7. スフラブの秘密
スフラブの秘密
モナは決意を込めて、屋敷の廊下を歩いていた。アラウィーヤ先生の授業も終わった、とある午後のことだった。授業のあと、部屋に帰ってつらつらと考え事をしていた。スフラブとの仲はどうもぎくしゃくしたままだった。アラウィーヤもそのことに気づいて、あなたたち喧嘩でもしたのですか? と聞いてきた。喧嘩ではない……のだけど、ついスフラブへの態度がよそよそしくなってしまい、スフラブもそれに気づいて、モナに遠慮の気配を見せてあまりこちらに近づいてこようとしなかった。
気まずいまま別れ、自室で考えていたのだ。このままではいけない、と。スフラブとこんな関係のままでいるのは嫌だ。ちっとも楽しくない。何があったか聞かなくちゃ、とモナは思った。何があったか……何が起こっているのか。どうして隠し事をしているのか。スフラブもターヒルも。答えてくれるかどうかわからないけど……でも聞かなくちゃ。
でももし、その答えが自分の恐れているようなものだったら……? モナはそうも考えたが、その考えは振り払った。別にそれなら……それでいい。
かくしてモナは勇ましく、少なくとも自分は勇ましい気分で廊下を歩いていたのだった。スフラブの部屋へと向かう。スフラブは使用人ではあるが、ほとんど身内も同然に、よい扱いを受けていた。
スフラブの部屋の少し前で、モナははたと足を止めた。目的の部屋から、何か人の声がしたからだった。そっと部屋に近づき、戸口から中を見た。そこには果たしてスフラブがいた。
スフラブと――そしてもう一人いた。それはアジーズであった。彼がいることはさほど驚くべきことではないかもしれない。けれども状況が奇妙であった。二人は部屋のほぼ中央にいた。スフラブは立ち、アジーズはその足元に跪いていた。恭しく……まるで王侯か何かにそうするように跪いていた。王侯……。モナはその光景をただ見ており、そしてスフラブはというと、困惑の態でアジーズを眺め下ろしていた。
……モナは自分でも気づかぬままに、くるりと身体の向きを変え、急ぎ足で、ほとんど小走りで、来た道を戻り始めた。先ほど見た光景が頭の中でぐるぐると周り、しかもそれにどのような解釈をつけてよいのか、さっぱり見当がつかなかった。闇雲に、それでもとりあえず動いていると、前方より来た人物にぶつかりそうになった。
「アリー! なんでこんなところに」
衝突を危うく回避して、相手を見たモナが言った。
「今日の仕事が早く終わったから遊びに来たんだよ。……どうかしたのか」
モナのいつもと違う様子に気づき、アリーが尋ねた。モナは迷った。先ほど見た光景をどのように話せばよいのかわからなかった。モナの様子のおかしさにアリーも戸惑いの表情を見せた。そしてさらに聞いた。
「何かあったのか?」
「……スフラブが……。スフラブが……」
どう言っていいのか……迷いつつも、モナは先ほど見た光景を話した。そして一通り話し終えた後、言葉が口をついて出た。
「やっぱりスフラブは王子だったのよ! アジーズが……スフラブを連れて行こうとしてるの!」
アリーは面食らい、そして自分なりに今の話に説明をつけようとしているようだった。落ち着いた声でモナに言った。
「そんなのまだわかんないじゃないか。アジーズとスフラブがただふざけていただけかもしれないし」
「ふざけてどうして、跪いたりするの!?」
「それは……よくわからないけど……。でも仮にスフラブが王子だとして、そうするとそれを探してるアジーズやターヒルはなんなんだよ」
「わからない……。東の国の人かもしれないし……密偵とか何かとか」
「おまえなあ。アジーズはどう見てもただの陽気なあんちゃんだよ。ターヒルは気は優しくて力持ちな船乗りだし。カイスは……まあやつはちょっとつかみどころがないけど、アジーズの親父さんにいたっては本当に、その辺のどこにでもいる普通のおっちゃんじゃないか」
「でも……」
モナの声が弱くなった。弱くはなったが、アリーの意見に賛同していなことは明らかだった。きゅっと唇を噛み、うつむくモナの様子を見て、アリーは仕方ない、というふうに言った。
「とりあえずもう一回、スフラブの部屋に行ってみようぜ。二人ともまだそこにいて、おれたちを笑って迎えてくれるよ」
「……うん、そうね」
そうだ、もう一度スフラブの部屋に行ってみるべきだ、とモナも思った。ひょっとしたら本当に、アリーの言う通り、二人のおふざけなのかもしれない。
かくしてまた方向を変え、スフラブの部屋へと急いだ。しかしたどり着いたそこには、誰もいなかった。スフラブもアジーズもいなかった。部屋はもぬけの殻だったのだ。
小さくはあるがきちんと片付けられた、部屋の主の性格を思わせるような室内に二人は黙って入った。部屋の中央でモナは途方に暮れ、アリーもまた落ち着かない表情をしていた。部屋には隠れるような場所がなく、ここが無人であることは明らかだった。
「……どういうことなの」
しばらくしてモナが呟いた。「スフラブはどこに行ったの。まさか……アジーズが連れて行ったの?」
「いや、それは……」
アリーが何か言いかけたが、モナは聞いていなかった。
「どこに連れて行ったの? 東の国へ行ったの? もう会えないの?」
疑問を口に出すたびに心が折れ、次第に目に涙が浮かんできた。震える声でモナは言った。
「私、まだお別れを言ってない……」
ようようそれだけ口にすると、モナの目から涙が零れた。アリーはそれをぎょっとしたように眺めていたが、やがて、きっぱりとした口調で言った。
「まだ屋敷の中にいるかもしれないだろ! 探そう!」
アリーの言葉を聞いて、モナは慌てて涙をぬぐった。そうだ、こんなところでしょげて泣いてないで、まずは二人を探したほうがいい。うっかり泣いてしまったことが恥ずかしく、そして力になってくれるアリーを有難く思った。
「スフラブがいそうなところといえば他に……」
アリーの言葉にモナが答えた。
「使用人たちの居間があるわ」
「そうだな。おれもよくそこでスフラブに会ってる。そこかもしれない」
かくして二人は部屋を出、居間へと向かうことになったのだった。
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