幽霊現る

 しかし、二人の期待ははかなくも裏切られた。急ぎ足でたどり着いたそこには、誰もいなかった。スフラブどころか人一人いなかった。二人は黙って部屋に入った。ここもまた、隠れるところはなさそうだった。


 二人は黙っていた。モナはよほど気落ちをしていたが、その様子を見せまいと頑張っていた。「他にはどこか――」とアリーは言いながら、入ってきた戸口のほうを振り返ったが、その動作が唐突に止まり、言葉も止まった。


「どうしたのアリー」


 アリーが黙ったので、不思議に思いモナも振り返った。そして目を大きく見開き、息を呑んだ。戸口には人がいた。いや、人ではないかもしれなかった。確かに人の形をしていたのだが――その姿は半ば透け、身体の向こうの風景をぼんやりと映し出していた。


 人は、女性であった。長い髪をして、長くひきずるような服を身につけた女性であった。顔は何故か判然とせず、表情どころか目鼻立ちさえもよくわからなかった。微妙に揺れ、伸び縮みさえしている風があり、そしてゆっくりと二人のほうへ近づいてきた……。


 モナは声が出ず、身体も動かせなかった。アリーもそうであるようで、茫然とこの異形のものを見ていた。と、足音が聞こえた。この得体の知れない女のものではなく、誰かがこの部屋へと向かってくる足音であった。


「ねえ、ヌズハはいる?」


 侍女の名前を呼びながら、ひょいと部屋をのぞきこむものがあった。それはサハルであった。不思議なことに、サハルにはこの謎の女が全く見えてないようであった。


 サハルははたと、凍り付いている二人に目を止めた。そして怪訝な顔をした。


「どうしたの? 二人とも。まるで幽霊でも出たような顔をして……」


 ……今まさに幽霊が出てるのよ! とモナは言いたかったが、やはり声にはならなかった。二人が黙っているのでサハルはますます怪訝な顔をした。


「何? なんで答えないの? 何かの遊び?」


 そう言ってサハルは一歩前進した。サハルとその前にいる謎の女との距離が近づいた。女はそんなサハルに気も止めていない様子で二人に向かってゆっくりと近づいていこうとした。一方、サハルも歩みを止めなかった。


 突然、ばたりと女が倒れた。どうやら、サハルが女の服の裾を踏んづけたようであった。けれどもサハルは全くそのことに気づかず、足を止めず、倒れた女を踏みつけて室内に入ってきた。そして本当に戸惑った顔で、モナとアリーを見た。


「ねえ、本当にどうしたの、二人とも……」


 踏みつけられた幽霊はというと、サハルの足が一歩その身体に乗るごとに、その存在が淡いものになっていった。そして、サハルが完全に女の身体を通り越し二人の前に立ったときには、随分と透明な頼りない存在になっており、そして、ゆっくりと消えてしまった。


 幽霊が消えた途端、モナとアリーの身体が、まるで呪縛から解けたかのように自由になった。そして、モナはサハルの身体に飛びついて、力一杯抱きしめた。


「ああ、お姉さま、お姉さま! なんて素晴らしいのお姉さまって人は!」


 モナは無我夢中で言って(声もようやく出せるようになっていた)、一方ではアリーがサハルの手を固く握って、上下に強く振っていた。


「サハルさま、あんたって本当に大した人だよ!」


 一方のサハルは何がなにやらまったくわからない、と言った顔をしていた。


「ねえほんとに……私はわけがわからないのだけど」

「わけがわからないのは、私たちも似たようなものなのよ。でもお姉さまは恩人なの! 私たちを救ってくれたのよ!」

「そ、そうなの?」

「そうなの! 詳しく後で話すけど……ねえ、それはともかく、スフラブ見なかった!?」

「スフラブ? え、ええっとそうね……」


 若干状況についていけてないサハルであったが、それでもとりあえず、聞かれたことには答えようとした。


「えっと……そうだわ、さっき、見たわ」

「見たの!?」


 モナと、そしてアリーがたいそうな勢いで食いついてきたので、サハルはまたも戸惑った。そして戸惑いつつも、言葉を続けた。


「そうよ。えっと……誰かしらないけれど若い男の人と一緒で……その人とどこかへ出かけようとしているみたいだった。男の人がお供のように側についていて……」


 モナが悲鳴のような声を上げ、サハルが目を丸くした。


「その男の人って、どんな人だった!? 綺麗な顔だった!?」

「えっとそうね……あまりよく見てないけど、そうだったかも……」

「アリー」


 モナが呟いてアリーを見た。アリーもまたモナを見て、はっきりと言った。


「アジーズの家へ行こう!」

「でも、二人はそこへ行ったのかどうか……」

「とりあえず、そこに行ってみるしかないだろ! 他にあてはないし」

「あの、二人ともなんの話なの……」

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