655828426 佳夜

あれから彼女は逃げ回っていた。そして、悪く彼女は、道路の割れ目に落ちてしまう。その割れ目の奥は汚染された川が、下に流れていく。


「はっ。助け」


 川から犬掻きで抜け出した。彼女は身体と意識が別にある。


「私だけ、生きちゃった……」


 泣いてる暇はなかった。その上から残酷な太陽が彼女の体を乾かしていく。


「あ、空がとお、く」


 彼女は顔から地面に突っ込んだ。彼女は体内時間以上に流されてしまっている。身体は冷やされ、足の傷から菌が入り込んでしまった。

 カセットは死ねないように作られている。


「苦しい……、苦しいよ……」


 死にたくないという願いが咳き込ませた。頭が揺すられるように痛み、手足の感覚がなくなっていく。


 彼女は視界が歪んでしまった。それだから、ある女性が近づいたことを知らない。その女性は瑠璃に忠告する。


「何か、言い残すことはある?」


 瑠璃は天使が呼びかけたのかと納得した。素直に相手へ告げる。


「悔しくて、死ねないっ」


 女性はポケットに突っ込んである手袋を手に通す。その上から肌と足の状態を確認する。普段の人間なら致死量の出血だった。しかし、カセットは生命を断てない。


「緒方式か」


 彼女はそれに気づいて肩に回す。瑠璃は視界が移動したことに疑問を感じたが口に出さなかった。

 その女性は死にかけの身体を大切に抱えて、川をさらに下っていく。泥色の水は右側を詰めていき、左側にトタンが姿を現す。彼女は器用に廃材をすり抜けた。長い階段を進んだら、清潔な空間に躍り出る。入口にいる女性に、通行人が頭を下げた。


「佳夜(かや)さん、おかえりなさい」


 佳夜と呼ばれた女性は頷きで返す。彼女は自身の部屋を目指した。彼女は眩しそうに、降り注ぐ日差しを手で隠す。


 ケアハウスと看板のある家のドアノブを回した。なかの住人は抱えた男性に目を向いたが補助していく。佳夜の部屋は二階の奥に位置する。


「うっ……」

「もう少しだから」


 自身のベットに寝かせた。瑠璃は唇を青くし小刻みに震えている。佳夜は侵された顔、太い手足、破れた服を一巡し一言放つ。


「いや、顔がイイな……」


 佳夜は近くの椅子に荷物を置いた。看病の道具を持ち上げ、瑠璃の体調を見図る。



 瑠璃は重いまぶたを開ける。体制を変えようと体を横にしたら、なにか冷たいものに当たった。


「わっ!」とっさに飛び起き、女性の頭部を視認する。赤みがかった髪は耳にかからない長さだった。


 白色の部屋に淡いカーテンがかかっている。窓から近いドレッサーに写真が立てられていた。正面で寝る彼女がある幼い女子とピースサインしている。首を右に動かす。


「とにかく、外に出よう」


 身体を布団の方に移動させた。足を伸ばし地面に降りる。右足に大きな切り傷があったけど、痛みは走らなかった。

 音を立てないように外へ出る。階段から下に降りた。


「お、起きたのかい?」


 すると、知らない男性が瑠璃に声かける。


「えっと」

「ここは廃シェルター。何にでも流れ着く最終地点さ」


 男性は彼女の疑問を察して答えてあげる。彼女は一定の距離をとって話しかけた。


「どうやったら外に出れる?」

「出たいのか? 嘘をつけ」


 廃シェルターの周囲は、罪と呼ばれる生き物が、ネズミみたいな体を引きずっているようだ。彼女の困り顔に、男性は次いで続ける。


「ここに流れ着くのはやらかした人間ばかり。えっと、君だってそうだろ」

「……そんなこと」


 階段が軋む音がする。先ほどの女性が歩いてきたようだ。

 彼女は警戒して階段から離れる。


「やっぱ、起きたんだ」

「……貴方が看病してくれたの?」

「迷惑だった?」


 彼女は申し訳なさそうに項垂れる。瑠璃の胸はその仕草で掻き毟られた。


「そうじゃないけど、何で?」

「ここはケアハウス。人を助ける代わりに、助けられた人は労働してもらうってわけ」


 彼女は階段から降りた。身長は緒方よりも低く、目をしたにする。相手は佳夜だと名乗った。彼女も礼儀だと緒方の次が詰まる。


「緒方。よろしくね」

「う、うん」


 瑠璃は躊躇ってしまった。彼女がご飯を作るという間にケアハウスを抜ける。外は整理整頓された道に、一部だけ吹き抜けた天井があった。そこから日差しが謎に届いている。瑠璃の預かり知らぬ技術だった。


「黎……」


 当てつけみたいにふらついた。それが、気を紛らわすと楽観視する。現状は変わらないと分かっても、逃走した。


 彼女は回想する。黎の身体を乗っ取ったことや、明から重荷を背負ってしまったこと。瑠璃は何も逃せなかった。


「このままズファレから逃げるのかな」「あの人はどこまでおってくる」「このシェルターにも届くんじゃ」


 気付くと彼女は道の果まで到達していた。向かいはガラスが設置されている。無理に溶接したのか側が凹凸していた。


「え、うわ……」


 窓の奥に人間を横に伸ばした生物がいた。身体を太らせ瞳がひしめき合う。不朽の国で目撃した生き物と似てる。


「満足した?」

「あ、佳夜さん……」


 彼女の後ろで佳夜が待機していた。彼の背後にいる罪を目に入れる。


「その娘、どう思う?」


 彼女は後ろの生物を指していることが分かった。不朽の国で同じ生物を見たことがあるので、またかという思い以外ない。


「なんか、ちっちゃい?」


 相手が遠い目をした。瑠璃は素っ頓狂なことを発したと手を後ろに回す。


「実は、前に見たことあるんだ」

「もしかして、川にいるやつ?」

「それもだけど、ね」


 彼女はむやみに話さない方がいいと判断した。佳夜は首を傾げるけれど、それ以上追求してこない。


「それで」瑠璃は焦りをひた隠し恩を返すことにした。「私は何をすればいいの?」


 佳夜は彼女と共にケアハウスへ帰宅する。他の人々は彼女が帰ってきたから注目していた。


「えっと、緒方瑠璃、です」


 周りは拍手して出迎える。佳夜はその姿を見計らい二階へ上がっていく。それを誰も態度悪いと止めるわけではなく、瑠璃に集中し質問していた。瑠璃は不思議に思いながらもリビングに足を向ける。

 このケアハウスは数人の人々を囲っている家だった。七人いても窮屈じゃないリビングで足を伸ばして座る。


「テレビつけるね」


 住人がテレビをつけた。インターネット回線が市民に渡らなくなってから、情報のライフラインはテレビが牛耳っている。


「お、不朽の国だ」

「最近話題に上がるよね」

「でも、本当に死ななくなるんだろうか?」


 テレビはズファレの特集をしていた。


『デカルトは月の民から生まれた害悪だ。俺は不朽の国を率いてデカルトを駆逐する。』


テレビ内の司会が、専門家に話をふる。老けてるだけの大人が、白髪を振りまき絶賛している。

 彼女は番組から目を離す。住人たちが内輪ネタになると、瑠璃は邪魔にならぬよう二階へ歩く。


 彼女は音を立てぬように二階の扉を開けた。その後、ノックしておけばよかったと後悔することになる。


「あっ」


 佳夜は自身の胸に手を突っ込んで弄っていた。ナイフから血が滴り落ちている。


「何してるの!」


 瑠璃は扉を開けっぱなしで怒鳴り込む。ナイフを持つ手を握り、血の滑りでナイフに触れかける。


「何でこんなことするの!」


 彼女は金魚みたいに口をパクつかせる。瑠璃は激動を降ろせずに口にした。


「死んじゃダメだよ!」


 カーペットに血液がつかないように、下は洗面台が置かれていた。

 彼女の血液は洗面台に垂れる。一つの粒が、他の赤黒い色と交わり波紋を読んだ。液が上へ下へ揺られては、青い欠片が姿を覗かせる。


「なんで死にたいの?」

「……さあ、理由なんてわからなくなったかも」


 瑠璃の頭に浮かぶのは簡単な言葉ばかりだった。聞き覚えのある綺麗事で、正面の彼女は納得しない。


「私に友達がいたの」

「え?」


 あくまで友達の話だった。瑠璃は自分の思い出を置き換える。


「その友達は手痛い別れ方をしたんだ。別れを綺麗にするため、人を巻き込んで、彼氏のところへ向かったんだ」


 彼女の持つ力が強くなる。瑠璃は自分に夢中で彼女の体質に気付かない。佳夜の腹は血液が乾いていた。


「だけど、人を巻き込んで最悪な結果を招いたんだ。巻き込んだ人を間接的に殺した。その友達は、犯罪者になったんだ」

「その友達は、今何をしてるの?」

「生きてるよ」

「……理由を聞いていい?」

「生きろって言われたから」


 瑠璃は記憶の中に明がいる。たとえ会えなくても、延命させた恩を忘れない。


「だから、生きなくちゃいけないんだ。たとえ、姿形が変わって、人に笑われる姿を晒しても」

「……そう、なんだ」


 瑠璃は手を離した。佳夜もナイフを慎重に抜き出して刃物を洗面台に寝かせる。血液は止まり、彼女の胸は穴が空いていた。


「……私、死なないんだ。驚いた?」

「だからって痛いことはしない方がいい」

「うん。だから、みんなには内緒にして?」


 彼女は頷く。佳夜の瞳には悲観的な色が混じっていない。瑠璃は安心して手のひらの返り血を数える。


「二人だけの秘密だね」


 佳夜は上着を脱いで血の池を椅子の下に隠した。タンスの引き出しを開けて、生活感のある服を強引に引き抜く。着替えている間に、瑠璃は結晶の存在を確認した。


「いつか、私の招待を話すから」

「うん。佳夜なら私の秘密も話そうと思う」


 彼女は血液を布で拭いた。赤の隠れる色で扉に手をかける。先に瑠璃は出てから、佳夜も続いた。


「佳夜、もうしないでほしい」

「わかったから」


 階段を降りると住人が待っていた。初めて彼女は、緒方黎の肉体で、食事をとる。正面は色鮮やかなサラダと魚が焼かれきつね色になっていた。瑠璃と佳夜は隣合わせで手を合わせる。箸を持つ手がおぼつかない。


「い、いただきます」


 米粒を口に運ぶ。熱を含んだ米は舌で踊って、刺激を送る。瑠璃ははっふはふと口から湯気を出した。唾液で落ち着かせ、飲み込む。


 瑠璃は目尻をぐっと堪えた。瞳孔を開いて、睫毛を下に付け、眉毛をしきりに上下させる。

 胃袋が次の飯を欲した。瑠璃は無心で食事をとる。

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