第三話 親父信虎が追放された理由と外交関係を調べて覚えよう。

 ■天文一〇年(一五四一年)六月 甲斐国 躑躅ヶ崎館


 うん。罰ゲームっぽいのはわかった。だけど、できるところからやっていかなくてはな。まだまだ情報が足りないから入手しないと。

 呼んだのは、板垣駿河(信方)だ。爺三人衆のなかで白髪混じりで偉そうにしてたから。聞けば五三歳だって。


「なあ、スルガ? お前たちって何で親父を追放したんだ?」


 婆ちゃんは、『信玄公のお父上は、優秀な信玄公よりも弟の信繁様を可愛がり過ぎたのですよ』などと言っていたけれど、絶対違うと思うんだ。真実を知るのって大事。


 爺だけあって、スルガの話は長かったので要約しよう。

 武田家は、平安時代から続く甲斐源氏の名門で、室町幕府からも甲斐守護に任命されている。守護というのは、将軍から国単位で軍事と行政を任される役職だな。

 甲斐にとても長い間根付いて歴史が古いのだが、ある意味どの勢力も貧しい甲斐を狙おうとしなかったという見方もできるな。笑えないけれど。


 ともあれ、武田家が一応甲斐のリーダーなわけだな。ところが、戦国時代になって、分家の勢力争いや国人衆などが勢力を強めたりと、甲斐はバラバラだった。国人衆というのは、国より小さな村とか町とか郡とかそのようなイメージの場所のリーダー的な武士のことな。武装していて、配下もいるから、リーダーの武田家に真っ向から反抗したりもしていたんだ。


 親父信虎は、良くも悪くも戦が強くワンマン的なリーダーで、反抗的な分家や国人衆を脅したり、戦で叩き潰したりと、甲斐をほぼ統一した。それから、石和いさわ(山梨県笛吹市)から、甲府(甲斐府中)に本拠地を移して、城下町を造って有力な家臣も甲府に移住させたんだ。


 こうしてみると、中央集権化しているわけで、とても進歩的に思えるよな。甲斐をほぼ統一してかなりの軍事力を持っているから、外征も盛んに行なった。もちろん、部下も急進的な親父のやり方に不満をもつ者も多かったようだ。だが、親父は強力なワンマンだから、反対意見は押し潰したり聞く耳を持たない。


 あまりに親父が厳しく急進的で部下がついて行けない。だから、みんなの話を聞いてくれそうで人のいいアニキが家督を継いで親父は隠居すべきだ、という意見が家臣の大多数になった。

 そこで、家臣のリーダー格ともいえる爺三人衆が親父を駿河(静岡県)に追放して、へなちょこアニキが家督を継いだというわけ。


 確かにいつもニコニコしていて、他人の話を『うんうん。そうだねえ』とか聞いてくれるアニキのほうが仕える側にとっては、楽だよな。

 でも、きっとそれだけではいけないと思うんだ。バシッと有無を言わさず押し通すときも必要なはずだよ。


 わかった。おれが『バシッ』ってやってやろう。アニキに任すと『気を悪くしそうだし』とか言いかねない。いや、まず言うから。それにはおれも理論武装しないとな。戦国時代に来てもやっぱり勉強は大切ってわけだ。


 そうだ。気になったのだが、親父を駿河に追放したというけれど、まさか捨ててきたわけではないよね。さすがに、血が繋がっておらず、殆ど顔を合わせる機会もないうちに、ドナドナされた親父でも、扱いが悪かったら夢見が悪いぞ。


「ところで、親父を駿河に追放したというけれど、親父は今どこにいるのさ」

「大殿は、今川治部(義元)殿に預かっていただいてますよ。文が来ております」


 今川治部というとマロだな。文を差し出してくれるのは結構なのだが、崩し字が非常に読みにくくて困るんだ。解読にかなりの時間が掛かってしまう。早く印刷機を導入して、楷書を広めたいぞ。ともあれ、意訳するよ。


『虎はきちんと飼っているから安心してくれ。餌代と檻代を寄越せ マロ』


 なんというか、実に強かだなあ。兄弟姉妹で一番上の姉貴がマロの正室になっているから、おれやアニキにとってマロは義兄にもなるし、親父にとってもマロは義理息子になるんだけどな。

 それなりの処遇をするとなるとお金は掛かるんだろう。必要経費ってやつだな。


 ついでに、外交関係を教えてもらったところ、姉貴が今川家に嫁にいっているので、かつては抗争もあったけれど、駿河の今川家とはわりと友好関係だ。甲斐から駿河へは冨士川沿いに下ったルートだな。平成でいえば、国道五二号線や身延線に近いね。


 次に、平成でいう国道二〇号線、中央高速、中央線ルートを韮崎、小淵沢と辿って峠を越えると、すぐに信濃国(長野県)諏訪郡になる。

 諏訪郡は、諏訪神社上社大祝おおほうりの家柄の諏訪氏の勢力下で、現在は諏訪頼重よりしげが当主だ。武士と神官が混じったようなイメージだな。諏訪氏とも抗争を繰り広げたこともあるけれど、和睦が成立した現在は同盟を結んでいて友好関係だ。


 平成でいう国道二〇号線、中央高速、中央線ルートを、今度は逆に東京というか江戸方面に行くと、相模国津久井郡(神奈川県)になるのだが、こちらはちょっと事情が複雑。津久井郡は北条氏の勢力下だ。

 ところが、津久井郡と甲府の間の『郡内地方』と呼ばれる都留つる郡は小山田氏が実効支配している。平成でいえば大月、都留、富士吉田あたりをイメージしておけばいい。

 有名な北条氏康の父親、北条氏綱が当主の北条氏とは、津久井郡に攻め込んだり、逆に郡内地方に攻め込まれたりと抗争がたびたびあったのだが、こちらは小康状態といった様子。

 小山田氏は配下というよりは、同盟勢力というほうがしっくりする国人衆だ。甲府にも屋敷があるけれど、平成でいう都留を本拠としていて、独自に北条氏綱とも外交をしていたりする。

 特別扱いであるけれど、完全に北条氏側に付かれると、厄介だからケアが必要ってわけ。


 この三方向が、甲斐のメジャールートだ。もうひとつマイナールートがあるのだけれど別の機会に覚えよう。

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