を騙して衰退を待つ。終末世界だから月に人が行き、不死身が流行するのも、瑠璃にとって現実味があった。


 それに、戦争があってもなくても、地球の氷河期はもうすぐそこだ。


「あ、着くよ。目的地である神社がみえた」


 瑠璃は佳夜に渡し身体を加速させる。



「まさか、緒方黎の姿だからチケットを買えないなんて」

「ヒカルの配慮に感謝しないとダメだ!」


 横目で瑠璃は、ハンバーガーを口いっぱいに押し込む佳夜を盗み見た。


「ヒカルは用意周到で恐ろしいよ」


 緒方黎の格好だからチケット売り場で拒絶されてしまった。ズファレは前の緒方を阻害するために、券を売らないよう手配をしているようだ。その制度は彼が死んでも解禁せず残ってしまっている。そこで、ヒカルは忘れ物置き場で手紙を二人に用意していた。


「あの手紙には助けられた」

「中に3ヶ月通行券ってあったけど、あれお金かかってるよね」


 手紙はチケットと共に文章も同封されている。瑠璃は3つ折りを真っ直ぐにした。


『今度は何事もない旅を祈る』


 電車は人が多くて座るのに苦労した。ハンバーガーという腹のなる匂いが車両に行き渡って、同車する人はふたりを意識から外す。


「なんて書いてあっ……、テッシュいる?」

「ありがとう、大丈夫。『頑張れ』って手紙に書いてた」


 紙くずにならないように、目立つ場所に手紙を鞄に直した。カバンの底は佳夜が修繕した布が縫われている。


「佳夜、到着するまで寝といたら?」

「分かった」


 佳夜に肩を預け目を瞑る。窓越しにその動作を見計らい、鞄から本を出した。

 本のタイトルは『猿でもわかる、今の問題』と『知らない方が恥ずかしい。日本の有名料理店』だ。起こさないように本に目を通す。


 彼女自身も世間のことを把握せず生きてきた。今からでも世の中の仕組みを頭に入れて、後悔しないように振舞っている。それに、佳夜に格好いいところを見せたかった。むしろそれが本意だ。


 電車は鋼鉄の身体を走らせる。不浄が一掃された道は、漢字の人に似てる廃ビルが寄り添っていた。人々は数年で村を作り、汚染された地域に入って死ぬ人もいて、通信機器は企業が独占して市民は手に入らない。協会と政府だけがコンピュータを使い、壊れかけの通信器具で凌ぐだけだった。


「まだつかないの?」

「もうちょっとだって」


 向かいは座るカップルは二人だけの物語があった。きっと、不朽の国に関係のないこと。テレビで騒がれている不朽の国は、騒いでいる人たちにしか有名ではない。


 見覚えのある街を高速で進む。謙也と一緒に死のうとした地点は過ぎた。不浄が体をへし曲げ壊れている。


「佳夜、もうつくよ」

「……、ううん」

「ねえ、佳夜。本当は電車で食べちゃいけなかったんだって」

「マナー?」

「まなー」


 村から近い駅で止まる。鞄を肩に通して、2人で外に出た。

 ぬるい風が頬を撫でる。高い防御璧の通路を人の波が流れていく。瑠璃は暑さに胸焼けしている。


「虫かごの中みたい」

「佳夜」


 駅から降りた。亡霊みたいに人々は姿を消していく。獣道を二人は歩いていく。途中で不浄に遭遇することなく、村が見えてきた。


「あれが故郷?」

「うん。そうだよ」


 村の側面に溝が掘られたままだけど、橋は永遠と掛けられている。柵も黒い煤をつけたままだった。


「行こう」瑠璃は唾を飲み込み村の前まで到着する。誰も呼びかけられず、不安に駆られ、中に入っていった。


 村は建物の形だけ残して、人々の生活が抜けていた。肌寒さを感じて両手を擦る。


「ここは、不朽の国が管理することになってたはずだけど」

「誰もいないね」

「私の家に行こう」


 瑠璃は外の冷たい風を浴びる。二人で手を握り温めようとした。砂利道を進み、壊れた家を横切る。


 彼女の家は健在していた。

 鍵穴が壊れたドアノブを回し帰宅する。


「両親は?」

「私が子供の頃に死んだ」


土足でリビングに進む。通路は荒らされ、両親の仏壇は粉々に砕けて何も残っていない。かわいた黒い液体が散らばっている。


「瑠璃」

「うん。誰か来た」


 彼女の体が青く光る。誰かが見ているという漠然とした不安が、二人に引っ付いていた。視界を共有して相手の出どころを探る。


「どこを見ている。俺はここにいる」

「な……」

「久しぶりだな、黎」


 佳夜は横の友人に解除を求めようとした。しかし、黎と呼ばれた瑠璃は警戒を解かない。


「緒方うつる。何故ここにいる」

「やはり不朽の国から来てないか。中身は誰だ」


 手のひらに鈍色の固まりが集まっていた。瑠璃は手を横に降ると、その固まりは辛うじて刀に変異する。


「私は緒方瑠璃だ」


 彼女は無意識のうちに佳夜のエネルギーを拝借していた。


「あの時は悪かったな。仕事だったんだ」

「瑠璃さん……?」


 うつるの背後で少女が呼び止める。瑠璃は飛びかかろうとして辞めた。頭が追いついていない。


「何で、マコちゃんがここにいるの?」

「ちょっと色々ありまして」


 うつるはマコに戻るよう促していた。二人は瑠璃の故郷で行動を共にしている。それは事実と受け入れられず傍観者に徹するしかなかった。


「二人は誰なの?」


 置いてけぼりの佳夜に、瑠璃はうつるとマコ、そして黎との関係について説明する。


「それにしても、何でここに」

「瑠璃が来るのを待っていた」


 うつるはニヤリと笑って手を回す。手首の斑点が目に入った。


「君に伝えなくちゃいけないことがある」


 瑠璃の悲鳴がこだました。

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