塔に群がる影

「それは……」


 ターヒルは口ごもり、複雑な表情をした。が、きっぱりと言った。


「大丈夫でしょう。我々の占星術師や魔術師らの力を信じましょう」

「スフラブを犠牲にするのね!」


 暗い顔でうつむいていたモナがぱっと顔を上げ、噛み付くようにターヒルに言った。


「あなたたちは、陛下の弟君に危害が及びそうになったから、だから、本気でこの件に取り組み始めて! それで、スフラブの身を危険にさらして幽霊を退治しようとして……!」

「いえ……」


 ターヒルが何か言いかけたが、その横からカイスが静かな声で言った。


「いえ、そうではありませんよ。たまたま恐ろしい目に会ったのは弟君でいらっしゃいましたが。けれどもそれは他の誰かだったかもしれない。市井の少年だったかもしれないし、このまま放っておくと、都の人々に被害が及ぶかもしれない。陛下はそうお考えになられて、行動に移られたのですよ」


 モナは黙った。黙って、顔をそむけた。そんなモナを見て、ターヒルが優しい声をかけた。


「……モナ様。心配なのはわかります。あの少年は、スフラブは、私が守りましょう。私が、全力で、彼をお守りします」

「――ターヒル……」


 モナは顔を上げた。ターヒルと目があった。濃い色をした瞳は、最初会ったときはおっかなそうに見えたが、今は、信頼の置ける、頼もしさと温かさを持って、モナの目に映っていた。


「それで、スフラブは今どこにいるんだ?」


 アリーが聞いた。ターヒルは答え、

「もう、霊を呼び寄せる作業に入っているのです。私もそこにこれから行こうとしていたのですが……」


 ふいに、ターヒルの言葉が途切れた。部屋が一度大きく揺れたからだった。モナが悲鳴を上げ、他の面々も緊張した面持ちで辺りを見回した。カイスが窓の外を見て、声を上げた。たちまち皆の視線がその小さな窓に、その外の光景にと集まった。


 窓の向こうには庭園を挟んで古い塔があり、その上階に、これもまた小さな窓があった。そこに、何やら黒い影のようなものが群がっていた。また少し夜の気配を色濃くした日暮れの空に、その影が浮かび、蠢いていた。真っ先に口を開いたのはターヒルだった。


「あれは、あの少年がいる部屋……!」


 モナがターヒルを見ると、ターヒルは室内にいる面々のほうを向き、きっぱりと言った。


「何か異変が起こったのかもしれません。私が今すぐ様子を見てきます」

「わ、私も!」


 モナもすぐさま言った。が、ターヒルは難色を示した。


「いえ、モナ様はここで待っておられたほうが……」

「どうして!? だって、スフラブが危険な目にあってるかもしれないのに!」

「お気持ちはわかりますが……」


 モナはアリーを見た。アリーは、モナをたしなめるような表情を浮かべていた。続けてカイスを見た。カイスは……あまり表情が変わっていなかったが、しかし、気持ちとしてはアリーと同じなのではないかという、微妙な変化が見てとれた。


 二人を見てモナは察した。おそらく自分が行っても何もならないのだ。何も力にならない。それどころか足手まといになるかもしれない。だからここで待っていたほうがよいのだ――。モナは気持ちをぐっと呑み込んだ。そして、ターヒルを見上げると、言った。


「――わかった。待ってる。でも……スフラブを守ってね」

「はい、必ず」


 ターヒルは短く答え、モナを安心させるように微笑み、そして身を翻すと足早に部屋から出て行った。モナはそれをじっと見送っていた。


 部屋の中は静かだった。誰も何も口を聞かなかった。アリーとカイスは窓の外をちらちらと気にしていたが、モナはそちらを見ることができなかった。恐ろしくて。スフラブが王子ではなく、とりあえずその意味で自分から離れることはないということはわかったが、しかし今度はまた別の危機が迫っていて、モナの心を重くしていた。


 いや、王子かもしれない、というのはあくまで予想であった。しかし現在は――スフラブの危機が、今そこにはっきりとあるものとして、存在しているのであった。不安がモナの身を重苦しく覆い、心をうつろにさせていた。


 どれほどが経ったのか、室内もだいぶ薄暗くなりつつあった。と、その時、またも部屋が揺れた。今度はアリーが何かを見つけ、二人に注意を促した。それは天井近くの壁際に張り付いていた。これもまた黒い影であり、そして四方八方に、触手を伸ばすように、広がっていた。

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