3-3 自分融合

 瑠璃は窮屈だなと目で訴えた。彼女はいつ意識が復活したのか覚えていない。


「ここは、私が最初に瑠璃を呼んだ場所。テレパスの仲介だよ」


 瑠璃の正面に予想外の女性が立っていた。


「捕まったと思った?」


 明は取り込まれたはずだった。しかし、瑠璃の正面に明が気恥ずかしそうに照れている。


「心配かけてごめんね。無事なのは私だけかな」


 身体は半透明ではなく肌色になっていた。普通なれば人間の少女と見間違える。

 ああ、と明は顔を動かした。その方向を見たらズファレが何かに対して笑っている。


「ズファレに奇襲したんだ。彼の合意の元に、結晶に緒方を入れ、私が助ける」


 しかし、横画面ではズファレの暴虐を無視している。傷一つない彼は遺体を横に並べていた。


「失敗しちゃった。今から緒方黎のコピーを取って、2人を捨てる気だと思う」


 その時、少女は自身の状態を知る。瑠璃は動かそうとする足がない。画面ではバラバラの自分がいた。


「瑠璃を巻き込んじゃった。本当にごめんなさい」


 彼女は受動的による回答だけ許されている。胸に立つ思いは明が処理していた。

 瑠璃は身体的死去を迎える。しかし、彼女の精神は明の持つ結晶により捕獲されテレパスで使用した箇所に留めている。


「死人の精神は宙へ旅立ち、世界が貴方になる。建物、国を超えた先は貴方の特徴を失い、ただ受容するだけのエネルギーとなり果てる。この精神世界は時間を有さない。あるのは波紋だけだよ」


 彼女は一つの疑問が生まれた。画面に映る友達のことだ。


「緒方村で使われていた装置を改造して使ってる」


 村の襲撃時に埋め込んだ起爆剤。明はそう形容して、距離を縮めた。瑠璃にしてみれば距離時間すべて無に等しい。ただ、状況説明に一番近いのは距離を縮める、だった。


「私を弾く為に用意したもの。幸い、プロトタイプに取られたと錯覚してくれたから良かった。黎はもう助からないと思う。もし、また会っても、それはズファレの部下の黎だね」


 明は決意を固めた瞳をしていた。その唇は衝撃的なことを口走る。


「だから、瑠璃だけでも生きてもらう」


 瑠璃の中に甦る選択肢は無かった。そのために、明の発言に気持ちが湧いてこない。


「緒方家の身体は誰の精神でも住めるようになっている。そう作られたのがカセットであり緒方家の子供たちなんだ。月の民が遠隔操作するために作ってた」


 明は計画を説明した。切羽詰まった表情で、体があるなら背筋を正していたところだろう。


「ごめんね。この形しか助かる方法がないんだ」


 明は尽力すると告げ、指を伸ばす。瑠璃の視点より上に空を切る。


「今日わかったことも混ぜておいた」


 瑠璃の視点はエレベーターで下るように落ちていく。底のない空間でも、明は上で眺めていた。


「瑠璃、生きて」


 彼女の視点が暗転する。無数の黒が瑠璃の精神を視ていた。明の声は届かなくなる。やがて、瑠璃は身体と思わしき輪郭が青い光に遮られていく。自分が死んだことを直視して発狂した。誰も答えてくれない恐怖は、口がないから聞こえてこない。彼女は落ち着くよりも先に、地面に引っ張られる。



 瑠璃は目を開けた。気配がするから顔を横に向ける。


「私の顔だ」


 瑠璃の声は緒方のそのものだった。指を唇に当て、明のやり取りを思い出す。


「そっか。私……」


 爆発音がする。

 瑠璃は飛び起きて辺りを見回した。彼女はズファレに殺された場所にいる。そして、ズファレは頭を抑え蹲っていた。


「くっ……、明。何をして」


 瑠璃は他人の足で身を起こし、不慣れな身体を動かした。大股に開いて来た道を戻ろうとする。


「な、なんだと?」

「逃げなきゃ。早く」


 瑠璃は転んだ。身体と心が不揃いだから体重の動かし方が合わない。弱音と血を飲み込んで、その一歩を踏み出す。


「なぜ! 緒方が生きている!」


 瑠璃は敵の絶叫を聞いた。それだけで全身の力が漲ってくる。彼女は世界への恨みと激怒で突き動かされていた。


「私は、緒方黎ではない!」


 瑠璃は緒方黎の身体に移り変わった。生存率の高い人間が性別も混ぜ逃げる。しかし、彼女は律儀に答えた。それさえも、復讐になりえたからだ。


「私の名前は緒方瑠璃だ!」


 プロトタイプはスイッチの切れた機械みたいに動いていない。振り向きざま、彼女は頭に残り口を開いていた。


「ズファレは他の自分と共有して操作していた」


 瑠璃は明に撫でられたことを思い出していた。明は情報を緒方の身体に混ぜたことは分かる。他にも記憶していることがあっても、今は逃げを専念していた。

 緒方瑠璃は白い空間を抜ける。赤黒い壁が瑠璃を食べんばかりに凝視してきた。


「あっ」勝手に口が動きかけ、慌てて唇を閉じる。誰も追いかけてこず、扉まで一直線に進む。


 その時、彼女の身体に淡い光が全身を包みだす。それはまるで、緒方が接続と呼んだような状態変化だった。最も、彼女は緒方黎の身体を借りているから中身が違うだけだ。


「待て」横を風がすり抜ける。直感で避けた箇所に弾丸が走っていた。


 呼びかけたのはズファレのプロトタイプだ。彼は武器を手にし緒方の指先を監視していた。今にも吐き出しそうな顔色をしている。


「なぜ、お前がそれを出来る」

『ズファレには、分からないよ』


 明は緒方の内部で発した。波紋は空気に触れプロトタイプの耳に入る。


『デカルトだって、言い訳している貴方なら』


 2人は機械から脱却していた。夜明けの太陽が不朽の国を明るく照らしている。日差しを背にズファレは喉を震わせた。


「お前、俺の計画を読んだな」

『君の本体を見つけられたから』

「だからといって、お前ら3人はここで死ぬ」


 瑠璃の介入は不可能だった。2人は自身の世界で周りを蔑ろにする。彼女自身、明に身体を奪われたような異物感を起こしていた。


「明、お前は運命を受け入れろ」

『黎を殺したくせに?』


 彼女の腕から鉄骨の柱が生成される。地面に埋まり、何かを防ぐ。

 緒方の身体は攻撃を凌いだ。足は屈伸して彼ごと飛び越える。地面に足をつけたらプロトタイプから引き離す。瑠璃は他人事のように見たことで情報を受け取っていた。身体は明が操作しているから無気力だ。ただ死にたくないという寒気から距離をとるため無理をしている側面もある。

 その中で、明は瑠璃に対して忠告した。


『私はここまでだから、自分の足で走って』


 瑠璃は浮ついた身体が地面に接していく。腹部から冷えが上へ昇っていた。足は段々と自由になり速度が落ちていく。


「ねえ、待って」


 明は瑠璃と身体を共有している。別れを知らない青い感情が流れ込む。


『黎を一人にはできないよ』


 瑠璃は拳を固く結び足を開いた。返事をしないで扉を抜ける。プロトタイプは外に出ても尾行してきた。

 彼から青い光が失われていく。冷たい孤独が顔を掠めても前を向いた。明は不朽の国に戻っていく。彼は気付かず幅を狭める。走行が不慣れな男の肩に指が届こうとした。


「チッ、おい。別働隊、追え」


 プロトタイプは立ち止まらなければならなかった。小さな身体は額にシワを浮かべて彼を見放す。瑠璃はその姿に安堵した。


「はあ、はあ」


 瑠璃は息を切らしながら両手を振り回す。通行人が不思議そうに彼の後ろ姿を目で追った。

 そして、扉から男達が集団で押し寄せる。レティクレ座に乗車していた男達だった。顔を伏せ緒方を始末する獣たちだ。

 緒方の肉体は乱雑に修復されている。そこにあった皮と融合し、辛うじて走れていた。


「追いつか、れ」瑠璃は感覚で右肩に手を出す。足を遅くし手を挟む。

 身体が勝手に動いて、追手を投げた。他の人間から間一髪で交わしていく。


 カセットとは、月の民が作り出した人造人間だ。月行きの資格がある人間を一から作り出そうという試みだった。そして、カセットにはデカルトや月の民が中に侵入し視点を共有するロボットじみた機能がある。学習させておきたいことを命令させたら、信号として体が動く。

 機械に近い人間が、緒方黎だった。今は瑠璃を助けるために作用している。


「明、れい……」


 彼女は明と黎の結末を察した。二人は既に息絶えてこの世に存在しないかもしれない、じわじわと絶望が心を壊していく。


「逃げなくちゃ」


 瑠璃はバリケードを乗り越えた。割れたコンクリートの上を突き進む。不浄が彼女を撃ち抜いても、体は修復されていく。塀には雑草が茂っている。


「ああ、私は」


 彼女は世界で一人ぼっちになった。舗装されてない道で嘆く。


「私は情けない……、とても弱い」


 誰かの力を借りないと生きていけない。謙也から守られ、今は緒方が道を示してくれている。彼女は自分の情けない部分と向き合わなくちゃいけなくなった。

 彼女は全てが自分ではない。他人が作ってくれた土台で踊っていた。自覚するのがすべて遅い。後悔は待ってくれなかった。


「ごめん。ごめんなさい」


 自分の弱さを呪う。彼女の後ろは不朽の国の剣士や不浄でさえ姿を消した。身体は疲弊して膝をつく。


 膝をついた下は奈落の穴が待ち構えていた。まるで人を喰らおうとする喉の下に川が流れている。瑠璃の身体は吸い寄せられていった。

 体制を崩し、穴の中に飛び込む。彼女は回転し最後の空を仰いだ。


 瑠璃は埋立地の焼却炉にたどり着いていた。その穴はゴミを投棄する場であり、流れる川は死んでるように澱んでいる。


「死にたくない」


 切なる願いは身体に届かなかった。落ちる途中で、不浄の元が掴もうと横穴から手を伸ばして掴めない。

 淀んだ川に水柱が立つ。瑠璃は隔離された空の下で流れに身を任せた。生への渇望は摩耗して瞼が重くなる。


 放棄された都市に割れ目ができ、下で流れる川で、ある人間が誕生した。その名は緒方瑠璃(おがた るり)。佐屋野瑠璃の精神は、明の力を借りて緒方黎の身体に入り込んだ。緒方黎はズファレの仕組んだ罠によって不明となっている。4人だった旅は一人に収束し明日を迎えた。


 ここから、緒方瑠璃の物語が始まる。

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